LOGIN「さよなら、永遠に」 実の父親に泥の中へ蹴り飛ばされ、最愛の婚約者と義妹にすべてを奪われた夜、私は一ノ瀬美緒としての人生を捨てた。 捏造されたスキャンダル、強行された堕胎手術、そして監禁された療養所の謎の爆発。 火の海の中で死んだはずの「令嬢」は、激しい復讐の炎を胸に宿し、灰の中から這い上がる。 切り裂かれるような激痛を堪え、彼女が雨の中、向かった先――。 それは一ノ瀬家の宿敵であり、あの狂った夜の男、九条征哉の元だった。 テーブルに置かれた、一つの小さな指輪の箱。 復讐のために宿敵と交わした、冷徹な『氷の契約』。 灰となった令嬢の、すべてを滅ぼすための残酷で美しいカウントダウンが、今、始まる――。
View More「一族の面汚しだ!」
土砂降りの雨の中、私は泥の上へ叩き出される。雷鳴が鳴り響き、雷の光がお父様の背後のお屋敷を照らし出す。お父様は私を見下ろしながら私に何かを叩き付ける。
「これは一体、どういう事だ!」
私の頬に叩き付けられたもの、それは数枚の写真。私の頬に叩き付けられた写真が土砂降りの雨の中に散らばる。その写真には私が男に肩を抱かれホテルの部屋に入って行くところが写っている。しかも写真はそれだけにとどまらず、私とその男が半裸でベッドに居るところまで写っている。
(どうしてこんな写真をお父様が持っているの……)
そう思いながらその写真を手に取る。写真に写る男、それは我が一ノ瀬家の宿敵とも言える男――九条征哉――その人だった。
そして。
私の手の中にあるのは妊娠検査票。私は宿敵である九条征哉の子供を宿してしまっていた。妊娠検査票を握り締める。全ての発端はこの妊娠検査票だった。
「お前のせいで! 高橋家との縁もご破算じゃないか!」
高橋家、それは私の恋人であり婚約者の高橋翔太の家。私と翔太は順調にお付き合いを続けて、つい最近、婚約にまで至った。それがこの写真と妊娠検査票によって、打ち砕かれた。元々、我が一ノ瀬家は事業が暗礁に乗りかけていて、一縷の望みをかけての高橋家との婚約でもあったのだ。雨が私の体を打ち付けて行く。全身ずぶ濡れで体が冷えて行く。
「お姉様……いくら遊び好きでも、こんなふうにスキャンダルを起こさなくても……」
そう言ったのは私の義理の妹の瑛理香だ。彼女は私の義理の母にあたる華瑛さんの実子。可憐さを装ってそう言っている瑛理香はわざとハンカチを持ち、その瞳を拭ってみせながら、声を震わせ、その横に並んで立っている華瑛さんに寄り添っている。私が雨に打たれながらそんな瑛理香を見ると瑛理香は一瞬だけ、そのハンカチで口元を隠して笑ったのを私はしっかりと見た。
(今、笑った……?)
雷鳴が響く。瑛理香の横に並んでいた華瑛さんが私を一瞬だけ、一瞥すると、お父様に歩み寄り、お父様に言う。
「恭介さん、あまり激しくお怒りになると、体に障りますわよ」
そしてお父様の背中を優しく撫でながら、続ける。
「美緒さんは一ノ瀬家の長女で、恭介さんも随分と目を掛けられていたんでしょうけど、まだ子供なんです」
まさか義理の母親である華瑛さんがそんな事をお父様に言い出すなんて思いもしなかった。そもそも私は華瑛さんから距離を置かれていたから。
(華瑛さんが……私を庇っている……?)
ほんの少しの期待感が私の中で温かい一筋の光のように、挿し込んだ気がした。けれど、それは次の一瞬で、粉砕される。
「ただ……事が大きくなり過ぎていますし、一ノ瀬家としてもケジメはつけなければいけないと思うんですの」
そう言った華瑛さんはお父様が私を見つめているのを確認して、一瞬ニヤリと笑う。その笑みを見てゾッとする。
「高橋家からしてみれば、他所の男の子供を妊娠したなんて言語道断でしょうし、それは私としても残念だけれど同意ですわ」
お父様からは奥歯をギリギリと噛み締めている音が聞こえて来る。華瑛さんはそこで深く溜息をつく。その溜息にはきちんと“無念さ”が感じられた。
「もうこれ以上、一ノ瀬家では美緒さんの名誉は守れませんわ。でも、一ノ瀬家の名誉を守る手段はまだあります」
奥歯を噛み締めていたお父様が聞く。
「何だ」
そう聞かれて華瑛さんが言う。
「美緒さんを療養所に送るんです。世間には美緒さんはショックで体調を崩したとでも言っておけば体裁は整いますし」
療養所――それはわが一ノ瀬家が所有している私的なもの。療養所と耳触りの良い呼び名で呼ばれているけれど、その実態は体の良い隔離施設だ。一度入ったら出て来る事はほぼ不可能な施設……。
「それは……どうか……お父様……」
私はお父様の足に縋る。視界は涙と雨でもうハッキリとお父様の顔さえ見えない。けれど私はお父様のスーツの裾にしがみつくように縋った。私の掴んだ部分が濡れてその色を変える。
「お父様、聞いてください……あの夜の事は、本当に何も覚えていないんです……きっと薬か何かを盛られたんです……誰かに嵌められた、きっとそう……だから、お願いです、どうか……」
お父様は私の言葉を聞いて、一瞬、その瞳を揺らした気がした。けれどお父様はそんな私の縋った手を、足で払いのける。そしてそのまま振り上げた足を私に向け、蹴り上げる。不意の攻撃に態勢を整える事が出来なくて、私はお父様の蹴りをまとも受けてしまう。
「お前のような娘など、我が一ノ瀬家にはいらん!!」
「青の鎖……」私はそう呟いてその錠剤の画像を見る。言葉を聞くだけで、何か禍々しさを感じる。「モルフォ・シアニドは片頭痛の錠剤であるロイゼノンに少量ずつ混ぜられていた」九条征哉にそう言われて私は聞く。「少量ずつ?」そう聞くと九条征哉が頷く。「モルフォ・シアニドは毒性が強く、しかもモルフォ・シアニドで死に至ると、その特徴が体に出やすい。つまり」九条征哉がそこで言葉を区切る。「証拠が残りやすいって事ね」私がそう言うと九条征哉が微笑む。「そうだ」九条征哉はそう言うと私の腰を抱く。「この毒は体温を下げながら静かに神経系を麻痺させていく合成毒だ。飲むたびに身体の自由を奪い、最終的には心不全に見せかけて命を絶つ。華瑛は一ノ瀬恭介の自由を“青の鎖”で縛り上げ、病死に見せかけて完全に自分の手中に収めるつもりだったんだろう」お父様も華瑛の殺したい人間のリストに載っている……。本当に何を考えているんだろう。「華瑛は何を考えているのかしら。今更一ノ瀬家の財産云々は関係無さそうだし……」私が独り言のようによう呟くと、九条征哉がまたタブレットを操作し、私に見せてくれる。「華瑛と香織は学生時代、親友だったらしい」目を見開く。タブレットには若かりし頃の華瑛とお母様が並んで笑って写真におさまっている。「親友同士、だったの……?」お母様と華瑛が友達だった事は何となく予想はしていたけれど、親友同士だったなんて、聞いた事が無かった。その時、遠い記憶が呼び起こされる。あれは、確か……そうだ、華瑛が結婚した夫を不慮の事故で亡くした後の葬儀の時。お母様と華瑛が抱き合い、お母様が華瑛を慰めている場面……私はそれを見ながら幼いながらもお母様の大切な友達なのだと思っていた。だから私の中でその葬儀の時の華瑛と、一ノ瀬家に入って来た時の華瑛とが繋がらなかった……?「華瑛自身が何を考えていて、何を目的として動いているのかは、今のところ、華瑛本人にしか分からないだろう」九条征哉の言う通りだ。「だが色々な事について可能性を全て考慮に入れて、不測の事態にも備えなければならない」そう言って九条征哉は私の腰を引き寄せる。「相手は毒殺も爆殺もして来るような奴らだからな」そう言われて私は九条征哉を見上げて聞く。「そういえば、私が収容されていたあの施設の爆破はやっぱり、華瑛が
部屋に和久井を入れて、私は振り返る。和久井はその端正な顔立ちにほんの少しの微笑みを浮かべて私の言葉を待っている。私は和久井との距離を詰める。和久井は微笑みを崩さずにただ立っている。(感情の読めない子ね)そう思いながら私は言う。「あなたにお願いがあるの」そう言うと和久井が聞く。「はい、奥様」私は和久井の胸板に手を這わせてその逞しい胸板に触れる。◇◇◇報告を聞き、また笑う。(良い男を派遣し過ぎたか……)正直、華瑛が若い男に興味があるとは思っていなかった。とはいえ、屋敷の中で家人が知らない公然の秘密として使用人を愛人にしているのだから、それは無い話では無いなと思い直す。和久井はそんなものを処理出来ない程、無能では無いし、必要であれば、華瑛と寝るぐらいは何でも無いだろうが。俺は溜息をついて、椅子に深く座る。華瑛という女が考えている事が本当に良く分からない。俺の手元のタブレットには華瑛と香織の学生時代の調書が上がって来ている。注目したのは華瑛と香織が親友であったという一文だ。親友であったなら、そこに嫉妬の感情は発生するだろうか。いや、親友だからこそ、自分が好いている相手が親友を好きになってしまったら、それこそ感情が反転するのかもしれない。誰かを好きになった時、その想いが重ければ重い程、その反転具合は大きいだろう。だから香織を毒殺した……?どうにも解せない。何かを見落としているような気がする。俺は椅子から立ち上がり、美織の部屋へ行く。情報は共有した方が良いだろう。腕時計をチラッと見る。そろそろ華瑛が一ノ瀬恭介に飲ませているという錠剤の分析結果も上がって来るだろう。◇◇◇身体が時と共に癒えて行くのが分かる。それ程までに私はこのお屋敷の中で甘やかされていた。何をするにでも上原さんが先回りをしてくれるし、至れり尽くせりだ。「美織」そう呼びながら部屋に入って来る九条征哉は私がこの屋敷に意を決して入って来た時とは、既に全く別の人物と言って良い程、私に甘い顔をするようになっている。ソファーに座っていた私が立ち上がると、九条征哉はそのままソファーに座り、私の手を引き、ソファーに座らせる。「どうしたの?」そう聞くと九条征哉が笑っている。「面白い事をたくさん、聞き付けたぞ」そう言いながら微笑む九条征哉は私の手を取り、言う。「華瑛が動き出し
錠剤を手に入れた私はそれを持って、部屋を出る。廊下に居る人影。見ればそれは華瑛の部屋から出て来る真中芙美だった。あの部屋の中にあった秘密を暴いた、征哉様の優秀なスパイ。真中芙美は部屋を出て、私の元へと歩いて来る。互いに目配せをして、歩き出す。この屋敷の中で唯一の安全地帯へと向かう。屋敷の離れ。かつて美緒お嬢様が一人で生活していたお部屋があるのがこの離れだ。美緒お嬢様のお部屋は華瑛が何故か、片付けさせずに、美緒お嬢様が亡くなられた時と何も変わらずに物がまだそのままに置かれている。その部屋の更に奥、私が使っている執事室。そこに真中芙美と共にサッと入る。「何か……」そう聞きかけた私の言葉を遮り、真中芙美が軽く手を上げ、耳にもう片方の手を当てている。盗聴真中芙美は眉間に皺を寄せてしばらくの間、“何か”を聞いている。顔を上げた真中芙美は私に微笑む。「あの女、またとんでもない事を言い出したわ」そう言って笑う。「何を聞いた?」そう聞くと真中芙美が言う。「今度は美緒様の遺骨だそうよ」あの部屋の事はついさっき聞き及んだばかりだ。香織様の遺骨をあの部屋の更に奥、秘密の小部屋に保管している……しかもその骨は毒に侵されているという。それだけでも許しがたい行為なのに。「それで? あなたの方は?」そう聞かれて私はついさっき、拾上げた錠剤を見せる。「これは華瑛が恭介に飲ませている薬だ」真中芙美は胸元からサッと保管用のジッパーの袋を出し、その錠剤を袋の中に収める。「調べさせるわ」そう言いながらその袋を持ち上げ、中に入れた錠剤を見る。「これも……きっと毒よね……」そう言われて私は苦笑する。「そうだろうな」あの華瑛が一ノ瀬恭介の身体を純粋に心配している訳が無い。そこでクスっと真中芙美が笑う。「何だ?」聞くと真中芙美が言う。「華瑛よ、彼女ね」そう言って真中芙美が錠剤を胸元にしまいながら続ける。「和久井を気に入ったようなの」和久井直己、彼は征哉様が送り込んでくださった、精鋭の一人だ。私は敢えて、真中芙美を華瑛に付け、和久井は一ノ瀬恭介に付けるよう、配置したが。「和久井を気に入っている?」そう聞くと真中芙美が嘲笑に近い笑みを浮かべ、自分の耳を指差す。盗聴器から何か聞こえているようだ。「今、華瑛が愛人の木崎潤に美緒様の遺骨を取りに行くよ
子供たちが和気あいあいと九条家の株価のニュースを話して楽しんでいるのを見て微笑む。そして私は早く自分の部屋の奥にあるあの小部屋へ行きたくてウズウズしている。一ノ瀬美緒を葬り去り、香織に捧げて……そこでハッとする。(そうだわ、香織の遺骨があるんだもの、香織だって実の娘の骨が傍にあった方がきっと嬉しいわよね)そう思い立つと、もうそれしか無いとさえ思える。私は子供たちが嬉しそうにしているのを見て微笑み、立ち上がる。「お母様?」瑛理香にそう聞かれる。私は微笑んで言う。「私はちょっと用事を思い出したわ」そう言って私は子供たちをその場に残して、リビングルームを出る。すぐに私に付いて一緒に出て来たのは私の愛人の木崎潤と、私に付くようになったメイドだ。廊下を歩き、夫の書斎の前を通り掛かり、足を止める。夫はここ数日、実の娘を亡くした悲しみで打ちひしがれている。私や瑛理香の前でやっと無理やり笑顔を見せるようにはなったけれど、それでもやはり実の娘を亡くしたのは相当にショックだったらしい。書斎の扉がほんの少し開いていて、中の様子が分かる。中の様子を窺うと、書斎のデスクの椅子に座り、手には写真を持っている。香織を亡くした時と同じように、今度は娘の美緒の写真を持って、その写真を見つめている。悲壮感を漂わせて。(白々しいのよね……今まであれ程、要らない子として美緒の事を扱っていたくせに)私がそう仕向けたのも原因の一つだけれど、それでも本当に愛していたら、私の言葉や瑛理香の言葉を鵜呑みにするような馬鹿な真似はしなかったでしょうに。それに。(あなたの実の娘は他にも居るでしょう?)瑛理香が一ノ瀬恭介の実の娘である事はまだ伝えていない。それでも予感ぐらいはあるだろう。(そうだわ、今こそ、その事実を夫に告げるべきよね)そう思い、私は書斎に入る。私が書斎に入って来た事で、夫は手に持っていた写真をデスクの引き出しにしまい、私を見る。「どうした?」そう聞かれて私は微笑みながら夫に近付く。「リビングで子供たちが九条の株価下落のニュースで盛り上がっているわ」そう言って微笑み、私は夫のすぐ横に立つ。夫は私を見上げて微笑み、言う。「そうか……次の手に出ないと、だな」そういう夫のデスクの引き出しに私は手を掛ける。「……華瑛?」夫にそう聞かれながらも私は引き出しを開く。そこに入
「一族の面汚しだ!」土砂降りの雨の中、私は泥の上へ叩き出される。雷鳴が鳴り響き、雷の光がお父様の背後のお屋敷を照らし出す。お父様は私を見下ろしながら私に何かを叩き付ける。「これは一体、どういう事だ!」私の頬に叩き付けられたもの、それは数枚の写真。私の頬に叩き付けられた写真が土砂降りの雨の中に散らばる。その写真には私が男に肩を抱かれホテルの部屋に入って行くところが写っている。しかも写真はそれだけにとどまらず、私とその男が半裸でベッドに居るところまで写っている。(どうしてこんな写真をお父様が持っているの&
高橋翔太と瑛理香は元々、繋がっていて……一ノ瀬家の家名が欲しかった高橋翔太と、一ノ瀬家の令嬢という地位を自分だけのものにしたかった瑛理香が手を組んでいた……。高橋翔太と一ノ瀬瑛理香は笑いながら、私の墓石を足蹴にして、去って行く。しとしとと降る雨の中、私はまだ衝撃に体を動かせないでいた。不意に私は笑い出す。「フフ……」そう言う事だったのね……箒を握る手に力が入り、指の節が白くなる。私がどうしてあの夜の記憶を失くしたのか……それはあの二人が結託して私を嵌めたからだ。宿敵である九条征哉という男をも巻き込み、私に言い逃れが出来ないように写真を撮り……そして私のお腹の中に宿った子供でさえも、
及川との通話を切る。軽く溜息をつき、私は私の夫の元へ向かう。入るなと命じられている部屋に近付く。中からは嗚咽が聞こえる。私は静かに扉を開け、中に入る。部屋に入って来た私を見て、私の夫は視線を伏せる。私は夫に近付き、その肩を抱く。「火事は事故だったのよ……」慈愛を込めた声を装い、そう言う。「あの子の葬儀はもう手配しました。だから安心して、あなた」肩を抱いた私の手を握る、私の夫は泣き崩れている。「すまん……」夫はそう呟くように言って、肩を揺らす。私はそんな可哀想な夫を見つめながら、ほんの少し微笑む。部屋を出て、扉を閉めて。笑みが零れるのを我慢出来なかった。誰にも聞こえない声で
目の前で。オレンジの炎が燃え盛っている。夜空に映える炎のオレンジ色はその触手を天に伸ばし、更に炎自身が燃えるものを探している。炎の触手の先からは黒煙が立ち上り、夜空の星を覆い隠す。私を閉じ込めて、絶望の淵へ追いやった療養所という“檻”は、今はもう燃えながら歪み、崩れ落ち、灰と化して行く。「お嬢様」及川が私の横に立つ。「今この瞬間からお嬢様は灰になりました。もう一ノ瀬家の令嬢ではございません」全ては燃えて灰になった……私と一ノ瀬家の縁も、そして未練も全て燃えて灰になったのだ。思い出されるのは幼い頃の記憶――お母様が生きていた頃は……私もお父様に確実に愛されていた。お母様とお父様