All Chapters of 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 戻らない場所

 朝。 ひかるは、静かな部屋でコーヒーを淹れていた。 仕事がある日も、ない日も、朝の過ごし方は変えない。 生活のリズムを崩すと、心まで引きずられることを、彼女はよく知っていた。 スマホの通知が震える。 業界ニュースの速報だった。 《Kurosaki Creative Works 内部混乱か 関係者の大量退社》 一瞬、指が止まる。 だが、画面を閉じるのも早かった。 ——関係ない。 そう、自分に言い聞かせる。 俊哉の会社のことは、もう自分の人生とは交わらない。 そう決めたはずだった。 それでも、胸の奥がわずかにざわつく。 俊哉に対する同情ではない。 まして、未練でもない。 Kurosaki Creative Worksでは、少なくとも二年、事務員として二年は働いていた。ひかるは、そこで過ごした二年間を思い返していた。 肩書きは事務員。電話を取り、資料をまとめ、請求書を作る――それが表向きの仕事だった。 けれど、デスクの向こう側では、いつも別の世界が動いていた。 企画会議室では、プランナーたちが深夜までホワイトボードを埋め尽くし、 営業担当はクライアントからの無理な要望を抱えて、疲れた顔で戻ってくる。 制作進行のスタッフは、納期に追われながら外注先と電話をつなぎ、 デザイナーは無言でモニターに向かい、コピーライターは原稿用紙を睨みつけていた。 当時は、部署と呼べるほどきっちり分かれてはいなかった。 皆が同じフロアで、曖昧な役割のまま、がむしゃらに仕事を回していた。 ――今なら、きっと違う。 ひかるが会社を辞めてから、業務は拡張したはずだ。 企画専門のチームができ、営業部が独立し、制作進行やWeb、SNS運用の部署も生まれているだろう。 経理や総務も専任が置かれ、あの頃は一人で抱えていた雑務も、分業されているに違いない。 自分は、たった二年、事務員としていただけだ。 それでも―― あの場所で、働く人たちの背中を見ていたことだけは、確かだった。  大量退社ということは、あそこに居た人たちが、皆、退職してしまったということだろう。ひかるは一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、 「戻れない場所を、思い出しただけ」 ひかるは、小さく呟いた。 俊哉の家で、彼の帰りを待ちながら、床を磨き、洗濯をし、 自分の仕事は「邪魔
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第22話 玲奈の焦燥 選ばれない存在だと悟る瞬間

 スタジオの照明は、やけに眩しかった。 玲奈はカメラの前に立ち、深く息を吸う。「――お願いします」 セリフを口にした瞬間、自分でもわかった。 声が、薄い。 演技を終えた直後、数秒の沈黙。 その空白が、何よりも怖かった。「……はい、そこまで」 オーディションを仕切る監督は、台本を閉じながら言った。 感情の起伏もない、淡々とした声。「正直に言わせてもらいますね」 その一言で、玲奈の背中に冷たい汗が流れる。「なんか華がないんだよ」 「スタイルが悪いわけじゃない。でも、映像に映ると“普通”なんだよな」 「セリフが、全部同じ音で聞こえるんだ。練習はしてきたの?」 一つ一つが、胸に突き刺さる。「あなた、モデルですよね」「“立っているだけで意味がある人”であるべきなのに、物語を壊してるんだよな」 玲奈は、唇を噛んだ。「……努力は、しています」「努力の話じゃなくてさぁ」 監督は、はっきりと言い切った。「欲しいのは、結果。結果が出なきゃ、こんなことをやってる意味ないよ」 視線が、まっすぐ突き刺さる。「最近復帰した、久遠ひかるを、見ましたか?」 その名前が出た瞬間、心臓が跳ねる。「彼女は、息をするだけで“理由”がある」「あなたは、説明がないと存在できない」 —完敗だと思った。 でも、そこまで言わなくても…… しかし、玲奈にもわかっていた。 演技でも、顔でも、スタイルでも、鏡の中での自分は、常に合格だった。でも、他人から見ると、まったくの平均以下でしかないらしい。『久遠ひかる』玲奈は、ひかるが俊哉の家で、家政婦のように働いていた姿を思い浮かべていた。「演技の糧だった」そう言ったひかるの言葉も、今の監督の言葉を聞けば、妙に納得できた。あれだけ毎日、自分や俊哉に虐められても、じっと耐えていた。それは、ひかるが俊哉を愛していたからだろうか。俊哉と玲奈がキスをしているところを、間近で見せられたのに……?………それが、演技の糧だったのか………?そういった演技をするとき、その光景を思い浮かべながら演じるというのか。そう考えれば、女優としては、玲奈はすでに負けている。 控室に戻った玲奈は、鏡の前で自分を睨みつけた。「……なんで、あんな女が!!……でも、女としては、私の方が上でしょ」 玲奈はつぶやいた。 だが、
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第23話 世間が完全にひかる側へ

――守られる側と、切り捨てられる側 スマホを開いた瞬間、俊哉の目に飛び込んできたのは、見慣れない流れだった。《久遠ひかる、現場での評判が異常にいい!》《しばらく見ないうちに、大人の色気が増してきた!!》《復帰後とは思えない安定感》《スタッフへの気遣いが神》 スクロールするたび、同じ名前。 ——久遠ひかる。 ネットの声は、容赦なかった。《あの人、昔からスキャンダル少なかったよね》《干されてたの、完全に被害者じゃん……てゆーか、ホントに干されてたの!?》《むしろよく戻ってきたと思う》 擁護、というより“評価”だった。《ああいう女優、今の業界に必要》《消費されなかった人》《本物は残る!!》 俊哉は、スマホを握りしめる。 自分の名前は、どこにもない。 いや、あるにはあった。《黒崎って、例の元彼とかいう噂の?》《ああ、あの揉めたやつ?》《今さら何か言っても無理でしょ。結局、捨てられた男ってこと?》 もう完全に、空気が決まっている。 ひかるは“守るべき存在”。 自分は、“触れてはいけない過去”。 その頃、ひかるは、現場で静かに台本を閉じていた。「久遠さん、ネット、見ました?」 スタッフの問いに、ひかるは首を振る。「今は、役のことで頭がいっぱいなので、ネットは見ていないわ」 それは、嘘ではなかった。 評価も、擁護も、彼女にとっては「結果」でしかない。 選ばれ続ける。 それだけでいい。 世間は、もう決めていた。 —久遠ひかるの味方になる、と。
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第24話 名前そのものを恐れ始める

 ――反射的な否定。「……違う」 俊哉は、思わず口に出していた。 考えるより先に、言葉が唇からこぼれ落ちた。否定しなければ、自分がその場で押し潰されてしまうような錯覚に襲われたのだ。「久遠ひかるが――」 その名前を聞いた瞬間、体が先に反応する。 喉が締めつけられ、心臓が嫌な音を立てて脈打つ。手のひらには一気に汗が滲み、背筋を冷たいものが走った。「違う! 俺は関係ない!」 広告の打ち合わせの席で、空気が凍る。 広々とした会議室には重厚な沈黙が落ち、誰一人として口を開こうとしない。壁際に控える秘書も、資料を持つ担当者も、ただ静かに俊哉を見つめていた。 芸能界の裏の重鎮。 表舞台に名前が出ることは少なくても、その一言で企画が動き、人が消え、人が救われると言われるほどの人物だった。 俊哉は広告を受けていた関係で、この大物との会合に来ていた。 そして、今、自分の置かれた立場を、恥を忍んで話し、何とか助けてもらえないかと、懇願していたのだった。 資金繰りは悪化し、人脈も離れ始めている。 誰かに手を差し伸べてもらわなければ、自分の人生そのものが崩れてしまう。 そんな焦りが、俊哉をここまで追い込んでいた。 しかし、目の前の男は一切表情を変えない。 彼は穏やかな口調で、しかし逃げ道を塞ぐ。「家政婦代、でしたね。あの“ひかる”に、どんな扱いをしたのか……」「正式な契約です。回収は、粛々と進められるでしょう」 静かな声だった。 だが、その一言一言は鋭い刃となって俊哉の胸に突き刺さる。 俊哉は、震える声で言う。「……あれは、やりすぎだ」「そうですか?」 男は微笑んだ。「あなたは芸能界を甘く見過ぎた。久遠ひかると言えば、例え、くどうひかると聞いても、結びつけるのが普通だろう。それを、どれだけの恨みを買ったのかしらないが」 俊哉は、自分の悪行のことは言っていなかった。 家でどんな扱いをしたのか。 どれほど彼女の尊厳を踏みにじったのか。 玲奈と共に笑いながら、彼女を傷つけ続けた日々のことも。 そのどれ一つ口にしていない。 しかし、この、芸能界の重鎮にはお見通しだったようだ。 見透かされている。 そう感じた瞬間、俊哉は視線を逸らした。 隠しているつもりだった過去が、すべて机の上に並べられているような気がした。「では、こうし
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第25話 玲奈の逆恨み――選ばれなかった女の、歪んだ答え

鏡の前で、玲奈は何度も自分の顔を確かめていた。 洗面台の白い照明が肌を照らし、その光の当たり具合まで気にしながら、ゆっくりと顔の向きを変える。 角度を変え、照明を変え、唇の形を整える。 前髪を少し直しては首を傾げ、また数歩下がって全体の印象を見る。その仕草は、まるで自分自身を必死に審査している審査員のようだった。「……悪くない」 そう言い聞かせるように呟く。 鏡の中に映る女は若く、化粧も完璧で、街を歩けば振り返る人間もいるだろう。 それでも、胸の奥は、冷え切ったままだった。 どれだけ外見を整えても、自信だけが戻ってこない。 脳裏には、あの日の会場の光景が焼き付いて離れなかった。 オーデションの時の言葉が、何度も蘇る。 ――華がない。 ――説明しないと存在できない。 短い一言だった。 だが、その言葉は玲奈の心を深く抉り、今も傷口を広げ続けている。 思い出すたびに胸が締めつけられ、呼吸が浅くなる。 玲奈は耐えきれず、スマホを投げるように置く。 乾いた音が部屋に響いた。「ふざけないでよ……」 誰に向けた怒りなのか、自分でも分からない。 審査員なのか。 世間なのか。 それとも、いつも比較されるあの女なのか。 私だって、努力してきた。 やりたいことも、我慢してきた。 夢のために遊びも恋も後回しにし、笑いたくない相手にも笑顔を向けてきた。 評価されるためなら、どんな役でも引き受けようと覚悟していた。 俊哉の家で、家政婦みたいに扱われていた“元カノ”の前で、 わざとキスもした。 夜の声だって、聞こえるように出した。 あれだけ屈辱を与えたのに……… 自分が勝者で、あの女が敗者なのだと信じ込もうとしていた。 そう思わなければ、自分の優位を保てなかったからだ。 それでも、 久遠ひかるは、勝ったままだ。 社会的な立場も。 周囲の評価も。 人々の視線も。 何一つ失わず、むしろ以前よりも輝きを増している。 玲奈には、その現実が理解できなかった。「……あの女が、おかしいのよ」 玲奈の中で、理屈はもう壊れていた。 本当は違うと心のどこかで分かっている。 だが、自分が負けたと認めることだけはできない。 だから原因を外に求めるしかなかった。 復帰してすぐ主役。 世間の絶賛。 業界の保護。 ニュースを開け
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第26話 ひかるの“知らないところで進む包囲網”

 ひかるは、台本に書き込みを入れながら、静かに息を吐いた。「……この間、少し間を詰めすぎたかも」 誰に言うでもない独り言。 撮影は順調だった。 現場の空気もいい。 無駄な噂も、耳に入ってこない。 それが偶然でないことを、ひかるは知らない。 その頃、都内の別の場所では、数人の大人たちが淡々と動いていた。「例のライター、動き始めました」「提供者は、相沢玲奈で確定です」 弁護士が資料を閉じる音は、やけに静かだった。「火種になる前に処理しましょう。久遠ひかるは、今、潰す理由が一つもない」「むしろ、守る価値しかありません」 プロデューサーの言葉に、誰も異を唱えなかった。 東条謙一郎の名前。 現場監督の一言。 それらすべてが、見えない盾となって、ひかるの周囲に張り巡らされている。 ――だが、本人は何も知らない。 撮影帰りの車の中。 ひかるは窓の外を流れる街並みを眺めながら、ふと思った。(……ずいぶん、静か) かつては、小さな言動で記事になり、 事実でない憶測で心を削られた。 今は違う。 何も起きない。 それは、何も仕掛けられていないのではなく、 仕掛けが届く前に“消されている”だけだった。 ひかるは、バッグを抱き直す。 自分のお金で買ったもの。 自分の足で立っている証。(私は、私の仕事をするだけ) それでいい。 守られている理由も、知らなくていい。 そして、仕事は――復帰と同時に、途切れることなく舞い込んでいた。 ドラマ。 映画。 舞台。 どれも「様子見」ではない。 最初から、中心に名前が置かれた企画ばかり。 マネージャーから渡された次クールの企画書の中で、 ひかるの視線が、ふと止まる。 ――主演:久遠ひかる ――相手役:藤崎 優(ふじさき ゆう ) 胸の奥が、わずかに揺れた。 藤崎 優。 三十五歳。 ワイルドな容姿と、低く響く声。 甘いマスクで女性人気を集める天城蒼真とは、正反対の存在だ。 彼は、ひかるが十八、十九だった頃、何度も共演している。 当時、周囲はひかるを「少女」として扱った。 才能は評価されても、守る対象、管理される存在だった。 だが、藤崎 優だけは違った。「年齢は関係ない。今、どう演じるかだろ」 そう言って、真正面から演技をぶつけてきた。 甘やかさない。
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第27話 再会は、言葉より先に

制作発表会の控室は、独特の緊張に満ちていた。 スチールカメラの準備音、スタッフの小声、資料をめくる音。 ひかるは姿勢を正し、深く息を吸う。(……藤崎さんに、会うんだ) 名前を思い浮かべただけで、胸の奥がきゅっと縮んだ。 最後に顔を合わせたのは、七年前。 うつ病を抱えながら、それでも「仕事だから」と現場に立っていた頃。 笑顔を貼り付け、限界を悟られないよう必死だった時代。 藤崎 優は、その異変に、いち早く気づいた一人だった。 撮影中、ひかるの集中が切れかけた瞬間。 無理に演技を続けようとしたとき。 彼は、さりげなく立ち位置を変え、カメラを遮り、時間を作ってくれた。 そして――忘れられない場面がある。 スタッフが、苛立ちを隠さず、ひかるを強い口調で叱責したとき。「ひかるはやってるだろう!!」 現場に響いた、藤崎 優の声。 怒鳴り声ではない。 だが、誰も逆らえない“芯”のある声だった。 あのとき、ひかるは、守られたことよりも、 「ちゃんと見てくれている人がいる」ことに、救われた。 ――それなのに。 ひかるは、何も言わずに消えた。 誰にも説明せず、 藤崎にも、礼も、別れの言葉も残さず。(謝らなきゃ……) そう思っていた。 制作発表の日こそ、きちんと向き合おうと。 その瞬間だった。「ひかる!!」 聞き慣れた、低く明るい声。 振り向くより先に、頭に温かい感触が落ちてくる。 くしゃり、と。 子ども扱いではない。 だが、距離を詰めすぎない、藤崎 優らしい触れ方。「元気にしてたか?」 一瞬、言葉を失った。 責められると思っていた。 問い詰められるかもしれないと、覚悟していた。 けれど、目の前にあったのは、 何年も前と変わらない、少し不器用な笑顔だった。 視界が、滲む。 藤崎は、ひかるの異変にすぐ気づき、目を見開いた。「おい、今から制作発表だぞ。女優が泣いてちゃダメだ」 そう言いながらも、声はやわらかい。 そして、有無を言わせぬ調子で続けた。「行くぞ、ひかる!」 手首をつかまれ、引かれる。 拒む理由なんて、どこにもなかった。 会見場の扉が開いた瞬間、 空気が一変した。 藤崎 優と、久遠ひかる。 手をつないで現れた二人を見て、 記者たちがどよめく。 次の瞬間、 シャッター音とフラ
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第28話 噂の熱と、冷えきった部屋

その日のネットニュースは、朝から騒がしかった。 芸能ニュースのトップに躍り出た見出しは、やけに大きく、扇情的だ。『藤崎 優&久遠ひかる、7年ぶりの再会で、熱愛疑惑!!』 制作発表会での一瞬の出来事が、切り取られ、拡大され、憶測を伴って拡散されていく。 記事の下には、無数のコメントが連なっていた。『えー!!久遠ひかるは、天城蒼真が本命じゃないの!?』『天城蒼真の次に、よく共演してたのが、藤崎 優でしょ?前から怪しかったのよね』『どっちとくっついても、久遠ひかるなら許す!!』 驚くほど、否定的な声は見当たらない。 誰と並んでも“絵になる女優”。 それが、今の久遠ひかりの立ち位置だった。 事務所関係者への取材コメントも添えられている。「お互い大人なので、見守ります」 肯定も否定もしない、無難で計算された言葉。 さらに、制作発表会の動画。 藤崎 優と久遠ひかるが、手を繋いで登場する瞬間だけが、何度も再生されていた。 ――それを、相沢玲奈は、リビングのソファに沈み込みながら睨みつけていた。 ブスッとした顔のまま、スマホの画面を消す。「何よ、あの女!俊哉の家政婦だったクセに。生意気なのよ!!」 吐き捨てるような声が、広いリビングに響いた。 その声に反応して、少し離れた場所でパソコンに向かっていた俊哉が顔を上げる。 ソファの向こう側、仕事用の資料が散らばったローテーブル。 疲れのにじむ目で、玲奈を見る。「何を怒ってるんだ?」 俊哉が立ち上がり、近づいてくる。 玲奈は待っていましたとばかりに、両手を大きく広げた。「俊哉はぁ、玲奈の方がいい女だって思ってるよね」 甘えた声。 媚びるような笑顔。 だが、その奥にある焦りに、俊哉は気づかない。「なに言ってるんだ?誰と比べて………」 要領を得ない返事に、玲奈の苛立ちは一気に膨れ上がった。 両手を広げて迎えたのに、抱きしめてもらえなかったことも、癇に障る。 玲奈は、さっきまで見ていた動画をもう一度開き、俊哉の顔の目の前に突き出した。 画面の中で、藤崎 優と久遠ひかるが並び、フラッシュを浴びている。 俊哉は一瞬だけ目を見開いた。 だが、すぐに興味を失ったように視線を逸らす。「なんでもいいけど、玲奈、たまにはメシくらい作ってくれよ」 吐き捨てるように言い、踵を返して元の
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第29話 置き去りの夜

「俊哉の馬鹿!!」 吐き出すように叫びながら、玲奈はコンビニの袋を提げて夜道を歩いていた。 ヒールの音が、やけに大きく響く。 ついさっきまでいた、俊哉の部屋の空気が、まだ胸の奥に残っていて、息苦しい。 頭の中には、何度も再生された映像がある。 久遠ひかる。 制作発表会で、堂々とカメラの前に立ち、余裕の笑みを浮かべる姿。「なんで、あんな地味女がいいのよ!みんな目がどうかしてるのよ!」 誰もいない夜道で、玲奈は一人、ブツブツと吐き捨てる。 あの女は、ただ運が良かっただけ。 そう思わなければ、自分の立場が惨めになる。 俊哉の家が見えてきたところで、玲奈は足を止めた。 さっきの怒鳴り声が、頭の中で蘇る。 ――メシくらい作れよ。 玄関の前に立ったまま、すぐにドアを開ける気になれなかった。 コンビニの袋を持ち上げ、顔の前にかざす。 中身は、コンビニ弁当。 温かくもなく、冷たくもない、無機質なプラスチックの感触。 玲奈は少し考えたあと、その袋を玄関ドアのノブに引っかけた。 そして、チャイムを鳴らす。 ピンポーン、という間の抜けた音。 玲奈は、くるっと向きを変え、歩き出した。「俊哉と一緒に居ても楽しくない!」 吐き捨てるように言い、そのまま振り返らなかった。 一方、部屋の中。 パソコンに向かっていた俊哉は、突然鳴ったチャイムに顔を上げる。「玲奈、ちょっと出てくれよ」 声を掛けるが、返事はない。 一瞬、眉をひそめる。 さっき怒鳴りつけたことを思い出し、舌打ちしそうになるのを堪えながら、しぶしぶ立ち上がる。 玄関へ向かい、ドアを開けた瞬間、ビニールが擦れる音がした。 ノブに、コンビニの袋。「……?」 袋を手に取り、中を覗く。 コンビニ弁当が、二つ。 俊哉は辺りを見渡した。 当然、玲奈の姿はない。 深く、重いため息をつく。 そのまま袋を持ち、何も言わずに部屋へ戻る。 パソコンの前に座り直すが、集中できるはずもなかった。 ――その頃。 玲奈は、自分のアパートの部屋に戻っていた。 俊哉の家に住んではいるが、部屋を解約していなかったのは、今思えば正解だった。「俊哉に怒鳴られるなんて……全部、あの、家政婦のせいよ」 靴も脱がずに部屋へ入り、ソファに寝ころぶ。 天井を見上げながら、胸の奥に溜まった怒りを噛み
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第30話 知らないテーブル

ドラマの撮影が終わったあと、藤崎 優の提案で、演者とスタッフの何名かで食事に来ていた。 夜の街に佇む、落ち着いた雰囲気のレストラン。 入口から個室までの短い廊下さえ、どこか特別な場所に足を踏み入れた感覚があった。「今夜は俺のおごりだ。みんな好きな物を頼んでくれ」 藤崎 優がそう言うと、一気に場は盛り上がった。 スタッフの表情が一斉に明るくなり、空気がほどけていく。「ひかるも、好きな物を頼めよ」 その言葉に、ひかるは静かにメニューを開いた。 だが、視線は文字の上を滑るばかりで、頭には何も入ってこない。 黒崎俊哉と一緒にいた四年間。 外食はほとんどなかった。 食事は「あるものを食べる」か、「作らされる」かのどちらかだった。 選ぶという行為自体が、ひかるの中で欠落していた。 藤崎 優のマネージャーは、和洋中の何でも揃ったレストランの個室を貸し切っていた。 誘われたメンバーは、藤崎 優とマネージャー、付き人、そしてひかるの付き人の篠原夕季。 篠原夕季は、女優を目指している。 だが今は、ひかるの復帰とともに「勉強して来い」と事務所から命じられ、付き人として現場に立っていた。 さらにもう一人。 先日のこのドラマのためのオーディションで、ひかるが合格発表をした新人女優、結城 美緒。 二十二歳。 透明感のある笑顔と、どこか芯の強さを感じさせる目をした女性だ。 彼女もマネージャーと一緒に、この席に参加していた。 その結城 美緒が、ひかるがメニューを持ったまま、何も頼もうとしないのを見て声をかけた。「ひかるさんは、和食と洋食と中華のどれが好きですか?」 ひかるは一瞬、言葉に詰まる。 考えたことがなかった。 少し間を置いてから、戸惑いながら答える。「……洋食……かな」 そして、ぽつりと付け足す。「私、あまり外食をしたことがなくて」 自嘲気味に笑うひかるに、結城 美緒は目を丸くした。「そうなんですか? 私が選びましょうか?」 そう言って、自然な動作で手を伸ばし、ひかるからメニューを受け取る。 美緒は迷いなくページをめくり、次々と料理名を口にした。 ひかるは、その料理がどんなものか想像もつかないまま、ただ頷いていた。 やがて料理が運ばれてくる。 だが、今度は食べ方がわからない。 カトラリーを手に取るタイミングも、順番
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