All Chapters of 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話

天城蒼真がスタジオを出ると、廊下を歩いている、久遠ひかるを見かけた。白い照明に照らされた長い廊下の向こう側。静かな足取りで歩くその後ろ姿は、見間違えるはずもない。蒼真は思わず足を止めた。次の瞬間――なぜか反射的に、近くの柱の陰へと身を滑り込ませていた。自分でも何をしているのか分からない。ひかるの視線がこちらに向いているわけでもない。ただ通り過ぎるだけの距離だ。それでも、姿を見られたくないと感じてしまった。数秒後、蒼真は小さく息を吐き、額に手を当てる。「何やってるんだ……」自嘲気味に呟く。蒼真は、先日の夜の、ひかると黒崎俊哉の対決を見てしまった。その時から、少し、ひかるを畏れていた。――あの日。玲奈と俊哉のケンカを見て、ひかるに危険が及んでいると考えた蒼真は、迷うことなくひかるのマンションへ向かった。胸騒ぎがしていた。ただの勘だったが、俳優として長年この世界にいる蒼真は、人の気配や空気の乱れに敏感だった。部屋に通され、ひかると少し言葉を交わしていた、その時だった。インターホンが鳴った。画面に映っていたのは、険しい顔をした黒崎俊哉。はじめ、自分は、ひかるがこの黒崎俊哉に借金があり、金を返せと要求されているのだと思っていた。自分も長く人気俳優をやっている。多少、金にも余裕がある。ひかるが困っているなら、自分が助けてやろう――そう本気で考えていた。それには、長年のよしみがあった。そして何より、自分の不用意な発言のせいでひかるが病んでしまい、活動休止中に生活に困っての借金なのではないか、という負い目があったからだった。しかも、ひかるのような女が、家政婦までして働いていたと考えると、蒼真はじっとしていられなかった。だが――現実は、蒼真の想像とはまるで違っていた。黒崎俊哉が現れ、ひかるに「アドリブで演じろ」と言われた蒼真は、ひかるの隣に座り、黙って二人のやり取りを見守っていた。室内は静まり返っていた。先に口を開いたのは、ひかるだった。「断るわ」短く、感情の乗らない声。黒崎の顔が歪む。「契約書もある。支払いが滞れば、こちらも手続きを取るだけよ」そう言ったひかるの横顔は、美しいが、背筋のゾッとするような冷たさがあった。蒼真は、その表情から目を離せなかった。まるで、知らない女を見ているようだった。そして黒崎が言った金
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第52話

廊下の角を曲がった瞬間、ひかるはようやく足を止めた。胸の奥に溜まっていたものが、じわじわと熱を帯びて広がっていく。呼吸を整えようとしても、うまくいかない。――思い出したくもないのに。先日の出来事が、まるで昨日のことのように蘇る。黒崎俊哉が、あの部屋で口にした言葉。「もう少し安くならないのか。家政婦代だろ?桁が間違ってる」あの時の俊哉は、怒鳴っていたわけではない。むしろ、必死に取り繕った声だった。かつて自分を顎で使っていた男が、必死に「交渉」している。その滑稽さに、笑いすら込み上げた。だが同時に――胸の奥に沈んでいた、二年間の記憶が、容赦なく掘り起こされた。俊哉は続けていた。「世話になったのは認める。でも、こんな金額を払えば、会社が持たない。分かるだろ?」分かるだろ――。その言葉に、ひかるは心の中で静かに呟いた。分からないのは、あなたの方よ。二年間、どんな扱いをされてきたのか。どんな思いで、あの家に立っていたのか。だが、ひかるは顔色ひとつ変えずに答えた。「契約は契約よ」それ以上の言葉は、必要なかった。けれど、記憶はそこで終わらない。もっと、深いところに沈んでいるものがある。夜。部屋の向こうから聞こえてきた、濃厚なキスの音。最初は、テレビか何かだと思った。だが違った。玲奈の甘えるような声と、俊哉の低い笑い声。壁一枚隔てただけの寝室で、二人は遠慮などしなかった。やがて、押し殺す気もない情事の気配が、静かな家の中に広がっていく。耳を塞ごうとしても、意味がなかった。水を流しても、音楽をかけても、消えない。あの頃の自分は、ただ台所に立ち、手を動かし続けることでしか、心を保てなかった。包丁の音。換気扇の音。それだけが、現実に繋ぎ止めてくれていた。――悔しい。今でも、その感情は消えていない。ひかるは無意識に唇を噛んだ。さらに、胸を刺す記憶がある。天城蒼真。あの日、何気ない顔で言った言葉。「ロストバージンも俺にしない?」冗談めかしていた。軽い調子だった。周囲は笑っていた。だが、ひかるは笑えなかった。あの頃の自分は、まだ、今の久遠ひかるではなかった。ひかるはまだ、子供だった。誰も、本当の自分を見ていなかった。そして決定的だったのは――俊哉に電話番号とマンションの場所を、簡単に教えてしまったこと。
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第53話 新たなる敵

本読みが終わり、会議室の空気がゆるやかに解けていく中、藤崎 優は静かに立ち上がった。スタッフたちはそれぞれに資料をまとめ、次の準備へと動き始めている。次は本番の日を待つのみ――役者にとっては束の間の静かな時間だ。 だが、優の胸の内は、どこか落ち着かなかった。(ひかるも、今日はどこかのスタジオに入っているはずだな……) 誰に頼まれたわけでもない。ただ、確認するように顔を見ておきたかった。理由を言葉にするほどのものではないが、ここ最近、久遠ひかるの周囲に、見えない波紋のようなものを感じている。 会議室を出ると、優はスタジオの並ぶ廊下へと足を向けた。壁に掲げられた撮影スケジュールの表示を目で追いながら、ゆっくりと歩く。 そのときだった。「藤崎さん!!」 背後から、よく通る女の声が響いた。 振り返ると、結城美緒が小走りに近づいてくるところだった。先ほどまでの本読みとは違い、どこか作られたような笑顔を浮かべている。 藤崎 優は足を止めた。「どうした?」 短く問いかけると、美緒は息を整え、まっすぐに優の目を見た。その視線には迷いがない。むしろ、狙いを定めた強さがあった。「本番前に、藤崎さんに、演技指導をしていただきたいんですが、ご都合はいかがでしょうか」 一瞬、優は言葉を失った。(演技指導……? ご都合はいかが……?) あまりにも唐突で、しかも距離の詰め方が不自然だった。 優は小さく苦笑する。「それは、俺が君に『暇なときに演技指導をしてやる』と、約束していた場合の聞き方じゃないのか? 俺は、そんな約束をした覚えはないぞ」 遠回しに線を引く言い方だった。 そして、「今日は、他で約束がある」そう言い、再び歩き出す。 だが、美緒は引かなかった。「ひかるさんを探してるんですか?」 その一言に、優の足が止まる。 ゆっくりと振り返ると、視線だけで美緒を射抜いた。「俺の用事に興味でもあるのか?しかも、なぜ、ひかるを探していると思うんだ?」 声は低く、わずかに不機嫌さを含んでいる。 美緒は一瞬だけ目を反らしたが、すぐに視線を戻した。「藤崎さん、ひかるさんのことを、特別な目で見ていたから……」 そう言うと、瞳をわずかに潤ませる。 優は眉を上げた。「それが、キミとなんの関係が?」 壁にもたれかかり、腕を組む。逃げ場を与えない姿勢だった
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第54話 交差する悪意

 夜の空気は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。 スタジオから少し離れた裏通り。人通りもまばらなその場所で、黒崎俊哉は苛立ちを隠そうともせず、スマートフォンを何度も確認していた。 ひかるに突きつけられた現実――契約、弁護士、そして五十八億という途方もない数字。「ふざけやがって……」 吐き捨てるように呟いたその時。「黒崎俊哉さん、ですよね?」 背後から、柔らかな女の声がした。 俊哉が振り返ると、街灯の下に一人の女が立っている。 結城美緒だった。 撮影帰りなのか、ラフな格好にもかかわらず、どこか人目を引く華がある。「……誰だ?」「結城美緒です。ドラマ『誰よりも、君だけを』に出演しています」 俊哉は眉をひそめた。 名前を聞いても、すぐには思い出せない。 だが、美緒は気にする様子もなく一歩近づいた。「久遠ひかるさんのことで、少しお話があって」 その名前に、俊哉の目の色が変わる。「……なんだ?」 美緒は微かに微笑んだ。「昼間、スタジオであなたを見かけたんです。ずいぶん困っていらっしゃるようでしたね」 俊哉は警戒した。「盗み聞きか?」「まさか。ただ、声が大きかったので」 悪びれる様子はない。 むしろ、その落ち着きが俊哉を苛立たせる。「それで?ひかるの知り合いか」「ええ。共演者です」 嘘ではない。だが、美緒の目的はそこではなかった。「ひかるさんって……完璧に見えるでしょう?」 俊哉は鼻で笑う。「完璧?あいつが?」 その反応に、美緒は確信した。(やっぱり、この男は何か握っている) 美緒は声の調子をさらに柔らかくする。「もし、彼女に弱みがあるとしたら……興味はありませんか?」 俊哉の喉が小さく動いた。「弱み?」「例えば――知られたくない過去とか」 俊哉の脳裏に、あの二年間がよぎる。 家政婦のように働いていたひかる。 みすぼらしい服。 荒れた手。 そして、何も持たずに家を出ていった。「……あるのか?」 低い声で問う。 美緒は答えない。 ただ意味深に微笑んだ。「私、思うんです。あの人、少し持ち上げられすぎじゃないかって」 その言葉には、わずかに滲む嫉妬があった。「もし世間が、“元家政婦の大女優”なんて知ったら……どうなるでしょうね」 俊哉の呼吸が荒くなる。 想像したのだ。 完璧
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第55話 過去の影

それは、あまりにも静かに始まった。 最初に気づいたのは、藤崎 優のマネージャーだった。「藤崎さん、少しよろしいですか」 早朝の控室。 コーヒーに口をつけようとした優は、その声の緊張に手を止めた。「どうした」 差し出されたタブレットの画面には、匿名掲示板が映っている。【大女優Kの“空白の二年間”】【元住み込み家政婦って本当?】【五十八億円トラブルの噂あり】 優の視線が、一瞬だけ鋭くなる。「……来たか」「まだ小さなスレッドですが、拡散の速度が異常です。誰かが意図的に火をつけています」 優は画面をスクロールする。『知り合いの業界人から聞いた』『男の家に転がり込んでたらしい』『金絡みで揉めたとか』 どれも決定打はない。だが、こういう断片がもっとも危険だ。 真実かどうかなど関係ない。 人は、「隠されていた過去」という言葉に弱い。「事務所は?」「まだ把握していない可能性が高いです」 優は短く息を吐いた。(裏に誰かいるな) 自然発生とは思えない。 タイミングが良すぎる。 ひかるが完全復帰し、評価が固まり始めた、この時期に。「出所を探れ」「もう動いています」 マネージャーが頷く。 優はタブレットを閉じたが、胸の奥にわずかな違和感が残った。 久遠ひかるは強い。 だが――世論という怪物は、強さだけでは防げない。 一方、その頃。 結城美緒は自宅のソファに寝転びながら、スマートフォンの画面を眺めていた。 口元が、ゆっくりと緩む。(広がってる……) 自分で書き込んだわけではない。 だが、“きっかけ”は作った。 ほんの少し情報を流しただけ。 あとは群衆が勝手に物語を作る。『元家政婦ってマジ?』『苦労人売りだったら逆に好感度上がるかも』『いや、金の話が黒い』 様々な憶測が飛び交う。 その混沌が、美緒には心地よかった。(完璧な女なんて、つまらないもの) 少し傷がつけばいい。 少し評価が揺らげばいい。 それだけで、追いつける可能性が生まれる。 美緒はスマホを胸の上に置き、天井を見上げた。 だがその瞳には、もはや新人の無邪気さはない。 そこにあるのは、静かな野心だった。 黒崎俊哉もまた、そのスレッドを見つけていた。「へぇ……」 思わず笑みがこぼれる。 酒の入ったグラスを揺らしながら、書き込み
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第56話 暴走する守護者

天城蒼真は、深夜のオフィスに一人残っていた。机の上には、何度も開かれたままのタブレットと、印刷された数枚の記事。そこに並ぶ見出しは、どれも同じ方向を向いていた。――“久遠ひかる、消せない過去”――“清純派女優の裏側”――“業界関係者が語る、封じられた経歴”どの記事も決定的な証拠を示しているわけではない。だが、曖昧な表現と意味深な言葉が並ぶほど、人は勝手に想像を膨らませる。蒼真は無言で画面を睨みつけた。「……くだらない」低く吐き捨てるように呟く。しかしその指は、画面を閉じることができずにいた。昼間、ひかるは何も知らない顔で撮影に臨んでいた。いや――本当は、気づいていたのかもしれない。それでも、彼女は笑っていた。スタッフに頭を下げ、共演者に気を配り、カメラの前では完璧に役を生きる。あの強さを知っているからこそ、蒼真の胸の奥に、説明のつかない怒りが燃え上がっていた。(あいつに、こんなものを見せるわけにはいかない)蒼真はスマートフォンを手に取ると、ある番号に電話をかけた。「俺だ。例の件、すぐに動いてくれ」電話の向こうの男は、蒼真の古くからの知人だった。芸能界の裏事情にも通じ、時には“火消し役”として動くこともある人物だ。「記事の出どころを全部洗え。匿名だろうが関係ない。書いた人間も、流した人間も特定しろ」『随分と本気だな。事務所はまだ動いてないんだろ?』「事務所が動く頃には遅い。噂は、芽のうちに潰す」蒼真の声には、一切の迷いがなかった。電話を切ると、今度は別の番号を押す。「広報部長に繋いでくれ。緊急だ」数分後、眠たげな声の広報部長が電話口に出た。『こんな時間にどうしたんだ、天城くん』「明日の朝一で声明を出してください。ひかるに関するネット記事は、すべて事実無根。悪質な場合は法的措置を取る、と」『待て待て、そんな大ごとにする話か?下手に反応すると、逆に――』「沈黙は肯定と取られます」間髪入れずに言い切る。電話の向こうで、小さく息を飲む音がした。『……ずいぶん肩入れしてるな』蒼真は答えなかった。その沈黙こそが、何よりの答えだった。翌朝――。芸能ニュースのトップに、大手事務所の異例の声明が掲載された。《久遠ひかるに関する一部報道について》強い言葉で否定されたその文章は、瞬く間に拡散される。だが。結果は、
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第57話 静かなる確信

スタジオの空気は、どこか張り詰めていた。表向きはいつも通り撮影が進んでいる。だが、スタッフの視線は微妙に泳ぎ、俳優たちの会話もどこかぎこちない。久遠ひかるにまつわる噂は、完全に現場へと流れ込んでいた。休憩中、モニター前に集まる数人のスタッフが小声で話している。「でもさ、大手事務所があんな声明出すって、普通じゃないよな」「火のないところに煙は立たないっていうし……」「男と一緒に暮らしてたとか……それが家政婦って、なんか変な話でしょ?」「清純派って、だいたい何か隠してるよ」その時だった。「ずいぶんと、暇そうだな」低く落ち着いた声に、全員が振り返る。藤崎 優だった。椅子に深く腰掛け、脚を組みながらコーヒーを手にしている。その視線は穏やかだが、どこか鋭い。「仕事の話ならまだしも、ただの噂話で時間を潰すほど、この現場は余裕があったか?」誰も答えられない。一人の若いスタッフが、気まずそうに言う。「いえ、その……ちょっと気になって」優は小さく息を吐いた。「気になるのは自由だ。だがな――憶測を事実みたいに語るのは、ただの無責任だ」それだけ言うと、再びコーヒーに口をつけた。会話は、完全に止まった。その様子を、少し離れた場所でひかるが見ていた。目が合うと、優は何事もなかったかのように視線を外す。庇ったわけでも、励ましたわけでもない。ただ、“当たり前のこと”を言っただけ。だが、その当たり前が、今のひかるには何よりも救いだった。──撮影が再開される。感情を爆発させる重要なシーンだった。カメラが回る。相手役の台詞を受け、ひかるの瞳に涙が滲む。「どうして……信じてくれないの……?」震える声。それでも崩れない表情。次の瞬間、涙が一筋だけ頬を伝った。「……カット!」監督の声が響く。「いいね、今の!完璧だ!」現場に安堵が広がる。優はモニターを見つめたまま、静かに呟いた。「……大したもんだ」演技だけではない。あれだけの噂の渦中にいて、ここまで集中できる精神力。並の役者にできることではない。(少なくとも、“後ろめたい人間の目”じゃない)長年この世界にいる優には分かる。嘘を抱えた役者は、どこかで芝居が濁る。視線が泳ぐ。感情の芯が揺らぐ。だが、ひかるにはそれがない。むしろ――異様なほど澄んでいる。撮影後、優は一人
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第58話 炎上の代償

東条謙一郎は、重厚な執務机の前に立ったまま、顧問弁護士が差し出したタブレットの画面を無言で見つめていた。そこに並んでいるのは、目を覆いたくなるような見出しばかりだった。『久遠ひかる 暴かれる、活動休止中の可憐な男性関係!!』『住み込み先で家政婦!?』『家政婦とは……体を提供するのも、家政婦の仕事!?』どの記事も、事実を検証する姿勢など微塵も感じられない。読者の興味を煽ることだけを目的とした、下品な言葉が踊っている。東条はゆっくりと指先で画面をスクロールした。天城蒼真が出した否定的な声明は、本来ならば火消しになるはずだった。だが結果は逆だった。蒼真の名前の影響力が大きすぎたのだ。「人気俳優・天城蒼真が異例の声明」「なぜ彼はそこまで庇うのか」そんな二次的な憶測まで呼び込み、騒動は瞬く間に拡大した。いまや久遠ひかるは、“時の人”と呼ばれるほどの炎上の中心にいる。別の記事の動画を再生すると、スタジオ入りするひかるの姿が映し出された。建物の前には黒山の人だかり。マスコミが一斉にマイクを差し出し、フラッシュが容赦なく焚かれる。「男性関係は事実ですか!」「五十八億円請求について説明を!」「家政婦だったというのは本当ですか!」怒号のような問いかけの中を、ひかるは足を止めることなく歩いていく。表情は硬く、だが決して俯かない。その姿はむしろ、余計に記者たちの興奮を煽っているようだった。そして、東条の指が止まった。『五十八億円を請求? 請求された男性、Sさんの涙の訴え』モザイクのかかった写真の中で、一人の男が肩を落として座っている。記事にはこう書かれていた。——久遠ひかるが活動休止中、掃除のアルバイトをしていた。それを不憫に思ったSさんは、自社で働けるようにし、行くところがないという彼女を自宅に住まわせた。家政婦として働いてもらっていたが、家賃は請求せず、会社で働いた分の給与も支払っていた。しかし現在の事務所から「家政婦代を払っていない」として五十八億円を請求されたという。善意で行ったことだったのに——。そこまで読み終えた東条は、ゆっくりとタブレットをテーブルに置いた。部屋の空気が、わずかに張り詰める。視線を上げると、目の前に立つ顧問弁護士が小さく身を縮めていた。額にはうっすらと汗が滲んでいる。東条はその顔を、鋭く睨みつけた。「
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第59話 共犯者たちの影

黒崎俊哉は、社長室の重厚なデスクの前で大きく足を組み、革張りの椅子に深く身体を預けていた。手にしたスマートフォンの画面を、ゆっくりと指でスクロールしていく。そこに並んでいるのは、久遠ひかるに関する記事ばかりだった。『清純派女優の裏の顔』『五十八億円請求の真相とは』『善意を踏みにじられた男性の告白』どれも刺激的で、読者の好奇心を煽るものばかりだ。俊哉の口元が、じわりと歪む。その顔には、明らかに“悪そうな笑み”が浮かんでいた。「ざまあみろ……」誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。きっかけは、結城美緒のあの一言だった。——「私たち、協力しませんか?」最初に持ちかけられたとき、俊哉は半信半疑だった。まだ駆け出しの新人女優が、なぜ自分に近づいてくるのか。裏があるに決まっていると警戒もした。だが、話を聞くうちに考えが変わった。自分は法外な金額を請求され、会社は倒産寸前。それなのに、ひかるは一切揺らがない。怒りもしない。情すら見せない。まるで、最初から自分など存在しないかのような態度だった。それが何よりも、俊哉の癇に障った。借金が減らなくてもいい。せめて、あの女の顔から余裕を消してやりたい。結果として、今こうして世間が騒いでいる。借金問題が解決しなくとも、仕返しだけはできた——そう思うと、妙な満足感が胸に広がった。そのときだった。不意に、社長室のドアがノックもなく開いた。俊哉が顔を上げると、ドアの隙間から半身だけを覗かせる女の姿がある。相沢玲奈だった。長い髪をかき上げながら、けだるそうに壁にもたれ、冷たい視線を向けてくる。「あんた…誰と組んでるのよ?」低く、刺すような声だった。俊哉は思わず体を起こす。「……っ、玲奈?」突然の来訪に驚きながらも、すぐに眉をひそめた。「お前こそ、ずっと連絡取れなかったじゃないか。俺が誰と組もうが、関係ないだろ!」勢いよく立ち上がると、苛立ちを隠さず言い返す。玲奈はゆっくりと室内に入り、ヒールの音を響かせながらソファへ向かった。そして、そのまま乱暴に腰を下ろす。ドサッ——という鈍い音が、静かな社長室に広がった。脚を組み、俊哉を睨み上げる。「もう違う女を見つけたの?私だけって言ったのも嘘だったのね」その声には怒りが混じっているが、どこか湿った響きもあった。俊哉は目を丸くする
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第60話 火に油を注ぐ女

その頃——。結城美緒は、自宅マンションの広いリビングで、柔らかなクッションに身体を預けながらソファに寝転がっていた。天井まで届く大きな窓の外では、都会の夜景が静かに瞬いている。部屋には落ち着いたジャズが小さく流れていたが、美緒はほとんど耳を貸していなかった。片脚を投げ出し、もう片方の足先を軽く揺らしながら、スマートフォンの画面を流し見る。指先は慣れた動きで次々と記事を切り替えていく。表示されているのは、もちろん久遠ひかるに関するニュースだ。どのサイトも似たような見出しを掲げ、まるで競うかのように過激な言葉を並べている。芸能記者の憶測、匿名関係者の証言、真偽不明の噂話——どれも刺激的な言葉で飾り立てられていた。コメント欄も凄まじい勢いで更新され、憶測と批判が渦を巻いていた。画面を少し更新するだけで、新しいコメントが何十件も増えていく。美緒はその様子を眺めながら、小さく口角を上げる。まるで自分が仕掛けた花火が、思った以上に大きく燃え広がっているのを見ているような気分だった。「すごい反響。でも、もうちょっと話題が欲しいわよね……あ、そうだっ」何かを思いついた瞬間、彼女の目が鋭く光った。先ほどまでの退屈そうな表情は消え、獲物を見つけた猫のような笑みが浮かぶ。身体を起こすと、迷いなく黒崎俊哉の番号を呼び出す。コール音は一度、二度と鳴る間もなく、すぐに繋がった。「もしもし……?」受話口から聞こえてきたのは、どこかおびえたような声だった。美緒は眉をひそめる。俊哉がこんな声を出すのは珍しい。「……?何かあったんですか?」すると、わずかな沈黙のあと、俊哉がぎこちなく答える。「い、いや……何か用だったの、か?」その反応があまりにも不自然で、美緒の中に小さな苛立ちが芽生える。何かを隠している。そんな空気が電話越しにも伝わってきた。「何なんですか?私、何か悪いことしました?」声のトーンがわずかに低くなった、その瞬間だった。「なんでアンタが、私の男に電話してきてんのよ!?」突如、電話口から金切り声が飛び込んできた。あまりの大声に、美緒は思わずスマートフォンを耳から離し、露骨に顔をしかめる。鼓膜が震えるほどの勢いだった。——なるほど。すぐに状況を理解した。俊哉のそばに、あの女がいるのだ。美緒は一度小さく息を吐き、すぐに気持ちを切り替える。こうい
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