書斎を出たあと、紗和はしばらく廊下を歩く音だけを聞いていた。父の声は、まだ耳の奥に残っている。紗和、お前なら分かってくれるな。その言葉は、怒鳴り声ではなかった。責める響きもなかった。むしろいつもと同じ、穏やかで、家のことを静かに考える父の声だった。だからこそ、紗和の胸の奥に深く沈んでいた。廊下には昼下がりの光が差していた。庭の木々の影が障子に揺れ、古い板の上に明るい筋が落ちている。屋敷はいつも通り静かで、どこか遠くから女中たちの話し声がかすかに聞こえた。この屋敷のどこかで、もう自分の行き先が変わったことを、皆が知っているのだろうか。紗和はそう思い、すぐに目を伏せた。知っているとしても、知らないとしても、自分のすることは変わらない。顔を乱さず、用を済ませ、呼ばれれば返事をする。そうしていれば、家の中は今まで通り回る。けれど、その今まで通りの一つひとつが、急に遠く感じられた。華乃の部屋の前を通りかかった時、襖の向こうから衣擦れの音がした。紗和は足を止めた。入る用はなかった。顔を合わせるには、まだ心が整っていない。そう思って引き返そうとした時、襖が内側から開いた。華乃が立っていた。「あ...」華乃の声が、そこで止まる。いつもなら、紗和を見つけるとすぐに明るく呼びかけてくる。お姉さま、と弾むように言い、頼みごとや見せたいものを続ける。けれど今の華乃は、言葉を探すように目を泳がせた。その反応だけで、紗和は分かった。華乃は、もう知っている。美佐乃から聞いたのだろう。父が紗和へ話す前か、話した後かは分からない。ただ、華乃の顔には、知らない者の無邪気さはなかった。紗和は静かに頭を下げた。「華乃さん」「紗和お姉さま...」華乃は少しだけ身を引いた。その奥の部屋には、先日まで有馬家との顔合わせのために広げられていた品々の名残があった。衣桁には淡い色の着物が掛けられ、鏡台の前には髪飾りの箱が開いたまま置かれている。畳の上には、使われなか
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