有馬家で迎える朝は、榊原家の朝よりも早かった。紗和は、まだ障子の向こうが薄青い頃に目を覚ました。寝慣れない布団の中で、しばらく自分がどこにいるのか分からなかった。天井の木目が違う。畳の匂いも、襖の向こうから聞こえる足音も、榊原家のものではない。有馬家の奥向き。その言葉を思い出した瞬間、胸の奥が静かに固くなった。起き上がると、部屋の中はよく整えられていた。寝具は清潔で、文机も鏡台もある。衣桁には昨日出した着物がきちんと掛けられ、隅には行李が置かれている。粗末な部屋ではなかった。婚約者として預かった娘を泊めるのに、不足があるわけではない。けれど、温かさはなかった。紗和のために選ばれたものというより、必要なものを過不足なく置いただけの部屋だった。文机の上には硯箱があるが、使い込まれた気配はない。鏡台もきれいだが、どこか冷たい。花も飾られていない。窓辺に朝の光が差しても、部屋の空気は少しよそよそしかった。榊原家の自室は、広くも華やかでもなかった。それでも、そこには紗和が長く座ってきた文机があり、母の簪をしまう箱があり、自分の手で整えた小さな順序があった。ここには、それがない。紗和は行李を開け、薄布に包んだ白藤の簪を確かめた。昨夜、身につけることはしなかった。寿美子の目を思えば、初めから目立つものを挿す気にはなれなかった。けれど、荷の中にあると分かるだけで少し息ができた。布越しに一度だけ触れ、すぐに戻す。その時、襖の外から声がした。「紗和様。お目覚めでいらっしゃいますか」低く、落ち着いた女の声だった。紗和は姿勢を正した。「はい。起きております」「失礼いたします」襖が開き、年配の女が入ってきた。背筋の伸びた人だった。髪はきっちりとまとめられ、着物も地味だが乱れがない。顔立ちは厳しく、目元に笑みはなかった。けれど礼は正確で、動きの一つひとつに無駄がない。「女中頭の滝乃でございます。奥様より、紗和様の奥向きでのお世話とご指導を仰せつかっております」
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