清彬が茶を置いたあと、応接の間にはしばらく静かな間が落ちた。帳場の方からは、変わらず紙の音が聞こえている。算盤の玉が弾かれる音、誰かが低く品名を確認する声、荷札を束ねる紐の音。そのどれもが、紗和には先ほどよりも少し遠く感じられた。目の前に座る清彬は、穏やかだった。有馬家の者のように、こちらを測る視線ではない。紗和の傷を覗き込むような同情もない。ただ、白藤商会の場に座り、白藤の者として紗和に向き合っている。それが、紗和にはまだ不思議だった。華族であるというだけで、身体は身構える。寿美子の声や、有馬家の座敷の冷たさは、理屈より先に身体へ残っている。けれど、清彬はその記憶と同じ場所にはいなかった。それでも、完全に気を許すことはできない。紗和は湯呑みの縁に目を落とした。茶の水面に、障子越しの光が小さく揺れている。清彬は、急がずに口を開いた。「紗和様。ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」その声は変わらず静かだった。だが、部屋の空気が少し引き締まった。佐伯がわずかに顔を上げる。秋山は帳場との境に控えたまま、視線だけをこちらへ向けた。おしまは下がっていたが、廊下の向こうに気配がある。紗和は、湯呑みから手を離した。「はい」返事をしたものの、胸の奥が固くなる。何を問われるのだろう。有馬家のことか。婚約破棄のことか。榊原家へ戻らず白藤へ入ったことか。どれも、まだ他人から問われるには痛すぎる。けれど清彬は、すぐにその名を出さなかった。「詳しい事情を、私が知る立場にはありません」紗和は、少し目を上げた。清彬の表情は落ち着いている。好奇心で探る顔ではなかった。むしろ、踏み込む場所を慎重に選んでいるように見える。「宗一郎殿の遺言の内容も、白藤家の帳簿や証文の中身も、私が尋ねるべきことではないでしょう。それらは、白藤の内側に属するものです」紗和は息を止めた。その言葉に、胸の奥の警戒が少し違う形に変わる。
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