真帆が気づいて、にやりと笑う。「澄乃さん、今、完全に厨房の方見ましたね」「いえ、その」「焼き茄子、料理長が作ってましたよ。若旦那が何か言ったんですか」 澄乃は答えに迷った。 篠田が横で穏やかに言う。「今日のまかないに、一品増えるそうです」「珍しい」 真帆は目を丸くした。「料理長、文句言ってました?」 その時、厨房から葛城の声がした。「聞こえてるぞ」 真帆が肩をすくめる。 葛城が帳場に顔を出した。「焼き茄子くらいで騒ぐな。余った茄子を焼いただけだ」 いかにも不機嫌そうな顔だった。 だが、手には小さな器を持っている。そこには、焼き茄子の出汁浸しがきれいに盛られていた。薄く刻んだ茗荷と、ほんの少しの生姜。出汁は透明で、茄子の紫が淡く沈んでいる。 葛城はそれを澄乃の前に置いた。「味見」「私が、ですか」「好きなんだろ」 澄乃は、言葉に詰まった。 誰かが自分の好きなものを覚えて、作ってくれる。 それだけのことが、胸に来る。「ありがとうございます」 澄乃が言うと、葛城は顔をしかめた。「礼は食ってから言え。まずかったら直す」「はい」 伊織が帳場の奥から出てきた。 何も言わない。 ただ、澄乃が器を前にしているのを見て、少しだけ目を細めた。 澄乃は箸を取った。 焼き茄子をひと口、口へ運ぶ。 皮の香ばしさが最初に来て、すぐに出汁のやわらかさが広がった。茄子は柔らかく、けれど崩れすぎていない。茗荷の香りが少しだけ立ち、生姜が後味を締める。祖母と水篝館に泊まっていた頃の記憶が、ふっと胸の奥へ戻ってきた。 窓辺。 川の音。 祖母の細い指。 「急がなくていいわ」と笑う声。 澄乃は、箸を持つ手を一度止めた。「……美味しいです」 声が少し掠れた。 葛城は、ふん、と鼻を鳴らした。「なら食え」 それだけ言って厨房へ戻っていった。 真帆が小さく笑う。「料理長、照れてますね」「言うと怒られますよ」 篠田が静かにたしなめる。 伊織は何も言わなかった。 澄乃も、何も言わずにもう一口食べた。 泣きそうだった。 けれど、泣かなかった。 今日が何の日か、料理長は詳しく知らないだろう。篠田や真帆も、はっきりとは聞いていない。伊織だけが知っている。けれど、誰もそれを大きな出来事として声にしない。 ただ、いつもの夕
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