澄乃は、瞬きをした。 指先が震えている。 疲れているのだと分かった瞬間、心のどこかで否定が起きた。 まだ平気。 倒れていない。 座って作業しているだけ。 これくらいで疲れたなどと言っていたら、迷惑になる。 澄乃は左手で右手首を軽く押さえた。震えが収まるまで少し待ち、それからまた書き始める。けれど、今度は文字の線が弱くなった。 帳場の向こうで、伊織が立ち上がる音がした。 澄乃は気づいていたが、顔を上げなかった。 足音が近づく。 紙の上に、影が落ちる。「澄乃さん」 低い声だった。 澄乃は鉛筆を持ったまま顔を上げる。「はい」「手」 伊織の視線は、澄乃の右手に向いていた。 澄乃は反射的に手を引っ込めようとした。「少し、力を入れすぎただけです」「顔色も悪い」「大丈夫です」 言った瞬間、伊織の目が鋭くなった。 帳場の空気が少し止まる。 篠田が電話の手を止め、真帆も客室案内の紙を抱えたままこちらを見る。 澄乃は、自分の声が思ったより硬かったことに気づいた。「本当に、あと少しで」「立て」 伊織が言った。 短く、逃げ道のない声だった。「伊織さん」「休憩だ」「でも、まだ」「休憩だと言った」 伊織は、澄乃の手元から鉛筆を取った。 乱暴ではない。 けれど、有無を言わせない動作だった。 澄乃は、空になった指先を見た。鉛筆を握っていた形のまま、指が少し強張っている。「今、止めると」「誰かが死ぬのか」 伊織の声は低かった。 澄乃は言葉に詰まる。「死なない仕事なら、止められる」 その言い方は厳しい。 けれど、怒っているのとは違った。 澄乃の中で、何かがざわめく。 止められる。 その言葉が怖かった。 自分の手から仕事を離されることが怖い。今止まれば、役に立てない人間になる気がする。みんなが忙しいのに、自分だけ休むことが怖い。篠田も真帆も動いている。料理長も仕込みをしている。伊織も宿のために走り回っている。 自分だけ座って休むなど、許されるのだろうか。「ご迷惑をおかけします」 澄乃は、かすれた声で言った。 伊織は眉を寄せた。「迷惑になる前に止めてる」「でも、私はまだ」「ここでは倒れるまで我慢しなくていい」 その言葉が、帳場の空気にまっすぐ落ちた。 澄乃は、息を止めた。 倒れるまで我慢
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