帳場へ戻ると、真帆が少し離れたところで書類を整理していた。彼女は澄乃と目が合うと、すぐに視線を逸らした。敵意というほど強くはない。けれど、簡単には受け入れないという硬さがある。 澄乃は、その反応を当然だと思った。 水篝館には、水篝館の時間がある。 澄乃が来たからといって、すぐに場所ができるわけではない。 篠田が帳場の奥から声をかけた。「若旦那、午後のお客様のお迎えは三時でよろしいですか」「ああ。片桐さんの紹介の二名だな」「はい。結婚三十年のお祝いだそうですが、記念日対応の確認がまだ」 その言葉に、伊織の手が止まった。 澄乃も、無意識に顔を上げた。 篠田は台帳を見ながら言う。「電話では、お祝いなので少し静かに過ごしたいとだけ伺っています。お花やお酒の希望は未確認です」 真帆が小さく言った。「前も、記念日ってどこまで聞けばいいか迷ったことがあります。聞きすぎると押しつけがましいですし」 澄乃は黙っていた。 言いたいことはある。 記念日対応には、確認項目が必要だ。花、菓子、食事時の一言、写真の有無、苦手な演出。けれど、聞き方を間違えれば客に気を遣わせる。特に水篝館のような宿では、過度な演出は似合わない。 伊織が澄乃を見る。「何かあるか」 真帆の視線も、篠田の視線もこちらへ向く。 澄乃は、すぐには答えなかった。 ここで長々と話せば、また外から来た人間が急に仕切ったようになる。だが、何も言わなければ、今後も現場が迷い続ける。 澄乃は、できるだけ短く言った。「確認項目を三つほどに絞るとよいかもしれません」「三つ?」 伊織が聞く。「はい。お祝いの内容を宿から大きく演出してよいか。食事の際にひと言添えてよいか。花や菓子など形に残るものを希望するか。この三つだけでも、現場が迷いにくくなると思います」 真帆が少しだけ考える顔をした。「それなら、電話でも聞けそうです」 篠田も頷く。「聞き方を整えれば、お客様にも負担が少ないかもしれませんね」 伊織はすぐに採用とは言わなかった。「篠田さん、今日の客に使えるか」「確認の電話をするなら、今なら間に合います」「真帆、横で聞け。聞き方を覚えろ。杠さん」「はい」「今の三つ、紙に書け。ただし短く。電話口で読める形にしろ」 澄乃は、胸の奥が少し鳴るのを感じた。 初めて、ここで
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