All Chapters of 捨てられ料理人の逆転繁盛記~潰れかけの店を救っていたら、敏腕社長に執着されました~: Chapter 211 - Chapter 220

239 Chapters

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(なんて悪質な嫌がらせ……。この低俗な悪意、元婚約者の翔太を思い出すわ。あの人は御堂社長に制裁されて、店は倒産。今は行方知れずだったっけ。だから違うと思うけど、でも、まさかね) 春菜の直感は当たっていた。 灰谷のネットワークの支援を受けて、翔太と梨沙が連城ホテルに入り込んでいるのだ。 彼らがこっそりと撮影した写真をもとに、灰谷がAIを使って画像を捏造した。それが今回の事件の真相だった。 実際に厨房を撮影した写真を加工しているから、画像は良くできている。一見すると本物にしか見えない。 その陰謀までは知るすべがないものの、春菜はとても嫌な予感を覚えた。 マネージャーが顔を青ざめさせたまま口を開いた。「先ほどから、ホテルへの問い合わせとクレームの電話が鳴り止みません。上層部は緊急役員会議を招集しました。ブランドイメージの失墜を恐れ、コラボフェアを中止すべきだという声が強まっているそうです」「中止だと?」 神崎が声を荒げた。 せっかく外部のシェフである春菜の技術を認め、ホテル全体で最高の料理を作り上げようと士気を高めていた矢先だ。事実無根の悪評で全てが潰されるかもしれない。 コラボフェアは試食会を好評のうちに終えて、あとは間近に迫った本番開始を待つばかりだ。 ここで悪評のために中止となれば、ダメージは計り知れない。 厨房内の空気が急激に冷え込む。スタッフたちの動きが完全に止まった。 春菜はまな板の上の信州ポークを素早くステンレスのバットに移し、ラップで密閉した。「皆さん、手を止めて聞いてください」 腹から声を出して厨房全体に響かせる。全ての視線が春菜に集まった。「ネット上の画像は悪質な捏造です。ですが、動揺して目の前の食材をおろそかにしては、プロとは呼べません。まずは仕掛かり中の食材を全て冷蔵庫へ移し、品質の保全を最優先にします。コンロとオーブンの火の元も再確認を」(落ち込んでいる暇なんてない。今できる最善の初動対応をして、現場の被害を最小限に食い止める。それが責任者の仕事
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「悠斗さん。SNSの件、ホテルに多大なご迷惑をおかけして申し訳ありません」「君が謝る必要はない。あの画像が合成だということは、現場を見ている僕が一番よく分かっている。だが、頭の固い役員たちは世間の声に怯えて、フェアの中止を声高に主張しているんだ。今から僕が会議室に乗り込んで、反対派を抑え込んでくる。君は気にせず、ここで待機していてくれ」 悠斗は春菜を強く信頼している。彼女のために戦おうとしている。 その心を感じ取って、春菜はぎゅっと手を握り合わせた。 悠斗が会議室に行くべく、出口へ向かいかけた時。「お待ちいただこう」 低く冷静な声が響いた。 開いたままのドアから入ってきたのは、御堂礼司だった。 ダークスーツを隙なく着こなし、片手には薄型のノートパソコンを抱えている。彼は迷いのない足取りで春菜の隣に並び立った。「御堂社長。あなたに出資者の権利があるとはいえ、今はホテルの緊急事態だ。部外者の立ち入りはご遠慮願おう」 悠斗が鋭い視線を射抜く。礼司は表情筋を微塵も動かさない。「私の大切なパートナーが不当な攻撃を受けているのだ。問題解決の支援を行うのは、ビジネス上の当然の権利だ。それに」 彼は不敵な笑みを浮かべた。「AIによる画像の捏造と、SNSでの拡散。これはサイバー攻撃だ。ならば私の、御堂ホールディングスの領域でもある」 礼司は春菜と短い視線を交わした。 彼の瞳の奥には、確固たる信頼の光がある。 先日、彼は1人の人間として春菜を求めていると不器用に打ち明けてくれたばかりだ。 仕事の面でも、春菜という人間を守るためにも、礼司は全力を尽くすつもりでいる。 春菜は小さく顎を引いて応えた。 礼司はステンレスの作業台の上にパソコンを置き、ディスプレイを開く。キーボードを叩く乾いた音が厨房に響いた。「政治的な根回しだけでは、世間に拡散した悪評は覆せない。客観的なデジタル・フォレンジックによる証明が必要だ」 黒い画面上に、複雑なコードの羅列と解析データが高速で流れていく。
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「これをホテルの公式アカウントから即座に発表すれば、画像が捏造であることの論理的な証明になる。連城副社長、役員説得の材料として使っていただきたい」 礼司が悠斗の端末にデータを送信する。悠斗は手元の画面を確認し、フッと笑った。「なるほど、見事な手際だ。これなら役員たちも黙らせることができる。今回は君のシステムに感謝するよ」「勘違いするな。私は佐伯シェフの……春菜さんのために動いているだけだ」 今での礼司は春菜を苗字で呼んでいた。 それをあえて、名前で呼び直してみせた。 悠斗は当然、その態度に気づいている。 しかし今は緊急事態だ。口を出している暇はない。 去りかけた悠斗を礼司が呼び止めた。「待て。対策はこれだけでは不十分だ。策はまだあるが、実行して構わんな?」 悠斗は一瞬だけ足を止めて考える表情になったが、すぐに振り切った。「分かった。後のことは現場に任せる。責任は僕が取るから、何も気にせず行動してくれ」 悠斗はそれだけを言うと、足早に厨房を後にして、役員会議室へと向かっていった。「御堂社長、ありがとうございます。これでフェアの中止は免れそうです」 春菜が安堵の息を吐くと、礼司はパソコンを閉じた。「いや、まだだ。画像の捏造証明はできたが、それだけでは失われた世間の期待値を完全に回復させるには至らない。悪評を打ち消すほどの、圧倒的なプラスの情報が必要になる」「どうすればいいのですか?」「君の領域で、実力を見せつければいい。ライブ配信だ」 礼司はパソコンのWEBカメラを起動し、春菜に向けた。「連城ホテルの公式アカウントをジャックする形で、今からこの厨房の作業風景をライブ配信で公開する。嘘の画像に対抗するには、ありのままの真実をリアルタイムで見せるのが最も効果的だ」(ライブ配信。世界中の人に、私の手元を見られるということね。でも……) 春菜は覚悟を決めた。自分の技術と、この厨房で徹底してきた衛
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「配信開始」 礼司の合図と共に、カメラの赤いランプが点灯する。 春菜はレンズに向かって、軽く頭を下げた。「皆様、こんにちは。ハルナズ・キッチンの佐伯春菜です。本日は連城ホテル様とのコラボフェアに向けた仕込みの様子を、特別にライブ配信でお届けいたします」 多少の緊張は感じられるが、それ以上にプロとしての自信と誇りに満ちた声だった。 カメラは広大な厨房全体を映し出した。 チリ一つ落ちていない清潔な床。水滴一つ残さず磨き上げられたステンレスのシンク。食材の用途ごとに分類されたまな板。 ホテルのスタッフたちは規定の白いコックコートと帽子を着用し、無駄のない洗練された動きで作業を進めている。 拡散された不衛生な画像とは似ても似つかない、完璧に管理されたプロの現場がそこにあった。 パソコンの画面端に、視聴者からのコメントが次々と流れ始める。『なんだ、SNSの画像と全然違うじゃん』『厨房、めちゃくちゃ綺麗だな。金属が光ってる』『あの汚い写真、やっぱりデマだったのか』 春菜はカメラの存在を意識しすぎないようにしながら、普段通りの作業に戻った。 用意した信州ポークのブロック肉を取り出し、岩塩と黒胡椒で的確に下味をつける。 フライパンに少量のオイルを熱し、肉の表面全体に均一な焼き目をつけていく。ジュワッという音と共に、良質な豚の脂の甘い香りが画面の向こうまで届くかのように立ち上った。「表面を高温で焼き固めることで、肉の旨味を内側に閉じ込めます。この後、低温のオーブンでじっくりと火を入れていきます」 手元の動きを止めずに、解説を加える。 次に、神崎が用意してくれていたブラムリーリンゴのピューレの仕上げに取り掛かった。 鍋に少量のバターを溶かし、ピューレを軽く温める。リンゴ特有の強い酸味を含んだ香りが広がる。 そこに、かぼすの果汁とすりおろした皮、細かく砕いた山椒の実を加えた。「ブラムリーリンゴの強い酸味に、かぼすの爽やかな香りと山椒の刺激を合わせることで、信州ポークの脂の
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 中にはこんなコメントもあった。『ハルナズ・キッチンのオーナーシェフじゃないか! 僕はあの店のファンなんだよ。コラボやるんだ!』『私もあのポークロースト、食べたことがある。とても美味しかったよ。でも、かぼすと山椒? フェア用の特別仕様ってこと?』『飯テロ。見てるだけで腹減ってきた』 コメント欄の雰囲気が、疑念から驚き、やがて賞賛へと変わっていった。 礼司はカメラの位置を細かく調整しながら、適宜、春菜の作業を補足するデータを画面上にテロップとして打ち込んでいく。 豚肉の芯温管理基準、ソースのペーハー値の目安、調理器具のアルコール消毒の頻度。客観的な数値データが、春菜の技術の精緻さをさらに際立たせる。『明日のフェア、絶対行きたい! 予約まだ取れるかな?』『デマ流した奴、悪質すぎるだろ。訴えられればいいのに。フェア、応援してます!』 1時間のライブ配信が終了する頃には、視聴者数は爆発的に増加していた。 悪評は完全に沈静化している。プロの凄みと衛生管理が徹底された現場を見せつけたことで、フェアへの期待値は以前よりもはるかに高まる結果となった。「配信終了。見事な手際だった」 礼司がパソコンを閉じ、春菜に声をかけた。「ありがとうございます。みんなで力を合わせた結果です」 春菜が頭を下げると、神崎たち他のシェフから自然と拍手がわき起こった。 温かい拍手に包まれながら、春菜はもう一度深く頭を下げた。◇◇ 薄暗いワンルームマンションの一室で、壁際に並んだ複数のモニターが青白い光を放っている。 画面には、春菜のライブ配信のアーカイブ映像が映し出されていた。 再生数は桁違いに伸び続け、コメント欄は称賛の言葉で埋め尽くされている。「クソッ!!」 灰谷は手元のマウスを壁に向かって投げつけた。 プラスチックが砕けて、部品が床に散らばる。(私の完璧なフェイク画像が、こんなにあっさりと見破られるなんてあり得ない)
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(これもすべて、御堂とあの料理人の女のせいだ。絶対にやり返してやる) 背後で、腕を組んでいた翔太が声を荒げる。「どういうことだよ、灰谷さん! ホテルを炎上させて、コラボごと潰す計画だったじゃないか!」「そうだわ。これじゃ逆に、あの女の宣伝を手伝ったようなものじゃないの!」 梨沙も甲高い声で翔太に加勢した。彼女から漂う甘ったるい香水の匂いが部屋に充満して、灰谷は鼻をすすった。「私のせいにするな。お前らが撮ってきた元写真のアングルが悪かったから、AI合成の影に矛盾が出たんだろうが」 灰谷はモニターから目を離さずに言い返す。 翔太は顔を赤くして、近くにあったパイプ椅子を蹴り飛ばした。金属がぶつかる派手な音が狭い部屋に響く。「ふざけるな! 海外のサーバーを経由すれば絶対に追跡されないって、あんたが豪語したんだろうが!」「ええ、そうよ。あんたのハッキング技術なんて、その程度だったのね」 梨沙が鼻先で笑う。 灰谷のこめかみに青筋が浮かんだ。(この無能どもめ。自分たちでは何もできないくせに、文句ばかり一人前に言いやがって)「私の技術のせいじゃない。あの女のバックにいる、御堂ホールディングスの解析能力が想定外だったんだ。だいたい、お前らが無能だからこんなことになったのではないかね?」「なんだと!」 翔太が灰谷に歩み寄り、シャツの胸ぐらをつかむ。布が擦れる音がした。「やめなさいよ!」 梨沙が翔太の腕を引く。3人の醜い言い争いは、しばらくの間続いた。 やがて灰谷は舌打ちをして、翔太の手を乱暴に振り払った。「やめろ。仲間割れをしている場合か」 声のトーンを落として場を収める。「……ちっ。次はどうするんだよ」 翔太が乱れた襟元をただして、荒い息を吐いた。 彼も仲間割れの不毛さにやっと気づいたようだ。渋々、灰谷に従った。「ネット上の工作はもう通じない。だが、明日はレセプションパーティーだ。明後
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 捏造騒動も収まり、翌日の仕込みも全て終えた夜。 ホテルの厨房には、春菜と礼司の2人だけが残っていた。 秋の冷たい夜気が換気扇を通じて入り込んでくるが、厨房の中は不思議と温かい。 春菜は調理台の最後の拭き上げを終え、布巾を洗って定位置に干した。「御堂社長のサポートのおかげです。客観的なデータの証明と配信のシステムがあったからこそ、私の料理の技術も信じてもらえました」 春菜は額の汗を手の甲で拭いながら、安堵の笑顔を見せた。「君の料理人としての真摯な姿勢と実力が、人々の感情を動かしたのだ。私はただ、その事実を論理的に証明する手伝いをしたに過ぎない」 礼司の言葉は春菜の心に染み渡っていく。「今日は本当に、ありがとうございました。御堂社長がいなかったら、どうなっていたか分かりません」「パートナーの危機を救うのは当然の義務だ。君の技術の価値を貶めようとする輩を、私は許さない」 礼司はそっけなく答えるが、態度はリラックスしており、視線はどこまでも優しい。「私たちは互いの得意分野で、背中を預け合える。今日、それを改めて実感した」 春菜は胸の奥が熱くなるのを感じた。 春菜はただ守られるだけの弱い存在ではない。一人の人間として、そしてプロの料理人として、対等に認め合い、尊重し合っている。 互いに足りない部分を補い合い、最大のパフォーマンスを発揮できる強い信頼関係が、そこにはあった。 恋心を自覚した今、彼と同じ空間で過ごす時間が何よりも愛おしい。「ええ。私たちは、1人で戦っているわけじゃない。心強いです」 春菜が礼司の目を見つめると、彼は一瞬視線を外した。「明日はレセプションパーティーだな」「はい。メディアやインフルエンサーの方々が来場されます。コラボフェアの成功を左右する、一番重要な舞台です」「君ならば、最高の結果を出せると信じている」 礼司の言葉には、一片の迷いもない。「はい。必ず、皆さんに最高の料理を届けます。連城ホテルとハルナズ・キッチン
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 春菜は目を瞬かせた。礼司がいる時に悠斗をそのように呼んだ覚えはない。 彼女も少し後ろめたかったので、気をつけていたのだ。だから間違いない。「え? どうしてご存知なんですか?」 逆に問われて礼司は言葉に詰まった。「それはその……連城ホテルの人間にそれとなく探りを入れた。副社長が君に名前を呼ぶよう頼んでいたと小耳に挟んでな」 礼司は非常に気まずい思いをしている。 彼とて1人のシェフの情報を、わざわざ探りを入れてまで得ようとしたのはやりすぎだったと分かっている。 スマートウォッチでの追跡の件といい、春菜に対して礼司は冷静でいられないことが多い。 視線をそらす礼司を見て、春菜は思わず噴き出した。「ふふっ。私は連城副社長としか呼んでいませんよ。名前で呼ぶように言われたけれど、何だか引っかかってしまって」「そうなのか? だが彼は、君を、その、愛しているとまで言ったじゃないか」 先日のVIPラウンジでの出来事である。 春菜は苦笑してみせた。「ええ、あの時は驚きました」「……彼を受け入れるつもりはないのか?」 問われて春菜は考え込んだ。 悠斗のことは好ましく思っている。 けれどそれはビジネス上の付き合いという意味で、異性としてどうかと考えると、答えは出なかった。 春菜の沈黙を礼司は迷っていると解釈したようだ。「分かった。君の心は君だけのものだからな。無理強いはしない」 春菜は顔を上げる。見上げた礼司の表情は、意外にも不敵なものだった。「君の心が俺に向くようにすればいいだけの話だ。覚悟しておいてくれ」「え……」 大胆な宣言に、春菜は思わず顔が火照るのを感じる。 悠斗に愛していると告白され、礼司に振り向かせてみせると宣言された。(私はただの料理人で、以前は婚約者に捨てられたような人間なのに) 理解が
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218:レセプションの罠

 コラボフェア開始の数日前。 連城ホテルの地下に位置するワインセラーは、ひんやりとした空気に包まれている。 長年寝かされたワインのコルクと、うっすらとしたカビの入り混じった独特の臭いが漂っていた。 薄暗い照明の下、棚の陰にホテルの清掃用制服を着込んだ男女がしゃがみ込んでいる。 翔太と梨沙である。 2人の足元には、本日のレセプションで提供予定の最高級白ワインのボトルが何本も並んでいた。 翔太は舌打ちをしながら、ボトルのラベルを剥がし、別の安価なテーブルワインの瓶に貼り付けている。「ちっ。なんで俺がこんな下働きみたいな真似を」 翔太が耳に突っ込んだ小型のイヤホンに向かってつぶやいた。 微かに漏れ聞こえるノイズ混じりの声は、彼らの裏で糸を引く灰谷のものだ。『文句を言うな。先のダミーネットワークを利用した工作は、御堂に癖を見抜かれた。まだ私の仕業だと確信はしていないだろうが、サイバー空間での妨害はリスクが高すぎる。次の一手のため、今ここで細工がバレるわけにはいかん。今は物理的に叩き潰すのが一番確実だ。さっさと働け』 灰谷の冷ややかな声に、翔太は口の端を歪めた。「分かってるよ。お前の計画通り、安物のテーブルワインとすり替えてやる。これで乾杯のワインは台無しだ」 梨沙が鼻先で笑い、不満げに制服の裾を払う。「もう、こんなカビ臭い場所で清掃員なんて最悪。早くあの女が恥をかくところを見て、さっさと帰りたいわ」「黙って手を動かせ。俺たちもあの女には散々コケにされたんだ。ここで一泡吹かせてやる」 2人はせっせと偽装作業を進める。 その手際はひどく雑で、貼り直したラベルの端がわずかにめくれ上がっているものすらあった。 けれど彼らは気にしない。 どうせ仕事ともいえないような陰謀だ。とりあえず終わらせればそれでいい。 数本のすり替えを終えると、翔太と梨沙は本物の高級ワインのボトルを清掃用のゴミ袋に押し込んだ。「よし、終わった。ずらかるぞ」 2人は慌ただしい足取り
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「佐伯シェフ。前菜の真鯛のカルパッチョ、切り出しが完了したぞ」 神崎副料理長が、氷を敷き詰めたバットを持って近づいてきた。 薄く透き通るように切り分けられた真鯛の身が、規則正しく皿の上に並べられている。「ありがとうございます。冷蔵庫で直前まで温度を保ってください。ソースの具合はどうですか?」「オリーブオイルと白ワインビネガーの配合は指定通りだ。分離しないよう、氷水に当てながらホイッパーで混ぜ続けている」「完璧です。メインの信州ポークの火入れも順調です。オーブンの温度を160度に維持してください」 春菜の指示に、若手のスタッフたちが「はい」と声を揃えて動いた。 コラボフェアの準備を通じて、ホテルのスタッフたちとの連携はすっかり強固なものになっている。 春菜の指示出しに迷いはなく、彼らもまたプロとして正確に作業をこなしていた。 フライパンから肉を下ろし、網の上で休ませる。 春菜は清潔な布巾で手元の調理台を拭き上げると、自らの足で各セクションの最終チェックに回った。 野菜の切り揃え具合、スープの煮詰まり具合、ソースの温度管理。 どこを見ても滞りはない。作業は完全に予定通りに進んでいた。(準備は万端のはずだけど、何が起こるか分からないわ。不測の事態に備えて、もう一度火の元と食材の状態を確認しておこう) つい先日、偽画像での炎上未遂が起きたばかりだ。 誰かの悪意が介入している以上、注意はどれだけしてもいい。 春菜は真摯な責任感を持って周囲を見渡した。 華やかなフロアの喧騒が、分厚い扉越しにも微かに響いてくる。 客の入りは上々のようだ。緊張感と高揚感が入り交じる厨房の中で、春菜はただ一人、淡々と次の火入れのタイミングを計っていた。 と。 厨房の自動ドアが開き、ホテルのホールマネージャーが険しい顔をして入ってきた。 彼は神崎副料理長の元へ足早に向かい、何事かを小声で報告する。 神崎の眉間に深いシワが寄り、彼は舌打ちをした。 春菜は歩み寄り、声をかけた。
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