All Chapters of 森宮社長、奥様は娘を連れて離婚します: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話

この展開は、あまりにも突然で、数秒遅れて澪はようやく事態を理解した。自分をブロックしたのは征司なのか、それとも紗耶なのか?電話に出たのが紗耶だったのだから、征司のメッセージを見ることも当然許されているのだろう。一通目のメッセージはまだ普通に届いていたのに。紗耶は澪からのメッセージを見て腹を立てた。そして征司は彼女をなだめるために澪をブロックし、自分は紗耶の味方だと伝えたのだろうか。しかし、紗耶がやったにせよ、征司が自分からそうしたにせよ、澪にとっては同じことだ。征司が紗耶を甘やかしていることに変わりはないから。自分と個人的に連絡を取ることを極力避けているのだろうか?ふと、ある光景が脳裏に浮かんだ。澪の空気の読めない電話やメッセージのせいで紗耶が機嫌を損ね、そんな彼女を征司が抱きしめながら、根気よく優しくなだめている光景だ。澪は目を伏せ、皮肉な笑みをこぼした。真実の愛の尊さに感心すべきなのか、それとも、何年もの時間を無駄にした自分を笑うべきなのか、もう分からなかった。そう考えると、自分は本当に邪魔な存在だ。どうしてもっと早く空気を読んで、身を引かなかったのだろう。澪はそれ以上、空気を読まずに食い下がることはしなかった。ベッドに横になると、玲衣の動画を眺めた。そうしてようやく、胸の中で渦巻いている感情を静めることができた。―翌朝早く、澪はアカリ製薬の研究センターへ向かい、生薬データの検証を行った。車を降りたところで、少し先に見慣れたベントレーが停まっているのが目に入った。征司が自ら車のドアを開けると、紗耶は車から降り、顔を上げて征司に笑いかけた。澪は視線をそらした。征司がわざわざ紗耶を職場まで送ってきた。そんな二人の甘い空気を壊すような真似はしたくない。データ表を手に研究センターを出た澪は、エレベーターを降りたばかりで電話をしている征司と正面から出くわした。彼がまだ帰っていないことに、澪は少し驚いた。彼女は空気を読んで、わざわざ声をかけることもなく、そのまま通り過ぎようとした。すると征司が横目でこちらを見て、通話を終えることもなく澪に尋ねる。「昨日、俺に連絡したか?」澪は仕方なく足を止めた。「そう」「メッセージは見た」征司はスマホを耳に当てたまま、切れ
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第72話

以前の澪は、征司にこんな態度を取ったことなどなかった。征司はゆっくりと視線をそらした。蓮が口を開く。「お前の嫁さんって、なかなか演技派の女優だよな」征司は目を伏せ、何も答えないまま車に乗り込んだ。――祖父が卒寿を迎えたが、澪は大袈裟に祝うつもりはない。親族も少ないため、せめて会場だけでも賑やかにして、祖父を喜ばせてあげたいと思っている。人数が少ない分、余興も用意して、少しでも場を華やかにするつもりだ。予約している宴会場も十分すぎるほど広い。宴会の前の日の夜、澪のもとに東雲グランドホテルから電話がかかってきた。「お電話失礼いたします。東雲グランドホテルでございます。大変申し上げにくいのですが、現在ご予約が急増しておりまして……ご予約は二十名様用のお席ですが、最上級の宴会場をご指定いただいております。ほかにも大人数でご利用になるお客様のご予約が入っており、現在、大きな宴会場はすべて埋まっております。恐れ入りますが、もう少し小さな会場へ変更させていただくことは可能でしょうか。勝手なお願いですので、お詫びとしてお会計から一二パーセント割引させていただきます」澪は会場の広さなど気にしていない。会場を変えるくらい、どうということはない。彼女はホテル側を困らせることもなく、あっさりと応じた。「分かりました。そちらで調整してください」支配人は何度も礼を述べた。翌日、澪は朝早くに目を覚まし、療養施設へ向かった。祖父は若い頃、知的で物腰の柔らかい紳士だった。年を重ねても身だしなみを崩しておらず、今日は驚くほど体調が良さそうだ。祖父はわざわざ自分で選んだ深みのあるグレースーツに身を包んでいる。「征司は一緒じゃないのか?」祖父は澪の冷えた手を両手で包み、温めながら尋ねた。澪は時間を確認した。「仕事が忙しいみたいです。現地で私たちと合流することになってますよ」「そうか、そうか。家族そろって食事をするのも、ずいぶん久しぶりだな」祖父は車いすに座ったまま、目を輝かせて笑った。澪は、祖父が元気でいてくれて、少しでも長生きしてくれるなら、自分はどんな努力も惜しまないと改めて心に誓った。知之や伊織のほかにも、祖父の昔の教え子たちが何人か集まる予定だ。全員合わせても、席が一卓分埋まる程度の人数だ。知之は早
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第73話

知之は眉をひそめた。「隣の会場、どうやら紗耶の弟の誕生日パーティーみたいだ」澪は表情を硬くしたまま、目を見開いた。「律樹?」澪は早足で外へ出た。隣の会場までは目と鼻の先だ。そこはもともと、澪が予約していた宴会場だ。ホテルから頼まれ、別の会場へ変更したばかりだ。入り口に置かれたウェルカムボードには、律樹の写真が飾られている。紗耶も、律樹の誕生日を祝っているらしい。入口の前では、正毅と薔子が並んで客を迎えている。澪の姿を見ても、正毅は驚く様子もなく、笑みを浮かべて近づいてきた。「澪、こんなところで会うとはな。ちょうど律樹の誕生日を祝ってるんだ。せっかくだから、一緒に祝わないか?」澪は父親を冷ややかに見た。「私たち、そんなに親しい間柄だっけ?」十年以上、顔を合わせていなかったのに、彼は人前では相変わらず白々しい態度を崩さない。正毅は眉をひそめ、ため息をついた。「君のことを思って言ってるんだ。征司は今、紗耶のインタビューに付き添っていてね。後で二人揃ってここに来る予定なんだよ。今日は律樹の誕生日でもある。九十歳のお祖父さんが、子どもと張り合うわけないだろ。こっちで一緒に食事をして、ケーキのろうそくでも吹き消せば、君たちも少しはお祝い気分を味わえるだろう?」お祝い気分?澪の胸が無意識のうちに大きく上下し、その視線は鋭い刃物のように冷たくなった。「白石社長は、義理の娘が不倫相手であることをずいぶんと誇りに思っていらっしゃるようですね」父親はやはり、自分が征司の妻であることも、紗耶が征司と不倫していることも、ずっと前から知っている。それなのに、これまで一度も自分に連絡をよこさなかった。それどころか、自分の実の娘の夫を紗耶に奪い取られたことを、陰で喜んでいるのだろう。正毅は不愉快そうに顔を歪め、失望したような目で彼女を見た。「澪、なぜそんな言い方をするんだ?紗耶はお前の姉だろう」「血のつながりもない、ただの他人です。白石社長が不倫を楽しむのは勝手ですけど、私まで巻き込まないでください」澪は冷ややかに唇の端を上げた。正毅の口元がぴくりと引きつった。その言葉を聞いた薔子も、一瞬にして表情を強張らせた。「紗耶は、森宮家の嫁になるはずだったのよ。それをあなたに奪われても何も言わずにいるの。何
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第74話

知之はすぐにうなずいた。「分かった。ホテルのほうは、俺に任せて」「澪、どうして目が赤いんだ?誰かにいじめられたのか?おじいちゃんが守ってやる」清は澪が無理に作っている笑顔に気づいたらしく、車いすを動かして彼女のそばに寄って、顔に触れようとした。澪はすぐに駆け寄った。「何でもありませんよ、おじいちゃん。今日はホテルが混んでるみたいですから、家に帰ってご飯にしましょう?ね?」清はもともと記憶が曖昧なため、話をそらせば、すぐに納得してくれた。澪はできるだけ穏やかに清をなだめた。――一方、隣の会場では、薔子は先ほどの澪の不躾な態度に腹を立てたまま、冷たい声で言った。「あの疫病神、田舎にやったくらいじゃ、あの気の強さは直らなかったのね。今だって、あんなふうに食ってかかってばかりで、本当に目障りだわ」正毅は困ったようにため息をついた。「あの子は母親そっくりだ。自分が正しいと思ったら、相手をとことん追い詰める」「それでも、あの子は妙に運がいいのよ。あの状況から、よくまあ森宮家の嫁になったものね。どんな手を使ったのやら」澪は今も、森宮家の嫁の座にしがみついている。何の恥じらいもない様子に、薔子は頭を抱えたくなった。そのとき、薔子の目がすっと光った。正毅を見て尋ねた。「紗耶と征司が受けた取材、もう公開されてるよね?」正毅はほとんど一瞬で、彼女の意図を察した。彼は黙り込んで、止めることもしなかった。澪がいつまでも征司の妻でいるつもりなら、こちらも遠慮する必要はない。薔子は薄く笑った。「ホテルの責任者、呼んでもらえる?ちょっと頼みたいことがあるの」――知之はすぐに車の手配を済ませた。澪が清の車いすを押して会場を出ようとした、そのときだった。背後のスクリーンがふいに明るくなった。宴席を取りやめるとホテルに伝えてある以上、スクリーンを使う予定などない。何が映っているのかと澪は振り返った。画面の中で親しげに寄り添う男女の姿を見た瞬間、彼女は思わず息をのんだ。それは、征司が紗耶のインタビューに付き添っている映像だ。紗耶は征司の腕にぴったりと寄り添い、仲睦まじい様子だ。征司もまた横目で彼女を見つめ、その深い瞳には柔らかな色が浮かんでいる。映像の中で、記者が尋ねた。「森宮社長と
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第75話

律樹は、目の前に立つ澪を呆然と見上げている。澪は無表情のまま、甘やかされて、ろくに叱られずに育ったその子を冷たく見下ろした。先ほどの平手打ちは、口の減らない律樹の頬にしっかりと叩き込まれた。律樹はこれまで、叩かれたことも本気で叱られたこともなかったのだろう。律樹は何が起きたのか理解できないまま、しばらく澪を見つめていた。痛みが押し寄せ、顔をくしゃりと歪めると、今にも泣き出しそうになった。澪は表情を変えないまま律樹の腕をつかみ、丸々と太ったその体を会場の外へ引きずり出そうとした。知之の反応も素早い。澪が律樹を連れ出すのと同時に、清の車いすを押し、別の出口へ向かった。律樹は引っ張られた途端、喉が潰れたような声で泣きわめき始めた。すると、さっきまで姿を見せなかった薔子が突然現れた。彼女は駆け寄るなり澪を突き飛ばした。「澪、あんた人間なの?こんな小さな子を叩くなんて!」正毅もどこから現れたのかと思うほどいいタイミングで駆けつけ、澪を失望しきった目で見つめた。「ひどすぎるぞ。律樹はまだ子どもだろ。何を本気になってるんだ!」律樹のかすれた泣き声と正毅たちの責める声が澪の耳にまとわりついている。澪は一家を冷ややかに見渡した。「あら、親がいるのね。きっと親がみんな死んで、代わりに私がしつけてあげなきゃいけないのかと思ったわ」律樹が会場に乗り込んで祖父を傷つけていたとき、二人は姿を消していた。ところが律樹が痛い目に遭った途端、二人はすぐに姿を現した。実に都合のいい親だ。「子どもの言うことをいちいち本気にして、手まで上げるなんて。みっともない。律樹は何歳だと思ってるの?」薔子が嘲るような目を向けると、澪は冷えきった眼差しで見返した。「次も、躾もできていない子どもをけしかけるつもりなら、私も容赦なく真実をぶちまけて、紗耶が妹の夫にまで手を出して、どれだけみっともない真似をしているか、皆の前で話してあげるね」「澪、何をでたらめ言ってるんだ!」正毅の顔色が険しくなって、声も大きくなり、今までの優しい父親を演じる余裕はなくなった。これ以上、あの人たちと話す気にはなれなかった。顔を見るだけで吐き気がした。澪は何も答えず、逃げるようにその場を離れた。征司が一言も知らせてこなかったことを思うと、澪はどうし
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第76話

水を入れたコップを清のそばへ置いたところで、玄関のチャイムが鳴った。澪は不思議に思いながらドアへ向かった。「もう買ってきたの?早いわね」扉を開けた瞬間、澪の表情が強張った。さっきまで浮かべていたかすかな笑みも消えた。征司はゆっくりと目を細め、澪の顔を見つめた。「中に入れてくれないのか?」その声に、大きな感情の起伏はない。澪は彼を追い返したい衝動に駆られたが、部屋の奥から清の声が飛んでくる。「澪、誰だ?」澪はドアノブを握る手にぐっと力を込め、それから諦めたように力を抜いた。征司の手には、上品な包みの紙袋がいくつも提げられている。彼は澪に一度視線を向け、その脇をすり抜けるようにして中へと入っていった。「おじいさん、征司です」清の前まで行くと、征司は柔らかな笑みを浮かべた。清は一瞬、誰なのかわからないような顔をした。しばらく見つめたあと、ぱっと表情が明るくなる。「征司か。今日は休みなのか?」「おじいさんの誕生日は、俺にとって最優先事項ですから。仕事なんて後回しにすればいいんです」彼の横顔を見ながら、澪は思った。この人がその気になって誰かを喜ばせようとすれば、誰もそれに抗うことはできない。これだけは、認めざるを得ない。「ほら、おじいさんが好きだと聞いたお店の洋菓子です。甘さは控えめにしてもらいました。何より、お元気でいていただきたいので」そう言って、征司は紙袋から箱を取り出し、テーブルに置いた。「そうか、そうか。君たちの言う通りにしよう」清はうれしそうに何度も頷いた。「それから、こちらも。おばあさんの作品をずっと気にかけていらしたと聞きました。いくつか見つかったので、よかったらご覧ください」征司がもう一つの箱を開けた。澪も中をのぞき込んで、思わず息をのんだ。おばあさんの作品はほとんど手放され、今ではあちこちに散ってしまっている。澪も探していたが、手がかりすらなかなかつかめない。それを征司は、五点も探し出してきた。名の知れた画家の作品なら、集めることもそう難しくはないだろうが、おばあさんは当時、画家として名を知られていたわけではない。散り散りになった作品を探し出すのは、簡単なことではない。清の濁った瞳にふっと光が灯った。亡き妻が残した絵に見入ったまま、震える手で
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第77話

澪の瞳がわずかに揺れた。征司のこういうところを、彼女は一番忌々しく思っている。いつでも鋭く、核心を突いてくる。幸いなことに、清は物忘れが激しく、さっき言ったこともすぐに忘れてしまうようだ。亡き妻の作品を愛おしそうに撫でながら、ぽつりと言った。「子どもは多いほうがいい。いざというとき、支えになってくれるからな。澪みたいに、ひとりで心細い思いをしなくて済む」記憶が曖昧になった清の言葉に、澪は胸が締め付けられるような思いがした。おじいちゃんが今、何よりも気にかけているのは自分のことだろう。傷つけられないか、つらい思いをしないか、いざというときに頼れる人がいるのか――いつもそればかりを案じている。征司も、清が混乱していると気づいたのだろう。「もう一人」という言葉を、それ以上問いただすことはなかった。絵の箱を清の手元へ寄せると、彼は穏やかな声で言った。「そうですね。頑張ります」澪は思わず笑いそうになった。征司がその場を取り繕ううまさには、本当に感心させられる。知之が戻ってきて、部屋に征司がいるのを目にすると、無意識に眉をひそめた。彼は両手にいくつもの袋を提げたまま、皮肉を含んだ声で言った。「森宮社長、今日はお暇なんですね?」「祖父の誕生日より重要なことなどありません」征司は顔色ひとつ変えずに淡々と答えた。知之は澪にちらりと視線を走らせた。白石家がどのように澪を挑発していたのか、彼はすべて目の当たりにしていた。たとえ今になって征司が顔を出したところで、澪の受けた理不尽を思うと、腹立たしさが収まらなかった。本来なら、あんな騒ぎにはならずに済んだはずだ。それなのに澪は祖父を連れ、まるで追い出されるようにホテルをあとにして、二人だけで祝い直すことになった。白石家が横暴極まりないのは分かっている。しかし、その根本的な原因はすべて征司にあると彼は思った。「今日は身内しかいないから、忙しいなら先に帰ってくれて構わないわ」澪には、祖父の前でこれ以上征司の芝居に付き合う気力はない。伊織はもう玲衣を迎えに行っているはずだ。LINEを送ってみたものの、一向に返信がない。何かあったのではと不安になり、彼女はとにかく一刻も早く征司をここから追い出さなければ安心できない。征司の視線が彼女の顔に留まった
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第78話

澪は強い酒を少し口に含み、喉に広がる刺激を味わった。そのほうがいい。彼が紗耶をあれほど特別扱いし、大切にしているからこそ、玲衣の存在を完全に隠し通すことができる。この点については、むしろ彼に感謝しなければならないほどだ。彼が紗耶の元へ向かっている限り、玲衣と鉢合わせる心配はないのだから。「征司の会社で何かあったのか?そんなに急いで」と、清が心配そうに尋ねた。澪は薄く笑みを浮かべた。「ええ。行かなかったら死んでしまうくらい、大事なことみたいです」まるで自分には関係のないことのように平然としている。そんな様子を見て、知之は何とも言えない複雑な気持ちになった。実際のところ、澪の気分は決して悪くない。彼女の頭の中は玲衣のことでいっぱいだ。離婚が滞りなく成立して、親権を争われずに済むなら、征司が誰のもとへ行こうと構わない。征司が出ていくと、澪は伊織に電話をかけようとするが、発信する前に伊織から着信が入った。「伊織、玲衣とはもう合流できた?」「澪、大変なの!玲衣ちゃんと、交通事故に遭っちゃって……」澪の顔から血の気が引いた。ー清を心配させたくなかったため、澪は知之に療養所で清のそばにいてもらうことにした。伊織から連絡を受けると、澪はタクシーで所轄の警察署へ向かった。伊織たちは、澪に電話をかけてきた時点ですでにそこにいた。警察署に着くと、伊織は待合の椅子に腰掛け、沈んだ顔をしている。その隣には、低い位置で髪をお団子に結んだ玲衣が座っている。吸い込まれそうなほど黒く大きな瞳に、幼いながらもすっと通った鼻筋。そのあまりの可愛らしさに、警察署の署員たちも放っておけず、代わる代わるお菓子を配りにやってくるほどだ。しかし玲衣はすっかり元気をなくし、両頬を真っ赤に染めてぐったりとしている。玲衣の姿を目にし、ひとまず無事であることを確認した瞬間、澪の心を苛んでいた張り詰めた緊張が一気に解きほぐされた。「玲衣……」かすれた声で呼ぶと、玲衣はぱっと顔を上げた。それまでの沈んだ表情から一転して瞳を輝かせた。「ママ!会いたかった!」玲衣は小さなリュックを背負ったまま澪の胸へ飛び込んできた。澪はしゃがみ込み、玲衣を強く抱きしめた。激しく波打っていた鼓動をどうにか落ち着かせた。しかし、玲衣の頬に触れ
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第79話

澪はようやく事故の経緯を飲み込んだ。征司が呼び出されたのもこの件だったのか。「紗耶たちが車にはねられたんじゃないの?」「ふざけないでよ!」伊織は思わず怒りをぶちまけた。「あの子が我が物顔で、いきなり車道に飛び出してきたの。ぶつけないように避けたから、こうなったんでしょ。なのに紗耶のやつ、警察には私がスピード違反をしただの、ひき逃げしようとしただのって嘘を並べ立てて……おまけに私が暴力を振るったとまで言いがかりをつけてきたから、こんな警察沙汰になったのよ!」律樹の無茶な飛び出しに腹を立てながらも、伊織はまず玲衣をなだめた。それから車を降り、話をつけようとした。すると紗耶は、伊織が車から降りるなり、いきなり肩を押してきた。黙ってやられるわけにはいかないと思って、伊織も反射的に彼女を押した。それを紗耶は、伊織が暴力を振るったと騒いでいる。激しい言葉を吐き出した後、伊織はハッと玲衣がすぐそばにいることを思い出して、気まずそうにしゃがみ込んで玲衣の耳を両手で塞いだ。玲衣はぱちぱちと目を瞬かせ、それから伊織ににっこり笑いかけた。その愛らしさに、伊織の心は一瞬でとろけそうになった。澪は先ほどの紗耶からの電話を思い出した。あの電話では、彼女はまるで取り返しのつかない目に遭ったかのような声で、征司を呼びつけていた。「今、警察が防犯カメラを確認してる。でも紗耶は完全にこちらの過失だって言い張って、絶対に引き下がらない構えなの」玲衣の前では怒りを抑えようとしているのに、伊織の声には隠しきれない苛立ちがにじんでいる。親にもろくに躾けられていない律樹のせいで、玲衣は怖い思いをし、頭にけがまで負ったからだ。「穂積さん、相手方は念のため病院で診断書を取っているようです。大きな事故ではありませんし、まずはお互いに話し合っていただけませんか」警察官が穏やかに声をかけた。澪は眉をひそめた。「防犯カメラの映像はどうなったんですか?」「あそこはちょうどカメラの死角になっていましてね。ほかのカメラに映っていないか、いま確認しているところです。少しお時間をいただけますか」「あれほど大きなホテルで死角だなんて、おかしくないですか」伊織は冷ややかに言い放った。しかし澪は目を伏せ、静かに口を開いた。「征司が、向こう側
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第80話

征司の返事を聞いた瞬間、澪の全身が強張って、思わず伊織に抱かれている玲衣へ目を向けた。「そんなこと――」澪の言葉を遮るように、征司が淡々と答えた。「今はちょっと……あの子がぐずって俺から離れようとしませんから」その一言で、澪の胸の奥がすっと冷えた。よくもまあ「離れようとしない」などと言えたものだ。律樹とは血のつながりさえないのに、征司はあれほど手をかけている。もし征司が将来、今日の決定のせいで自分の実の娘を深く傷つけ、会う機会すら逃したと知ったら、少しは後悔するのだろうか。しかしそんなことは、もうどうでもいい。澪は拳を強く握り、冷えた目で電話を見据えて噛み締めるように言った。「征司、私は今から伊織を連れて警察署を出る。紗耶のことは、あなたが何とかして。無理なら、私が自分のやり方で黙らせる」玲衣に一刻も早く適切な治療を受けさせなければならない。これ以上こんな場所に引き留められるわけにはいかない。そのためなら、征司と完全に決裂しても構わないと彼女は覚悟した。澪が突然放った強い言葉に、その場の空気が張り詰めた。これが脅しだと、征司なら当然わかっている。なにしろ紗耶は人目につく立場にある。スキャンダルに発展すれば、彼女とてただでは済まないだろう。どれほどの時間が流れただろう。通話は突然一方的に切られた。向こうはこれ以上話し合うつもりはないらしい。澪の全身は芯から冷え切っていった。これが征司の答えだ。澪は深く息を吸い、伊織のもとへ戻った。玲衣の額は、さっきよりも腫れがひどくなっている。痛みのせいで瞳にはじわりと涙がたまっているのに、それでも泣きもせず、わがままも言わない。その健気さが、かえって澪の胸を狂おしいほどにかき乱した。彼女は玲衣を抱き上げ、このまま何もかも放り出して病院へ連れて行こうとした。その時、警察官が足早に近づいてきた。「相手が話し合いに応じるそうです」澪の目元は赤かったが、口元には冷たい笑みが浮かんでいる。話し合いに応じる?違う。追い詰められた末に、紗耶の評判を傷つけかねないと、征司が警戒しているだけだ。話し合いに応じたのも、譲歩したわけではない。これ以上揉めるほうが損だと判断しただけだ。後の手続きは伊織に任せることにして、澪は玲衣を抱い
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