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All Chapters of サトラレメイド: Chapter 51 - Chapter 60

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4章 7

「………………………………は?」   背中からさつきさんの間の抜けた声が聞こえてくる。おそらく顔を見たら相当きょとんとしていることだろう。だが俺は振り返らない。石炭を燃えさかる炎の中に放り込みながら、万感を込めて声を張り上げるのみ。 「うおおおおおおっ! さつきさん! 愛してるぞおおおおっ!」 「ち、ちょっと! 誠二様何言ってるんですか、頭オカしいんじゃないですか!?」   振り向かず、俺はぐっと親指を突き立てる。 「さつきさん、俺を舐めちゃいけないよ。俺は市川誠二! 気は優しくて力持ち! 美男子な上に、ついでお勉強だって出来ちゃうミスター完璧超人をめざす魂だ! その圧倒的な俺が、まさか人間の本音を暴露されたくらいで心揺らぐと思うかい?」 「せ、誠二様……で、でも私……っ!」 「人間は誰だって多かれ少なかれ悪意を内包しているものだ。一から十まで善人なんてありえない」   さつきさんは確かにわがままをした。それが人を傷つけた。運命も歪めた。   でも、だから何だ? それを咎めることが出来るほど、他の人間は潔癖なのか? 「俺だってそうだ。心の中では割かしドス黒い感情が渦巻いているよ。鈴子さんもそうだったろ? さつきさんに俺を取られるからって、あんなに無茶をした」   人は醜いし、汚い。誰だってそうだ。   むしろさつきさんの本音なんかかわいいものだ。ささやかすぎる。   俺が激怒する理由など、どこにもない。 「人はみんなそうだ。悪意はどこにでもある。一から十まで清廉潔白なんていやしない。誰もが悪い感情を持っていて、でもそれを隠して生きている」   確かにショックはあった。それは否定しない。俺の頭の中にあった七岸さつき像とも言うべきものがガラガラと音を立てて崩れた。だから聞きたくなかった。   でも、崩れた先に見えたもの、それもはやり、七岸さつきなのだ。   俺が愛して止まない、七岸さつきさんなのだ。 「でもね、隠したからって表に出ている感情が嘘かというと、それも違うんだ。人のために頑張ろうとか、誇り高く生きようとか、相手を笑顔にさせようとか、それはそれでまた人の本音なんだよ」
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4章 8

 と、後ろからさつきさんが、 「月が綺麗ですね」   そんなことを言ってきた。   気づけばもう夜か。全然意識しなかった。それに月など見ている暇はない。   あと、あと、あと。   恥ずかしい。 「ああ、俺は火をくべてるからよく見えないけどね!」 「す、すみません……でも」 「いいんだよ、君の言いたいことはわかってる。奥ゆかしいんだね。今時そんな言い方する女の子、いないよ」   夏目漱石を知っているんだな、彼女。そう言えばウェルズとかも読んでいたんだっけけか。意外と読書家なのかもしれない。でも、そんな古臭さが、まるで骨董品の輝きみたいで、独特な美を形成しているように思えた。 「そうなんですか? 私、田舎育ちですからどうも……」   町娘が何言ってるの。まあ、キネマトグラフなんて言う当たり、田舎ではあろうが。   そんなことを考えながら景色に目を移すと、今までののどかな田舎町はどこへやら、灯り漂う街並みが眼前に飛び込んできていた。 「さて、そろそろ大阪あたりだろうか。まさか無停車でそのまま突っ切るとは思わなかったなあ。まあ大阪で乗り換えるけどね。そうすれば火夫も新しくなるから」   観光はおろか水を飲む余裕すらないとは。脱水症状で倒れてしまいそうだ。   と、そんな俺の態度に気づいたか、さつきさんが立ち上がり、俺の背中にそっと手を添えてくれる。 「だ、大丈夫ですか?」 「ああ、大丈夫だ。それにそろそろ火夫も起きるだろうから交替を……」 「た、大変よ誠二さん!」 「どうした鈴子さん!」 「今入った情報なのだけど、連絡の手違いで大阪から東京へ向かう便の火夫まで避難させてしまったの! 人がいないわ!」 「そうか、やれやれ」   流石の鈴子さんでも全知全能ではないということか。でも、だからどうした? 今の俺にそんな情報は何の問題にもならない。   さつきさんへ思いによって生まれるこの力が、俺を突き動かすのだ! 「せ、誠二様……」 「やるしかねえよなあ! 上等じゃねえか! 東京まで火をくべてやるぜ! うおおおおおおっ!」  
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4章 9

 東京についた頃には駅はおろか街にすら人など存在しなかった。   市川家に着く頃になってようやく豆腐屋が目を覚まし、商店の小僧たちが慌ただしく朝の準備を始め出す。   師走の風は冷たく、肌をえぐるような感覚に苛まれるというのに、頑張っているな。   俺たちも負けていられない。とはいえ夜通し火をくべていて俺もさつきさんも体力の限界だったか、家につくなり倒れるように寝こけてしまった。情けない話である。   それから半日ほど経って太陽が沈みそうになった頃、目が覚めた俺の眼前に飛び込んだも、それは―― 「な、なんだこれは……」  何故か、パーティーであった。   場所は市川家の大ホール。お父様が客を招いたり、市川電機で慰労会をやる時などに活用しているでかい部屋なわけだが、そこではパーティーの準備が着々となされていた。   看板もかけられていて、そこにはこうある。   婚約破棄発表記念会見。   寝起きで頭が回らないのもあろうが、それ以上に困惑が大きい。   鈴子さんが俺の存在に気づいたようで、十二単をズルズルと引きずりながら駆け寄ってくる。 「私と誠二さんの婚約破棄の発表会見とそれに伴う残念会よ。これが秘策」 「そんなのやるつもりだったのか君!」   しかも俺の家で!   すると鈴子さんは何故か異様に誇らしげに胸を張り、鼻息を荒くしながら。 「ええ、ほら、私、華冑界の人間だし。一応やっとかないと記者たちが押しかけてきて変な噂が立ってしまうでしょう? それは市川電機にもよくないことよ。だから先手を打つってわけね。で、当然各界の名士が集まるわ。ここで最後のサトラレ征伐をしましょう」   あまりにもトンチキで、あまりにもぶっとんでいる。   と、騒ぎを聞きつけたさつきさんが俺の横に立ち、肩をぶるぶると震わせる。 「な、そんな……わ、私……緊張して……」   寝間着姿なところを見るに、相当慌てていたらしい。着替える暇もなかったということか。さもありあん。 (こ、怖い……私、そんな凄い人たちの前で、何をすればいいの?)   俺はふう、と息をつき、さつきさんの肩に
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4章 10

 メイド服に着替えたさつきさんは、学ランに着替えた俺と共にホールへと戻る。中では既に七岸夫妻ことお父様とお母様、さらに鈴子さんが待機しており、何故か聖子の姿は見えない。   どうしたのかなと思いつつ、俺はさつきさんに訪ねる。 「さつきさん、念波についてはやはり自身の精神力で押さえられる?」 「はい、原理は同じです。でも……」   何故か彼女はもじもじとして、視線を泳がせた――途端。 「おのれ、愚かな民どもよ。よくも我が玉体に傷をつけたもうたな」 「わあ! 霊がしゃべった!」   さつきさんの体に巣くう霊。今まで声だけで、霊の姿を見るのはこれが二度目だが、今回はあの時よりもハッキリと人のカタチとして見ることが出来、何より『彼』はしゃべり出した。かなり野太い声で、そのまま聞いたらいぶし銀だろうが真っ黒いヒトガタのバケモノから放たれると恐怖しかわき起こらない。   ちらりと周囲を見る。全員が呆然と目を見開き、棒立ちになっていた。どうやら俺だけでなく、周囲にも見えるらしい。   さつきさんは悲しそうにしょんぼりと肩を落とす。 「それだけ成長してしまったということです。でも、かなり弱まってます。私が我慢すれば、つまり、心を無にすれば、この霊も喋れません」   なるほど、たとえ姿が見えようが、喋れようが、サトラレはサトラレなのか。  となれば。 「あ、ちょっと待って、この霊が喋ることが出来るなら、最後に会話したい」 「え? あ、はい。わかりました。では、黙っています」 「オーケーだ。ねえ、話が出来るならちょうどいい、大人しくさつきさんから離れてくれないか? 祠に戻ってくれるなら俺たちも貴方を倒しはしない」   今まで言いたかったこと。でも言えなかったこと。   サトラレが意志を持ち、何らかの目的を持ってさつきさんを寄生しているというのなら、話し合いで平和裏に解決できないものかと考えたのだ。   それはサトラレに同情したというより、サトラレ征伐はさつきさんにもダメージが行くためだ。出来るならさつきさんを傷つけたくはない。   しかしヒトガタの霊体は呆れたように肩をすくめ、太い声を俺の脳に直接響かせ
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4章 11

 そういえば聖子はマジでどこへ行った?   と、思ったら、 「はい!」  と返事をしながらホールへと入ってきた。遅刻だぞ、何やって――原因把握。   こいつ、メイド服着てやがる。   別に割烹着でもエプロンでも他にあるだろうに。我が妹ながら変人で困る。  ……俺もまた変人であるというのは置いておく。   さて、掃除スタート。ホールにはびっしりと大量のガラスが張られていて、二人がかりでも一時間以上かかりそうだ。空はもう夕闇がかっていて、夜は間近。沈みゆく太陽が薔薇色の輝きをたたえ、どこか幻想的に感じられた。 「凄い量の窓ですね」   さつきさんが見上げながら一面に張られた窓を見つめ、感嘆の息を漏らした。   俺は掃除道具一式を足下に置き、はしごをかける。 「ああ、掃除のしがいがあるだろう? 何も考えさせないさ。さて、石鹸があればいいんだけど、こんなに窓があると大量に消費する。石鹸代がかさむのであまり使いたくない」 「どうしましょう?」 「そこで灰汁を使う。落ち葉や枝を燃やした灰、米ぬか、大根の煮汁。これらを混ぜて簡易的な石鹸水を作るんだ。石鹸が普及してからやる家庭が激減したけど、昔はみんなこうしていたんだよ」   まずはたらいの上に灰を落とし、米ぬか、煮汁をブチ込んでかき混ぜる。煮汁の水気だけで足りないなら水を少し足せばできあがりだ。泡立ちを加えたいならここに粘土を加えてもいいだろう。だが今回はしない。   たらいをかき混ぜている俺を見下ろしながら、さつきさんが目をぱちくりさせる。 「誠二様……本当にお詳しいですね」   俺は歯を富士山の山頂にように輝かせながら笑う。ニカーッ!「これでも一高生ですから。布巾は二種類使う。水拭き用と乾拭き用。まずは灰汁につけた布巾で窓を拭き、しかる後乾拭きをする。するとほら、ピカピカに」   さらに説明しながらはしごに昇り、上から窓を拭いていく。あっという間に光輝を放つ美しい窓のできあがりというわけだ。 「水拭きと乾拭きくらいは私でも知ってます。実家のお店でもやってましたし」 「そりゃそうか」   彼女の実家はミル
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4章 12

 夜の帳が下り、月がひょっこりと顔を出すようになった時刻になって、 「お掃除終わりました!」「こっちもです!」   どうやら全員の掃除が終了したらしい。壁にかけられている時計を見ると現在六時。たしか七時から記者会見とパーティをやるんだったな。あと一時間しかない。掃除が予想以上に手間取った。まずい。 「よし、次は準備だ! 作る時間はない。鈴子さん、出前を……」 「ぬかりなくてよ? 近所の柳寿司さんから五十人前注文してあるわ」   鈴子さんはそういってふぁさっと前髪を梳く。やたらかっこよかった。 「流石だね。ただ、どう見ても洋風のパーティなのにまさかの寿司なのか」   洋式のテーブルに純白のテーブルクロス。そして立食。なのに食うのは寿司なのか。   しかし鈴子さんは困ったように頬をぽりぽりと掻き、目を反らす。 「洋食屋さんに出前できる量じゃなくて。お寿司だとこういう時便利なのよ」 「そりゃそうだ」   洋食の出前なんて聞いたこともないからな。おかもちに入らないだろうし。   確かに寿司はこういう時便利だ。そばだと高級感がなくてパーティには向かないが、寿司なら格好がつく。まあうちの使用人にやらせたらそばの方を注文しただろうがね。そばっ食いばかりだし。 「でも洋酒くらいは揃えましょう。グラスを並べましょうね」   鈴子さんはそう胃ってピカピカに磨かれたグラスをテーブルに配膳していく。 「寿司に洋酒……うーん、カオスの世界だ」   正直格好がつかない。どうしたものだろうか。   俺が腕を組み、首をひねっていると、おずおずとさつきさんが挙手をする。 「あの、日本酒の方がよろしいのではないでしょうか?」   確かに日本酒なら似合う。よし、これでいこう。だったら座敷の方がよかった気もするが、今更どうにもならないのでこのまま押し通す。和洋折衷だ和洋折衷。日本人らしくて大変結構ではないか。   鈴子さんもそう思ったようで、ぽんと手を鳴らしてくれる。 「じゃあそっちも用意なさって。あと煙草も揃えた方がいいわね。灰皿も並べて!」 「さつきさん、用意しよう」
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4章 13

 全ての準備を終え、俺は顔を洗って改めて学ランをまとう。さっきのは掃除で汚れてしまったからな。さつきさんも聖子が縫った着物に着替え治した。 汚れたメイド服で給仕はさせられない。   ちなみに着物は相当上物だったようで、ひどく似合っていた以上にさつきさんは恐縮しっぱなしで、まあ、逆にそれが緊張を呼び、余計なことを考えさせられなくなる結果になったので怪我の功名と言えよう。 余計なことは考えてしまいそうだが、そこはお父様とお母様、そして聖子の頑張りに期待する。遠慮無く耳元に息を吹きかけてやって欲しい。   さて俺はというと、やはりというか、改めてまたしても十二単をまとった鈴子さんと共に壇上に立ち、名士たちを見下ろしている。 「さあ、最後。記者会見からのパーティーだな。鈴子さん、大丈夫なんだろうな?」 「勿論よ。私に任せて。楽団も用意したわ」 「いや、楽団はいらん」   しかし鈴子さんは音楽を奏でさせた。モーツァルトのピアノソナタ十一。   やっぱり彼女は変人だ。というか、俺の周囲には変人ばかりなのは何故だろう。俺もまた変人だからだろうか? 馬鹿な。   そんなことを考えていると鈴子さんは名士たちに向け、ゆっくりと、けれどしっかりした口調で言葉を紡いでいく。 「さて、お集まりの皆様。入地鈴子でございます。この度、わたくしの婚約破棄発表記念会見にお集まりいただきありがとうございます」   途端、ざわざわと名士たちの怪訝そうな声が響き渡る。 「市川の御曹司もわからんな」「どういうことだ?」「入地家と結婚なんて、日本人なら誰もがうらやむのに」「特に市川は爵位がない。この婚約は家の格を挙げる絶好の機会」 「散々言われてる……。針のむしろだぞこれ」 「大丈夫よ、まかせて」   鈴子さん、楽しそうにぱちんとウインク。   大丈夫だろうか、心底不安である。   鈴子さんはこほんと咳払いを一つすると、胸を張って。 「此度の破局におかれましては、わたくしの不徳の至るところにございます。みなさまご存知の通り、我が入地家は神代の頃より畏れ多くも皇室の藩塀としてお支えさせてい
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4章 14

「ではみなさん、しめっぽい話はこれまで、飲みましょう! グラスをお受け取りくださいな。さ、誠二さんもいらして」 「あ、ああ……えーと」   行って何をしろと? 謝罪?  不味い酒になりそうだ。   と、道中聖子がくるりと身をひるがえし、自身の姿を見せつけてきた。 「兄者、どう?」 「お前、その格好……」   メイド服着てどうするんだよ。しかもわざわざ掃除が終わってから着替え直したのかよ。こいつもまたバカなんじゃなかろうか。 「せっかくだから七岸さんと同じにしてみた! ほら、制服は沢山余ってるし!」 「にぃー」 「うりっちも喜んでる」 「はは……ま、いいや、じゃあさつきさんと聖子は給仕を頼むよ。あとお父さんとお母さんもよろしくお願いします」 「「はい、わかりました」」   二人はきちんとした格好だがスーツと着物で、当然メイド服など着ていない。当たり前である。だいたいさつきさんだって着物姿だ。聖子がおかしいんだ。   さて、俺は各界の名士たちに頭を下げる仕事を始めよう。正直気が重い。彼らはみんな爵位持った華族様なんだぜ?  怖いよ。俺平民の息子だし。   ――と、その時。 「く……あ……っ! いけない……な、なにこれ……っ!」 「さつきさん!?」   しまった! 今までなまじ順調だった分心の隙が! 「我が最後の力、思い知れ。何が何でも、余は生き残らねばならぬ!」   声までしやがる。黒い影が出てくる。名士たちが何事だとざわざわ声を立て始めた。 「く……この状況で、最後の抵抗か、サトラレが……上等じゃん」   でも、だからどうした? そういう状況だからこそ、俺は燃えるんじゃないか。今までも荘だったように、これからもそうなんだ。   俺は市川誠二! ミスター完璧超人をめざす魂!  いかなる困難もこの鍛えられた知能と体力と精神力で撃砕するのみ!   いくぞ、サトラレ! 「誠二……様……」   さつきさんがうずくまりだす。霊体はどんどん濃く、大きくなっていく。   さらに念波
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4章 15

「はぁ……ん……あ……はぁ……はぁ……」 さつきさんの荒い吐息。ぐったりと倒れそうになるのを俺は抱きかかえて防ぐ。 念波はもう聞こえてこない。彼女の心の声も響かない。 「やった、倒した……のか?」 確証はないが、おそらくはそうだろう。 と、メイド服をまとった聖子が俺のもとまで駆け寄り、ぽんと、背中を叩いてくる。 「強敵だったね、兄者……」 「さつきさん、サトラレは……ある?」 さつきさんは俺から離れると深呼吸を一つして、自分の体をまさぐり出す。 「え、えーと……あ……出ない。浸食を感じない……。あ、いえ、聞こえますか? 私が何て思ってるか、わかりますか?」 声? 何か言っているのか? 俺は耳を澄ませてみる。だが、何も聞こえない。 念のため聖子の方を向く。彼女は強く首を振った。それは、つまり―― 「聞こえない。聞こえないよさつきさん!」 「誠二様!」 手をぎゅっと握りあい、喜びを分かち合う。 周囲にいる名士たちが何事とばかりに目をぱちくりさせている。 「今だ、告白するには今だ、今しかない!」 既成事実を作る絶好のチャンス。これを逃してはならぬ。 「言うぞ……言うぞ……今は各界の名士も集まっている……今なら祝福……」 あれ? 何故だろうか。動機が激しくなってきた。 息が荒い。汗がにじむ。体がかっかして、耳など火傷しそうだ。 どうして? なんで? ホワイ? 「…………」 さつきさんが冷たい目でじっと俺を見つめている。不安と失望が双眸にありありと浮かんでいるのがわかる。 「言うぞ……言うんだ……勇気を出せ、市川誠二!」 俺は必死に自分に言い聞かせ、大きく息を吸って。 「あ、あの……その……さ、さつきさん……う、うぽお」 うぽおってなんだようぽおって! 「兄者……」 「誠二さん……」 気づくと、聖子と鈴子さんも非常に冷ややかな、南極みたい
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終章 実は悪い子なんです 1

冬休みが間近に迫った十二月中旬。少しだけ薄い雲のかかった青空。今日は風も吹いておらず、透徹しつつも穏やかな空気が支配する中、俺はのんびりした足取りで家を出た。 さつきさんはいつものようにメイド服を身にまとい、俺の見送りをしてくれている。 サトラレを征伐して早三日。さつきさんは市川家近くの借家で家族三人暮らしている。  でも、離れ離れじゃない。 「じゃあこれからは通いで奉公してくれるんだ」 俺が鞄をブランコのように振りながら声を弾ませると、さつきさんは優しく微笑みながら指を七本立てる。 「はい。やはり借金問題は……まあ入地さんの口添えで解決しましたけど、生活が苦しいのは変わりませんし、元は私のせいですから、助けるために夜の七時まで」 「家族団らんは?」 「ですから七時までです。夜は家に帰って、ですね。両親も私と一緒がいいみたいですし。いずれミルクホールを再建させられるように」 「なんていい子なんだ! それでこそ俺が愛しただけはある……」 別に家族団らんするだけでいい子かどうかなんてわかりゃしないのだが、こういうのは理屈ではないのである。俺のハートに眠る熱いパトスがうずく! それで十分だ。 「えへへ」 ほら、このようにさつきさんの笑顔を見ると、俺は言ってよかったと思えるのだ。 と、その時。 (いい調子だな……このまま続けば……) 念波が、声とは違うさつきさんの声が、俺の脳に直接響き渡った。 「っ!? あ、あれ、今、サトラレが発動しなかった!?」 「な、なんのことでしょう」 さつきさんは目を反らすが、 (ゲ……も、もうバレた……。やっぱり心の声は隠せないよう) またしても音とは違う言語が、脳の隅々を電気のように駆けめぐった。 わからない。理解出来ない。天を仰ぐとそこには青空があった。なんて無神経な空だ! 「ちょっと待ってくれ! サトラレはちゃんと征伐したじゃないかっ!」 ダメだ、冷静になれない。なんでサトラレが発生しているんだ。あり得ない。
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