Todos los capítulos de 身代わりお見合いの花嫁〜冷徹社長は偽りの愛を見抜いている〜: Capítulo 41 - Capítulo 50

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第41話 妨害

月曜日の朝。出社前の、まだ頭が完全に覚めていない時間だった。スマホが震え、画面に城島さんの名前が表示される。『澄川奈緒さんという方に、心当たりはありますか』唐突な問いだった。心当たりはない。でもその名前を、どこかで聞いた気がした。満員電車に揺られながら、スマホの検索窓に『澄川奈緒』と打ち込む。澄川産業、令嬢、実業家──そういった言葉が並ぶ中に、一つだけ心臓を冷やす記述があった。かつて、黒瀬柊氏の婚約者と目されていた──。記事の日付は、二年前。正式な婚約発表の後、わずか数ヶ月で『婚約破棄』となったらしい。理由は書かれていなかった。写真の中の彼女は、華やかで、隙のない美しさを持っていた。スマホを握りしめたまま、思考が止まる。婚約者。その言葉が、胸に一本、細い針を刺したように痛んだ。柊さんから、そんな話は一度も聞いていない。聞けるはずもなかった。胸に刺さったものが、抜けないまま、少しだけ奥へ沈んだ。関係ない。今は関係ない。そう自分に言い聞かせてスマホをポケットにねじ込み、会社の自動ドアをくぐった。◇状況がわかってきたのは、その日の午後だった。村田さんに呼ばれて会議室に入ると、部長の顔がかつてないほど硬かった。「黒瀬グループのコンペの件だが」部長が言った。「はい」「先方から、一度保留にしたいという連絡が入った」「……保留、ですか」「匿名で、信頼性に関わる情報提供があったらしい。担当プランナーのお前と、黒瀬社長が私的な関係にあるという話だ」──『準備、できてるから』って、もしかしてこのことだったの?金曜日の夜の姉の言葉が、鮮烈に繋がった。同時に、もう一つの記憶が蘇った。あのビルの柱の陰で聞いた声。『黒瀬グループ側にも、根回しは済んでいる』。あの人だ、と直感した。姉だけでなく、あの男も、どこかでこの妨害に関わっているのかもしれない。
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第42話 逆転

追加プレゼンの当日、会議室に入ると担当者が二人待っていた。冒頭、私は一言だけ言った。「私と黒瀬社長の関係については、お答えする立場にありません」担当者の目が、わずかに動いた。「ただ、今日ここにいるのは広告プランナーの西園寺柚葉です。仕事の内容だけで判断していただけますか」沈黙が、三秒ほど続いた。担当者が「……続けてください」と言った。◇最初の一言を言った時、担当者の目が変わったのがわかった。私的な関係を持ち出さない、仕事だけで向き合うという宣言。それが伝わった瞬間の、空気の変化を感じた。あとは、話すだけだった。今日のために準備してきた言葉を、一つずつ置いていく。これまで掴んできたものを、全部今日のために使った。プレゼンが終わった時、担当者が小さく頷いた。「わかりました」その一言を聞いた瞬間、これまでの数日間の緊張が、ようやく解けていく感覚があった。◇数日後、案件獲得の連絡が入った。『西園寺さん、正式に御社のプランで決定いたしました』受話器越しにその言葉を聞いた瞬間、全身の血が一気に駆け巡るような感覚がした。「……ありがとうございます!」と、声を絞り出すのがやっとだった。電話を切ってから、しばらくスマホを強く握りしめたまま、その場から動けなかった。コネと思われていた。裏では、担当変更の話もあったと聞いた。それでも自分の言葉で話し続けた結果が、今日、最高の形で届いたのだ。込み上げてきたのは、涙が出るほどの熱い喜びだった。視界が少し滲んで、息がうまく吸えないくらい、胸がいっぱいになる。誰かに、この喜びを伝えたい。いま、この瞬間の声を届けたい。真っ先に脳裏に浮かんだのは──他でもない、あの人の顔だった。スマホを取り出し、震える指で柊さんに短いメッセージを送った。『コンペ、獲
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第43話 母親という壁

日曜日の朝、母からメッセージが届いていた。『今日、顔を見せなさい』それだけだった。用件も、時間も書いていない。いつも通りだった。しばらく前から何度も呼び出されていたのに、コンペの忙しさを理由にずっと断り続けてしまっていた。だけど、無事に案件も獲得できた今、これ以上引き延ばす言い訳は見つからなかった。◇実家までの道のりは、いつもと同じだった。商店街を抜けて、見慣れた門の前に立つ。呼び鈴を押すと、母がすぐに出てきた。「あら、柚葉。来たのね」促されてリビングへ向かいながら、廊下の飾り棚を何気なく見た。祖父の書斎にあった硯と筆が、また一つなくなっている。聞かなかった。聞いても、答えは変わらない。座卓には、もうお茶とお菓子が用意されていた。◇最初のうちは、他愛のない話が続いた。近所の誰それが嫁に行った、向かいのお宅が引っ越した、スーパーの特売が良かった。私は相槌を打ちながら、冷めかけたお茶を飲んだ。「そういえばね」母が、お茶をひと口飲んでから言った。「真帆の元カレの雅人さん、黒瀬グループの取引先に勤めてるらしいのよ」──元カレ。その言葉が、頭の中で一度だけ引っかかった。以前、姉には交際している男性がいると聞いていた。いつだったか、『今の彼との話をまとめるまで』という言葉も聞いた気がする。なのに最近、その話が出てこなくなっていた。あの時の姉の、不自然に泳いでいた目が思い出された。「だから、真帆もいろいろ耳に入るみたいで。黒瀬さんのこととか」取引先というだけの繋がりで、そこまで内部の話が姉に届くものだろうか。元カレ、という言葉が本当なのか方便なのか、まだわからないけれど。どこかに、まだ二人を繋ぐ糸が残っているような、そんな気配がした。「……その人、真帆お姉ちゃんと、まだ連絡取ってるの?」声が、思ったより硬くなった。「あら、
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第44話 真帆お姉ちゃんの笑顔

電車の中でスマホを見ながら、私は今日の実家でのことを思い出していた。雅人という名前。澄川奈緒という名前。二つが同時に頭の中で渦を巻いて、うまく処理できない。気づけば、別の記憶が浮かんでいた。幼い頃の姉の話だった。◇私が十歳、姉の真帆が十二歳の頃。ピアノの発表会の日のことだ。会場は近所の古びた公民館で、観客のほとんどが親族や近所の知り合いだった。姉の出番が来ると、会場の空気が変わった。ステージに上がった姉は、一音も外さずに弾ききった。鍵盤を叩く指先から、ペダルを踏む足元まで狂いがない。終わると、客席に向かって練習通りの完璧な笑顔を作ってみせた。最後の音が消えた瞬間、母は身を乗り出して、千切れんばかりの拍手を送っていた。「真帆は、本当に出来た子。あなたがいれば、西園寺の家も安心ね」母は、姉の頭を何度も撫でながら、周囲に聞こえるような声でそう言った。私の出番は、その後だった。同じ曲を、同じ先生に教わって弾いた。けれど緊張していた私は途中、鍵盤の上で指が一瞬もつれてしまった。息を呑むような静寂が、耳に刺さる。慌てて弾き直したけれど、客席の最前列を見ると、母はあからさまにつまらなそうな顔で腕時計を見ていた。その時、少しだけ思った。お姉ちゃんみたいに上手だったら、母はあんな顔をしただろうか。考えても、答えは出なかった。◇帰りの車の中、姉の横顔は、発表会のご褒美に貰った大きな花束に半分埋もれていた。けれどその目は、ちっとも嬉しそうではなく、ひどく冷めていた。「お姉ちゃん、すごく上手だったよ」声をかけても、姉は私の方を見ようともしなかった。「失敗したら、終わりよ」誰にも聞こえないような小さな声で、姉が呟いた。幼かった私には、その言葉の意味がわからなかった。家に戻ってしばらくして、母が姉の肩に手を置いた。「将来、あなたがこの家の顔になって、立派なところに嫁ぐのよ。柚葉は…
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第45話 休日の電話

五月の第三週、週末の午後。仕事の資料を広げたまま、私はソファに座り込んでいた。デスクに向かうほどの集中力はないけれど、何もしないでいる気分でもない。中途半端な休日だった。画面に目を落としながら、ぼんやりと考えていた。澄川奈緒からのメッセージに、まだ返信していない。どう答えるべきか、答えを出せないまま数日が経っていた。『一度、お話できませんか』何度も読み返した文面なのに、返す言葉が見つからなかった。会えば何かが動く。会わなければ、何も解決しない。どちらに進んでも、楽にはなれない。資料のページをめくる手を、何度も止めた。集中できないまま、午後の時間だけが過ぎていく。そんな時、スマホが鳴った。メッセージではなく、着信だった。画面に表示された名前を見て、一瞬だけ手が止まる。柊さんからだった。「……もしもし」『柚葉さん、今よろしいですか』「はい」『よかった』それだけ言って、少しの間があった。「……珍しいですね。電話」『メッセージより早いと思いまして』「それで、何か」『特には』特には。声に出しそうになって、止めた。この人は、何のために電話をかけてきたんだろう。「……特には」『ええ』「用事がないのに、かけてきたんですか」『そうなりますね』答えながら、柊さんの声がいつもより軽い気がした。会議室でも、車の中でもない、どこかゆったりとした声だった。思わず、笑ってしまった。『笑いましたね』「すみません」『いえ』笑ったことを怒るでも、気にするでもなく、ただ事実として確認した。それがまた、おかしかった。澄川奈緒からのメッセージに頭を悩ませていたことが、この数分でどこかに薄れていく気がした。◇それからしばらく、他愛のない話が続いた。
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第46話 私が選んだ人

『来週の土曜日、黒瀬グループ関連の夜会があります。よければ、一緒に来ませんか』「一緒に」という言葉に、少し間があって、了承した。普通のお見合いや食事とは違う。「一緒に」という言葉は、私をどういう立場として連れて行くつもりなのか──そう考えかけて、考えるのをやめた。行くと決めたんだ。それだけで良い。城島さんからも、別に一言届いた。『土曜日は、澄川様もいらっしゃる予定です』その名前の意味を、私はまだ知らなかった。◇土曜日の夕方、姿見の前で何度も自分を確認した。ワインレッドのドレスは、葵と一緒に選んだものだった。デパートの試着室で、何着も並べては悩んだ午後を思い出す。『柚葉が自分で選ぶの、珍しいじゃん』と笑われながら、結局この色に決めた。『似合ってるよ、ほんと』葵はそう太鼓判を押してくれたけれど、いざ今夜、姿見の前に立つと、その言葉を素直に信じ切れずにいた。誰かに着せられた色じゃなく、自分で選んだ色。髪は緩く巻いて、後ろでまとめた。普段は触れない位置で留めたピンが、少し落ち着かない。何度も手をやりそうになるのを、意識して止めた。柊さんから送られてきたメッセージには『正式な場になります』とだけ書かれていた。その短さが、かえって今夜の重さを物語っている気がした。玄関で靴を履きながら、もう一度スマホの画面を確認した。返信は、まだない。緊張しているのは、私だけではないのかもしれない。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。タクシーの中、窓の外を流れる街の灯りを眺めながら、これから起こることを想像しようとした。でも、うまく像を結べなかった。姉としてでも、柚葉としてでもない、まだ名前のない何かとして、その場に立つことになるのかもしれない。◇会場は、都心のホテルの大広間だった。重厚な扉が開いた瞬間、目も眩むような光の波が押し寄せてきた。シャンデリアの光が、磨かれた大理石の床に反射している。贅沢な生花の香りと、高価な香水の香りが混じり合
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第47話 ワインレッドの意志

静まり返った大広間の空気を破るように、軽やかな声が降ってきた。「初めまして。黒瀬朔です」振り返ると、そこにいたのは柊さんに似た顔立ちの、全く違う空気を纏う男性だった。どこか掴みどころのない、悪戯っぽい笑みを浮かべている。「いつも、兄がお世話になってます」「朔」柊さんが割り込んだ。聞いたことのないほど、低く尖った声だった。「余計なことは言うな」「まだ何も言ってないのに。あー、怖い怖い」朔さんは大げさに肩をすくめると、私に向かってそっと身をかがめ、小声で囁いた。「兄、今日ずっとあなたのこと目で追ってましたよ。あんな顔、仕事じゃ絶対見せないのに」そう耳打ちして、ひらひらと手を振りながらすっと離れていった。去り際、周囲の令嬢たちに軽く声をかけて回る姿は、兄とは正反対の社交性を感じさせた。「……何を言われた」柊さんが、怪しむように私を見下ろしてくる。『目で追っていた』という言葉が頭の中でリフレインして、急に顔が熱くなった。「な、なんでもありません」「……そうか」疑うような視線を向けられつつも、私は意識して前を向いた。柊さんの大きな体が隣にあるだけで、周囲の好奇の視線が少しだけ遠のく気がした。すぐ横に、いつの間にか城島さんが来ていた。「奈緒さんの背後には、澄川産業があります。今夜は、その代理としての出席です。ご記憶に留めておいてください」いつもの気遣いとは違う、実務的な一言だった。ただ味方だと言われるより、この場の意味を正確に教えてくれることの方が、今の私には必要だった。「澄川産業、というのは」「アパレルと、化粧品を中心とした事業を展開されています。黒瀬グループとは、以前から取引があります」淡々とした説明に、頷くことしかできなかった。個人的な因縁と、会社同士の繋がり。その両方が絡み合っている場に、自分が立っていることを、改めて実感した。会場の奥、
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第48話 初めてのキス

「黒瀬……社長……」取り巻きの女性が引きつった顔で後退る。柊さんは彼女を一瞥すると、そっと私の汚れた袖に触れた。「……すまない。俺が目を離したばかりに」柊さんが、周囲に聞こえない声で言った.「柊さんのせいじゃありません。それに、自分でちゃんと言えましたから」「俺のジャケットを」「いいです」強がる私をじっと見つめると、柊さんは静かに自分のジャケットを脱ぎ、私の肩へと優しくかけた。彼の上着から漂うほのかな香木と体温に包まれ、強張っていた体がふっと温まる。「行きましょう、柚葉さん」柊さんが私の背にそっと手を添えて、促すようにエントランスへと向かった。背後で奈緒さんの息をのむ気配がしたけれど、私はもう、一度も振り返らなかった。◇喧騒が遠のいたホテルの長い廊下。柊さんの手が、私の背中から離れた。「……ありがとうございます」「礼は不要です」遮るような声だった。怒っているのか、心配しているのか、わからなかった。柊さんの目は、ただ私だけを見ている。「今夜はもう、帰りましょう」「でも、まだパーティーは……」なぜか、帰りたくなかった。柊さんが『彼女は、私が選んだ人です』と言ったあの瞬間も、肩にかかったジャケットの重みも、すべてがこの夜の中に溶けてなくなってしまう気がした。「帰りましょう」「……はい」もう一度促され、私は小さく頷くしかなかった。◇車を待つ間、ホテルの車寄せの少し外れた場所で、私たちは二人きりになった。会場の華やかな音は、もうここまでは届かなかった。遠くの幹線道路を走る車の音が、波のように引いては返していく。柊さんが隣に立っている。いつもより、ずっと近い距離だった。「今夜の柚葉さんは」沈黙を破ったのは、柊さんだった。「綺麗でした」その言葉が、思いがけない場所に真っ直ぐ落ちてきた。お
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第49話 眠れない夜

──それでも、私は逃げ出さずに、ここに立っていた。「……お見合いの、身代わりの……演技じゃないですよね」震える声で、ようやくそれだけを紡ぎ出す。「そんな演技ができるほど、俺は器用じゃない」そう言って、彼は私の髪を一度だけ撫でた。ワインレッドのドレスの袖には、まだ濡れた跡が残っている。それでも不思議と、もう嫌な感触ではなかった。「送ります」「……はい」今夜だけは、強がることも、断ることもしたくなかった。初めて、自分からそう思えた夜だった。◇パーティーから帰った夜、私は一人だった。ドレスのままベッドに座って、膝を抱えたまま、ぼんやりと壁を見つめていた。嬉しかった。間違いなく、胸が張り裂けそうなほど嬉しかったはずなのに。なのに、眠れなかった。目を閉じるたびに、頭の中に澱のような別の問いが浮かんできて、胸をかき乱す。──あの人の感情は、本当に『私』に向けられたものなのだろうか。柊さんは三年間、倒れた祖父・誠一郎さんを助けた恩人を探し続けていた。その相手が私だと知ったから、彼は私に近づいた。関係を続けたのも、最初は義務感や恩義からだ。でも、これまでのあの人の気遣いに、嘘があったとは思いたくない。「逃げられたくなかった」と言った時の、あの余裕のない真剣な顔も。あれがすべて、恩返しという名の演技なのだとしたら、私にはもうそれを見極める術はない。正直に言えば、その夜のことを、私はほとんど覚えていない。誰かを助けたという実感すら、記憶の中では輪郭がぼやけている。当時の自分がどれほど追い詰められていたのか、今になってようやく分かる気がした。名前も聞かず、誰かの手を離してそのまま夜の中へ駆け出していった──それくらいしか、思い出せない。もしも本物の恋心だと信じてしまって、あとから全部「恩義からの錯覚だった」と突きつけられたら──その絶望を想像す
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第50話 柊の風邪

既読がついたまま、返信のない画面を何度も確認してしまう夜だった。画面に浮かぶ二文字を見つめながら、様々な悪い想像が頭を駆け巡る。重い言葉を送りすぎてしまったのだろうか。それとも、あのキスはやはり一時の迷いで、返答に困らせているのだろうか。結局、一睡もできないまま朝を迎え、仕事中もスマホの通知ばかりが気になって集中できなかった。◇昼過ぎ、城島さんからメッセージが届いた。開く前に、少しだけ深呼吸した。『西園寺さん、社長からご連絡差し上げる予定でしたが、本日から社長が体調不良でお休みをいただいておりまして』それを読んで、昨夜の「既読」の意味が、ようやく腑に落ちた。無視されたわけじゃなかったんだ。安堵と同時に、胸の奥がキュッと締めつけられるような心配が押し寄せる。私はすぐに返信した。『体調不良って、どの程度ですか?』『風邪です。発熱があるため、本日は大事をとってお休みをいただいております。過度なご心配には及ばないかと存じますが』私は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。いつも隙がなく、完璧な自己管理をしているあの人が、熱を出して寝込んでいる。お見舞いに行くべきか、迷った。突然押し掛けるのは、非常識かもしれない。私たちはまだ、そういうことを許し合える関係ではないのかもしれない。断られたらどうしよう、という臆病な気持ちも確かにあった。けれど──あのパーティーの夜、頬を包んでくれた手のひらの熱が、まだ肌に残っている。気づいたときには、指が勝手に動いていた。『行きます』そう送ると、城島さんからすぐに返信が届いた。『ありがとうございます。エントランスを解錠しておくよう、お伝えしておきます』◇会社を定時で上がり、スーパーとコンビニで必要なものを買い込んで、私は柊さんのマンションへ向かった。ビニール袋の中には、お粥の材料とスポーツドリンク、冷却シート。それから、何となく手が伸びたプリン
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