All Chapters of 結婚式当日、妹と寝た婚約者を退け、叔父の妻となる: Chapter 131 - Chapter 140

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131話「真衣と灯の話」

 休日の午後、瑠衣は真衣と駅近くのカフェに入った。窓際の席は空いていたが、真衣は奥の二人席を選んだ。注文を済ませると、真衣は水の入ったグラスを指先で回した。何度か口を開きかけて、やめる。瑠衣は急かさずに待った。「この前、連絡したでしょ」「うん」「ちょっと話したくて」 真衣はストローの袋を細く折った。テーブルの端に置いてから、瑠衣を見る。 真衣はメニューを閉じたあとも、しばらくテーブルの上を見ていた。瑠衣は向かいの横顔を眺める。以前なら、瑠衣の方から何か聞いていたかもしれない。けれど今日は、真衣が自分で話し始めるのを待った。「最近、前ほど連絡もしてないんだ」「忙しいの?」「それもある。でも、たぶんそれだけじゃない」 真衣は水を飲んだ。グラスを置くとき、底が小さく鳴った。「会えば普通なんだけどね」「うん」「だから、私も普通にしてる」 瑠衣は頷いた。真衣の手元には、折り目のついたストローの袋が残っていた。真衣はそれを丸めずに、指で平らに伸ばしている。「一緒にいるけど、なんか遠いんだよね」「そう」 瑠衣はカップを持ち上げた。まだ熱かったので、口をつけずに戻す。「うん。でも、一緒にいる」 真衣はそう続けて、窓の外へ目を向けた。駅前を歩く人が何人も通り過ぎる。真衣はその中を眺めてから、また瑠衣へ視線を戻した。「別に、嫌になったわけじゃないの」「うん」「だから余計に、どうしたらいいのか分からなくて」 真衣は笑おうとして、少しだけ口元を動かした。瑠衣は何も返さず、テーブルの上の水へ手を伸ばした。グラスを一度持ち上げて、静かに置く。「前みたいに話せる日もあるんだけどね」「そうなんだ」「でも、ふとしたときに遠いなって思う」 真衣はそこで言葉を止めた。瑠衣は頷いた。「真衣はどうしたいの?」 真衣はすぐに答えなかった。折っていたストローの袋を広げ、今度はきれいに二つ折りにする。「分からない」 その声は小さかった。けれど、真衣は俯か
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132話「名前のついた気持ち」

 月曜日の朝、瑠衣はいつもより少し早く席についた。鞄から資料を取り出し、昨日までに確認した箇所へ付箋を貼っていく。紙の端を揃えて机の右側へ置くと、次の束を開いた。朝のフロアにはまだ人の出入りが少なく、コピー機の音だけが遠くで続いている。「遅いけど」  真衣の声が、帰り道からそのまま残っている。資料の数字を追っている途中でふと浮かび、瑠衣は一度だけ手を止めた。ペン先を紙から離し、机の端に置いた本へ目を向ける。けれど開くことはせず、資料へ戻った。  数字を一つずつ確認する。昨日なら迷った箇所も、今日は線を引いて整理できた。付箋の位置を直し、確認済みの紙を重ねる。窓の外では車の音が途切れず続いていた。瑠衣はその音を聞きながら、最後の一枚まで目を通した。終わった資料を閉じると、次の仕事へ手を伸ばした。机の上が少しずつ整っていく。瑠衣は椅子を引き直し、画面に表示された次の資料へ目を移した。  午後、瑠衣は確認を終えた資料をまとめて灯の机へ持っていった。数枚の紙を重ね直し、抜けがないことを確かめてから差し出す。灯は受け取った資料を一枚めくり、目を通してから瑠衣へ戻した。「ありがとうございます」「いえ」  それだけのやり取りだった。瑠衣は資料を抱え直そうとして、灯の視線がまだこちらにあることに気づいた。ほんの少しだけ長い。いつもなら次の仕事へ戻るまでの短い時間だったのに、今日はそのまま数秒が過ぎた。  瑠衣は何も変えずに資料へ目を落とした。紙の上に並んだ数字を追い、赤い印のついた箇所を指先で押さえる。背中に向けられた視線を確かめることはしなかった。灯の机の上には読みかけの本が一冊あり、その横に先ほどの資料が置かれている。瑠衣はそれを見て、必要な書類だけを抜き出した。「こちらは午後の分です」  資料を一枚ずつ揃えて机へ置く。灯は短く頷いた。瑠衣は手元を整え、空いたファイルを抱え直す。視線を上げる代わりに、紙の端を指で揃えた。ファイルを閉じる音を確かめてから、瑠衣は自分の席へ戻った。歩きながら、先ほどの数秒を振り返ることはしなかった。  土曜日の朝、玄関のチャイムが鳴った。瑠衣は手を拭いてから玄関へ向かい、扉を開ける。灯はいつものように靴を脱ぎ、決
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133話「あなたのことを話すとき」

 平日の午後、瑠衣が資料の整理をしていると受付の方から声が聞こえた。顔を上げると唐沢莉子が入口に立っていた。以前にも何度か見かけた姿だった。受付の藤堂と短く挨拶を交わし、来訪の手続きを済ませている。 唐沢は手にした鞄を持ち直すと、奥へ目を向けた。案内を受けて応接室へ向かう途中で瑠衣と視線が合い、軽く会釈する。瑠衣も手を止めて頭を下げた。唐沢はそのまま廊下の向こうへ進んでいった。以前に会ったときと同じように、迷いのない足取りだった。 今日は少し長い用件らしい。応接室の扉が閉じてからも、しばらく人の出入りはなかった。瑠衣の席からは中の様子は見えない。声もほとんど聞こえず、ときおり廊下を歩く社員の足音が響く程度だった。 瑠衣は手元の資料へ視線を戻した。数字を照合し、確認の済んだ箇所に印をつける。次の書類を引き寄せたところで、机の隅に置いた付箋が目に入った。指先で端を押さえ、剥がれかけた部分を貼り直す。それからファイルを開き、残っている仕事を順に片づけていった。時計を確かめると、昼休みまではまだ時間があった。 昼を過ぎた頃、応接室の扉が開いた。瑠衣は資料をファイルへ戻していたところだった。廊下へ出ようと顔を上げた唐沢と、ちょうど曲がり角で鉢合わせる。「あら」 唐沢が足を止めた。瑠衣も抱えていたファイルを持ち直す。「また来てしまったわ」「いえ、いつでも」 唐沢は少し笑った。来るたびに交わす挨拶と大きく変わらないやり取りだったが、今日はすぐに立ち去らなかった。手にした鞄の持ち手を直し、瑠衣の顔を見ている。「江品さん、少し時間ある?」 瑠衣は腕の中のファイルへ目を落とした。急ぎの仕事はなかった。次の予定を頭の中で確かめてから、ファイルを自分の机へ戻しに行く。机の上に置き、開いたままのページを閉じてから上着を取った。「はい。大丈夫です」「よかった。ちょっとお茶でもどうかしら」 唐沢はほっとしたように肩の力を抜いた。瑠衣は上着を手に取り、受付の藤堂へ外出することを伝えてから唐沢の後を追った。 近くのカフェは昼の混雑が落ち着き、窓際の席がいくつか空いていた。二人は奥のテーブルにつき、それぞれ飲み物を注文
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134話「選んでいる」

 月曜日の朝、瑠衣は机に資料を広げ、前週から残っていた確認作業に取りかかった。数字を照らし合わせ、違いのある箇所に印をつける。確認済みの紙を右へ寄せ、次の束を手前に引いたところで、唐沢の声がふいに浮かんだ。 言葉が丁寧。選んでる感じ。 瑠衣はペン先を止め、資料の端を揃え直した。唐沢は何度も灯と仕事をしてきた。その人が気づいた変化を、瑠衣は自分の知らないところから聞いたのだった。紙をめくる音が続く。瑠衣は付箋を貼り、確認した数字をもう一度見直した。 廊下の向こうから足音が近づいてきた。顔を上げると灯が通りかかり、瑠衣の席の横でわずかに歩みを緩めた。「お疲れ様です」「ええ」 それだけだった。灯はそのまま先へ進み、瑠衣は視線を資料へ戻した。ペンを持つ指に少し力が入り、線が予定より濃くなる。瑠衣はその箇所を見つめたあと、別の紙を重ねて仕事を続けた。 午後、瑠衣は整理を終えた資料を持って灯の机へ向かった。棚の前には古いファイルがいくつか並び、背表紙には年度が記されている。灯は手元の書類を閉じて顔を上げた。「この棚の資料は、古い順に並べてもらえますか」「はい」 灯が棚を示す。瑠衣はファイルの背表紙を確かめ、年度の順番を目で追った。手前にあるものをいったん机へ移し、奥の分を取り出す。並べ替えるだけなら難しい作業ではない。どこまで整理すればいいのか確認しようとしたところで、灯がもう一度口を開いた。「急ぎではないので、他の作業が終わってからで構いません」「分かりました」 瑠衣は返事をしてから、手元のファイルを抱え直した。急ぎではない。そう伝えるだけなら、もっと短くてもよかったはずだ。けれど灯は、ほかの仕事を優先してもいいと、わざわざ言葉を添えた。 いつもそうだったのか。今日初めて気づいたのか。分からない。 瑠衣はファイルを棚へ戻し、年度の順に一冊ずつ並べ始めた。背表紙の高さを揃え、番号を確認する。作業が終わる頃には、棚の中がすっきりと整っていた。最後の一冊を押し込み、瑠衣は手のひらについた埃を払ってから自分の席へ戻った。 土曜日、瑠衣は灯が来る前に湯を沸かし、二つのカップをテーブルへ並べた
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135話「後押し、完結」

 平日の午後、瑠衣のスマートフォンに唐沢からメッセージが届いた。画面には短い文が二つ並んでいる。『今日、灯火書房に寄ります』『少し話せますか?』 瑠衣は入力欄を開いたまま、しばらく返事を考えた。唐沢と話すのは久しぶりだった。前に会ったときの言葉を思い返そうとしても、いくつもの会話が重なって、どこから確かめればいいのか分からない。結局、余計なことは尋ねずに返した。『はい』 午後の仕事がひと段落した頃、受付から唐沢が来たと知らせがあった。瑠衣が廊下へ出ると、唐沢は受付のそばで鞄を持ち直していた。いつものように身なりが整っていて、顔には柔らかな笑みがある。「お仕事中にごめんなさいね」「いえ。こちらこそ、お待たせしてすみません」「少しだけ、外で話せるかしら」 唐沢は建物の脇にあるベンチへ目を向けた。瑠衣は頷き、彼女の後について外へ出た。午後の風は少し冷たく、植え込みの葉を揺らしている。ベンチの周りには人影がなく、窓越しに見える社内では、誰かが資料を抱えて通り過ぎていった。 二人で腰を下ろすと、唐沢は鞄を膝の上に置いた。すぐに話を始める様子はなく、しばらく建物の窓を眺めている。瑠衣も急かさずに待った。唐沢がここへ来た理由を聞きたい気持ちはあったが、先に口を開くと、聞くべきことまで変わってしまいそうだった。「江品さん、私ね、もうあなたに何か言うのはやめようと思って」 唐沢の声は穏やかだった。瑠衣は膝の上で両手を重ねた。「……どうしてですか?」「もう十分だと思うから」「十分?」「ええ。あとはあなたと灯さんの話だから」 唐沢は瑠衣へ顔を向け、口元を少し緩めた。いつもの親しげな笑みだったが、何かを教えようとする気配はなかった。以前なら、瑠衣が気づいていないことを見つけて、遠回しに背中を押してくれたかもしれない。けれど今は、ここから先へ踏み込むつもりがないのだと分かった。「私が入る場所じゃなくなった」 瑠衣は返事をしなかった。膝の上で重ねていた指が、わずかに動く。唐沢の言葉を否定したいわけではない。けれど、その言葉をそのまま受け
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136話「いろいろの中身」

 土曜日の午後。窓から差し込む光が机の端まで伸びていた。瑠衣は読みかけの本を開き、しおりを挟んだページを確かめる。いつもと変わらない時間が近づいていた。 玄関の呼び鈴が鳴り、瑠衣は本を閉じて立ち上がった。扉を開けると灯が立っている。いつもの挨拶を交わし、二人で部屋へ入った。灯は鞄を所定の場所に置き、上着を整えてから椅子に腰を下ろす。瑠衣が用意していた本を手に取ると、表紙を確かめてページを開いた。 瑠衣も向かいの席に座った。先週、唐沢と話したときのことがふと頭をよぎる。 それがあなただったってこと。 ベンチで聞いた言葉は、仕事をしているときにも思い出すことがあった。今ここにいる灯を見ても、何かが急に変わったわけではない。ページをめくる指も、文章を読むときの横顔も、いつもと同じだった。それでも瑠衣は、開いた本へ目を落とす前に灯の顔を確かめた。 今日は、以前から気になっていたことを聞いてみよう。瑠衣は指先でページの端を押さえ、本を開いた。 瑠衣は本の背をそっと撫でた。聞きたいことを考えるたび、先に浮かぶのは質問の形ではなく、灯が話を終えたあとの沈黙だった。答えを求めるだけではなく、話してくれる時間を急がせないようにしたかった。だからこそ、今は余計な言葉を足さずに待とうと、ページの端を指で押さえ直した。 しばらく二人は黙って本を読んだ。紙をめくる音が交互に響き、窓の外から遠く車の走る音が届く。瑠衣は同じ段落を二度読み返したあと、文字を追うのをやめた。指をページに添えたまま、向かいにいる灯へ視線を向ける。「灯さん、一つ聞いてもいいですか」 灯が本から顔を上げた。「はい」「前に、『いろいろありました』って言いましたよね」 瑠衣は一度言葉を切った。あのとき灯は、詳しい話をしなかった。瑠衣もそれ以上は尋ねず、二人の間には別の話題が流れていった。ずっと気になっていたのに、今まで同じように本を読んで過ごしてきたのだ。 灯の指がページの上で止まった。「はい」「その『いろいろ』のことを、もう少し聞かせてもらえますか」 声に出してみると、思っていたより静かな問いになった。瑠衣は返事を待ちながら、開
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137話「新しい家族」

 土曜日の午後、瑠衣は湯を沸かしながら窓の外を見た。先週と同じ時間に、灯が来る。あの日、灯は父に新しい家族ができたことと、祖父が何も聞かずに迎え入れてくれたことを話した。最後に聞いた「それで十分でした」という言葉が、まだ耳に残っている。けれど、続きを尋ねるために今日の時間を用意したわけではなかった。話すかどうかを決めるのは灯自身だ。 瑠衣は台所で湯呑みを二つ並べたとき、先週の灯の手元を思い出していた。閉じた本に置かれた指と、話す前に落とされた視線。あのとき聞いたことを、もう一度確かめるのは簡単ではない。けれど、聞かずにいることだけが気遣いではないのかもしれなかった。 呼び鈴が鳴り、瑠衣は火を止めて玄関へ向かった。灯はいつものように挨拶をし、靴を揃えて部屋に入る。瑠衣がお茶を出すと、灯は礼を述べて湯呑みに手を添えた。二人は先週と同じ席に着き、机の上に本を置いた。瑠衣は湯気の立つ湯呑みを少し脇へ寄せ、灯がページを開くのを待ってから、自分の本も開いた。 窓の外では、向かいの家の庭木が風に揺れていた。瑠衣はそちらへ目を向け、すぐに机へ視線を戻した。湯呑みから立つ湯気は、少しずつ薄くなっている。いつもの土曜日と同じように時間は流れていたが、先週の話だけは、まだ二人の間に置かれたままだった。 しばらくは読書が続いた。瑠衣は文字を追いながら、ときおり向かいの様子を確かめた。灯がページをめくるたび、紙の音が小さく響く。話の続きを待っていることを態度に出さないようにするほど、目の前の文章が頭に入りにくくなった。それでも瑠衣は本から顔を上げず、灯が自分から話し始めるまで口を開かなかった。 やがて灯が本から視線を上げた。「先週の話の続きなんですが」「はい」 瑠衣はしおりを指で挟み、ゆっくり本を閉じた。灯は湯呑みに目を向けてから、手を机の上へ戻した。「新しい家族、というのは」 言葉がそこで途切れた。瑠衣は急かさずに待つ。灯が顔を上げるまで、指先を本の表紙に置いたまま動かさなかった。「……続けてください」「父が再婚しました。私が小学生の頃です」「そうですか」「相手の方に、子どもがいました」
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138話「ここにいていい」

 土曜日の午後。瑠衣はテーブルの上を片づけてから時計を見た。灯が来るまでには、まだ少し時間がある。窓辺には先週と同じように柔らかな光が差し込み、カーテンの裾が風に揺れていた。瑠衣は本を手に取ったものの、すぐには開かず表紙を指でなぞる。瑠衣は本をテーブルへ戻し、ずれたコースターをそっと直した。 玄関のチャイムが鳴る。瑠衣は立ち上がり、廊下を抜けて扉を開けた。「こんにちは、瑠衣さん」「こんにちは。どうぞ」 灯が靴を脱いで上がる。いつもと同じ挨拶を交わし、いつもと同じように鞄を置いた。上着を脱ぐ動作にも変わったところはない。先週はここで、灯の話を聞いていた。言葉が途切れたときの沈黙も、最後に残った言葉も、まだ覚えている。けれど、今日の灯は何も切り出さずに上着を椅子の背へ掛けた。瑠衣も何も尋ねず、湯呑みを二つ用意した。 急須に茶葉を入れて湯を注ぐ。立ち上る湯気が薄くなったところで、瑠衣は湯呑みを盆に載せた。テーブルに置くと、灯が顔を上げる。「ありがとうございます」「どういたしまして」 瑠衣は向かいの椅子を引いた。湯呑みを持ち上げて一口飲むと、まだ少し熱かった。灯もお茶を口に運び、静かに息をつく。瑠衣はその向かいで本を開いた。先週の続きを尋ねることもできた。それでも、目の前に開いたページを見つめているうちに、問いは口に出ないまま胸の内に留まった。 灯も鞄から本を取り出した。二人はそれぞれ読みかけの箇所を探し、紙をめくる。向かいでは灯が静かにページを追っている。湯呑みから立つ湯気が消えても、どちらも席を立たなかった。 昼が近づくと、瑠衣は本を閉じて立ち上がった。「そろそろ、お昼にしますね」「はい。何か手伝いましょうか」「お皿を並べてもらえますか?」「分かりました」 台所で簡単な昼食を作っている間に、灯は食器棚から皿を出してテーブルに並べた。箸の向きを揃え、湯呑みを端へ寄せる。瑠衣が料理を運ぶと、灯は椅子を引いて場所を空けた。二人で昼食をとり、食べ終えた皿を台所へ運ぶ。水の流れる音が響き、洗い終えた皿を伏せると、灯が布巾でテーブルを拭いた。瑠衣はその横で湯を沸かし直し、午後のお茶を用意する。言葉を
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139話「深く知るということ」

 月曜日。瑠衣はいつもより少し早く出勤し、机の上に届いていた資料を種類ごとに分けた。確認が必要な箇所に付箋を貼り、日付を確かめてからファイルへ収める。廊下の向こうでは社員が出勤の挨拶を交わし、複合機から印刷された紙が出てくる音も聞こえた。 灯はすでに仕事を始めていた。デスクに向かい、書類を確認しながら必要な箇所に印をつけている。ときおり手を止めて本を開き、数行読んでからまた書類へ戻る。その姿はいつもと変わらない。瑠衣が資料を持って近づくと、灯は顔を上げて受け取った。「ありがとうございます。確認しておきます」「お願いします」 それだけのやり取りを終え、瑠衣は自分の机へ戻った。ファイルを開き、整理した資料を順番に並べていく。日付を確かめ、抜けている書類がないか一枚ずつ指で追った。手を動かしている間にも、ふとした拍子に先週の声が浮かんだ。 瑠衣さんがいるから、そう思います。 資料の端を揃えた瑠衣は、次の束を手元へ引き寄せた。確認を終えた書類を棚へ戻し、空いた場所に新しいファイルを差し込む。背表紙の向きを整えてから、机に残った付箋を一枚ずつ片づけた。 昼休みになると、瑠衣は給湯スペースでお茶を用意していた。紙コップを手にした御厨が通りかかり、棚に置かれた本へ目を向ける。灯が先ほどまで読んでいた本だった。瑠衣が湯呑みを持ち上げると、御厨が何気ない調子で声をかけてきた。「社長って、昔から本好きなんですかね」「そうみたいですね」 瑠衣は湯呑みを両手で持ち、少し冷ましてから口をつけた。御厨は棚の本を眺めていたが、やがて思い出したように続けた。「なんか、最近特に楽しそうで」 瑠衣の手が湯呑みの縁で止まった。御厨は特に返事を待つ様子もなく、手にしていた紙コップを持ち直している。「……そうですか」「ええ。まあ、気のせいかもしれませんけど」 御厨は軽く手を振り、そのまま自分の部署へ戻っていった。呼び止める者もなく、廊下には昼休みの話し声が戻る。瑠衣は湯呑みを置き、使ったスプーンを洗ってから給湯スペースを出た。机に戻る途中で藤堂とすれ違い、軽く会釈を交わす。午後の予定を確かめるため
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140話「いつもと違う土曜日」

 土曜日の朝。瑠衣は台所で紅茶を淹れていた。茶葉を量ってポットに入れ、沸かした湯を注ぐ。蒸らしている間に湯呑みを二つ並べ、テーブルの上に置いてあった本を端へ寄せた。窓から差し込む光がテーブルの木目を照らしている。カーテンを少し開けると、外の空気が入り込み、紅茶の香りが部屋に広がった。  ポットから紅茶を注ぎ、二つのカップに均等に分ける。片方を自分の席へ置き、もう片方は向かい側へ運んだ。椅子の位置を直し、テーブルの端に置いてあったしおりを本に挟み直す。玄関のほうへ目を向けると、まだチャイムは鳴っていなかった。瑠衣はカップを持ち上げ、ひと口飲んだ。紅茶はちょうどいい温度になっていた。  いつの間にか当たり前になっていた。  玄関のチャイムが鳴ったのは、それから間もなくのことだった。瑠衣はカップをソーサーに戻して立ち上がり、廊下を抜けて扉を開けた。 「こんにちは」 「こんにちは」  灯が靴を脱いで上がる。揃えた革靴を玄関の端へ置き、鞄を持ち直してから瑠衣の後に続いた。瑠衣はその足元を見ていた。灯が靴を揃える手つきも、置く位置も、これまで何度も見ている。けれど今日は、灯が顔を上げるまで視線を戻さなかった。  いつもの場所に、いつもの革靴がある。  瑠衣は玄関を離れ、先に部屋へ戻った。灯が鞄をいつもの場所へ置く。テーブルに並べた紅茶を見つけ、片方のカップに手を伸ばした。 「用意してくださったんですね」 「はい。ちょうど淹れたところです」 「ありがとうございます」  瑠衣は自分の席に座り、灯が向かいへ腰を下ろすのを待った。二人で紅茶を飲み、それからそれぞれ本を開く。窓辺の光は少しずつ移り、テーブルの上に置かれたカップの影がゆっくりと短くなっていった。  ページをめくる音だけが部屋に響いていた。瑠衣は読みかけの箇所を追いながら、向かいに座る灯の手元を何度か見た。灯は本を読むとき、背もたれに深く寄りかからない。片手でページを押さえ、もう片方の手をテーブルに置いている。読み進める速度もいつもと変わらなかった。  ふと、灯が自分より少し先のページを読んでいることに気づいた。瑠衣は自分の本を閉じず、視線だけを上げた。灯がページの途中で指を止め、
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