All Chapters of 結婚式の端っこで、君と乾杯を: Chapter 1 - Chapter 2

2 Chapters

1話「婚約破棄の夜」

 瑠衣は今日も仕事で帰りが遅くなった。  "江品"という表札の門をくぐった時に、違和感を感じた。実家なのに、自分が住んでいる家なのに、何か違う感じがした。そしてそれは、玄関に入った時に確信した  玄関に靴が多い。  父のスリッパ、母のパンプス、妹の真衣のスニーカー、それから男物のローファーが二足。 仕事帰り、鍵を回す手が一瞬止まった。いやな予感というより、答えの見えた数式を解く前の感覚に近かった。  リビングのドアを開けると、全員いた。父、母、真衣、婚約者の深内雅之、そして見覚えのある顔が二つ——雅之の両親だ。テーブルを囲んで座っている。誰も笑っていない。誰も瑠衣を見ていない。 「座れ」  父が言った。椅子を引いて座った。 「驚かないで聞いてね」  母が続けた。  驚かないで、と言う前置きを使う人間は、たいてい相手が驚くことを言う。瑠衣はコートも脱がないまま、正面を向いた。 最初に口を開いたのは真衣だった。 「お姉ちゃん、ごめんね」  そう言いながら、無意識に腹に手を置いた。 「赤ちゃん、できたの」 「そうなんだ」 「雅之さんとの」 沈黙。 テーブルの上に湯呑みが並んでいた。全員分の湯呑みが。瑠衣の分はなかった。 雅之が話し始めた。視線をテーブルの一点に固定したまま、用意してきた言葉を読み上げるように。 「本当に申し訳ない。でも責任を取らなきゃいけない」 「子供には罪がない」  父がさらっと告げた。 「まず赤ちゃんを優先しないと」  母も当たり前のように流した。  全員が正しいことを言っていた。 反論できる言葉がひとつもない。それが不思議なほど、反論できる言葉がひとつもなかった。 「私との結婚は」 「ごめん」  雅之はそれだけ言って、また黙った。  真衣が補足した。顔は申し訳なさそうだったが、声は明るかった。 「でも結果的には良かったと思うんだ。だって赤ちゃん来てくれたんだし」  悪意がなかった。  それが一番怖いことだと、瑠衣はこの瞬間に理解した。 「式なんだけど」  母が口を開いた。まったく悪いという意識のない声色だった。 「そのまま使おうと思うの」 「何を」 「式場よ」 「キャンセル料も馬鹿にならないから」  母の声に父が重
last updateLast Updated : 2026-06-17
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2話「人生最悪の日、乾杯」

 招待メッセージを三回読んで、やっと気づいた。 "披露宴開始 13:00"  式の時刻が書いていない。私は披露宴にしか呼ばれていない。  駅から会場まで、十分ほど歩いた。招待状を持って、一人で歩いた。  歩いて、何度か立ち止まった。 (あれ、なんで私こんなことしてるんだろう)  もっと怒っていいはずなのに、邪魔しようと考えてもいいはずなのに。  それより心にあるのは"無"だった。  感情より足が動くことがあるんだな、と瑠衣は自分自身に感心していた。 (一番バカなのは、私かもしれない) 受付に並んで、順番が来た。 「江品家で招待されている、江品瑠衣です」  スタッフの女性が名簿を確認した。一瞬だけ、表情が固まった。ほんの少しだけ。しかしわかった。 「新婦様より、ご祝儀は不要とのご連絡を承っております」 「……そうですか」  後ろに並んでいた女性が、隣の友人に何か囁いた。  聞こえた。含み笑いまで聞いてしまった。自分の耳の良さが恨めしい。  足は止めなかった。 親族控室の前まで来て、ドアに手をかけようとしたところで、スタッフに呼び止められた。 「申し訳ございません。こちらはご利用いただけません」 「私は親族ですが」 「新郎新婦からのご指示ですので」  スタッフは丁寧に頭を下げた。感情のない、訓練された角度だった。  ちょうどそのとき、ドアが少し開いた。中から笑い声が漏れた。真衣の声だった。母の声だった。  ドアは閉まった。  三十一日後に挙式予定だった人間が、結婚式の親族控室に入れない。我ながら、すごい状況だと思った。 案内された席は、披露宴会場の一番端の円卓だった。  席次表が置いてあった。自分の席を確認して、周りの名前を見た。  大学の友人たちの名前。高校の同期の名前。会社の同僚の名前。  全員、欠席だった。 「行けない」と言ってきた子はいなかった。全員「行かない」という返信だった。みんな、怒っていたのだ。私の代わりに。  胸の奥が少しだけ痛んだ。怒っていてくれた人たちが、この会場にいないことが。 同じ円卓に、初老の男が一人いた。  安物のスーツ。古い革鞄。片耳にイヤホン。スマホの画面を見ている。よく聞くと、電子書籍の読み上げ音声が流れていた。  周りが花とシャンデリアと白いテーブルクロスで埋まっ
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