「……カルテに、書いてあったんですか」 私は、やっと声を出した。 確認のための声だった。 逃げるための声でもあった。 葵さんは、ゆっくり首を横に動かした。 「見たの」 小さな声。 「抱いた時。足が、布から出ていて……ああ、この子は、ここに印を持ってきたんだって」 印。 未央が汚れと言った場所を、葵さんは印と呼んだ。 その一言だけで、胸の内側がひどく痛んだ。 嬉しいのか、悲しいのか、分からない。 ただ、二十四年間、誰かに間違いなく見つけてもらうための目印のように、そこにあったのだと思った瞬間、息がうまく吸えなくなった。 「朝霧さん」 律の声がした。 私は顔を上げなかった。 上げたら、泣いてしまう。 「座ったままでいい」 その言葉で、自分が立ち上がろうとしていたことに気づいた。 私は椅子の縁に手を置き、ゆっくり足を戻した。ストッキングを整える手が、うまく動かない。靴を履くまでに、いつもよりずっと時間がかかった。 葵さんは、私の足首が隠れたあとも、そこを見たままだった。 「ごめんね」 声がした。 私は息を止めた。 「ごめんね、取られて……ごめんね」 医師が、そっと葵さんの肩へ手を添える。 「九条さん、今日はここまでにしましょう」 「違う」 葵さんは目を閉じずに、涙をこぼした。 「私、捨ててない」 その言葉は、かすれていた。 けれど、病室のどの音よりもはっきり聞こえた。 私、捨ててない。 その一言が、腹の底へ沈んだ。 如月家で、何度も言われた。 お前は拾われた子だ。 育ててもらった恩を返せ。 偽物でも、役に立つことがある。 二十四年前の取引記録には、九千万円の数字があった。 白桐産院の箱には、死亡確認済の赤い判があった。 如月家の書庫には、私の始まりを他人の都合で閉じ込めた紙があった。 でも、今、目の前の人は「捨ててない」と言った。 DNA鑑定も戸籍の確認も終わっていない。それなのに、その一言だけが、九千万円の数字よりずっと近かった。 「葵さん」 私は、声を絞り出した。 母、と呼びかけることは、まだできなかった。 呼びたい気持ちと、呼んだ瞬間に何かが壊れる怖さが、同じ場所で絡まっていた。 「ここにいます」
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