ゼルヴァンはすぐには答えなかった。いつものように、一度、言葉を置くための間を取る。それから低く言った。「残る言葉は残る」 それだけだった。 けれど、十分だった。 残る言葉は残る。 王都では、自分の言葉はいつも誰かの名の下へ溶けて消えていった。姉のための返事。家のための文面。だがここで初めて、その中にも「残る言葉」があったのだと知らされる。誰かの記憶に、ちゃんと自分のままで触れたものが。 セレフィアは胸の奥の熱を、どうにか息へ変えた。怖さはまだある。けれどもう、それだけではない。見抜かれていたことが、ただの脅威ではなくなりはじめている。自分を消すための視線ではなく、自分の言葉の芯を拾っていた目だったのだと思えば、そこにあるのは別の意味になる。 それはまだ「安心」と呼ぶには頼りない。だが少なくとも、完全な恐怖ではない。「……そうですか」 やっとそれだけ言う。 ゼルヴァンは小さく頷いた。 書庫の窓の外で、風がまた鳴った。陽は少し傾き、白い光はさっきより細くなっている。机の上の記録は相変わらず地味で、数字も報告も、誰かを楽しませるものではない。けれどセレフィアにとっては、いまこの書庫の中で交わされた言葉のほうが、どんな物語よりも強く心へ残った。 軍記ではなく税率や疾病報告を読むことを、おもしろそうに言われたこと。 婚約中の手紙の一節を、彼が覚えていたこと。 それらが、ひどく静かに、だが確かに、自分の中の見抜かれていた事実を書き換えはじめている。 怖さより救いへ。 まだ少しずつしか動かない針のように。けれどたしかに、その向きで。 ゼルヴァンは椅子から立ち上がった。「その記録は、読みたいならしばらくここへ置いておけ」「よろしいのですか」「読むためにある」 彼はあっさり言う。 「君が読むことに意味があるなら、なおさらだ」 また、その言い方だ。 役に立つではなく、意味がある。便利ではなく、必要であるかどうか。その基準で自分を見られることに、まだ慣れない。けれどもう、完全に怯えるだけでもなくなっている。「……ありがとうございます」「礼はいい」 ゼルヴァンは言い、 「その代わり、読み終えたら何が見えたか聞かせてくれ」 聞かせてくれ。 それは命令とも違う。感想を求める軽さでもない。見たなら、その見えたものを言葉にしろと
Last Updated : 2026-08-03 Read more