愛する妻が置き手紙一つ置いて家出をしました。~初恋を拗らせた旦那様は妻を取り戻したい~ のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

55 チャプター

第11話 この子を国へ連れて帰ろう

(年齢は教えても大丈夫みたいだ――六歳にしては幼い気もするが……) イアンは自分が六歳の頃を思い浮かべたが、彼は背伸びした六歳児だった。そんな自分と比べるのは間違いである。「好きな花は?」 「ジャスミンがすき。しろいおはながすきよ」 「好きな食べ物は?」 「ビーフシチュー」 「嫌いな食べ物は?」 「まめ」(お見合いか?) そう思いつつも、答えてくれるのでイアンは質問を捻り出して訊ねた。少女のことをもっと知りたいと思った。「好きな色は?」 「くろ」 黒が好きとは意外だ。白色のジャスミンが好きだから、白と答えると思った。「わんちゃんのかみのいろ、すき」 唐突にそんなことを少女から言われてイアンは戸惑った。自分ではなく髪色が好きだと言われたのに、自分を好きだと言われたようで妙な気分だ。 「わんちゃんのえがお、かわいい」 「かわ……?」 「うん!」    イアンは口角を人差し指で引っ張った。無意識に笑っていたようである。   「ニコッてわらうの、わんちゃんにそっくり」「かわいい」とニコニコと屈託なく少女は言った。  犬にそっくりだと言われているのに、目の前の笑顔が尊くて、イアンにとってそんなこと、どうでも良かった。  その笑窪の方が俺よりも何百倍も可愛い。こんな屈強な男が、敵うわけがない。「俺よりも、お前の方が、か、か」 「か?」   『お前の方が可愛い』 と言いたいのに、喉に骨が引っ掛かっているようで言葉が出ない。十七年間、一度も発したことのない単語ではあるが知らない単語ではない。『かわいい』という四文字を年端のいかない子供相手に言えないのか。   (初めて、戦地に立った時より緊張してる……?)「かっ、かっ、かっ、かっ」 言葉がつっかえて、続きを言えない。「かっ、かっ、かっ、かっ」   (くそっ! 言えない!!)「かっ、かっ、かっ、かっ」(相手は子供だぞ!)「かっ、かっ、かっ、かっ」(かに続く、わも言えないのか!) 外は肌寒いはずなのに、イアンは妙に熱かった。額にドッと汗が吹き出し、口が渇く。 ふと、鈴のような笑い声が耳に入った。  声の主に目を向けたら、無邪気な笑顔が飛び込んでくる。目の前がぱっと光に照らされたかのように眩しかった。    「わんちゃん、リンゴみたい!」  
last update最終更新日 : 2026-07-04
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第12話 幼い花嫁の幻

(俺には財力があるし……まず生活に困らせることはしない) 国へ連れて帰り、イアンの屋敷の部屋を女の子が好むように改築し、メイドを少女のために雇って、身の回りの世話をしてもらって……そうだ、ビーフシチューが得意なシェフを雇おう。 連れて帰る、すなわち誘拐にあたるのだが……。 この場所にロイドやジェシカが居たら、いつもと違う様子のイアンを見て「落ち着け」と言葉をかけてくれるだろうが、一人でネロペイン帝国へ訪れたために残念ながら今のイアンに指摘してくれる者は居なかった。 イアンは少女を国へ連れ帰り、これからの未来をひたすら思い描いた。蹲ったまま独りブツブツと喋るイアンは、少女がイアンの前で両手を振り上げたことに気付かなかった。  両腕を振り上げて、パッと手を広げると、少女の手からヒラリと何かが落ちて――イアンの頭の上に落ちた。 頭上にパサっと音がして、イアンの意識はやっと空想世界から浮上する。 頭に触れると、柔らかい感触。頭上からヒラリと白い花びらが降ってきて、甘い香りが鼻先を掠った。ジャスミンの香りだ。 ゆっくり顔を上げると、黒い前髪の隙間から夜明けが見えた。「おはなのかんむり」 「とってもおにあいね」と屈託のない笑顔。 イアンの脳裏に、少女が花を摘んでいた背中が思い出された。「さっき、ジャスミンを摘んでいたのって……」「わんちゃんにあげるため」「俺のため……?」「うん。よくね、わんちゃんにつくってあげてたの」  未だに犬呼ばわりだが、そこは重要ではなく、自分のために花の冠を作ってくれたことが重要だった。 「ありがとう」  お礼を聞いて満足そうに少女は頷いた。 先程まで、少女を誘拐して国へ連れて帰ろうとしていた男は徐々に冷静さを取り戻していく。国へ連れて帰れば、この子を大事にしている誰かが悲しむだろう……髪が絹のように美しい理由は、少女を想いながら櫛で梳いてあげているからだ。 肌がきめ細やかな理由は少女のために香油を塗り、爪の形が綺麗なのは彼女の爪を磨いているからだ。 目元を緩め、幸せそうに笑うことが出来るのは、愛され、守られているからだ――そんな子を連れて帰ろうとするなんて、どうかしていた。 少女に二度と会えないのか……と思うと、胸の奥がチクリと痛む。どうも自分の体調が芳しくない。イアンは国に帰ってすぐ病院へ行こうと
last update最終更新日 : 2026-07-04
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第13話 月の下で叶えたい願い

 イアンは、スーッと長く息を吸って、「どうして一人でここに居るんだ?」  いちからやり直そう。少女に訊ねたかったことを聞こう──……。「アンがね、パーティはいっちゃダメだって。わたし、おどりたかったのに」 少女はスッと立ち上がって、ドレスの裾を握った。「でね、きぶんだけでもあじわえるようにね、アンが、おひる、これをきせてくれたの」 そう言って、少女はクルリと回って見せた。 オルゴールを開けると音色に合わせて踊る人形のように、キレイな回転だった。(俺の財力なら沢山のドレスを買ってあげられるし、靴だって、髪飾りだって、贈ってあげられる……) ほんの数秒間で脳裏に浮かんだ為、自分らしくない思考だということにイアンは気付かない。「でも、パーティいきたかったから、アンにないしょでおそとにでたの」 アンにはないしょね、と唇の前に人差し指を立てて。しーっとする。イアンはコクリと頷いた。「でも、つかれちゃった」「……それで休んでたのか」「やすんでたんじゃないの! かくれてたの!」 頬を膨らませた少女にイアンは謝った。「誰から隠れてたんだ?」「……アン」「アンは心配しているだろうな。こんな夜中に家を出て行ったから」「でも、いきたかったんだもん」「……どうして行っちゃ駄目なんだ?」「あぶないからって」「あぶない、から?」「ゆうかい? されちゃうから、ダメって」 アンはどうやら心配性らしい。しかし、アンが心配するのはしょうがなく思えた。世の中に幼い子供を見て興奮する異常者は居る。そんな変態にとって、この子は良い獲物だろう。そんな変態から少しでも遠ざけようと思ってアンは少女に見ず知らずの人間に、名前と家を簡単に教えるな、と教育を施したのだ。(ベッドに居ないことに気付いたら気が気じゃないだろうな) 今頃探し回っているのかもしれない。 子供の足でここまで来れたなら、そう遠くないはずだ。門番の目をどう欺いて城内へ入ったかは未だ謎だが……。(ん? 待てよ?) この俺が、この子を見て「可愛い」と思った──って、それって俺も小児性犯罪者に片足突っ込んでいると言えないか?  今まで知りえなかった自分の性癖に、「そんなまさか」と青褪める。その心配のせいか、少女がどのようにしてこの城へ入ったのかという疑問点は彼の中で消え去ってしまった。(こ
last update最終更新日 : 2026-07-04
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第14話 俺と踊って下さい、お姫様

「だったら、ここで踊って見せたらいいさ」「どういうこと?」と首を傾げた少女にイアンは続けた。「会場で踊ったら、屋根に隠れてお月様は見えないだろ? だったらここで踊れば、お月様の真下だから見える」 イアンは地面に片膝を付いて、少女を見上げた。パチクリと瞬きをする少女と目が合った。「それって、きしのちかい?」 動作が似ているのだろう。「騎士の誓いをするのに、道具が足りない。貴女をダンスに誘おうと思っただけだ」 少女に利き手とは逆の手を差し伸べた。「貴女に害は与えません」という意であり、利き手は心臓の上に置く。 イアンがしている簡易なものは、スェミス大国では男性が女性に求婚をする流行りのポーズではあるが、男女の流行に疎いイアンが知る由もない。 少女の右手がゆっくりと上がり、イアンの指先に触れる手前、パッと引っ込んだ。「アンがね、はじめてのダンスはだいじだから、しらないヒトとおどっちゃダメって」 短い時間しか過ごしていないが、仲を深められたと思ったのは自分だけだったと知ってイアンの胸はチクリと痛くなる。 アンの壁を超えることは不可能のようだ。  「俺の国では男性からダンスを誘うんだ。それを断られてしまったら、とても悲しいんだが……」 自分の国ではラストダンスはペアと踊るのが習わしだが、それを少女に言えば、アンを理由に断られるだろうから、イアンはそのことは少女に伏せた。「アンがダメ、って……」 再度断ったものの、イアンの表情を見て少女は狼狽えた。──捨てられた仔犬のようだったから。 首を捻った姿が、ある日突然姿を消した黒い仔犬に重なってしまう。わんちゃんは心細い時、首を傾げてつぶらな目で見つめてきた──……あの目にそっくりだ。 気まずそうに俯いた少女を見てもイアンは諦めなかった。しぶとさが、イアンのウリだ。そのことを彼は思い出した。「俺の母親も月に居る」「ほんとう?」 少女は顔を上げて、地面に片膝を付くイアンを見下ろした。 死んだ人間は月に行かないことは知っているし、ましてイアンは産みの母親に会いたいという思慕はなかった。 ただ、少女の想い通りに、亡くなった母親にダンスを見せてあげたい、少女の願いを叶えてあげたかった。自分らしくないメルヘンなことを口に出しているとしても、大したことではない。 「……あぁ。だから、君と踊って
last update最終更新日 : 2026-07-04
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第15話 白髪の狼

  ※ ※ ※(見られている──……) スェミス大国軍隊の頂点に立つ、エリオット・サーレン将軍はスェミス大国首都の北部にある軍本部で何者かの視線を感じていた。  サーレンは背中がピシャリと伸びていて、背が高い男だ。  幼い頃から苦労したからなのか、まだ四十歳だと言うのにサーレンの髪色は白髪と化している。染める事はしておらず髪を後ろへと撫でつけていて、優し気な目尻に柔らかな皺が刻まれ、一見優男の風貌だが生まれは孤児で、生きるために十五歳を迎えてすぐに軍隊へ入隊し、将軍にまで登り詰めた。  戦場を駆け抜ける姿は、その琥珀色の瞳から「狼」という通り名で知られ、知略に長けた彼は戦場に立ち、彼に付いて行けばその先に必ず勝利があった。  三十四歳という若さで将軍に抜擢され、情報戦略を得意とし、その若さで軍を掌握した男である。そんな男が、ただの優男のはずがない。しかし、彼の本質は争いを好まず、質素な性格だ。  そんな彼は、視線の正体を突き止める事はせず、それが誰なのかも気にも留めなかった。  サーレンは常に死と隣り合わせだった。  赤ん坊の頃から養護院で過ごした。五歳の頃、当時流行っていた感染病で友人と養護院の院長や先生を亡くした中、彼だけは病気に罹らなかった。全員が死に絶えた後に、感染病のワクチンが完成した。スェミス大国の国王は無償で民達にワクチンを提供し、サーレンは友人全員を亡くしてしまった後にワクチンを接種して、彼は生き延びた。  軍隊に入隊してからは、同じ釜の飯を食べた戦友が数分後に自分の隣で頭を銃で撃たれて死に、自分に続いて五分後に戦地へ入った戦友が爆弾で死に、少しでもズレていたら、自分が死んでいた状況だった事を何度も経験している。それでも彼は運良くこうして生き延びていた。変わり者が多い軍人を纏め上げ、多くの功績を残し、彼は他国に名が知れ渡っていて、軍生活が長ければ長い程恨みを買いやすく、上に行けば行く程、命を狙われる機会が多くなった。常に命を狙われているために、優しい雰囲気を身に纏っているとしても、常に神経を尖らせて生活していた。そんな彼が自国の軍の本部で視線を何者かに受けているにも関わらず気にしない理由は、気
last update最終更新日 : 2026-07-06
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第16話 生贄になった中将

 ※ 早朝「サーレン将軍、お話があります」とユング中将が将軍であるサーレンの執務室へ訪れた。  敬礼をした彼にサーレンは答礼を返し、「部屋に入りなさい」と告げた。  しかし、二メートルはあるだろう屈強で軍服の上からでも分かる胸板の厚い男が、顔色を悪くしてドアの前で敬礼したまま動かない。  普段の彼なら図体と同じように声も大きく、陽気な性格で物怖じしない男だと言うのに、今の姿は生贄に差し出された羊のようだった。  サーレンの「入りなさい」という三回目の言葉でようやくユングは執務席に腰掛けたサーレンの前まで足を運んだ。  デスクの上で組んでいた両手を外して、サーレンはユングにソファーを指して座るように促す。なんせユングの顔色が青色を通り越して土の色なのだ。しかし、ユングは弱々しく首を横に振って断った。   「……何か悪い事でも起きたのか?」 「いえ……そういう訳ではないのですが……でも、悪い事と言えば悪い事と言えます」 歯切れが悪い。「将軍は本部を騒がせている噂にお気付きですか?」 「噂……?」 情報は逐一サーレンの耳に入る。軍隊に入隊する人間のバックグラウンドとバックボーン、恋人、その恋人の家族、ありとあらゆる情報が情報将校からもたらされるのだ。基地内で起きた小さな諍い事も届く。(しかし、噂とは──……?) サーレンは再びデスクの上で両手を組んで顎を当てたまま、琥珀色の瞳でユングを見上げた。すると意を決したのかユングはこう切り出した。「将軍が噂を知らないのは、恐らく将軍自身が特に気にしていないからだと思います」 「……気にしていない?」 「将軍はその噂に……と言いますか、噂になる前には既に気付いている様子でしたが、気にしていないようでして、対処せずに過ごしておいででした。その結果、噂になってしまいまして……」 「だから、その噂とはなんだい?」 にっこりと唇を歪めて、脂汗まで噴き出している目の前に立つユング中将に、目配せをして続きを言うように促した。  サーレンは柔和で人
last update最終更新日 : 2026-07-07
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第17話 軍本部、まさかの噂

「イアンが将軍にホの字だという噂がたっています」 言ってしまえば勢いが付く。  サーレンが苦し気に咳き込んでいる前でユングは一気に伝えた。「噂の元凶を秘密裡に処理する事も出来たのですが、イアンは軍に属してはいますが第二王子で王位継承権は破棄していませんし、へんに手を出すとなると、軍と王家に確執が生まれてしまうのではないか、と恐れまして……。そこで、穏便に『何故将軍を見つめているのか』と訊ねましたら、イアンは自覚がなく、どうすべきか悩んでいたら、ここ最近では候補生まで気付き始めまして、どう収拾すれば良いか分からず、本部の人間の殆どが将軍を心配しておりまして……イアンが、将軍を熱がこもった目で見つめているものですから、もし将軍が襲われでもしたら……いや、将軍ですから、勿論対処できますけれど、万が一二人がこう、おかしな事になったら……おかしな事と言うのは、肉体関係……話が逸れました、そういう訳で、要職に就いている人間の誰がイアンの事を将軍に告げるか揉めまして、カードゲームをして負けてしまった私が言う事になってしまったんです!」 「ゴホッ、ゴッ、ゴホッ……!」    サーレンはコーヒーを噴き出そうとするも、瞬発力のお陰で噴き出す前に口元を右手で押さえた。そして噴き出すはずだったコーヒーはサーレンの喉に戻る。そのせいで気管に入り込んで激しく咳き込んだ。  息がつけないほど咳き込むと、目の前のユングが動く気配がしてサーレンは息を整えながら、手で制してユングを止めた。そうすると彼は、取り出した皺くちゃなハンカチをポケットに押し込む。  呼吸が安定し、椅子に座り直したサーレンは目の前に立つユングを笑みを浮かべて見上げた。   「その噂は、私の秘書の耳にも届いているかい?」 「勿論です」 「でも私の忠実な秘書から何も聞かされていないけど」 「彼は賭けに勝ったんです」 「知ってたのか」 「将軍の右腕と言われている彼ですし、我々より先に将軍と同じタイミングで視線には気が付いていたはずですし、その視線の主を目にしているはずです」 「でも私に報告はしなかった、と」 「イアンの意図が読めず、将軍に
last update最終更新日 : 2026-07-08
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第18話 王太妃が知ったなら

 ユングはオーバーに両手を広げた。  それから身振り手振りで語り出す。「将軍はお忙しい方ですし、本部に居る事は稀ではありますが……私はイアンの近くに居ますから、常に様子を見ています。噂が立つ前から様子がおかしかった」 「どのように?」 「ネロペイン帝国から帰って来た彼は、こう……呆ける事が多くなりました。上の空が多いと言いますか。ふと夜空を見上げては、溜息を吐くんです。良いですか、あのイアン・ジョー・グゥインがです! いつも無表情で何を考えているか分からない男がアンニュイなんです」 「アンニュイ?」「そうです」とユングは勢い良く頷いた。 「そんな彼ですが、任務はそつなくこなしますし、普段と違う様子でしたが周囲は気にも留めませんでした。それが将軍はここ最近は本部に居る事が増え、そこからイアンは一点を見つめる事が多くなりました。──で、現在に至ります」 「私にどうしろと?」 「噂を一蹴して頂きたい」 「話はするとして」 フー、と息を吐いてサーレンは頬杖を突きながらユングに訊ねた。「何故、彼は私を熱がこもった目で見つめる、と君たちは思う?」 「それは……」 「私がイアンと話をしたら、その噂が消えるという保証はあるのかい?」 確かな事は分からずユングは口ごもる。サーレンへ報告する内容は必ず確かな物ではないといけないし、それが何故正しいのか、という証拠を提示、そして提示したとしてもそれを自分の口で説明出来なければ将軍は納得しない。  その答えが「将軍に惚れている」でも、その証拠を提示出来なければならなかった。ただイアンの顔を見て「将軍に恋しています」ではただの憶測であって、物的証拠でもなんでもないのである。イアンに証言を取ろうにも彼は自覚がないのだ。  濃い顔が答えを見つける事が出来ずにパーツが中央に寄って行くのを見てサーレンは肩を竦めた。「自分の目で確かめよう。イアンがいつもと違う様子であるのに私は気が付かなかったしね」 殺意が含まれていない気配を気にも留めなかった自分にも非がある。  イアン少尉と
last update最終更新日 : 2026-07-09
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第19話 あの子を思い出す

 ※  ネロペイン帝国から自国へ帰る途中、胸の痛みと睡眠不足にイアンは苛まれた。 イアンは国へ着いたその足で医者の元へ診察に行ったものの──診断の結果「健康そのもの」「むしろ健康過ぎる」とまで言われた後に、医者から鎮痛剤と睡眠薬を処方された。(薬に頼るのは正直癪だ) 十七年生きてきて風邪一つ罹った事がないイアンは、医者から健康だと太鼓判を押された身体に薬を投与したくはなかった。胸の痛みは、指に刺さった針の痛みのようにすぐに過ぎ去るものだったし、我慢すれば良いと己で判断をした。しかし睡眠は違う。充分に睡眠をとらなければ任務に支障をきたし、判断力も鈍ってしまう。だからイアンは──身体を鍛える事にした。身体が疲れれば、眠りに落ちやすいだろうと考えたのだ。本部に設置されたトレーニングジムでひたすら己の肉体と精神を鍛え続けた。結果は──強靭な肉体を手に入れ、体脂肪率が下がり、今以上に疲れを知らない男となってしまった。どんなに身体を動かした所で眠気が襲ってこないのである。 そもそもイアンは、有り余る体力のお陰で、眠らなくとも問題なかった。 それが、どうも自分の周囲が騒がしい──。 ※ ※ ※「イアン、何か悩みでもあるのか?」「ユング中将。悩みとは?」「ここ最近悩んでいる様子だ」「至って普通です」「普通……そうか、普通か」「気にしないでくれ」と言った割りには、納得していない様子でブツブツと去って行く。 また別の日は、 「イアン少尉、サーレン将軍に何かお話したい事があるのではないですか?」 そう声を掛けてきたのは、サーレン将軍の秘書、レオナルドだ。 レオナルドは、軍の人間ではなく元は弁護士。サーレンに陶酔して、彼が将軍になったと同時に彼の秘書となったのは有名な話である。小麦色がくすんだような金髪を赤いリボンで一括りにした彼は、神経質そうな顔立ちだ。右目にモノクルを掛けた翠色の瞳でイアンを詰めてくる。「何もないですが」「本当の本当ですか?」「嘘を言
last update最終更新日 : 2026-07-10
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 第20話 将軍、走る

 ※ ※ ※  不可思議な視線に慣れてきた頃、背後から名前を呼ばれイアンは振り返った。 駆け寄ってきたのは思いがけない人物だった。後ろに撫でつけた前髪が額に落ち、嫌味なくらい冷静でいつも笑みを浮かべているサーレンが見た事がないくらい慌てふためいていた。 サーレンへ敬礼をしようと右手を上げると、「そのままで大丈夫だ」と手で制されてイアンは右手を下ろした。「サーレン将軍、何か御用」 ですか、と続けられずに、視線の先のサーレンから右手を掴まれてイアンは目を見開いた。「まずは一緒に病院へ行こう」「病院……? 」「まずは、体内から調べよう。毒を盛られた可能性があるから」「毒とはなんですか」(どう見ても、俺は健康そのものだ)  自分より細いと思っていた将軍は意外と筋肉があって、自分より強い力で引っ張られ連れて行かれた先は──軍病院だった。 サーレンは目にしてしまったのである──イアンが物言いたげな……熱を含んだ瞳で自分を見ているのを。「イアンが将軍にホの字だという噂がたっています」と執務室に突撃されてから五日経ったある日、廊下を歩いていると、あの視線を感じて私は足を止め、視線の正体をついに捉えた。 顔を横に向け、庭を挟んだ隣の軍舎に立つ私を真っ直ぐに見据える、窓の前の黒い男。遠い距離でもはっきりと分かった──イアンが熱く、潤んだ瞳で私を見ていたのである。そうして、サーレンはその場を離れ、隣の軍舎まで走ったのだ。(これは、まさかと思うが) イアンという人間は、ブラコン気味な男だ。そんな男が私に恋に落ちる訳がないではないか、よく考えれば分かる事だ。 イアンが私の事を蹴落とし、将軍になりたがっている事を知っている。それは、国王の為だ。そんなブラコンな男が、私に恋に落ちる訳がない。むしろ、そんな兆候は一度もなかった。「もしや」とサーレンは考えた。ネロペイン帝国で毒物でも盛られたのではないか……。そう考えたサーレンは廊下
last update最終更新日 : 2026-07-11
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