Tous les chapitres de : Chapitre 111 - Chapitre 120

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第111話

ダイニングが、一瞬にして静まり返った。 真っ先に反応したのは深雪だった。 「昴、それはさすがに……」 深雪は口を開き、事の重大さを指摘して、もう少し慎重に話し合うべきだと言いかけた。 だが、昴はとうに早苗の方を向き、これまでに見たこともないほど優しい目で彼女に問いかけていた。 「早苗くん、君はそれで構わないかい?」 早苗は勢いよく顔を上げた。昴と深雪を交互に見比べ、その顔には深い戸惑いと恐れが浮かんでいる。 「わ、私は……当たり前のことをしただけです。私のような者が、そんな……分不相応です……」 「ふさわしいかどうかは、俺が決めることだ」 昴の断固とした口調は、傍らにいる深雪の顔色がいかに蒼白であるかを、残酷なまでに際立たせていた。 それはまるで、「お前の口を挟む余地はない」と突きつけているかのようだった。 「早苗お姉様。お父様がそうおっしゃっているんですもの、お受けになってくださいな」 綾音は早苗の腕に自らの腕を絡ませ、優しく微笑みかけた。 「これから私たちは家族になるんですもの。ほら、一度『お父様』って呼んでみてくださいな」 早苗は唇を噛み締め、しばらくためらった後、消え入るような声で呼んだ。 「……お父様」 その姿を見つめ、昴の口元の柔らかな弧が、さらに深くなる。 彼は手を伸ばし、早苗の髪を優しく撫でた。
last updateDernière mise à jour : 2026-08-15
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第112話

深夜。主寝室の明かりは、まだ消えていなかった。 深雪はベッドの端に腰を下ろし、壁の時計に目をやった。すでに十二時を回っている。ドアはわずかに隙間が開いており、廊下はひっそりと静まり返っていた。 視線を落とし、シーツに触れてみる。だが、その片側はすっかり冷え切っていた。 ほんの少し前、彼女は昴と口論になったのだ。 原因は、他でもない。早苗の素性について、深雪が少しばかり踏み込んで問いただしたからだった。 命を救われた恩返しとして、昴が見ず知らずの若い娘を厚くもてなす。それ自体は筋の通った話であり、深雪とて異論はなかった。 だが、養女として迎え入れるとなれば、話はまったく別だ。神崎家はれっきとした名門である。妻である自分に、夫の決断を覆すだけの力がないとしても、その養女の素性を問いただす権利くらいはあるはずだった。 しかし、昴はそうは考えていなかったらしい。 昴はすでにシャワーを浴び、パジャマに着替えてベッドに入ろうとしていた。そこへ深雪が耳元でくどくどと不満を並べ立てると、胸の奥から名状しがたい怒りが一気に込み上げてきたのだ。 「なんだ、お前が他の男と作った不義の子は許されても、俺が養女を連れて帰るのは許されないとでも言うのか」 そう吐き捨てるなり、昴は傷ついた深雪の顔を一瞥することもなく、彼女を一人残して怒り心頭のまま寝室を出て行った。 今、部屋から少し離れた廊下で、昴は壁に寄りかかり、苛立ちに任せて俯きながらタバコに火をつけていた。ブラケットライトの温かなオレンジ色の光が彼を照らし、絨毯の上には憂鬱な影が斜めに落ちている。 厨房から出てきた円香は、その光景を目にすると、途端に目を輝かせた。彼女は一度リビングへ戻ってショールを取ってくると、昴の肩にそっと羽織らせなが
last updateDernière mise à jour : 2026-08-16
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第113話

円香はそれを聞くと、手元の力をさらに優しく緩めた。 「ええ、もちろん分かっておりますとも。 ただ、急に若い娘さんをお連れになられたものですから、外の者たちが知れば、あれこれと噂を立てるでしょう。旦那様の御名に傷がつきませんよう、私が気を配らせていただきます。 それに……」 円香は意味ありげに言葉を切った。 「それに、何だ」 昴が顔を向ける。 「早苗様のお顔立ち……じっくり拝見しますと、旦那様とどこか似ていらっしゃいますのね。特にあのすっと通った鼻筋や顎のラインなんて、旦那様と瓜二つですわ」 昴の眼差しがすっと沈み込み、「ガンッ」と鈍い音を立てて猪口をちゃぶ台に置いた。 円香の手がピタリと止まる。自分の探りが一線を越えたことを悟ったのだ。 「申し訳ございません、私の出過ぎた真似でした」 「お前が立ち入るべきではないことには、首を突っ込むな」 「旦那様のお喜びを、我がことのように嬉しく思っただけですわ。長年、お寂しい思いをされてこられましたのに、ようやくお気に召す子が見つかったのですもの……」 円香は再び昴の膝の横に顔をうずめ、声のトーンをひどく甘く、弱々しく落とした。 「旦那様……覚えていらっしゃいますか?あの頃、私も一度……旦那様のお子を身ごもったことがございましたね。もしあの子が生きていれば、今頃はちょうど早苗様くらいの年頃になっていたはずですわ」 昴の手にあった猪口が空中で止まり、酒の表面に細かな波紋
last updateDernière mise à jour : 2026-08-16
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第114話

水曜日の午後二時半。この時間帯の居酒屋は客足もまばらで、稼働しているテーブルは三つだけだった。 澪は濃紺のエプロンを身に着け、右手にほうき、左手にちりとりを持って、うつむきながら床を掃いていた。 隅のテーブルの脇を通りかかった時、視界の端にピカピカに磨かれた革靴が映った。彼女はほんの一瞬だけ動きを止めたが、次の瞬間には、なんのためらいもなくその足元へほうきを叩きつけた。 「痛っ!急に何すんだよ!?」 頭上から、聞き慣れた声が降ってくる。 修がそこに座り、足をさすりながら毒づいていた。 彼の目の前には、すでに三回もおかわりした烏龍茶のグラスが置かれている。今日はダークグレーのタートルネックのセーターを着ており、上着は隣の椅子の背もたれに掛けられていた。その姿はまるで、店に運び込まれてから二度と動かなくなった彫像のようだった。 彼は午前十一時からずっとここに座っている。その時は昼食を食べに来たと言っていた。だが、今はもう午後二時半。ランチタイムも終わろうかというのに、一向に帰る気配がなく、腰を上げようとすらしない。 澪は胸の奥に湧き上がる苛立ちをぐっと押し殺し、顔を上げて作り笑いの営業スマイルを浮かべた。 「お客様、恐れ入りますが、お足を少しよけていただけますでしょうか」 「なんだ、このボロ店。接客態度がなってねえな」 修は不承不承といった様子で、足を一センチほど浮かせた。 澪もそれ以上は何も言わず、彼の靴底をかすめるようにほうきを滑らせ、目にも見えないほどのホコリを数粒、ちりとりへと掃き入れた。 体を起こし、きびすを返して立ち去ろうとした彼女の背中に、修が声をかける。 「おい、茶が冷め
last updateDernière mise à jour : 2026-08-17
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第115話

澪は特に何も言わず、試着室に入ってドレスに身を包み、カーテンを開けて外に出た。 修はソファに座ってスマホを操作していた。顔を上げると、澪の姿にきっちり三秒間視線を留め、やがてその口元がゆっくりとつり上がった。 「これなら悪くねえ」 修は立ち上がり、澪の背後に回って肩紐を直すように手を伸ばした。彼の指先がうなじの肌をかすめた瞬間、澪の体がビクッとこわばり、思わず身を引こうとする。 「動くな」 修の声はひどく低く、まるで言うことを聞かない猫をあやしているかのようだった。 彼は店員からネックレスを受け取り、澪の首に回して留め金を留める。純金のチェーンに、ごく小さなサファイアのペンダントトップ。鎖骨の下で、それが怪しげな光を揺らめかせた。 「ピアスも替える」 修は店員に振り返って命じた。 「あのプラチナのやつを出せ」 澪は鏡の中の二人を見つめた。 修は彼女の背後に立ち、その瞳には満ち足りた色が浮かんでいる。 顎は彼女の首筋に触れんばかりに近く、両腕は彼女の体の横に回され、まるで背後から抱きすくめるような姿勢だった。だが、わずかに半寸の距離を保っている。 その空気はひどく艶めかしく、甘美な色を帯びていた。 部屋の隅では、店員たちがこちらを見つめながらひそひそとささやき合っており、その目元には隠しきれない羨望の色が浮かんでいた。 「あとどれくらいかかるの?」 全身にまとわりつくような居心地の悪さに耐えきれず、澪はたまらず口を開いた。 「焦るなよ」 
last updateDernière mise à jour : 2026-08-17
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第116話

修は両手をポケットに突っ込んだまま澪の背後に立ち、彼女の顔に浮かんだ驚愕の色をつぶさに捉えると、いたずらを成功させた子供のように、口元をわずかにつり上げた。 「どうだ?驚いたか。サプライズだっただろう」 澪は彼の視線に気づき、横目で睨みつけた。 「どうして早く言ってくれなかったのよ」 修は両手を広げ、悪びれもせず、憎たらしい笑みを浮かべる。 「サプライズだと言っただろ。前もって教えたら、サプライズにならないだろうが」 澪はそれ以上相手にせず、顔を背けてレッドカーペットの方へ歩き出した。修も腹を立てることなく、早足で追いかけて彼女に追いつく。 レッドカーペットの両脇には、すでにカメラがずらりと並んでいた。二人がタラップに足を踏み入れた瞬間、シャッター音が雨あられと鳴り響き、フラッシュの光が辺り一面を白く染め上げる。 修は澪を伴ってタラップを上り、船内へと乗り込んだ。 海風は少し強く、澪のドレスの裾がふわりと舞い上がる。彼女が無意識に裾を押さえようとしたその時、ふいに肩先が温かくなった。 一着の男物のトレンチコートが、いつの間にか彼女の肩に掛けられていたのだ。 澪が振り返ると、修は口元に弧を描いた。 「風が強い。風邪を引くなよ」 修は手を伸ばし、彼女の肩を抱くような仕草を見せた。直接触れることはせず、コート越しに彼女を自分の側へ軽く引き寄せただけだった。 遠目に見れば、二人は顔を寄せ合い、親密な愛の言葉でも囁き合っているかのように見える。 レッドカーペットの両脇にいた人々が、ひそひそと囁き始めた。 「修様
last updateDernière mise à jour : 2026-08-18
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第117話

「ネックレス?」 澪は視線を落とした。 「このネックレスがどうかしたの?」 綾音は手を伸ばし、サファイアのペンダントトップの下で指先をひらひらと揺らした。 「純金のチェーンにサファイアを合わせるなんて?さすがにそのセンスは俗っぽすぎるわ。成金くらいしか、そんな選び方はしないんだもの。 澪、あなた、こういうことには疎いのね?誰かに頼んで、別のものに着替えさせてあげましょうか――」 「必要ない」 修の声が割り込んだ。氷のように冷たい響きだった。 綾音は呆気に取られ、彼を振り返った。 「こいつの身なりは、全部俺が選んだ」 修は綾音を睨みつけ、一語一語、歯の隙間から絞り出すように吐き捨てた。 「俺に文句があるなら、直接言え。こんな所で嫌味たらしく遠回しに腐すんじゃねえよ」 宴会場の談笑がすっと静まり、いくつもの視線がこっそりとこちらへ向けられた。 綾音の顔が引きつった。 修が自ら澪の服や装飾品を選んだなど、一体どうして想像できただろうか!? もし最初から知っていれば、死んでも澪の身なりにケチなどつけなかったはずだ。だが、一度口から出た言葉は覆水盆に返らない。 綾音は口をぱくぱくと動かし、最後はどうにか、干からびたような笑みを絞り出すしかなかった。 「私、澪にちょっとした冗談を言っただけじゃない。修ったら、そんなに本気にしてどうするの。あなたのセンスがいいのは当然ですもの。私が言いたかったのは……」 
last updateDernière mise à jour : 2026-08-18
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第118話

電話の向こうから、低い笑い声が聞こえた。電波越しにもかかわらず、その声はいつもより近く、耳元をくすぐるように感じられた。 「当たったら、何かご褒美あるの?」 「三階デッキから吹いてくる潮風をプレゼントするわ」 鷹斗の声が少し弾んだ。 「潮風?海の上にいるのか?」 澪は振り返り、手すりに背をもたせながら、宴会場の方へ視線を向けた。 「正確に言うと、クルーズ船の上よ。九条家の晩餐会。私も着いてから船の上だって知ったの」 電話の向こうで、二秒ほど沈黙が落ちた。 「修が連れて行ったのか?」 澪は、小さな声でそう付け加えた。 「ええ。自分から望んだわけじゃないわ。彼に無理やり連れてこられたの」 口にしてから、彼女自身もハッとした。どうしてこんな蛇足のような言い訳をしたのか、自分でも分からない。まるで電話の向こうにいる相手に、自分と修の関係を誤解されたくないと恐れているかのようだった。 電話の向こうで、彼がまた笑った。その声には、ほんの少しからかうような響きが混じっていた。 「それで、一人でデッキに出て潮風に吹かれてるってわけ?どうやら、君のエスコート役はあまり頼りにならないみたいだな」 澪は手すりにうつ伏せになり、鬱々とした声をこぼした。 「頼りないなんてもんじゃないわ。私、こういう場は好きじゃないの。誰も彼もが仮面を被っているみたいで。顔では笑っていても、裏では値踏みと打算ばかりなんだもの」 相手は再び沈黙した。澪が電波が途切れたのではないかと疑うほど、静かだった。 
last updateDernière mise à jour : 2026-08-19
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第119話

振り向くと、宴会場の勝手口に近いデッキで、全身を着飾った貴婦人がドレスの裾をつまみ上げながら、青筋を立てて激怒していた。 彼女の深い紫色のベルベットドレスの裾には大きな染みが広がり、滴り落ちるシャンパンが絨毯を濡らしている。その足元には粉々に砕けたグラスが転がり、破片が絨毯とデッキに散らばっていた。 そして、彼女の向かいにいる『張本人』――清掃員の制服を着た女性がうつむく中、執事のような男が彼女の鼻先を指差して怒鳴りつけていた。 「どういう仕事の仕方をしているんだ!このドレスはオートクチュールだぞ。お前を売り払ったって弁償できやしない!」 清掃員の女性の声は低く、少し掠れていた。 「申し訳ございません……すぐに拭き取りますので……」 貴婦人の声はヒステリックで甲高かった。 「拭き取る?何を使って拭き取るっていうの!責任者を呼びなさい!このクルーズ船には、どこの下劣な輩が紛れ込んでいるのよ!」 清掃員の女性が身をかがめ、ドレスの裾に触れて確認しようとしたが、貴婦人に忌々しげに強く払いのけられた。 女性はバランスを崩して尻餅をつき、尖ったガラスの破片で指先を切り裂いてしまう。そこから、すぐにぷっくりと血の玉が滲み出した。 彼女は小さく息を呑んだが、痛いと声を上げることはなかった。 澪は歩み寄り、貴婦人が再び口を開くよりも早く、清掃員の女性の前にそっと立ちはだかった。 「お怪我がなくて何よりです。ドレスはクリーニングに出せば済むことでしょう」 貴婦人は目を細め、澪が着ているドレスと身につけているネックレスを上から下まで値踏みするように見つめた。その声から、棘がわずかに和らいだ
last updateDernière mise à jour : 2026-08-19
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第120話

澪が宴会場に戻った時、弦楽の生演奏がちょうど別の曲へと切り替わったところだった。 数歩も歩かないうちに、後ろから手首を強く掴まれた。 「よく戻ってきたな」 修の声は低く抑えられていたが、そこには歯ぎしりするような苛立ちが滲んでいた。彼は澪を柱の陰へと引き寄せ、二人の姿を暗がりに隠した。 「人を踏みつけておいて逃げ出すとはな。澪、お前も随分と度胸がついたものだ」 澪が視線を落とすと、彼の革靴の甲には、確かにハイヒールの跡がうっすらと残っていた。彼女は堪えきれず、わずかに口角を上げた。 「あなたが先に手を出してきたんでしょ」 「俺はあれだ――」 言葉に詰まった修は、手を伸ばして彼女の頬をつまもうとしたが、澪に顔を背けられて避けられた。 修は彼女を睨みつけたものの、その瞳に本気の怒りはなく、むしろ、からかわれても手荒な真似ができない猫のようだった。 修がさらに何か言おうとした、その時だった。宴会場の入り口から、突然どよめきが起こった。 三々五々集まって歓談していた招待客たちが、示し合わせたように一斉に静まり返る。ある者は振り返り、ある者は手にしていたグラスを置いた。 澪も人々の視線を追って、そちらへ目を向けた。 入り口のレッドカーペットを、一人の女性が歩いてくる。 深い紫色のベルベットのロングドレス。シンプルながらも計算し尽くされた仕立てで、Vネックの胸元にはアンティークパールのブローチが光っている。 過度な装飾はなく、アクセサリーはパールのイヤリングのみ。髪を高く結い上げ、すらりとした首筋を露わにしている。 
last updateDernière mise à jour : 2026-08-20
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