All Chapters of さよならは、笑顔の後で: Chapter 21 - Chapter 30

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 義母から貰った仲良くなるためのヒント。それが功を成すかどうかは行動してみないと分からない。ただ、一つだけ分かる事があるとするならば、動こうとする勇気が持てるようになったということ。拒絶されたくない、否定されないために逃げを選ぶ。そんな選択肢を選ばないという変化は、海亜にとって大きな一歩となる。「お義母さん」「何かしら? 海亜ちゃん」 白い湯気を立てる艶のある白いお米。「今度、お祖母さまに渡すためのお土産を選ぶ時、色々と教えて貰えませんか?」 ふっくらと膨らんだその中にすっと箸を潜り込ませると、一掬い分を摑み上げ口の中へと入れる。「勿論良いわよ」 噛み砕く柔らかい粒の塊からは、じんわりと広がる優しい甘み。「是非、お願いしますね」 きっと、これからは大丈夫。何となくそんな気がして口元を緩めると、海亜は味を噛みしめる様に目の前の食べ物を口へと運ぶのだった。◆ 家に着いた頃にはすっかり太陽が高い位置へと移動を終えてしまっていた。 昴を会社に送り届けた後、海亜は一人で自宅へと戻る。ガレージのシャッターを上げ車を中に停車させると、荷物を持って向かう建物。途中、外出する前にセットしておいた防犯装置を解除し、スマートフォンを操作して解錠する。閉ざされていた扉を開けば漸く戻って来ることができた落ち着く空間。使用済みの衣服は一旦仕分けて洗濯機へ。だが、このまま機械を動かすことはせずに、次に向かった先はシャワールームだ。外気温が思ったよりも高く汗を掻いてしまったことで感じる不快感を消すために、軽くシャワーを浴びることを優先し、それによって出た新しい洗濯物も一緒に放り込んで洗濯機を動かす。少しずつ機械の中に貯まっていく水の音。それが暫く続いた後、一瞬途切れてから大きな音を立てて回り始める。汚れを落とすために一生懸命仕事をしている機械に別れを告げ、次に向かった先はキッチンだ。「えっと……」 解き放たれた四角い箱から飛び出す冷気。箱の中には幾つかの食材が綺麗に整理された状態で並べられている。その中からハムとチーズ、バターに卵とマヨネーズ。それらを取り出すと、手に持った材料は一度、ワークトップへと移動し再び冷蔵庫の前へ。次に開いたのは冷蔵室ではなく野菜室で。レタスとトマトを取り出し材料が全て揃った所で調理を開始する。「〜♪」 ふと思い出した旋律は、人気だったグ
last updateLast Updated : 2026-07-22
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 秘書がそう言うのなら、感じた違和感は気のせいでは無いと言うことだろう。「それじゃあ、そのように担当者に伝えて欲しい」「分かりました」 持ち込まれた全ての書類。それらの処理が終わると、ファイルの束を片腕で抱えた千々石が昴に背を向ける。短い会話の時間は終わり。この後は再び、一人きりで部屋に籠もって退屈な作業を続け、就業時間になったら頃合いを見計らって帰宅するだけ。未だに眠気が消えることは無く一つだけ大きな欠伸を零すと、昴は傍らに置いてあったタンブラーを手に取り、その中にある黒い液体を口に含む。「あ。そうだ」 やって貰うことを処理してもらえば、この部屋にも主にも用はない。次の業務が待機していることもあり、長居せず退出しようと前に立った扉の前。ドアノブに手を掛けたところで千々石は振り返りながら、思い出したようにこんな言葉を呟く。「どうやら奥様が来られているようですよ」「え!?」 作業を再開するべくモニタに向き合っていた昴の顔が、瞬時に千々石へと向けられる。「先程受付から連絡がありました。今は企画部に顔を出しているとのことです」 実に機械的に行われる報告は、己の上司を喜ばせる内容には違い無い。だが、この話を今のになって与えるのは少しばかり意地の悪い事だとも理解はしている。「そういうことは早く言え!!」 案の定、そんなことを聞かされたら居ても経っても居られない、と。昴は慌てて席を立つと、一目散に部屋を飛び出そうと千々石の脇を通り過ぎようとする。「先に言ったら仕事をしてくれなくなるじゃないですか」 情報を与えるタイミングを見極めること。これも会社を経営する人間を補佐する立場としては重要なことではある。実際、今こうやってこの話を出したとしても、既に最低限の作業は完了済みのため、この後の業務に支障がでることはない。これは始めから計算している事なので、文句を言われる筋合いはないだろう。「それを言われると何も言い返せないのが口惜しいところだな」 実際、昴自身もそのことには気付いている。だからこのことは多めに見てくれるらしい。
last updateLast Updated : 2026-07-23
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「確かに」 椅子に腰掛け広々としたエントランスへと視線を向ける。思い出しされるのは先程言葉を交わしたばかりの女性のこと。手の中にある彼女から渡されたお菓子は、パッケージにお洒落なレモンのイラストが描かれている。「今日、社長が出社するのが遅かったじゃない? これは多分、そのことに関係している何かなのかもね」 そう言われるとそうなのかも知れない。妙に納得出来る一言に小さく頷くと、彼女は貰ったクッキーを置き気持ちを切り替える。「残りは後で分けよ」「うん」 予想外だったが突然訪れた良いこと。今日の業務時間はまだまだ残っている。それでも、気持ちが軽く残りの時間も頑張れそうな気になれたのは、そんな素敵な出会いに恵まれたからなのかも知れない。「じゃあ、残りの時間も頑張ろうかな!」 受付に座る二人の女性。その表情はとても明るく感じの良いもので。数時間後に新たな来訪者が訪れるのだが、彼女達の対応に気をよくした彼は二人の仕事ぶりを高く評価し、本日の商談相手である担当者に嬉しそうにそのことを報告する。ほんの小さな気遣いが起こす幸運の連鎖反応。些細な出来事ではあるが、また一つ。会社にとって良い繋がりが出来た事は間違いなさそうだった。 エレベーターを待つ間、海亜は小さく欠伸を零す。今更ながら出てきた昨日の疲れ。若干の寝不足と普段慣れない事をしたというストレスから、緩やかな眠気に襲われそうになっている。「ふぅ」 小さな音を立てて開かれた昇降機の扉を潜ると、目的の階のボタンを押し壁に背を預ける。先程の広い空間に比べ、この箱の中は非常に狭い。目を閉じれば耳に届くのは人を乗せて目的地へと連れて行く機械が稼働している音だけ。背中越しに伝わる微かな振動に無意識に数える数字が示すのは、上昇した分のフロアの数だ。「…………着いた?」 とは言えそれは、おおよその数字でしかなく、頭の中で考えていた数字と実際に到達したときの時間は結構なズレが生じてしまっている。ただ、それは特に気に掛けるようなことでは無い。何故なら、そのカウント自体に深い意味が無い
last updateLast Updated : 2026-07-24
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 雰囲気の良い職場。人材に恵まれた環境。会社の業績は良く、就職したい企業のランキング上位に常に存在し続けているこの会社は、そういったものに支えられて造られている。「一人一人の個性は強いんだけど、だからこそ思いつかないようなアイデアが生まれてくるんだろうね」 自分には出来なかった夢の欠片は、人の手を借りることで明確な形となって自身の手の中へと返ってくる。手放してしまった可能性を嘆くことを辞めた昴が少しだけ悲しそうに笑う。「直接プロジェクトに参加することは難しいけど、一緒に何かを造るっていう感覚は確かにあるんだよ」 それでも、今の立場を悲観的に捉えているようでは無いらしい。自ら現場で動くことが出来なくなったからと言って、それが必ずしも悪いことになるとは限らない。現に、こうやって、随分と立場が異なる上役に対し、この環境で働く人間はとても好意的に接してくれる。ミリセック・カーゴという企業に在籍している社員達。直接的な距離で接することも出来る人もいれば、滅多に顔を合わせることの無い人もいるだろう。それでも、彼等の成果に対し一つ一つ丁寧に評価をしていく昴は、本当に素晴らしい経営者なんだなと感じ、海亜は嬉しくなる。「だから、彼等が形にしてくれた努力を最も最高の状態で世の中に出してあげないとね」 いつの間にか目の前にある社長室へ繋がる扉。「これが僕の仕事で、皆の生活を預かる人間としての責任なんだ」 小さく音を立てて開いた一枚の板。背中越しに伝わる賑やかさとは正反対の静かな室内に誘うように出された手に頷くと、海亜はゆっくりとその中へ足を踏み入れた。「普段は余り仕事に関しての事は話してくれないので、また一つ。昴さんの事を知ることが出来て嬉しいです」「そうかなぁ?」「そうですよ」 嵌め込まれた大きなガラス。その向こうに見えるのは灰色に染まるビルの群れだ。雲一つ無い空の青と溶け合い、独特の雰囲気を醸し出している。「良い天気ですね」 大分傾いたとは言え未だに日差しは強い状態で、光と影のコントラストがハッキリと見え目に眩しい。「今日が休みだったら、このまま出かけたいんだけどなぁ」 いっその事、二人で逃げだそうか? そんな冗談が叶うことは無いと互いに分かり切っている。背後から聞こえるタイプ音。時々紙の捲れる音が重なり、少しずつ時が動き出す。「ここで、待っていて
last updateLast Updated : 2026-07-25
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 変化の無い日常というものは、繰り返される毎日の延長ではないかと思うことがある。ただ、確かに季節は移ろうものだし、極稀に大きな変化が起こる事も否定してはいけない。 蝉の鳴き声が薄れると、肌を撫でる風の流れが少しずつ変わり始める。降り注ぐ日差しは和らぎ足下から立ち上る熱気が薄れ始めたと感じる月の半ば。忙しさは先月の大きな行事を最後に終わっているため、旦那側の実家へと顔を出す予定は特にない。当然、自身の実家に顔を出すつもりもないため、このまま年明けまでは何も無く過ぎていくことだろう。そんな風に思っていた矢先。予想外にも、一本の電話が入った。「あら?」 ディスプレイに表示される番号。番号の持ち主は知っている人間なので、特に警戒する必要もない。応じるため画面を指でなぞり通話か開始されたことを確認した後、そっと携帯を耳に当ててから送話口に向かって話しかける。「もしもし」『もしもし? 海亜ちゃん?』 受話口越しに聞こえてくるのは、先月顔を合わせたばかりの義母の声だ。「どうしたんですか? お義母さん」 何か、緊急性の高いことでも起こったのだろうか。思い当たることが無いかと考えを巡らせるのだが、呼び出しを受ける可能性がありそうなことは思いつかない。『あのね。ちょっとお願いしたいことがあるんだけれども』 お願い。そう聞いて、益々頭が混乱してしまう。「何があったんですか?」 頭に過ぎるのは最悪の可能性。義祖母が倒れたのではと不安を隠すこと無く問いかけると、そういうことでは無いと即座に否定される。「それじゃあ、お願いの内容って……」 水琴からこの様な電話が掛かってくることは非常に珍しいことだ。改まってお願いしたいことがあると言われたことも初めてのため、彼女が何を望んでいるのかが分からず聞き返してしまう。すると、義母は言いにくそうに言葉を濁しながらこう答えてくれた。『この週末なんだけどね、そちらに泊まらせてもらえないかしら?』 誰かが倒れたなどという最悪な状況ではなかった事に胸を撫で下ろしつつ、再び上がる疑問符。どうやら義母がこの町に足を運びたいと言うことだけは理解出来たのだが、具体的にどういう事情があって宿泊を許可して欲しいと願い出たのかは不明のままだ。「こちらに来る用事でも出来たのでしょうか?」『ええ、そうなの』 詳しい内容を聞いてみると、どうや
last updateLast Updated : 2026-07-26
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 ある程度詳細を詰めたところで通話を終えると、途端に部屋が静かになってしまう。「終末まではあと四日かぁ」 話をしながら調べ物をするために開きっぱなしのブラウザ。その一つ一つを閉じながら無意識に探すのは日付の描かれている大判サイズの紙である。「一応、昴さんにも共有しておくべきよね」 義母がこの家に滞在するのは金曜の夜から月曜日の朝まで。日曜日は一日中フリーになるようなので、ここのスケジュールは昴と相談しながら決めようとカレンダーに書き込んでいく。土曜日は昴が同伴するかしないかで変わってくるはずなので、出かける時間のみ書き込んでそのまま保留に。金曜の迎えの時間と月曜の送る時間を書き込んだらボールペンの役目は終了だ。「メッセージで良いかしら」 何となく声が聞きたいと思いはしたものの、時間を見るとまだまだ世の中は業務時間中。私的な内容の通話は避けるべきだと判断し、先程水琴と話し合った内容を文章にしてメッセージアプリへと投げる。直ぐにつく既読マークと中々帰ってこない返事。やはり忙しかったのだと納得し、点けていたパソコンの電源を切って移動する。「日曜日、星奈ちゃんも誘うべき?」 ふと思い出したのは、以前一条の家に呼ばれた時に交わした約束だった。「今度一緒に買い物に行きたいって言ってたわよね」 行動の制限が比較的緩い星奈と違って、用事が無い限りこちらに足を運ぶ機会が無い義母が訪ねてくるのだ。あの時にした約束を叶えるには絶好のチャンスではないだろうかと、海亜はそんな風に考えスマートフォンを手に取る。「お義母さんにも相談したいから、グループチャットを作成した方が良いわね」 連絡先から目的の人物を探し出すと、作成した新規のグループにメンバーを追加していく。承認リクエストを申請すると、直ぐに表示されたのは相手が参加に応じたというメッセージだ。[星奈]海亜お姉ちゃん![星奈]申請アリガト 文字だけでも元気さが伝わってくるメッセージ。『これからヨロシクね』の後に続くのは可愛らしいキャラクターのスタンプ。[星奈]ビックリした
last updateLast Updated : 2026-07-27
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「そうだ!」 行き交う人の間を縫うように歩き、駅を脱出できれば目的地は直ぐそこ。ただ、あと少しの距離が遠いと感じてしまうのはきっと、引っ張っている荷物が思っていたよりも重いと感じてしまうからだろう。 コインパーキングに着くと、海亜はキャリーケースをトランクに乗せ顔を上げる。「もし良ければ、今度、服をコーディネートしてみてもいいですか?」「え?」 言いながら大きな音を立てて閉めるトランク。 先に支払いを済ませると義母をその場に残し、駐車場の番号を確認してから精算機で料金を支払う。無機質な音を立てて下りていくのは無断駐車を防止するために設置されているストッパーで。それが完全に地面と平行になったことを確認してから、海亜は静かに車を動かす。タイヤが機械に乗り上げて下りる感覚。この場所に留める拘束具を失った車体は、ゆっくりと駐車場から出て道路へと進む。 緩やかに流れるタイヤの回転数。それ増えると、アスファルトを滑るように移動する速度は上がっていく。脇道から大通りへ。道幅が変わり周りの雰囲気が別のものへと切り変わった瞬間、周囲に流れる時間が一気に加速したように感じ、海亜の心臓が緊張で大きく跳ねた。「お着物のお義母さんも素敵ですけど、洋服姿も素敵なんだろうなと思うんです」 タイミングを測り車の流れた途切れた瞬間に割り込むと、アクセルを踏んで一気に加速する。無事に合流を果たしたことを確認してからナビゲーションシステムの案内に従い走行する経路。車間距離は十分に確保。ハンドル操作に多少のぎこちなさが出てしまうせいか、これ以上加速する覚悟は中々決まらない。それでもなんとか法定速度ギリギリをキープし流れに乗りつつ進める会話は、運転に意識を持って行かれているせいで、所々途切れてテンポが悪かった。「今回、用事が済みましたら買い物に行くことになりましたし、お義母さんさえよければどうですか?」 交差点の数十メートル先で鳴ったのは動作音だ。 先の交差点でルートが切り替わることを知らせるためのアナウンスが聞こえ、右方向に指示器を入れて右折帯へと移動する。数台前の軽自動車は、途切れるタイミングが見えない対向車
last updateLast Updated : 2026-07-28
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 お昼に食べた蕎麦の味は、思った以上に美味しいものだった。「今度、昴さんとも一緒に来ようかな」 会計を済ませた後そう呟けば隣に居た水琴もそれに同意し、「じゃあ私は……」と話を合わせてくれる。「それにしても、まだ大分時間が余っている感じですね」 少し遅めの昼ご飯にはなったものの、昴が帰宅するまではまだまだ遠い。「それじゃあ、ついでにお茶でもしちゃいましょうか」 折角の良い天気だし、ゆっくりと羽を伸ばすのもいいじゃない。そう言って決まった予定は成り行きで。のんびりとドライブを楽しみながら良さそうな店を探して車を走らせること数十分。「あっ! あそこなんてどうかしら?」 市内から出て暫く走ったところで見つけたのは、一見すると民家と間違えそうな外観の建物。店の前に小さな看板が出ていたことで、そこが飲食店だと気付くことが出来たのだが、水琴に言われるまでここにお店があることは知らなかった。「じゃあ、このお店に決めちゃいましょうか」 指示器を左に入れ歩行者がいないことを確認してハンドルを切る。併設されている駐車場はそこまで広いわけでは無く、お昼時だったら駐車することは叶わなかったかも知れない。幸いにも、今はピークタイムを過ぎていたため、海亜たちの他にはシルバーの普通乗用車が一台停まっているのみ。何度か切り返してバックで駐車スペースに車を入れると、必要最低限の荷物だけを持ち入口へと移動する。「いらっしゃいませ」 軽やかな音色を響かせるドアベルの音と共に手前に開く木製の扉。店の外観と同じく、落ち着いた雰囲気の店内は少しレトロな装いで、どこかしら懐かしいさを感じさせる。営業時間を確認すると、昼間はカフェ、夜はバーという営業形態をとっているらしく、経営自体はマスターと奥さんの二人きり。夫婦で店を切り盛りしているようだった。 客が来たことに気が付いた奥さんが直ぐに駆け寄り、柔らかい口調で奥の席へと案内してくれる。手渡されたメニューに掲載されている品数はそれほど多くは無い。だが、値段の傍にレイアウトされている料理の写真はどれも美味しそうで興味をそそられる。食事メニューは軽食が主だったが日替わりランチはそれなりに量がありそうで、値段の手頃さもあって男性でも満足出来そうな印象を受けた。「どれも美味しそうだけど、さっきお蕎麦を頂いちゃったから残念ね」「それ、私も思っち
last updateLast Updated : 2026-07-28
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 翌日は、朝から慌ただしかった。「忘れ物は無いよね? 母さん!」「多分、大丈夫よ」 女性の準備は時間がかかる。それなのに、急げ急げと捲し立てる昴には余裕が無い。それもそのはずで、本来なら既に家を出ているはずだった時間は既に過ぎており、早く出なければ予定していた時間に目的地に到着出来ない可能性が浮上し始めたからだ。「母さんが言ったんじゃ無いか。早めに会場に着いておきたいって」 確かに昨日、夕飯の席で水琴がそう言っているのを聞いた気はする。「そうは言ってもしょうが無いでしょう」 これでも急いでいるのよと反論をするは義母が焦って落ち着きが無い息子を軽く睨み付けた。「時間は有限なんだよ? 呑気に化粧してる場合じゃないからね!」 反論されたことに対して息子も息子で食って掛かるのだから、論争の終止符を打つタイミングが掴めない。どちらの言い分も分かる。だが、この問題は中々妥協点を見つけることが難しいのだろう。 ああ言えばこう言うの押し問答。終わらない論争に遂に痺れを切らした海亜が、二人の間に割って入り双方を宥める。「二人とも、落ち着いてください」 海亜の参戦により、冷静さを欠いていた二人の顔に一瞬、理性が戻った。「まずは、昴さん!」「はい!」 突然の名指し。予想外の展開にさっきまでの勢いが削がれ、昴は借りてきた猫のように大人しくなる。「女性の準備は時間がかかってしまうんです。お義母さんだって、わざと遅くしているわけじゃ無いのよ」「で、でも……」「急げ、急げと焦らされると余計に焦って手元が狂っちゃうの! 久しぶりに会いに行く友人の前にみっともない格好で出たいと思う?」「それは……」 一つ一つ順序立てて説明していけば、罰が悪そうに見る見る歪む相手の顔。「時間が押してしまっているのは分かってるから、お願いします。もう少しだけ待って貰えるかしら?」 それでも気になるのは迫る時間のタイムリミットだろう。腕に着けたブランドものの時計。その文字盤を確認しながら返す反応は芳しくない。ただ、海亜の言わんとすることは理解出来たようで、大きく溜息を吐くと「分かったよ」と言い残し昴は背を向ける。「先に駐車場に移動しておくから、なるべく早く来て欲しい」「分かった」 これで、問題の一つは解決した。「で、お義母さん」 今度は準備に手間取っている義母の番だ
last updateLast Updated : 2026-07-29
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30

「二人とも、今日はありがとうね」 友人との再会を楽しんだ義母の声は楽しそうに弾んでいる。文字以外のやり取りが実に久しぶりだったため、つい時間を忘れてしまったんだと申し訳なさそうに付け加えながらも、どういった話をしたのかや、一緒に華道を習ってみないかなど、いろんな話題で盛り上がったらしい。「お義母さんが楽しめたようで良かったです」 こんな風に時が経っても遠慮無く盛り上がれる相手が居ることが羨ましい。そう感じて居る自分の心に気付いた海亜は、ふと、自分にはそのような付き合いのある知り合いがいたのかを考えてしまう。「こっちはこっちで展示会を堪能出来たから、寧ろ良かったよ」 海亜の変化に気が付く気配の無い二人は、今し方堪能したばかりの芸術作品について語り合っているようだ。「そう言えば、母さんの友達の作品ってどれだったの?」「ああ、それはね……」 どうやら今回のことで、昴は多少なりとも華道というものに興味を持ったらしい。海亜と二人で回っていたときは展示されているものをただ流れに沿って見ていたが、義母と会話をすることでどう楽しめば良いのかを理解しようと再び会場内を回り始める。「でも昴に、華の良さが分かるのかしら?」「そりゃあ、専門家みたいに理解出来るって訳じゃ無いよ。でもさ、クライアントの中にはこう言った分野に興味のある人もいるんだよね。付き合いを円滑にするためには、少しでも知識があった方が交渉はスムーズに進むかもしれないじゃん?」「結局は、芸術よりも仕事が優先ってこと?」「まぁ、そんな感じかな?」 先を歩く二人よりも数歩遅れた距離。その位置から二人のことを追い掛けながらも、海亜は先程思った疑問に意識を囚われたままの状態で。「ねぇ、海亜はどう思う?」「え?」 だからこそ、急に話を振られたことに酷く驚いてしまった。「海亜?」「あ……」 一瞬流れたのは気まずい空気だ。「ごめんなさい。何の話をしていたんでしたっけ?」 この言い方だと、全く二人の会話を聞いていなかったと言っているのと同じだ。やってしまったと俯いた所で、時既に遅し。「もしかして、調子が悪いのかい?」 だが、幸いなことに昴は別の意味で海亜の態度を捉えているようだった。「朝早くから動いているし、ずっと歩きっぱなしだから疲れちゃった?」「いいえ。そんなことでは……」 ない。そ
last updateLast Updated : 2026-07-30
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