All Chapters of 婚約破棄されたあとに再会した幼なじみからの溺愛が止まりません: Chapter 41 - Chapter 50

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第四十一話 順番を間違えない男

 オレリアン・キャピタルからの出資を断るという仁の決断を前に、澪は焦った。「そんなことしたら、仁の会社がっ!」 全身から血の気が引くのがわかった。仁は大学院まで進んだのちに会社を起こし、Onlyéの名は今や国内で誰もが知るようになっていた。それをみすみす手放そうとしているのか。「ダーマコードは、仁の子どもみたいなもんじゃない……。今まで手塩にかけて育てた会社でしょ? それを……」 タオルを握る手に力がこもった。 くやしい。自分のせいで仁がそのような選択をしなければならないなんて。 顔を伏せ、自分のつま先を見つめた。目の奥がじんわりと熱くなり、涙があふれ出しそうになった。「俺が何年かけて、ここまできたと思っているんだ?」 仁のやわらかい声が頭上から降ってきた。澪がゆるゆると顔を上げると、仁は口の端だけを上げて、静かに言った。「澪もよくわかっているだろ? うちの会社は、もうベンチャー企業とは言えないほど成長した。広い意味ではまだベンチャーなのかもしれないが、俺は順番を間違えるつもりはない」 仁の瞳が徐々に真剣な眼差しになっていくさまを、澪はまっすぐ見つめた。「順番……」 仁はきっと、オレリアン・キャピタルからの出資を断っても会社を運営していけるだけの力を持っているのだ。そのような強い意志のようなものを感じる。 それでもやはり、不安は拭えない。微妙な表情をしていたのだろう。仁が口角を上げた。「しょうがないな。澪に教えてやるよ。ただ、うちの社内の状況を話すのは澪だからだ。他言無用で頼む」「も、もちろん」 仁は息を吐き出して説明を始めた。「まず、資金調達の件だが、うちはもう、ほぼ資金調達しなくてもいいぐらいの利益を得ている」 澪はなにも言わずにただ頷いた。それはよくわかっている。Onlyéだけを見ても、グロウセオリーのECサイトでかなりの売り上げを記録している。
last updateLast Updated : 2026-08-11
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第四十二話 反撃は企画書で

 次の日、澪は朝からモニターを睨みつけていた。カタカタとキーボードを叩く音が響く。瞬きすることさえ忘れてモニターを見つめていると、誰かに肩を叩かれ、「澪ちゃん」と呼ばれた。 ハッとして顔を向けると、奈央が心配そうに眉を下げて澪を見つめていた。「どうしたの? なんかすごい顔してモニター見つめてたけど。何度呼んでも気づかないしさ」「ダーマコードとのコラボ企画第二弾の件で、新しい企画を考えてて……」 奈央は片眉を跳ね上げ、「へえ」と興味深げに澪を見つめた。「そんなに必死なんだ。その仕事」「……はい。ちょっと……」 もごもごと口ごもると、奈央は澪の腕を引っ張った。「ちょっと、その話、聞かせてくれる? ほら、そろそろお昼だし。カフェにでも行こ」「えっ? ちょ、ちょっと奈央さん。あたしまだ……」「いいから、いいから。ほら、ちゃんと書類保存して。行くよ」「ええーっ!」 半ば、奈央に引きずられるように、澪はオフィスを後にした。  なにを聞かれるかは、店に入る前からわかっていた。「で? もう企画は通って、あとは販売するだけの商品なのに、新たな企画ってどういうことかな?」 奈央はホットサンドを頬張りながら、澪に聞いた。ガブッとかじりついた口の端から、トマトの汁がぴゅっと飛び出し、奈央は親指でそれを拭った。 澪はキッシュを見つめたまま、うつむいた。 こんなこと、奈央に話してもいいのだろうか。仁がベンチャーキャピタルの担当から言い寄られ、付き合わなければ出資しないと言われている。そんなことを、話せるはずがない。 しかも、出資の件は他言無用と言われた。他社の内情を勝手に話すことはできない。そもそも仁は、澪を信頼して話してくれたのだ。「え……っと。Onlyéはすでに認知されているから、普通に販売しても売れると思う
last updateLast Updated : 2026-08-12
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第四十三話 九時〇〇分

 朝九時、Onlyé for youの先行予約が始まった。 澪は胸の前で手を組んで、祈るように受注システムを見ていた。 スマホを開くと、タイムラインが流れるように動いていた。『自分の肌に合わせてセミオーダーできる化粧品なんて、神!』『こんな商品を待ってました!』『市販の化粧品が肌に合わずに困っていました』『大阪の催事のデモンストレーションで作ってもらいましたが、とてもよかったので絶対買いたい!』 けれど、それが実際の注文につながるかは、蓋を開けてみないとわからない。 澪の心臓は今にも口から飛び出しそうなほど、どきどきと音を立てていた。 まだ注文が入らない。 このまま先行予約が入らなかったらどうしよう。 澪はぎゅっと目をつぶった。 目を開けると九時〇一分だった。まだ予約開始から一分しか経っていない。 そのとき、最初の注文が入った。「あっ!」 澪は画面に釘付けになった。ようやく最初の予約が入り、ほっとした。けれど、その一件を合図にしたように、次から次へと予約が入ってきた。「……え?」 空欄だった注文一覧が、上から順に文字で埋まっていく。スクロールバーが、見る間に細くなった。 九時〇三分。サーバーがダウンしかけた。「ちょっと、注文システムが重くなってるんだけど!」「システム担当、なにやってんの?」「今、対応してます!」 社内が一気に慌ただしくなった。澪はオロオロとしたが、自分にはなにもすることができなかった。 そのとき、奈央が澪のデスクにやってきた。「澪ちゃん、順調そうだね」「そ、そうですけど……」 澪は不安そうな顔で奈央を見上げた。「大丈夫だって。澪ちゃん頑張ったんだもん」 奈央が澪の肩に手を置いた。そのあたたかさが緊張していた体をほぐしてくれた。
last updateLast Updated : 2026-08-13
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第四十四話 女の負け方

 麗奈から、出資に関する最終提案をするという連絡が来た。 仁は椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだまま、しばらく動かなかった。 オレリアン・キャピタルからの出資は、断る方向で決めている。理由は明らかだ。条件が一致しないのだ。麗奈が「仁と付き合うこと」を出資条件に入れているからに他ならない。 おそらく社の意向ではないにしろ、ビジネスとしてあり得ない条件だ。 仁は目を細めて、そのメールを睨みつけた。「澪以外、俺はいらないんだよ」 仁は机の上の書類を手に取った。そこには銀行からの融資決定額が記載されていた。当初こちらが要望していた額よりも、若干少ない。満額で融資を受けられれば、あの手を使わずに済んだのに。仁は資料を強く握りしめた。書類がぐしゃりと音を立て、しわが寄った。 そのとき、社長室のドアがノックされた。「はい、どうぞ」「社長、失礼します」 秘書が社長室へ入ってきた。手には手紙を携えている。「例の件に関しての返信が届いたようです」「ありがとう」 仁は手紙を受け取り、ペーパーナイフで封を開けた。文面を目で追ううちに、眉間のしわがほぐれていく。「いいお返事だったようですね」「おおむね……な」 仁は手紙を封筒に戻した。「それでは、私は失礼します。またなにかありましたらいつでもおっしゃってください」「いつもありがとう」 秘書は深々と頭を下げて、退室した。 これで、手札は出揃った。 背もたれにもたれかかると、ギシッと椅子がきしむ音が響いた。 金曜日に備えて資料をまとめ、真壁に同席を頼んだ。「ふたりでやらないのか」「やりません」 真壁は肩をすくめて、それ以上は聞かなかった。 仁はできあがった資料の端を、指で押さえた。それから、机の上のスマホに目をやって――手は伸ばさなかった。  金曜日、麗奈がダー
last updateLast Updated : 2026-08-14
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第四十五話 祝杯と鳴らないでほしかった電話

 Onlyé for youの本格的な発売はもう少し先だが、澪が企画した先行予約は大成功した。澪の気持ちは高ぶっていた。 その日、仁にメッセージを送ると《澪と仕事をするのは、ずるいぐらい楽しいな》と返事をくれた。 先行予約から一週間ほどが経った。もう仁にプライベートな連絡をしてもいいだろうか。上司から、Onlyé for youの発売までは私的な連絡を控えるよう言われていたため、言いつけどおり個人的なやりとりは避けてきた。 ――もう、Onlyé for youは世間に知れ渡ってるし、連絡しても、いいよね……。 言い訳だ、とわかっていた。 澪はベッドのヘッドボードに背中を預けて、スマホを開いた。仁とのメッセージ画面を表示した。《Onlyé for youの先行予約完売のお祝いをしたいんだけど、どうかな?》 入力し終え、送信ボタンの上で指が止まった。 本当に、正式な発売はまだなのに、このメッセージを送っていいのだろうか。もしかしたら、仁は今、先行予約分の生産の件で忙しくしているかもしれない。お祝いどころじゃない可能性だってある。 指が震えたが、気づけば送信ボタンを押していた。「あっ……」 送信されたメッセージを呆然と見つめていると、すぐに既読がついた。そして仁からの返信が来た。《いいな。週末に俺の家に来れるか?》 その返信を見て、澪は息をのんだ。 本当にいいのだろうか。澪はメッセージを打とうとするが、指が震えて動かない。 グッと目を閉じて深呼吸を一度した。それから目を開け、返信した。《いいよ。なにかつまむもの作ろうか?》 既読がすぐにつき、返信が届いた。《適当にデリバリーでも頼むから、手ぶらで来てくれ》 お祝いしたいと思っていたのは、澪のほうなのに。 けれど、仁が手ぶらで来てくれと言うのだから、甘えることにした。 
last updateLast Updated : 2026-08-15
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第四十六話 二度とかけてこないで

 仁が鋭い瞳で、澪のスマホの画面を見つめている。先ほどまでの甘い空気は、一気に冷えていった。 澪はふい、とスマホから目をそらした。このまま切れてしまえばいい。そう思っていた。 けれど、着信音はいつまで経ってもやまない。ローテーブルの上で、スマホは震え続けている。 そっと仁に目を向けた。 仁の顔からは色が抜け落ちていた。さっきまでそこにあった光は消え、仁は目を伏せている。まるで、自信をなくした子どものような表情だった。 どうしてそんな顔をするのだろう。仁はいつだって、自信に満ちあふれていたはずなのに。 ――仁にそんな顔をさせているのは、あたしだ。 澪はスマホの画面をにらみつけた。迷ったあげく、手を伸ばして電話に出た。「もしもし」 自分の声にびっくりした。今まで聞いたことがないほど低かった。『澪か? 俺だ、直哉』「……うん。なに?」『いや、なにって……。たいした用じゃねえんだけど』「たいした用がないんだったら、切るわよ」『いやいやいや、ちょっと待て!』 直哉が慌てた声を出した。一瞬スマホを耳から離しかけたが、すぐに耳に当て直した。「なによ。あたし、今忙しいんだけど」『最近さ、花音とうまくいってなくて』「ふーん。そう」 まったく興味のない話だった。直哉と花音がうまくいこうがいくまいが、澪には関係のないことだ。『あいつ、家のこと全然やらないんだよ。ちょっと注意しただけで泣くしさ。澪はそんなことなかったのにな』 比べられている。それも、自分に都合のいいところだけを切り取って。「それ、あたしに関係ないんだけど」『そんなこと言うなよぉ』 直哉が甘えた声を出した。五年間、澪はその声を何度も聞いてきた。かつてはこの声に、しかたないなと笑って許してきた。『やっぱり俺は、澪じゃないとだめみたいだ』「は? なに言ってんの
last updateLast Updated : 2026-08-16
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第四十七話 九条千華

 ダーマコードが胡蝶堂と資本業務提携を結ぶことになった。澪は仁から交渉の場に来てほしいと言われ、ダーマコードへ向かっている。 なぜ自分が呼ばれたのか、わからない。澪はダーマコードとコラボ企画をしたECサイトの担当者にすぎないのに。けれど、呼ばれたからには行くしかない。 ダーマコードに着くと、会議室へ案内された。そこには仁と真壁がいた。「遅くなりました」 仁が澪の顔を見てほほえんだ。けれど、その笑顔は心なしかこわばっているように見えた。「朝倉さん、わざわざご足労いただきありがとうございます。本日は議事録を取っていただきたいと思い、お呼び立てしました」 真壁が書類を手渡しながら言った。「私でよければ、お手伝いさせていただきます。けれど、御社の社員でもないのに、よろしいのですか?」「はい……。お恥ずかしながら、弊社は社員が二十五人しかいません。今はOnlyé for youのほうで、みんな手いっぱいでして」 澪が先行予約の企画をしたせいで、しわ寄せが来ているのだろうか。澪は眉を下げた。「すみません……。私が企画したせいで……」「いえいえ! そんなことはないんですよ。みんなやる気になってくれて、うれしい限りです。先行予約分は既存ラインで作ることになるので、調整が必要でして。加えて、新規ラインをどうするかも、みんな必死に考えてくれているんです」 真壁は本当にうれしそうに、にこにこと笑っている。社員に活気があるというのは、いいことだ。 その真壁が、ふと声をひそめた。「……まあ、それに。どうしても朝倉さんに、と言ったのは高宮ですので」「え?」 聞き返そうとしたが、真壁はもう書類のほうへ視線を落としていた。 澪は仁を横目で見た。仁はうなずきながら笑顔を浮かべている。けれど、その口元はこわばっているように見える。 ――今回の交渉に緊張してるの? 仁がぎこち
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第四十八話 訊く権利

 業界内の噂というのは、あっという間に広がるものだ。 次の日には、グロウセオリー内でも「ダーマコードの高宮仁と胡蝶堂の九条千華が婚約する」という噂が尾ひれをつけ、大きくなっていた。「高宮社長、婚約するんだってね」 給湯室から漏れる声に、澪は思わず足を止めた。別に聞きたいわけではないのに、勝手に耳に入ってくる。「胡蝶堂のご令嬢だって! 今いちばん勢いのある会社と、老舗コスメメーカーだもん。知らない人なんていないよね」「資本業務提携だけじゃなくて、結びつきまで強くするなんて、今どきすごいよね」 確かに、家と家の結びつきで結婚をするというのは珍しく聞こえる。けれど、両者の目的が一致すれば、そういうこともあるのだろう。 だったら、仁は。 訊けばいい。澪と仁は幼なじみだ。それぐらい訊ける関係のはずだ。 けれど、どんな顔をして、なんと言えばいい? 澪は唇を噛みしめて、その場を後にした。 背中で、まだ声が続いていた。「でもさ、こういうのって普通、断らないよね。会社のためだもん」  家に帰ってからも、何度も同僚の声が頭のなかにこだました。 スマホを取り出し、仁とのメッセージ画面を開く。 訊きたい。 あれ、本当なの? たったひとことじゃないか。それなのに、指がうまく動かない。 キーボードの上で指が止まったまま、時間だけが過ぎていく。 澪は仁にとって、なにものでもない。ただの幼なじみで、取引先だ。その関係で、個人的なことに踏み込む権利があるだろうか。 ――そう。権利。 自分の頭に浮かんだ言葉に、澪はうつむいた。 仁は好きだと言ってくれた。あれは紛れもなく本当だと思っている。 でも、好きなのと、結婚するのは別の話だ。好きだとは言われたが、結婚してほしいとは言われていない。 そもそも澪は、告白されておきながら、返事すらしていない。仁が澪に見切りをつけて結婚相手を探したとしても、責め
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第四十九話 彼のなんなんですか?

 千華は週末の土曜日の昼どきを指定してきた。ダーマコードとの交渉があるため、平日は忙しいのだろう。それだけでなく、ほかにも業務があるかもしれない。 澪も、平日でなくてよかったと思っていた。平日に千華とプライベートで会えば、仕事に支障が出るに決まっている。もし仁のことを話さなければならないとなれば、なおさらだ。 とにかく、会う約束をしたのだ。どんな話をされるにせよ、腹をくくって向かうしかない。 澪は、千華からもらったメッセージをじっと見つめた。 あのカフェを思い出す。麗奈に呼び出され、伝票を置かれた、あの午後。 ――今度は、なにを言われるんだろう。  土曜日、千華が指定したカフェへ向かった。 木でできたコテージのような外観だった。店の前には大小の素焼きの植木鉢が置かれ、季節の花々が咲き誇っていた。店の脇にはローリエの木がすっと立ち、ミモザの葉が入り口に影を落としている。「かわいいお店」 思わずそんな言葉がこぼれた。ドアを押すと、カランコロンとドアベルが鳴る。 待ち合わせの十分前だったので、まだ来ていないだろうと思っていた。けれど、千華はすでに店内にいた。背筋を伸ばし、本を読んでいる。花柄のワンピースがよく似合っていた。真っ黒な髪にダウンライトが反射して、つやつやと光っている。「九条さん、お待たせしました」 声をかけると、千華は本からゆっくりと目を上げた。「朝倉さん。ごめんなさい、気づかなくて」 パタンと閉じた表紙には、英語で「Cosmetic」という単語が並んでいた。論文か専門書だろうか。休みの日にまで、と思う。「どうぞ、座ってください」 差し出した手は指先までまっすぐ伸びていて、所作が美しい。やっぱりお嬢さまなのだと、改めて思い知らされる。「失礼します」 向かいに腰をおろしたが、居心地が悪くてもじもじしてしまう。「お名刺の番号にご連絡してしまって、すみません」「いえ、そんな」「お食事は? ここはハンバーグ
last updateLast Updated : 2026-08-19
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第五十話 名前のない関係

 千華とカフェで会ってから、ずっとあの言葉が頭を離れない。「あなたは、彼のなんなんですか?」 まっすぐ届いた言葉は、澪の胸を大きくえぐった。 ――あたしは……。 仁の幼なじみだ。それは間違いない。 仁の会社の取引先だ。それも間違いない。 仁に告白された相手。仁と一度だけ関係を持った相手。告白を保留したままの相手。仁のことが好きなのに、それを言えずにいる相手。 どれも当てはまるのに、どれも当てはまらない気がする。 どれかひとつを選んで名乗れるような、そんな名前が、ふたりの関係にはなかった。 この一週間、千華の言葉が頭のなかをぐるぐると巡っていて、仕事にも集中できなかった。「はあ……」 がっくりとうなだれて、ため息をつく。 本当に仕事が進まない。これではだめだとわかっているのに、体が動かない。「どうしちゃったのよ、澪ちゃん」 奈央に声をかけられて、ゆるゆると頭を上げた。「奈央さん……」「どうしちゃったの、その顔」「……え?」 そんなにひどい顔をしているだろうか。澪はぺたぺたと自分の頬に手を触れた。「澪ちゃん、鏡見てないの? くま、すごいよ」「そんなに!」 言われてみれば、ここ数日、夜に肌になにをつけたのか思い出せない。化粧水をはたいた記憶も、オイルの手ざわりも、どこにもなかった。手入れを飛ばすなんて、今までしたことがなかったのに。 自分が情けなくなって、眉が下がる。「なんか……ありえないです……」 よほどひどい顔をしていたのだろう。奈央が慌てて澪の肩に手を置いた。「ちょっと、澪ちゃん。もしかして、悩みごと?」「…………」
last updateLast Updated : 2026-08-20
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