All Chapters of 捨てたのはそちらなので、私は年下御曹司と婚約契約します: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話 先に確認するべきでしたね

 久世匡は朝から三度目の胃薬を机の上に置いた。 飲むか。 まだ耐えるか。 その判断を迫られている時点で、今日の業務はすでに健全ではない。 鷹宮グループ本社ビル、上層階。 総帥府特命戦略局の執務フロアは無駄に静かだった。足音は絨毯に吸われ、ガラス越しに見える都心の景色だけが、やけに現実離れしている。 その一角にある玲央の執務室で、久世はタブレットを片手に立っていた。 目の前のソファには鷹宮玲央が座っている。 いつも通り穏やかな顔。 いつも通り姿勢がいい。 そしていつも通り、時々とんでもないことをする。「久世さん。契約書の草案は送れましたか」「はい。朝比奈琴葉様の個人メールアドレス宛に、セキュアクラウドの閲覧リンクをお送りしました」「ありがとうございます。早いですね」「早くせざるを得ない状況を作られたのは玲央様です」「返す言葉がありません」 返す言葉がないなら、そもそも昨夜ホテルで初対面の女性に婚約契約を提案しないでいただきたい。 久世はそう思ったが、口には出さなかった。 出すと長くなる。 そして、長くなったところで玲央は反省した顔で聞き、最終的には同じことをする。 鷹宮家の血は強い。「それで、身元確認の方ですが」「はい」「重要な確認事項がございます」 久世の声が少しだけ低くなった。 玲央が顔を上げる。 その表情に緊張はない。むしろ、何か問題でも、と言いたげな穏やかさがある。 ある。 問題はある。 特大である。 久世はタブレットの画面を玲央へ向けた。「朝比奈琴葉様の勤務先が判明いたしました」「そうですか」「鷹宮ライフデザイン株式会社です」 数秒。 室内が静まり返った。 窓の外を走る車の流れだけが、遠
last updateLast Updated : 2026-07-04
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第12話 本当に勢いで財閥を動かしましたね

 婚約契約書_草案_v1.pdf。 そのファイル名を見つめたまま、私はしばらく動けなかった。 失恋の翌朝に開くには、あまりにも人生の方向転換が激しい。 陽斗からのメッセージには、もう返信済みだ。 必要な連絡は文章でお願いします。 たったそれだけ送るのに指先が震えた。けれど送ったあと、不思議と少しだけ息がしやすくなった。 私はもう、陽斗の都合のいい冷静な元婚約者ではいたくない。 その決意をした直後に御曹司側の婚約契約資料を読もうとしているのだから、人生は本当に忙しい。 私は深呼吸して、ファイルを開こうとした。 その瞬間、スマホが震えた。 画面には昨夜登録したばかりの名前。 鷹宮玲央。 朝から心臓に悪い名前だった。 出るかどうか迷う。 でも昨日、私は言った。口約束では信用できない。契約書を作ってほしい。考える時間が必要だと。 その相手からの電話を完全に無視するのも違う気がした。 私は通話ボタンを押す。「……はい」『朝比奈さん。おはようございます。朝早くにすみません』 玲央さんの声は、昨日と同じで落ち着いていた。 落ち着いている声なのに、こちらの生活を落ち着かなくさせる力がある。「おはようございます。資料は届いています」『確認ありがとうございます。その件で、先に謝らなければならないことがあります』 謝る。 その言葉に、私は少し身構えた。 昨日から今日にかけて、謝罪っぽいものにはだいぶ警戒心が育っている。「何でしょうか」『あなたの勤務先を、契約書作成のための確認で知りました』 私はスマホを耳に当てたまま固まった。『鷹宮ライフデザインにお勤めだと、今朝把握しました。昨夜の時点で確認していなかったのは、俺の落ち度です。申し訳ありません』 沈黙。 部屋の時計の
last updateLast Updated : 2026-07-04
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第13話 午後のお茶が戦場に見える

第13話 午後のお茶が戦場に見える 陽斗からのメッセージは、いったん見なかったことにした。 見れば痛い。 読めば腹が立つ。 返せば、たぶんもっと疲れる。 だから今は、画面の上から通知を消すだけにした。 逃げではない。 優先順位の変更である。 窓の外は昨日の夜が嘘みたいに明るかった。薄いカーテン越しに朝の光が差し込んで、床に四角い影を落としている。 いつもの部屋。 いつもの朝。 なのに、机の上には外した婚約指輪があって、パソコンの画面には鷹宮家のクラウドが開いている。 日常と非日常が同じ机に並んでいた。 並ばないでほしい。 私は冷めかけた水を一口飲み、パソコンに向き直った。 TAKAMIYA SECURE CLOUD。 名前からして圧が強い。 メール認証、SMS認証、ワンタイムパスコード。朝の寝ぼけた頭に、セキュリティの三段攻撃はかなりつらい。 ようやく開いた画面には、昨夜から人生を騒がせているフォルダが並んでいた。 婚約契約関連一式。 一式にしないでほしい。 私はその中から婚約契約書の草案だけを開いた。 細かい文面を一つ一つ読み込む余裕は、まだない。法律用語の森に入ったら、今日の私はたぶん帰ってこられない。 だから先に自分が守りたいものを決めることにした。 仕事。 名前。 意思。 そして、これ以上誰かの都合で勝手に物語を決められないこと。 鷹宮ライフデザインでの仕事は私にとってただの勤務先ではない。 陽斗の婚約者だから続けていたわけでも、誰かに褒められるために選んだわ
last updateLast Updated : 2026-07-05
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第14話 お茶会の場所が強すぎる

 午後のお茶。 その言葉だけなら、かわいい。 焼き菓子と紅茶。きれいなカップ。静かな会話。 けれど相手は鷹宮静華さんである。 昨日の夜、初対面の私を一瞬で見抜いた人だ。玲央さんの母で、あの長すぎる肩書の御曹司を三十分で回収した人でもある。 かわいいだけで終わるはずがない。 久世さんから届いた案内メールには、場所が記されていた。 鷹宮迎賓館、青藍の間。 お茶の場所に、間の名前がある。 もうその時点で負けている。 服装については、こう書かれていた。『平服でお越しください』 平服。 この言葉ほど信用できないものはない。 鷹宮家の平服と、私の平服が同じ世界に存在しているとは思えない。 私はクローゼットの前で十分悩んだ末、淡いグレーのワンピースにカーディガンを合わせた。派手すぎず、地味すぎず。仕事帰りの食事にも行けるくらいの服装。 鏡の前に立つ。 顔色は悪くない。 たぶん。 目の下の疲れはコンシーラーでだいぶごまかした。 左手の薬指には、まだ薄い跡が残っている。 指輪はつけなかった。 代わりに小さなパールのイヤリングをつける。昨日のパーティーと同じものだ。母から借りた、大げさではないけれどきちんと見えるイヤリング。「大丈夫」 鏡の中の自分に言った。 大丈夫かどうかは知らない。 でも、言葉にしないと玄関を出られなかった。◇◇◇◇ 鷹宮迎賓館は私の想像よりずっと迎賓館だった。 門がある。 庭がある。 警備員さんがいる。 建物は白を基調にしていて、古い洋館のような重厚さと、隅々まで磨かれた現代的な清潔感が同居していた。 午後のお茶に来ただけなのに、入館の時点で背筋が伸びる。 受付で名前を告げると、女性スタッフがすぐに微笑んだ。
last updateLast Updated : 2026-07-05
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第15話 総帥のお茶は冷めない

 玲央さんの祖母。 その言葉だけで背筋が伸びた。 鷹宮グループの本当のトップ。総帥。名誉会長。筆頭株主。 肩書だけなら昨日からずっと浴びている。玲央さんの名刺も、久世さんのメールも、画面越しの資料名も、どれも情報量が多かった。 でも、人そのものが来るとなると話が違う。 私は紅茶のカップを置き、膝の上でそっと指先をそろえた。 落ち着け。 まだ契約前。 契約前なのに総帥が来る理由は考えない方がいい。 扉が静かに開いた。 入ってきたのは、小柄な女性だった。 白髪をきれいにまとめ、淡い藍色の着物を着ている。年齢を重ねた柔らかさがあるのに、歩くたび部屋の空気が自然と道を開けるようだった。 その人は静華さんを見て、それから私へ視線を移した。 目が合った瞬間、私は思わず息を止める。 怖い、とは少し違う。 ただ、隠しているものまで見つけられそうな目だった。「あなたが朝比奈琴葉さんね」 声は穏やかだった。 静かな水面に指先を触れるような声。 私は立ち上がり、頭を下げた。「朝比奈琴葉と申します。本日はお目にかかれて光栄です」「あら、きちんとなさるのね。急に来たのはこちらなのだから、そんなに固くならなくていいのよ」 そう言われても、固くならない方が難しい。 相手は鷹宮グループの総帥である。 平服より信用できない言葉が、また一つ増えた。 女性は静華さんの隣に腰を下ろした。「鷹宮百合子です。玲央の祖母で、この家では少しばかり口うるさい老人をしているわ」 少しばかり。 たぶん、少しではない。 けれど私は微笑んで返した。「お噂は、少しだけ伺っております」「まあ。玲央から?」「いいえ。玲央さんからは、まだそこまで伺っていません。状況の説明だけで、昨夜は時間がほとんどなくなりましたので」
last updateLast Updated : 2026-07-05
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第16話 まだ婚約者ではない夕食会

 二日後。 私は鷹宮家の車に乗っていた。 なぜこうなったのか。 説明はできる。 玲央さんが白藤家との顔合わせから逃げた。  その埋め合わせとして夕食会が組まれた。  玲央さんには真剣に今後を考えている相手がいる。  では、その相手を連れてきなさい。 流れとしてはわかる。 ただし、そこに私が座っている理由は今でも少しわからない。 契約書は、まだ最終署名していない。 ただ、この夕食会に同席することだけは承諾した。 白藤家には、先日の席を中座したことへの謝罪と説明に加えて、玲央さんが今後を真剣に考えている相手が同席するとだけ伝えられているらしい。 名前も家柄も、詳しいことは伏せられている。 だからこそ、怖い。 白藤家はきっと、私をどこかの名家の娘だと思っている。 鷹宮玲央が、白藤家との縁談を断ってまで連れてくる相手。 鷹宮静華が、夕食会の席に同席させる相手。 そう聞けば、普通はそう考える。 私が普通の会社員の娘だと知った時、あの人たちはどんな顔をするのだろう。 玲央さんが白藤家との縁談をこれ以上進めない意思を示す場に、本人として同席する。  ただし、私が自分から婚約者だと名乗る必要はない。  白藤家への説明は玲央さんと鷹宮家が負う。  そして、虚偽の恋愛感情を過度に演出しない。 最後の一文は久世さんの文面そのままだ。 虚偽の恋愛感情を過度に演出しない。 そんな注意書きが必要な夕食会とは何なのか。「緊張していますか」 隣の玲央さんが静かに尋ねた。 車内は広く、恐ろしく静かだった。シートは座り心地がよすぎて、逆に落ち着かない。「しています」「すみません」「謝られると、余計に現実味が増します」「では、謝りません」「それはそれでどうかと思います」 玲央さんは少
last updateLast Updated : 2026-07-06
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第17話 家柄という見えない椅子

 席に案内されながら、私は自分の背筋がやけにまっすぐになっていることに気づいた。 鷹宮家の食堂は広い。 広い、というより、余白が多い。壁にかかった絵も、テーブルに並ぶ銀器も、窓の外に見える庭も、すべてが計算されたみたいに静かだった。 その静けさの中で、私だけが少し浮いている。 そう思わないようにしても、無理だった。 向かい側には白藤家のご夫妻。 穏やかに微笑んでいるけれど、目は笑っていない。怒りを隠しているというより、まず私が何者なのかを測っているようだった。 当然だと思う。 昨日まで白藤家との縁談が進むはずだった。 そこへ突然、玲央さんが別の女性を連れてきた。 白藤家からすれば、私は割り込んできた人間だ。 しかも、玲央さん本人と静華さんと百合子さんがこの場に同席させている。ならば、相応の家の娘だと考えるのが自然なのだろう。 相応。 その言葉が見えない椅子みたいに私の前に置かれている気がした。 私はたぶん、そこに座る資格を持っていない。「白藤さん」 静華さんが柔らかい声で口を開いた。「こちらが朝比奈琴葉さんです。玲央が今後を真剣に考えている方として、本日同席していただきました」 婚約者、とは言わなかった。 でも、意味は十分に伝わる。 玲央さんが白藤家との話を進められない理由。 その場に私がいる。 白藤さんのお父様は、ゆっくりと私へ視線を向けた。「朝比奈様、とおっしゃいましたな」「はい」「失礼ながら、朝比奈家とは、どちらのご縁でいらっしゃるのでしょう。私どもの勉強不足でしたら申し訳ない」 丁寧な言葉だった。 けれど、聞かれていることはわかる。 あなたはどこの家の娘なのか。 白藤家に代わって鷹宮家が選ぶほどの家なのか。 私は膝の上で指先をそろえた。 逃げても仕方がない。
last updateLast Updated : 2026-07-07
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第18話 春の雪は溶けたふりをする

白藤紗雪さんのひと言で食堂の空気は少しだけ整った。 整っただけだ。 やわらいだわけではない。 白藤家のご夫妻は怒りを飲み込んでいる。静華さんは穏やかに微笑んでいる。百合子さんは紅茶ではなく食前酒のグラスを指先で揺らしながら、この場そのものを眺めている。 そして玲央さんは私の隣に座っていた。 近い。 けれど、近すぎない。 婚約者としては少し遠いのかもしれない。だけど契約前の私には、この距離がありがたかった。 白藤さんのお父様が低く息を吐いた。「玲央様。確認させていただいてもよろしいでしょうか」「はい」 玲央さんは背筋を伸ばした。 柔らかい顔立ちなのに、その瞬間だけ場の温度が変わる。昨日のホテルで見た、逃げている人の顔ではなかった。「先日の席は私どもとしても大切なものと受け止めておりました。もちろん、若い方のお気持ちを無視するつもりはございません。ですが、白藤としては、鷹宮家とのお話が具体的に進むものと考えていたのです」 言葉は丁寧だった。 けれど、意味ははっきりしている。 白藤家は軽く扱われた。 その怒りが上品な布に包まれてテーブルの上に置かれている。 玲央さんは逃げなかった。「先日、席を外したことについては、俺の不手際です。白藤家の皆様に失礼な形となりました。申し訳ありません」 玲央さんは深く頭を下げた。 私は隣で息を止めた。 御曹司が頭を下げる。 その重さを、この場にいる全員が理解しているようだった。 白藤さんのお母様が扇子を握る指に力を込める。「では、そのうえで、朝比奈様をお連れになったのはどういうお考えなのでしょう。昨日今日のお話ではないと、そう受け取ってよろしいのですか」 来た。 私は膝の上で指先を軽く握った。
last updateLast Updated : 2026-07-07
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第19話 選ぶなら、私の手で

夕食会が終わったあと、私は鷹宮家の玄関ホールで深く息を吐いた。 食事はおいしかった。 たぶん。 味を覚えていないだけで。 白藤家のご夫妻は最後まで礼儀正しかった。けれどその礼儀正しさの奥に、薄く張った氷のようなものがあった。 紗雪さんは最後まで穏やかだった。 穏やかすぎて、怖かった。 玲央さんと私は、静華さんと百合子さんに見送られて車に乗った。夜の庭を抜けるまで、車内にはしばらく沈黙が落ちていた。「今日は、本当にすみませんでした」 先に口を開いたのは玲央さんだった。 私は窓に映る自分の顔を見た。 疲れている。 でも、不思議と昨日ほど壊れてはいない。「謝ること、多いですね」「はい」「自覚があるなら、少し減らしてください」「努力します」 真面目に返されると責めきれない。 私は膝の上で指先を組んだ。「白藤さんに対して、玲央さんはちゃんと謝っていました」「それは当然です」「当然をちゃんとできる人は、案外少ないと思います」 陽斗の顔が少しだけ頭をよぎった。 柔らかい言葉。 穏便という言葉。 私を傷つけたことより、莉愛さんを不安にさせないことを優先したメッセージ。 私は小さく息を吸った。「契約を断ることは、まだできますよね」「もちろんです」 玲央さんはすぐに答えた。「今日の件で負担が大きいと感じたなら、断ってください。白藤家への説明は、俺と鷹宮家で引き受けます」 その言葉は、たぶん本当だ。 この人は私を無理に縛ろうとはしていない。 でも、断ればすべてが元に戻るわけではなかった。 白藤家の前に座った私は、
last updateLast Updated : 2026-07-08
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第20話 契約は結んだ瞬間から履行される

最終版の契約書に署名したのは火曜の夜だった。 仕事から帰り、化粧も落とさないままパソコンを開いて、TAKAMIYA SECURE CLOUDにログインする。 画面には何度見ても慣れない文字が並んでいた。 一年間の期間限定婚約契約。 契約締結日より一年間。 双方の合意がある場合に限り、期間満了前に協議のうえ更新可能。 恋ではない。 けれど、もうただの事故でもない。 私は電子署名の欄に自分の名前を入力した。 朝比奈琴葉。 その四文字が画面に表示された時、胸の奥が小さく震えた。 選んだ。 選ばれたのではなく、流されたのでもなく。 私は、私の名前でこの契約を選んだ。 そして翌日。 世界は意外なほど普通だった。 朝起きて、顔を洗い、会社に行く。電車は混んでいたし、駅前のコーヒーショップにはいつもの行列ができていた。 鷹宮ライフデザインのオフィスでも、誰も私を特別扱いしない。 当然だ。 社内には何も知らされていない。 私はいつも通り資料を直し、会議に出て、上司から追加の確認を頼まれた。 それがありがたかった。 私の世界が、まだ全部壊れたわけではないとわかるから。◇◇◇ 夕方、定時を少し過ぎた頃、スマホが震えた。 陽斗からだった。『今日、少しだけ家に行ってもいい? ちゃんと顔を見て話したい。文章だけだと誤解が増える気がする』 私はデスクで息を止めた。 家。 その一文字で指先が冷えた。 陽斗は私の部屋を知っている。何度も来たことがある。婚約者だったのだから当然だ。 でも、今は違う。 私はすぐに返信した。『来ないでください。必
last updateLast Updated : 2026-07-08
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