All Chapters of 捨てたのはそちらなので、私は年下御曹司と婚約契約します: Chapter 21 - Chapter 30

55 Chapters

第21話 安全確保条項が現実になった

現在地を送ると、久世さんからすぐに返信が来た。『そのまま駅構内、もしくは人目のある場所でお待ちください。玲央様にも共有いたします』 私は駅前の柱のそばで、スマホを握ったまま立ち尽くした。 人はたくさんいた。 会社帰りの人。買い物袋を下げた人。誰かと電話しながら歩く人。 いつもならただの雑踏なのに、今はその人の多さが少しだけありがたかった。 陽斗はもうマンション前にはいないかもしれない。 来訪履歴があっただけだ。 会っていない。何もされていない。 それでも、帰るのが怖いと思ってしまった自分に一番驚いていた。 スマホが震える。 今度は玲央さんからメッセージだった。『朝比奈さん。今、電話しても大丈夫ですか』 私は少し迷ってから、短く返信した。『大丈夫です』 数秒後、玲央さんから着信が入った。『今どちらですか』「駅前です。人は多いです」『よかった。家には戻らないでください』 声は落ち着いていた。 でも、昨日までより少し硬い。「そこまで大げさにしなくても」『大げさかどうかは、こちらで判断します。来ないでほしいと伝えた相手が自宅まで来た。十分です』 十分。 その言葉に喉の奥が詰まった。 私が感じた怖さを勝手に小さくされなかった。 それだけで少し息がしやすくなる。『久世が車を手配しています。十分ほどで着きます』「車」『はい。今夜は一度、別の場所へ移ってください』「別の場所って、ホテルですか」『いえ。契約書に基づく生活安全確保用の住居です』 私は駅前の明るい看板を見上げた。 生活安全確保用の住居。 言葉が強
last updateLast Updated : 2026-07-09
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第22話 仮住まいの顔をしていない

案内された部屋は、仮住まいという言葉から一番遠い場所だった。 玄関だけで私の部屋のキッチンくらいある。 廊下はまっすぐ伸びていて、壁には間接照明が入っている。奥のリビングには大きなソファと低いテーブル。窓の向こうには、夜景。 夜景。 自宅で夜景という単語を使う日が来るとは思わなかった。「こちらは、鷹宮側で管理している住居の一つです。現在は空室で、家具家電も一通りそろっております」 久世さんは淡々と説明した。 その淡々さが怖い。 たぶんこの人にとっては、これもただの業務なのだ。「空室」「はい」「この部屋が」「はい」「空いているから使ってください、みたいな温度で出てくる部屋ではないと思います」「安全性を優先しておりますので」 また安全性。 便利な盾だ。 私はリビングへ足を踏み入れた。ふかふかの絨毯がパンプスの音を吸い込む。キッチンは広く、冷蔵庫も大きい。浴室はガラス張りではなかったので、そこだけは心から安心した。 ただし洗面台が二つある。 なぜ。 一人暮らしの安全確保に洗面台は二つ必要なのか。「久世さん。ここ、私一人で使うんですか」「もちろんです。玲央様の住居とは別ですし、出入りも記録管理されますので、ご安心ください」 そこは少し安心した。 玲央さんの近くに置かれるのではなく、あくまで私のための住居。契約上の保護。そう頭では理解できる。 けれど、目の前のリビングは私の理解を軽々と越えていた。 広い窓。落ち着いた色のソファ。使われるのを待っていたみたいに整えられたキッチン。ホテルみたいなのに、ホテルではない。誰かの生活のために用意された場所だ。「今夜はこちらにお泊まりいただくことをおすすめします。必要最低限の衣類や日用品は、すでに手配
last updateLast Updated : 2026-07-09
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第23話 普通の朝が高すぎる

翌朝、目が覚めた瞬間、私は天井を見て固まった。 知らない天井。 正真正銘、知らない天井だった。 白くて高い。照明が埋め込まれていて無駄に上品。自分の部屋なら目を開ければすぐに小さな照明と見慣れた壁があったはずなのに、ここには余白がある。 余白が高い。 私はベッドの上でゆっくり起き上がった。 昨夜は結局、久世さんに勧められるままこの部屋に泊まった。仮滞在。あくまで仮。そう言い聞かせたのに、ベッドの寝心地がよすぎて、悔しいくらいよく眠れてしまった。 悔しい。 安全性だけでなく睡眠の質まで確保されている。 枕元のスマホにはいくつか通知が来ていた。 陽斗からのメッセージもあった。『昨日は行き違いになったみたいだね。勝手に行ったのは悪かったけど、琴葉とちゃんと話したかっただけなんだ』 勝手に行った。 悪かった。 だけど。 その三つが綺麗に並んでいて、私は画面を伏せた。 今は読まない。 朝から元婚約者の自己弁護を摂取するには胃がまだ起きていない。 代わりに久世さんからのメールを開く。『朝比奈様 昨夜は仮滞在にご同意いただきありがとうございました。 出勤に必要と思われる衣類、最低限の日用品、朝食をご用意しております。 本滞在への切替につきましては、朝比奈様のご意向を最優先に、改めてご相談させていただきます』 最低限。 私は寝室を出て、リビングの隣にあるウォークインクローゼットを開けた。 そこにはグレーのジャケット、白いブラウス、落ち着いた色のスカート、パンプス、ストッキング、バッグまで並んでいた。 最低限の概念がまた遠くへ行った。 しかもサイズが合いそうだった。 怖い。 便利より先に怖い。
last updateLast Updated : 2026-07-10
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第26話 戻らないことも、選択だった

契約協力金の桁に驚いてから五日が過ぎた。 その間、世界は意外なほど普通だった。 朝起きて、会社へ行く。 朱音に服を観察される。 会議で資料を直し、昼休みにコンビニの新作プリンを食べる。 玲央さんから届く連絡も必要なものだけだった。 久世さんは相変わらず返信が早い。 そして私は、まだ仮住まいにいた。「……慣れてきてる」 金曜の夜。 私はリビングのソファに座り、目の前の夜景を見た。 最初は強すぎると思った部屋も、五日も暮らせば少しずつ生活の形がつく。 テーブルには仕事帰りに買った雑誌。 冷蔵庫には自分で選んだヨーグルト。 洗面台の片方には、いつの間にか私の化粧品が並んでいた。 洗面台は二つある。 そこだけは、まだ納得していない。 スマホが震えた。 玲央さんからだった。『明日、お時間いただけますか。今後の住居についてご相談したいです』 私は少し考えてから了承した。 翌日の午後。 玲央さんは一人で来た。 それだけで少し驚いた。「久世さんは?」「今日は来ません」「珍しいですね」「俺も一人で話せます」「そこは疑っていません」 玲央さんは少しだけ笑った。 私たちはリビングのテーブルを挟んで座る。 差し出されたのは、分厚い資料ではなかった。 タブレット一台。 それだけで安心する自分がいる。「選択肢は三つあります」 玲央さんは画面をこちらへ向けた。「一つ目は、元のお住まいへ戻る。必要であれば警備会社との契約や、防犯設備の追加はこちらで負担します」「普
last updateLast Updated : 2026-07-11
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第27話 眠っていた企画が起き上がる

月曜の朝。 新しい部屋から出勤した私は、いつも通りパソコンを立ち上げ、未読メールを確認していた。 契約婚約者になっても月曜は月曜だ。 会議はある。 修正依頼は来る。 金曜の夕方に送ったはずの資料について、なぜか月曜の朝一番で質問も飛んでくる。 世界は思ったより律儀だった。「琴葉。十時から会議室B」 隣から朱音の声が飛んできた。「何の?」「知らない。部長から朝比奈さんも入れてって言われた」 私は予定表を開いた。 確かに十時から会議が追加されている。 件名は短い。『生活支援サービス再検討』 その文字を見た瞬間、指が止まった。 生活支援サービス。 半年前、私が出した企画案の名前だった。 共働き世帯や単身者向けに、家事代行、買い物支援、地域サービスを一つの窓口でつなぐ仕組み。 大きな案ではない。 むしろ地味だった。 だからこそ必要だと思っていた。 けれど当時は、収益性が弱い、既存事業との重複が多い、時期尚早。 そんな理由で見送りになった。「……なんで今?」 思わず呟くと、朱音がこちらを見た。「心当たりあるの?」「ある。でも、半年前に死んだ企画」「じゃあ蘇生したんじゃない?」「企画ってそんなに簡単に蘇生する?」「知らない。たまに墓から資料を掘り返す人いるし」 否定できない。 それでも胸の奥に別の疑いが浮かんだ。 鷹宮玲央。 契約婚約。 私の勤務先は鷹宮グループの系列会社。 まさか。 その可能性を考えた瞬間、嬉しさより先に警戒が立った。
last updateLast Updated : 2026-07-12
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第28話 俺は関与していませんよね

鷹宮グループ総帥府特命戦略局。 次世代事業統合・再編監理室。 その会議室で、玲央は午後の報告資料に目を通していた。 机の上にはグループ各社の新規事業案件が並んでいる。 物流。 住環境。 ヘルスケア。 地域サービス。 その中の一件で玲央の指が止まった。「久世さん」「はい」「この案件ですが」 玲央が資料を少し持ち上げる。 久世は画面を確認し、すぐに内容を把握した。「鷹宮ライフデザインの生活支援サービス再検討案件ですね。既存の会員基盤を活用し、単身世帯向けサービスとして再構成する案です」「担当者の名前を見ました」 玲央の声は穏やかだった。 だが久世は眼鏡の奥で、ほんの少しだけ目を細めた。「朝比奈琴葉様が企画チームに入っております」「……俺は関与していませんよね」 久世はすぐには答えなかった。 手元のタブレットを操作し、関連記録を確認する。 玲央は黙って待った。 契約締結の際、琴葉は勤務先への不要な通知を明確に拒んだ。 人事評価。 異動。 昇進。 そこへ自分が直接影響を与えないことも条件に入っている。 玲央自身、それを当然だと思っていた。 だからこそ気になった。 自分の知らないところで誰かが先回りしていないか。 鷹宮という名前は、ときに本人の意思より早く動く。「確認できる範囲では、関与はありません」 久世が顔を上げた。「企画の再検討は、先月実施された顧客調査と、事業推進室による過去提案の再点検が起点です。朝比奈様の元案が再抽出されたのは、契約交渉開始前ですね」 玲央の視線が資料へ
last updateLast Updated : 2026-07-12
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第29話 正しい企画が、現場で正しいとは限らない

企画が再始動して二週間。 私は早くも壁にぶつかっていた。「率直に言いますね」 会議室の向こうで生活サポート事業部の課長が資料を閉じた。「この案をそのまま進められると、現場は回りません」 声は穏やかだった。 だからこそ、重かった。 私の隣では事業推進室の担当者が黙っている。向かいには既存サービスを運営する二部署の責任者。 今日の目的は、再設計した企画案への意見聴取だった。 私は資料の上で指を組み直す。「どの部分が一番厳しいと感じられますか」「一番、と言われると困りますね。家事支援、買い物代行、地域サービスの案内を一つの窓口にまとめる。利用者には便利でしょう。ただ、問い合わせを受けた後、誰が案件を振り分けるんです?」「一次窓口で内容を整理し、既存部署または提携事業者へ――」「その一次窓口が、現場を理解していなければ?」 言葉が止まった。 課長は責める様子もなく続けた。「買い物代行一つでも、単純な注文と定期支援では必要な対応が違います。高齢のご家族が絡めば、見守り案件になることもある。窓口を一本にするほど、最初に判断する人間には広い知識が必要になる」 別部署の責任者も頷いた。「しかも今の案だと、問い合わせ件数が増えた時の負担が各部署に落ちますよね。新しいサービスの数字は企画側につく。でも実働は既存部署。現場から見れば仕事だけ増える形です」 胸の奥がずしりと重くなる。 反論はできた。 連携体制を整える。 研修を作る。 業務量に応じて人員を再配置する。 資料にも書いてある。 けれど今、それを口にするのは違う気がした。「……つまり、利用者側の入口は整理できても、社内側の出口が整理できていないということですね」 課長が少しだけ目を細めた。
last updateLast Updated : 2026-07-13
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第30話 便利の裏側にいる人たち

現場を見せてほしい。 そう言った翌週、私は生活サポート事業部の受付カウンターに立っていた。 もちろん客としてではない。 見学者用の名札を首から下げ、邪魔にならない場所で業務の流れを確認する。 そのつもりだった。 「朝比奈さん。そこにいて電話取れます?」 「え?」 「見てるだけだとわからないでしょう。一次受付だけでいいので、隣に座ってください」 先日の会議で企画案を止めた課長は、悪びれもせず空いている席を示した。 私は名札を見下ろす。 「見学では?」 「実務を見るんですよね?」 正しい。 正しいけれど、想定していた現場見学と少し違う。 結局私は担当者の隣に座り、問い合わせ対応を聞かせてもらうことになった。 最初の電話は買い物代行についてだった。 足を悪くした母親のために、週二回だけ頼みたい。 一見、簡単な相談に思えた。 けれど話を聞くうちに、事情が変わる。 母親は一人暮らし。 最近、冷蔵庫に同じ食品が増えている。 本人は支援を嫌がっている。 娘は遠方に住んでいる。 担当者は買い物代行の説明だけで終わらせず、見守りサービスの案内までつないだ。 電話を切ったあと、私は思わず聞いた。 「最初の相談内容だけなら、買い物代行ですよね」 「そうですね。でも、そのまま受けると危ない場合があります」 「どうやって判断するんですか」
last updateLast Updated : 2026-07-13
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