All Chapters of 冷酷なCEOが溺愛するのは「悪女」: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話 心の悲鳴

夜。書斎で樹は机へ向かっていた。そして、新しい書類に手を伸ばしたとき。 コンコン。樹は時計を見た。少し口元が緩む。「どうぞ」入室を許可すると、小春がティーセットを載せたワゴンを押して部屋へ入ってきた。「休憩しませんか?」「そうだな」樹が頷くと、小春は柔らかく微笑む。そして慣れた手つきでカップへ紅茶を注ぎはじめた。この時間に紅茶を運ぶことは、いつの間にか二人の日課になっていた。「茶葉を変えたか?」「今日作ったバタークッキーにはこちらが合うと……えっと」小春はエプロンのポケットから小さなメモ帳を取り出す。「ウバという種類です。渋みが少なく、香りが強く、キレのある味で、チョコレートにも合うそうです」渡されたとき言われたであろうことを、そのまま説明する小春に樹は小さく笑う。「そうか」樹は置かれた皿に乗っているクッキーを手に取り、一口齧る。「小春が作ったにしては、甘さが控えめだな」「そのほうが紅茶の風味が引き立つと聞いたので」カップを口元へ運ぶ。「うん、美味い」「よかったです」小春は嬉しそうに笑う。「庭にハーブがたくさん植えてありますよね」「ああ」「今度は摘みたてで、お菓子や、あとハーブティーを淹れてみたいと思っています」「ほう」「ミントやレモンバームは爽やかな香りで、お仕事の気分転換にもなると思って」「図鑑にそう書いてあったのか?」樹の指摘は正確で、小春は少しだけ顔を赤らめる。知ったから試してみたいなんて、子どものようだと思われたかもしれないと小春は思った。「図鑑が役に立っているようで良かった」樹は静かに頷いた。「ハーブティーは飲んだことがない。楽しみにしている」小春の表情は自然と明るくなった。「紅茶のお代わりは?」「もらおう」小春が頷いて、カップに手を伸ばしたときだった。小春の手が机の上の書類に触れ、ひらりと机から落ちる。「すみません!」小春は慌ててしゃがみ、落とした書類を拾った。「ありがとう」「いえ、落としたのは私なので……」声に変化があり、樹は小春を見た。小春は一枚の書類を見ていた。「小春……?」思わず尋ねると、小春がパッと書類から目を離す。「すみません!」「いや……何か、気になることがあるのか?」勝手に仕事の書類を見てしまったことに申し訳なさはある。だが、それ
last updateLast Updated : 2026-08-20
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第52話 お前にしか見えないもの

書斎は静かな沈黙に包まれた。樹は始末書を受け取り、もう一度目を通す。「樹さん……?」小春は不安そうに声を掛けた。「すみません。私、変なことを言ってしまいました」「いや」樹は静かに首を横へ振る。「むしろ逆だ」「え?」樹は始末書の一節を指差した。【ご迷惑をお掛けしないよう努力いたします】「反省が書き連ねられた文章を読んで、これで締められたら、俺なら問題なしとしてしまう」始末書の本質は、同じ失敗を繰り返さないためのものだ。失敗の罪を責めるものではない。「だが、お前は違うものを見た」小春は少し困ったように微笑んだ。「仕事の内容が分からないから、言葉ばかりが気になってしまって」「それもあるかもしれない」樹は静かに言う。「でも、謝り慣れているのは……お前も、そうだったからではないか?」小春の表情がわずかに変わる。痛みを感じたように歪み、諦めに似た表情になる。篠原家に来た頃によく見た表情だ。癒えかけていた傷を抉ってしまった気がした。「謝り続けていました」小春は困ったかのように笑った。仕方がないな、と。自分を情けなく思っているようで。その哀しい笑顔に、樹は胸が締めつけられた。「『ごめんなさい』って言えば終わることが多かったので、いつの間にか癖になってしまって」「そうか……」小春は始末書を見る。「もう、何が悪いのか分からないんです。何をやっても謝っているから……本気で謝ってなんかいないんです。だから、また繰り返してしまう」樹は反射的に口を開いたが、言うことが見つからず口を閉じる。悪いのは小春ではない。小春の家族のほうが
last updateLast Updated : 2026-08-21
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第53話 若い庭師

――お前にしか見えないものがある。樹の言葉は、それから小春の胸に残り続けていた。(私にしか見えないもの……)考えてみても答えは出ない。(私は何を見ているのだろう)表情だろうか。人の表情を気にしてしまうことには、気づいている。不満や苛立ちを向けてくる家族だったから。今日はそれが酷くなければいいと願う日々だったから。相手の表情を読んで行動してしまう。(でも、それは……)卑屈とか、媚びを売っていると言われたから。良いこととは小春には思えない。.夕方、小春は庭へ出ると、覚えたばかりのハーブを図鑑と見比べていた。「レモンバーム……オレガノ……あれ、違う?」葉が似ているけれど、雰囲気が違う気がする。これは何かと考えていたら、庭師の新井が近づいてきた。「小春様」「はい?」呼ばれて振り返ったものの、彼は困った顔をしていた。思わず小春は首を傾げる。「どうしましたか?」「あの……樹様が小春様と話をしろ、と」「庭のこと、ですか?」まだ何を植えるか決めていない場所のことだろうか。「いや、そういうわけではないようなのですが……」新井は何かを探すように目を泳がせ、頬を掻いた。「なぜか、小春様に話せと……何を話せばいいのでしょうか」話しかけてきたのは新井だが、新井自身も何を話せばいいか分からない。まさかの展開に小春は困ったが、同時に考える。(樹さんが、私と話をしろと……でも、庭のことではない……)花のこと以外で、新井に関わること。
last updateLast Updated : 2026-08-22
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第54話 自信をつける

「それ、ではありませんか?」「それとは……教えること、ですか?」何がいけないのかと新井は首を傾げる。技術と言うのは座学で身につくものではない。先輩職人から聞いて、見て、実地で身につくことが多い。だから教えているのだが。「みなさんのやっていることを見て、できない自分を責めているのでは?」「できないのは当然です。だから教えているのですよ」「そうなのですが……」どうやって説明していいのか小春には分からない。そのもどかしさで、小春は顔を歪める。その表情に新井が慌てる。「す、すみません」「え?」「俺の言い方、きついですよね」小春は慌てて首を横に振る。困っていただけで、新井の言葉に傷ついたわけではない。「違います。ただ、説明が難しくて……」小春は困ったように笑う。「私は人と話すのが下手で、言いたいことが上手にまとまらなくて……」「小春様、それは違いますよ」橘が会話に割って入る。「小春様が人と話すのが下手など、間違っています」「橘さん?」「私は毎日小春様と楽しく会話をしています。下手だと思ったことは一度もありませんし、小春様はご自分の意見を上手にまとめてお話しになります」つまり、と橘が新井を指さす。「会話が下手なのは、この熊さんのほうです」「おい」橘は肩を竦める。「会話とはキャッチボールです。熊にボールは掴めません」「出来るに決まっているだろう」「あのクリームパンみたいな手でどうやって?」「……熊の手をクリームパンと例える奴を初めて見た」「おめでとうございます」(会話の方向がどんどんおかしくなっている&
last updateLast Updated : 2026-08-22
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第55話 声にしてみる

翌日。「小春様」小春が庭へ出ると、新井が嬉しそうな表情で近づいてきた。「昨日はありがとうございました」深々と頭を下げる新井に、小春は柔らかく笑う。新井の表情を見るに、問題が解決の方向に向かい始めたようだ。「何かあったんですか?」「腹を割って話しました」聞けば、昨日その若い庭師と飲みにいったらしい。飲んでコミュニケーション。それは良いことなのかと小春は心配になったが、満足気な新井の表情にそれを言うのは躊躇われた。思わず橘を見てしまう。分かっているというように頷く橘を頼もしく思った。「酔わせて、無理やり聞き出したのでは?」「そんなことをしていない」小春は聞きたいことを聞けて満足したが。「飲ミュニケーションに、アルハラ。とりあえずビールって脳筋の考えを押しつけたりは?」「していない」「無神経なところが新井さんの大問題」「あん?」「……と、小春様が仰りたいところを代弁いたしました」ひえっと小春は息を呑む。「そこまでは思っていません」「あら? 小春様もとりあえずビール派ですか?」「いえ、ビールはあまり得意じゃなくて、甘いものを数杯なら……」「そうですか。お飲みになられるのでしたら、樹様の晩酌に付き合ってくださいませ」「でも……」居候宅でお酒なんていいのかと小春は戸惑ったが。「とりあえずビールなんて、樹様はこの熊のような脳筋の考えをお持ちではありませんのでご安心ください」「いえ、そこを心配したわけでは……」首を振る小春の向かいで、新井は苦笑していた。.新井の話によると、その新人庭師は自分が役に立っていないことを気にしていたようだ。「少しずつ彼に
last updateLast Updated : 2026-08-23
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第56話 父親の資格

――篠原樹に会いにいく。崇道の言葉に、秘書は息を呑んだ。「院長ご自身で、ですか?」「ああ」崇道は迷いなく頷く。「これ以上時間を掛ければ、皆川様が動く」「ですが、篠原社長が面会に応じるでしょうか」「応じるさ」崇道は自信ありげに笑った。「私は朝比奈総合病院の院長だ。それに、小春の父親でもある」「父親……」苦味の滲んだ秘書の小さな呟きは、崇道に届かなかった。「父親が娘を迎えにいく」崇道は静かにネクタイを整える。「世間はそれを非難しないだろう」崇道が小春に対して父親らしい接し方をしてきた場合ならそうだろう。しかし、秘書の彼は崇道の小春への態度を知っている。親とは思えない態度で接しておきながら、今さら「親子」と情に訴えるような崇道のやり方は不快に思う。だが、秘書であるためには従順でなければならない。「承知しました」そしてまた、反対の言葉を飲み込む。「それでは篠原グループへ面会を申し込みます」「いや」崇道は首を横へ振る。「向こうに考える時間を与えたくない」「……では?」「直接行く」アポなしで訪問するという無礼に、秘書は唖然としたくなる気持ちを必死に抑える。注意しても無駄だと分かっている。逆に崇道の不興を買うことになるだろう。それなら黙って従うことを選ぶのだが。(この人は、本当に分かっていないのだろうか)篠原グループは、朝比奈総合病院のメインスポンサーだ。その援助スタイルは慈善活動に近く、そこまでして支援する理由は誰にも分かっていない。(……いや、分かっていなかった)小春が樹に保護された。一時的な保護ではなく、いまも保護され続けている。このことから、篠原グループの支援の理由は小春である可能性が高い。(もし、篠原グループからの援助がなくなれば……)現在の病院の運営方針は、篠原グループの援助があることを前提として作られてしまっている。本来なら、支援理由が不明瞭な篠原グループに依存するべきではなかった。だが、無理難題も飲んでくれる篠原グループに頼るようになるのは自然なことで。(だからこそ)篠原グループとのやりとりは細心の注意を払わなければいけない。(それなのに……朝比奈崇道の栄光は、もうすぐ終わる)。秘書はそれを予感した。◇◇◇篠原グループ本社。柳沢が社長室へ慌ただしく入ってきた。「社長
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第57話 親子の関係

篠原グループ本社最上階。応接室の扉が静かに開いた。「朝比奈院長をお連れしました」柳沢の案内で姿を現した崇道は、高級なスーツに身を包み、穏やかな笑みを浮かべていた。「突然の訪問にもかかわらず、お時間をいただきありがとうございます」「構いませんよ」樹はソファへ腰を下ろしたまま静かに答える。立って歓迎する気はない。それに崇道が苛立つのを感じたが、樹は気にしなかった。「お掛けください」ソファに座ったらどうかと提案したのは、紅茶を持って戻ってきた柳沢だった。向かい合って座る二人の間へ紅茶が運ばれる。しばらくは互いに口をつけることなく、静かな時間だけが流れた。「篠原社長」先に口を開いたのは崇道だった。「単刀直入に申し上げます」「どうぞ」「私の娘を返していただきたい」樹の表情は微動だにしない。「娘、とは?」「……朝比奈小春です」樹はそれには何も言わず、紅茶の入ったカップを手に取る。崇道は真っ直ぐ樹を見据える。「娘がお世話になっていることは承知しております」「お世話、ですか」樹は静かに問い返した。「彼女は、朝比奈院長の娘さんでしたか」「何を……」「いえ、ね」樹は紅茶に口をつけず、そのまま戻した。「院長の口から聞く娘さんの話は、千夏さんのことばかりだったもので」「それは……」「紹介もされませんでしたし」樹は穏やかな口調を崩さない。「彼女の口からも、あなたが父親とは聞いていなかったもので」「そ、それは……」崇道は言い淀んだが。「婚約破棄で精神的に不安定になり、家を飛び出してしまいまして」
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第58話 対立

「妹を虐める性悪な悪女……パーティー会場で私はそう聞きましたよ」樹は鼻で笑う。「それなのに、聞き分けのいい子ですか」「わ、私は、あの子の父親なので……」「まあ、どちらでもいいです」樹は静かにカップを置く。「私は小春の意思に従います」応接室の空気が一変した。崇道は初めて気づく。この男は冷酷なのではない。小春に関することだけは、一切譲る気がないのだ。「篠原社長」崇道は笑みを消し、ゆっくりと言った。「あなたに父親の気持ちは分からない」「ええ、そうですね。私にあなたの気持ちは分からない」樹は迷いなく頷く。「ですが」真っ直ぐ崇道を見据える。「小春に関しては、あなたよりは……マシ、だと思いますよ」その一言が、二人の対立を決定的なものにした。朝比奈崇道は表情を硬くした。しかし、それも一瞬だった。「篠原社長」崇道は穏やかな笑みを取り戻す。「親子というものは、第三者には分からない事情があります」「でしょうね」樹は静かに頷く。「ですが、小春にも口はあるのですよ」「……」何を聞いているのかは言わない。想像させなければ、この男は理解しないと樹は思っていた。「そして、小春にも意思があります」「意思……」「自分の意思で誰と会い、どこで暮らすかを決める権利があります」崇道は小さく息を吐いた。「あなたのところにいるのも、あの子の意思だと?」樹は黙っていた。樹の予想通り、樹が反論できないのだと崇道は勘違いした。「あの子は優しすぎるんです」「優しい……」「ええ。周囲へ気を遣いすぎるあまり、本心を言えないのです」樹は黙って崇道を見つめていた。その言葉だけを切り取れば間違ってはいない。しかし、その原因を作った張本人が目の前にいる。「だからこそ、父親である私が導かなければならない」「導く、ですか」樹は静かに問い返す。「そうです」「では、お聞きします」樹の声色は変わらない。「あなたは、小春があなたたちの元に帰りたいと思うと」樹はじっと崇道を見る。「本気で、そう思っているのですか?」崇道は言葉に詰まった。「……それは」「私は小春本人から、帰りたいという言葉を一度も聞いていません」「あの子は混乱しているだけです」「混乱させたのは、誰ですか?」「それは……」「あなたも一度、豪雨の夜に追い出されてみれ
last updateLast Updated : 2026-08-25
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第59話 牡丹餅

応接室の扉が静かに閉まった。崇道の足音が遠ざかるのを確認すると、柳沢がゆっくりと息を吐く。「予想以上でしたね」「ああ」樹は短く答えた。「自分は間違っていないと思い込んでいる……話すだけ無駄だな」そして口元を皮肉気に歪める。「娘を心配する父親を演じていただけ。会話は堂々巡りだ」「そうでしたね」「朝比奈崇道が気にしているのは、やはり皆川隆盛のことだけ……自分の後ろ盾という意味でな」倒れ、意識を失った状態の隆盛を受け入れたのは朝比奈総合病院だ。それは崇道の指示だったかもしれない。だが、樹たちが調査して分かったことは、隆盛の治療に崇道は積極的ではなかった。治療は行っていた。だが、「このまま」を望んでいるように、意識を回復させるような新たな試みを指示した形跡はなかった。「自分の仕事は、自分でやるべきだったな」崇道はなにもしなかった。だから担当医が治験を検討していたことを知らなかった。治験の許可を求める書類は小春が確認し、崇道は何も見ずにサインした。「皆川隆盛が目を覚ますことはない。そう思ったから、崇道は病院の乗っ取りを計画した」樹は柳沢に崇道に出した紅茶を下げるように指示する。崇道がいた痕跡が不快だった。「なぜ……いえ、申し訳ありません」樹は謝罪する柳沢を見た。柳沢の言いたいことは分かる。なぜ皆川隆盛が死ぬまで待たなかったのか。柳沢はそう言いたかったのだろう。「朝比奈千夏が妊娠したからだろう」「ああ、そうでしたね」忘れていたと言わんばかりの柳沢に樹は小さく笑う。「失念しておりました、申し訳ありません」「責めているわけではない。小春贔屓であることは問題ない」「しかし……」「なぜ俺たちが朝比奈崇道や千夏に気を使う必要がある。小春の判断に影響があるという程度に気に留めておけば十分だ」小春第一でいく。樹の主張に柳沢は小さく笑いながら、机の上へ残された手つかずの紅茶を片付ける。「朝比奈院長は、小春様の体調を尋ねることもありませんでしたね」「娘を気遣う父親、を分かっていないからな」樹は窓の外を見つめる。「このまま分かることもないだろう」自分が何をしたのか。自分が何を失ったのか。気づいたころには、全てを失っているだろう。「……荒れるぞ」窮鼠猫を噛む。窮地に陥った崇道が何をするのか。標的になるのは、
last updateLast Updated : 2026-08-26
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第60話 同じ方向を向いて

朝比奈総合病院の前事務長だった坂口が残したもの。封筒から書類を出した隆盛は中身を読んだ。一度読み終えると、眉間にしわを寄せた。そして、もう一度最初から読み直す。何度読み返しても内容は変わらない。これからのために、確認することも、決定することも数多くある。だが、樹は隆盛を急かさなかった。.「前回お会いしたあと、私は何度か病院へ行きました」隆盛はゆっくりと言葉を選ぶ。「そして病院の職員たちと話をしました。看護師、事務員、清掃員……立場はさまざまです」「……」隆盛は小さく笑う。「皆、小春の話になると困ったような顔をするのです」樹は黙って耳を傾ける。「ただ、悪口を言う者は一人もいませんでした。むしろ『よく話を聞いてもらった』『助けてもらった』『優しい人だった』……そんな話ばかりでした」隆盛の笑いが、苦いものになる。「私は何を見ていたのでしょうな」「風の噂ではなく、花乃さんの娘である事実を信じるべきでしたね」樹が静かに答える。「ええ」隆盛は頷いた。「私は自分の目で確かめもせず、あの子が悪いのだと思い込んでいました」応接室に静かな沈黙が流れる。「花乃に合わせる顔がありません」その一言には後悔が滲んでいた。「皆川さん。私はあなたとは仕事の付き合いしかなかったですし、プライベートもろくに知りませんが……友人と、娘のように思っていた女性を先に亡くした哀しみを想像するくらいはできます」樹が静かに口を開く。「私ですらそうなのですから、小春なら尚のこと。気にしないと、仕方がなかったと言うような気がします」小春を思い出し、樹の顔が軽く緩む。「彼女は、自分を傷つけた人間より、その人の事情を考える人です」
last updateLast Updated : 2026-08-27
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