それでも車に乗り込んでから、若葉はもう一度念を押した。「駅までで大丈夫です」司は返事をしなかった。若葉の住所はすでに知っているため、行き先を尋ねることもなく、そのまま車を走らせる。若葉が気づいた頃には、最寄り駅をとっくに通り過ぎていた。とはいえ、ここまで来て車を停めてほしいと言い張るほど、若葉も無粋ではない。遠慮も度が過ぎれば、かえって相手を不快にさせる。まして相手は、これほど立場のある人だ。車はそのまま走り続け、しばらく車内には沈黙が流れた。いつまでも黙っているのも気まずく、若葉のほうから口を開いた。「不思議ですね。退勤するときにお会いするの、これで2度目です」偶然か。司はそうは思わなかった。前回エレベーターで会ったときも、今回も、偶然などではない。朝から若葉の動きを気にかけ、一日に何度も昭夫を25階へ向かわせていた。退勤時刻を過ぎても会社に残り、彼女が玄関を出たのを見てから後を追ったのだ。これを偶然とは呼ばない。機会は待つものではなく、自分でつくるものだと司は思っていた。「確かに、よく会うな」そう言って、横目で若葉を見る。車内は薄暗く、窓の外から街灯の光だけが差し込んでいた。その淡い光が、彼女の整った横顔をいっそう柔らかく浮かび上がらせている。伏せた長いまつげが、かすかに揺れる。それだけで、司の胸の奥がくすぐられるようだった。前方の車が車線を変え、司は視線を戻した。そして、何気ない調子で先ほどの話に戻る。「こんな天気の日まで残業か。仕事が多いのか?」「いいえ」今の仕事量くらい、若葉にとってはどうということもなかった。「ただ、雪の日は帰宅時間帯が混みそうなので、少し時間をずらそうと思っただけです」「そうか」司は短く答えたものの、どこか考え込んでいるようだった。若葉は、次は仕事について何か厳しいことを言われるのだろうかと身構えた。ところが、続いた言葉は予想外のものだった。「こんなに遅く帰って、家族は心配しないのか?」そこで一度言葉を切り、司は続けた。「確か、君は結婚していたな」入社時の書類には、婚姻状況を記入する欄があった。宗介との離婚手続きは進めているものの、法的にはまだ夫婦だ。だから若葉も、事実どおりに記載していた。まさか司からその
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