妻を3年単身赴任させた夫。離婚宣告で執着? のすべてのチャプター: チャプター 141 - チャプター 150

191 チャプター

第141話

佳奈の退職手続きは、驚くほど早く進んだ。事情が事情だけに、通常なら1か月ほど設ける引き継ぎ期間も、わずか3日で済ませることになった。3日後、佳奈は事務所を辞めた。それでも若葉には何も話さず、これまでと同じように朝早く家を出て、夜になってから帰宅していた。ただ、向かう先はもう事務所ではない。日中はカフェで若葉の離婚調停に必要な準備を進めながら、並行して次の職場を探していた。その日も資料に目を通していると、父親の吉川克彦(よしかわ かつひこ)から電話がかかってきた。画面に表示された名前を見た瞬間、佳奈は反射的に身構えた。実家とは年に数回連絡を取る程度だ。父親のほうから突然電話がかかってくることなど、ほとんどない。佳奈は少し迷った末、いったん着信を切り、克彦にLINEを送った。【今、忙しい。用事ならLINEで言って】ところが、送った直後から再び電話が鳴り始めた。一度切っても、またすぐにかかってくる。どうやら佳奈が出るまで諦める気はないらしい。根負けした佳奈は、仕方なく電話に出た。克彦は挨拶もせず、いきなり怒気を含んだ声で尋ねた。「今どこにいる?」その口調を聞いた途端、佳奈もむっとした。「事務所に決まってるでしょ。こんな時間に、ほかのどこにいるっていうの?」父と娘は、いつもこうだった。話し始めた途端に空気が険悪になり、気づけばまともな会話にならなくなる。昔からここまでひどかったわけではない。克彦はもともと厳格な父親で、佳奈も子どもの頃は怖がっていた。それでも以前なら、まだ普通に話すことはできていた。関係が決定的に悪くなったのは、佳奈が社会に出る頃だった。家業を継ぐよう求められても頑として拒み、克彦がどれだけ説得しても、圧力をかけても考えを変えず、弁護士の道を選んだ。それ以来、二人の関係はすっかり冷え切り、互いに用がなければ連絡もしなくなった。だからこそ、今日に限って克彦のほうから何度も電話をかけてきたことが、佳奈には不可解だった。だが克彦は、すでに佳奈が事務所を辞めたことを知っていた。それなのに、まだ誤魔化そうとする娘に腹を立て、声を荒らげた。「いつまで俺たちに嘘をつくつもりだ!もう事務所は辞めたんだろう。何が仕事中だ!」「……どうして知ってるの?」佳奈は思わず表
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第142話

本人を脅しても手を引かないと分かると、今度は家族を使うことにしたらしい。しかも、克彦の会社との取引を盾に取っていた。佳奈が若葉の件から降りなければ、吉川家の会社を深津市で商売できなくしてやる――そう圧力をかけてきたのだ。雅子は心配のあまり泣きながら訴えた。「佳奈、一度帰ってきて。あなたにどんな事情があるのか、私たちには詳しく分からない。でも、何を優先しなきゃいけないかくらい分かるでしょう?」涙声のまま続けた。「結局、一番大事なのはあなたの将来と家の会社でしょう?一度帰ってきて、きちんと話し合いましょう。安藤社長にもちゃんと謝って、その案件から手を引けば、それで済むんだから」そこまで聞いて、佳奈は以前若葉が言っていたことを、初めて身をもって理解した。宗介という男には、本当に一線というものがない。自分の思いどおりにするためなら、関係のない人間まで平気で巻き込む。それでも、佳奈の決意は揺らがなかった。「こんなことになって、本当に申し訳ないと思ってる。でも、この案件から降りることだけはできない」「佳奈!どうしてそんなに意地を張るの!」雅子の声が震えた。「この会社は、何代にもわたって受け継いできたものなのよ。私たちのことはともかく、おじいちゃんやおばあちゃんが守ってきたものまで無視するの?本当に、お父さんの代で潰れてもいいと思ってるの?」「ごめんなさい」佳奈は同じ言葉を繰り返した。「この件は、できるだけ早く片づける方法を考える。でも、案件から降りるつもりはない」それだけ言って、佳奈は電話を切った。電話の向こうでは、克彦が怒りのあまり声も出ないほどだった。とはいえ、長年会社を経営してきた人間だ。このまま何もせずにいるつもりはない。克彦は隣にいた雅子へ言った。「佳奈の友人だという安藤若葉に電話しろ。そもそも、その女の件が原因なんだろう?佳奈が聞かないなら、本人と話す」突然、佳奈の母親から連絡を受けた若葉は、最初こそ戸惑ったものの、話を聞くうちにすぐ事情を察した。自分のことならいくらでも我慢するくせに、友人のためとなれば後先を考えずに飛び込んでいく。いかにも佳奈らしかった。若葉は電話口で何度も謝った。自分のことで佳奈に迷惑をかけただけでなく、吉川家の会社まで巻き込んでしまった
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第143話

せっかくの休日に宗介と会うなど、若葉にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。顔を見るだけで、その日一日気分が悪くなりそうだ。それでも今日は金曜日だ。明日会えるなら、そのぶん早く話を片づけられる。そう考え、渋々了承した。翌朝早く、宗介からメッセージが届いた。LINEはブロックしたままなので、SMSで送られてきたものだった。指定された店の名前を見た瞬間、若葉は思わず吐き捨てた。「頭おかしいんじゃないの」離婚の話をするのに、わざわざ雰囲気のいいレストランを選ぶ人間がどこにいるというのか。しかもそこは、深津市の「デートで行きたいレストランランキング」で1位になったこともある店だった。それ以上文句を言うのも面倒だった。若葉はさっさと出向き、話だけ済ませて帰るつもりだった。一方の宗介は、若葉の冷たい態度などさほど気にしていなかった。むしろ、以前とはまるで違う反応をする今の若葉を、どこか面白がってさえいた。彼にとっては、その変化すら日常に少し刺激を加えるものにすぎない。どうせ最後には戻ってくる。そう思い込んでいた。宗介はスーツを選びながら鏡の前で髪を整え、カフリンクスまで何度も見比べていた。機嫌までよさそうで、ときおり小さく鼻歌を口ずさんでいる。そばで見ていた涼香も、さすがに妙だと感じた。「これから出かけるの?」「ああ。取引先と会う」宗介は顔も上げず、手元のカフリンクスを選び続けている。「どこの取引先?私も一緒に行っていい?」涼香は何でもないように尋ねたが、実際には探るような目を向けていた。「君の知らない相手だ。来なくていい」それでも涼香は引き下がらなかった。「今は知らなくても、会えば知り合いになれるでしょう?私、安藤グループの主要プロジェクトを担当してるんだし、これから関わる相手かもしれないじゃない」宗介はそこで初めて涼香を見た。表情こそ穏やかだったが、口調には有無を言わせないものがある。「いい。この件に君は関係ない」涼香はそれ以上聞く勇気がなく、仕方なく笑った。「分かった。じゃあ、早く帰ってきてね」「ああ」宗介は形ばかりに涼香の額へ口づけると、財布からカードを一枚抜き、差し出した。「友達と買い物でもしてこい」涼香は笑顔で受け取った。だが、
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第144話

そう言って、もう一度メニューを差し出した。若葉は付き合いきれず、その手を押し戻した。「食べたいなら一人で食べて。こんな茶番に付き合う気はない」それでも宗介は怒らなかった。代わりに、そばに控えていたスタッフへ料理を注文し始める。最後に、若葉のほうを一瞥して言った。「彼女にも同じものを」「私はいらない」若葉は眉をひそめた。だが宗介はスタッフへ向き直り、繰り返した。「同じものを頼む」スタッフは困ったように二人の顔を見比べた。これ以上巻き込むのも気の毒で、若葉は何も言わず口を閉ざした。宗介が勝手に注文したいなら、好きにすればいい。どうせ食べるつもりはなかった。ほどなくして料理が運ばれてきた。その際、スタッフは小さなバラの花束まで若葉へ差し出した。「本日はお二人でご来店のお客様に、こちらをお渡ししております」どうやらカップル向けのサービスらしい。説明を聞いただけで、若葉はうんざりした。普段なら好きな花なのに、今は見るだけで気分が悪くなる。「結構です。この人とはそういう関係ではないので、下げてください」あまりにはっきり断られたため、スタッフもそれ以上勧めることなく、すぐに花束を持ち去った。その間も宗介は何も言わなかった。引き止めることも、花を受け取るよう勧めることもなく、何事もなかったかのように自分の料理を口に運んでいる。若葉はそんな宗介を見る気にもなれず、スマホへ視線を落とした。食べ終わるまで待って、それから話をすればいい。そう考えながらLINEを開くと、司からメッセージが届いていた。【今日、時間があるなら、少し深津市を案内してくれない?】そこで若葉は、以前交わした約束を思い出した。だが、目の前の様子ではすぐに帰れそうにない。仕方なく返信する。【宮本社長、申し訳ありません。今日は少し難しそうです。今、外で別の用事がありまして】司も無理に誘うつもりはなかった。たまたま見つけた店が雰囲気もよく、どこかロマンチックに感じられたのだ。しかも、深津市の「デートで行きたいレストランランキング」で1位だと聞き、ふと思い立って若葉に連絡してみただけだった。【気にしなくていい。用事があるなら、また今度でいい】【はい。次は必ず時間を空けておきます】【
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第145話

「伝えるだけ?」宗介も冷たく返した。「お前一人の都合で、そんな勝手が通ると思うな」若葉はそれ以上言い争わなかった。ここまで話せば、宗介が何を考えているのか、おおよそ分かる。「つまり、条件は離婚しないこと?」自分で口にしながらも、理解しがたい話だった。だが、これまで宗介がしてきたことを考えれば、ほかに答えはない。「そう思ってもらって構わない」宗介は淡々と答えた。「それだけは無理」若葉は即座に否定した。「ほかのことなら話し合える。でも、離婚しないっていう選択肢だけは絶対にない」「なぜだ?」宗介は本気で理解できないような顔をした。「安藤グループと俺が後ろにいれば、お前は欲しいものを何だって手に入れられる。それを全部捨てて、この先どうやって生きていくつもりだ?」若葉は呆れてものも言えなかった。「あなたには関係ないでしょ」あまりにも馬鹿げた話だとは思ったが、若葉はもう説明する気にもなれなかった。呆れを隠そうともせず、ため息交じりに問い返した。「それより私が聞きたい。こんな結婚、どうでもいいと思ってるくせに、どうして意地でも終わらせようとしないの?」なぜなのか。実のところ、その答えは宗介自身にもわからなかった。常に周囲からもてはやされ、思いどおりに生きてきた。欲しいものは必ず手に入れて当然だと思っていた。少し考え、適当な理由をひねり出した。「悠人には、表向きの母親が必要だ」「それなら、涼香でもいいでしょう」「涼香と安藤家の関係は、お前も知っているだろう」「それはそっちの問題よ。こんなことを始める前に、計画が露見したらどう収拾するのか、考えておくべきだった」「離婚しないことが、俺の考えた解決策だ」若葉はもう遠回しなやり取りにうんざりしていた。「つまり、交渉は決裂ということね?」「決裂するかどうかは、お前次第だ」「なら、もう話すことはない」若葉はすぐに立ち上がった。「はっきり言っておく。離婚しないなんて、絶対にあり得ない」話し合いにならないのなら、佳奈の件は別の方法を考えるしかない。方法はいずれ見つかる。宗介に屈するなど、虫唾が走るほど耐え難かった。それに自分が妥協したところで、あとから知った佳奈が納得するはずもない。だから佳奈は、最初から何も話さなかった
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第146話

「また今度にします」司はそれだけ言うと背を向け、そのまま店を出た。雪まじりの冷たい風の中をわざわざここまで来たのに、結局、何一つ得られないまま同じ寒空の下へ戻っていった。その頃、店の外では、物陰に潜んでいた男が何度もシャッターを切っていた。涼香が雇った探偵だった。ほどなくして写真が送られてくると、涼香は画面を見た瞬間、思わず声を上げた。それまでは、あくまで疑っていただけだった。だが実際に写真を目にすると、頭に血が上り、怒りと憎しみが一気にこみ上げてくる。写真の中では、宗介と若葉がかなり近い距離にいた。しかも宗介は若葉の手首をつかんでいる。事情を知らずに見れば、親密な男女に見えてもおかしくなかった。宗介が本当に若葉に会いに行った。それも、よりによってこんな店で二人きりで食事をしていたのだ。いったい、どういうつもりなのか。まさか、本当にまた若葉が気になり始めたのだろうか。自分と悠人には責任を持つ、一生面倒を見ると約束したばかりではないか。涼香には到底受け入れられなかった。考えれば考えるほど腹が立ち、やがてその怒りは再び若葉へ向かった。きっと、あの女が宗介をたぶらかしたのだ。自分の前ではあれだけ何でもないような顔をしておきながら、裏では宗介の気を引こうとしていたに違いない。若葉を甘く見ていた。このまま何もしないでいるわけにはいかない。先に手を打たなければ。一方、店内では、宗介につかまれた手首がじんじんと痛んでいた。それでも放す気配がないと分かると、若葉は迷わず宗介のすねを思いきり蹴った。「っ……」不意を突かれ、宗介の手が緩む。その隙に若葉は腕を引き抜いた。宗介は痛みに顔をしかめ、怒りをあらわにして若葉を睨みつけた。若葉も一歩も引かない。「自業自得でしょ」そう吐き捨てると、バッグをつかみ、そのまま店を出た。外へ出るなりスマホを取り出し、宗介の番号をもう一度着信拒否にする。本当に腹が立つ。やはり、あの男にまともな話が通じるなどと思った自分が間違っていた。宗介は痛みをこらえながら若葉を追おうとしたが、そのときスマホが鳴った。画面には涼香の名前が表示されている。宗介は迷わず着信を切った。ところが、すぐにまたかかってきた。舌打ちしそうになり
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第147話

その言葉を聞いた途端、宗介の中にあった苛立ちがふっと引いた。同時に、さっきまでの自分を急に冷静な目で見られるようになった。家には涼香と悠人がいる。それなのに、自分はわざわざここまで来て若葉と会い、あげく追いかけようとしていた。何をしているんだ。宗介は、先ほど若葉に抱いた感情を一時の気の迷いだったことにした。以前とはまるで違う姿を見せるようになったから、ただ目新しく感じただけだ。そう自分に言い聞かせる。本当に大切なのは、涼香と悠人のほうだ。少なくとも、宗介はそう思おうとした。何より、涼香は自分の子どもを産んでくれた。宗介は以前から、自分の精子運動率が低く、子どもを授かりにくいことを知っていた。だからこそ、悠人が生まれたことを、二度とないかもしれない幸運だと思っている。涼香とこの先も一緒に生きていこうと決めた理由の一つも、そこにあった。そこまで考えると、宗介はようやく気持ちを切り替えた。「悪かった。取引先との話がうまくいかなくて、少しいら立ってた」涼香にそう説明すると、続けた。「家で待ってろ。すぐ帰る」涼香も嘘を暴こうとはしなかった。「大丈夫よ。でも今帰ったら、仕事に差し支えない?邪魔になるなら、無理しなくていいの。悠人は私が看るから」「問題ない。30分で着く」「わかった。二人で待ってるわ」電話を切ると、涼香の口元にかすかな笑みが浮かんだ。スマホを置いて悠人に近づき、にこやかに呼びかけた。「悠人、こっちへいらっしゃい。ママのところに来て」悠人は壁際に身を寄せ、動こうとしなかった。幼いとはいえ、理解できることもある。今日の涼香が、たまらなく怖かった。ついさっきまで自分を怒鳴りつけていたのに、次の瞬間には楽しそうに笑っている。どうしてなのかわからない。大人の気持ちとは、こんなふうに変わるものなのだろうか。先ほどもそうだった。熱などないのに、無理やり氷水を飲ませ、熱いタオルを額に載せて体温を上げようとした。それからパパに電話をかけさせ、通話中にはわざとつねって泣かせた。今日の涼香は、何もかもがまるで知らない人のようだった。悠人は怖くて、いつまでもぐずぐずして近寄ろうとしなかった。涼香は腹を立て、腕をつかんで引き寄せると、険しい目で睨んだ。「さっき教えたこと、全部
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第148話

事情を何も知らない悠人は、まだ泣き続けていた。その泣き声に苛立った涼香は、とうとう脅すように言った。「まだ泣くなら、若葉さんのところに送るわよ。どれだけ怖い人か知ってるでしょう?叩かれるし、怒鳴られるし、ご飯だって食べさせてもらえないのよ」長い間、涼香からそう聞かされ続けてきた悠人にとって、若葉はすっかり恐ろしい存在になっていた。その言葉を聞いた途端、悠人は必死に泣き声をこらえ、怯えたように頼み込んだ。「ママ、もう泣かないから……お願い。僕を若葉さんのところに送らないで」涼香の表情がようやく和らいだ。「じゃあ、さっき教えたことは全部覚えた?」「覚えた」悠人はまた泣き出しそうになるのをこらえ、拳を口元に押し当てた。若葉のところへ送られることが、本当に怖かった。「じゃあ、言ってみて」悠人は教えられたとおりに繰り返した。「僕がアイスを食べたくなって、こっそり食べたから熱が出たの。パパに電話したのも僕が勝手にしたことで、パパに会いたかったから」「そう」涼香はようやく満足そうにうなずいた。「いい子ね。パパが帰ってきたら、今言ったとおりに話すのよ」悠人はまだしゃくり上げながら、小さな声で尋ねた。「もう少し向こうに行っててもいい?」今の涼香のそばにいるのが、怖くてたまらなかった。「駄目よ。まだ温かいタオルを当てておかないと、パパが帰ってくる頃にはおでこが冷めちゃうでしょう」「もうやめちゃ駄目?」悠人は弱々しく訴えた。「タオル、熱いよ。おでこに載せるとつらい……」ただ嫌なのではない。何度も熱いタオルを当てられ、悠人は全身まで熱くなったように感じていた。「駄目に決まってるでしょう」涼香は冷たい目で睨んだ。「やめたら、どうやってパパに信じてもらうの?」「分かった……」悠人は不満そうに口をとがらせたが、逆らう勇気はなかった。宗介が帰宅したとき、悠人はベッドに横になっていた。何度も温かいタオルを当てられたせいで額には熱がこもり、頬まで赤くなっている。宗介はベッドの脇に腰を下ろし、悠人の額に手を当てた。「熱は測ったのか?何度あった?」険しい表情で尋ねると、そばにいた涼香が答えた。「39度よ」そして、わざと自分を責めるように続けた。「宗介、ごめ
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第149話

涼香が欲しかったのは、まさにその言葉だった。宗介に、自分が悠人の父親であること、その責任から逃れられないことを何度でも意識させたかったのだ。そうすれば、この先また気持ちが揺れることがあっても、少なくとも踏みとどまる理由になる。「そういう意味じゃないの」涼香は目元に涙を浮かべた。「ただ、悠人がかわいそうで……普段から私たち二人とも、あまり一緒にいてあげられないでしょう?具合が悪くても、この子は泣いたり騒いだりしないし。私が気づかなかったら、きっと何も言わなかったと思う」そう言われると、宗介にも少し後ろめたさが湧いた。確かに最近は、涼香と悠人のことを以前ほど気にかけていなかった。ティッシュを取り、涼香の涙を拭いた。「分かった。これからはもう少し時間をつくる。できるだけ週末も仕事を入れないようにする。それでいいだろ」「本当に?」欲しかった言葉を引き出したにもかかわらず、涼香はなお不安そうな顔を崩さなかった。「ああ」「よかった。悠人も、起きてこの話を聞いたらきっと喜ぶわ」一方、宗介との話し合いがまとまらなかった若葉は、それ以上外にいる気にもなれず、そのまま家へ帰った。佳奈の姿はなかった。朝出かけるとき、今日は裁判所へ行くと言っていたが、そのとき若葉は特に何も尋ねなかった。時計を見ると、そろそろ帰ってくる頃だろう。そう思い、若葉は夕食の支度を始めた。1時間ほどすると、予想どおり佳奈が帰ってきた。食卓いっぱいに並んだ料理を見て、佳奈は目を丸くする。「何、今日。何かあったの?ずいぶん豪華じゃない」若葉は最後の一皿を運びながら、キッチンから出てきた。「何もないよ。ただ、佳奈にお礼がしたくて」「私に?」佳奈はきょとんとした。「最近、別に何もしてないけど。いつもどおり仕事して、裁判所に行ってるだけだし」「仕事」と口にしたときだけ、わずかに声が小さくなった。本人は気づかれていないつもりだったのだろう。だが顔を上げると、若葉が静かにこちらを見ていた。穏やかな目だった。それなのに、何もかも見透かされているような気がして、佳奈は急に居心地が悪くなった。「……何?どうしてそんな顔で見るの?」若葉は何も答えず、佳奈からコートを受け取ってハンガーに掛けた。それから、
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第150話

「それは違うよ」佳奈はすぐに否定した。「私たちの間で、これは若葉の問題、これは私の問題なんて、いちいち線を引く必要ないでしょう。両親の会社だって、何か方法はあるはず」そこまで言って、佳奈はふと気づいたように聞き返した。「待って。宗介は、何のために若葉に会ったの?まさか、この件を持ち出したんじゃないよね?」「そのまさか」思い出しただけで、若葉は腹が立った。「佳奈たちのことを盾にして、離婚を諦めさせようとしたの」佳奈の顔色が変わった。「それで、言うことを聞いたの?」「まさか」若葉は即答した。「私がそこで折れたら、佳奈がここまでしてくれたことまで全部無駄になるでしょう」そして、少しだけ口元を緩めた。「断っただけじゃなくて、思いきり蹴ってきた」佳奈は一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。「さすが若葉。ああいう最低男には、それくらいでちょうどいいよ。まともに話が通じないなら、遠慮する必要なんてないんだから」二人で少し笑ったものの、現実の問題が消えたわけではない。自分のせいで佳奈が仕事を失った。その事実だけは、どうしても若葉の胸に重く残っていた。そんな若葉の表情を見て、今度は佳奈が励ますように言った。「仕事のことは本当に気にしなくていいって。焦らず探せば、そのうち見つかるよ。私だって経験はあるし、前より条件のいいところが見つかるかもしれないでしょう?」「うん。それは私もそう思う」若葉もうなずいた。「私も求人を見てみる。よさそうなところがあったら送るね」それから続けた。「ご両親の会社のことも、私なりに調べてみる。別の取引先を見つけられないか、何か方法がないか探してみるよ」「両親のことまで背負わなくていいよ」佳奈は苦笑した。「まずは自分のことに集中して。あんな面倒な男を相手にするだけでも大変なんだから」「私は大丈夫」若葉はそう答えたあと、改めて佳奈を見た。「でも、次からは絶対に隠さないで。一人じゃどうにもならないことでも、二人なら一緒に考えられるでしょう?」佳奈は少し黙ってから、素直にうなずいた。「分かった。もう隠さない」今回のことで、佳奈にもよく分かった。若葉はただでさえ抱えていることが多い。これ以上負担を増やしたくなくて黙っていた。け
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