征臣は何も聞かず、黙ったまま薬を薄く伸ばした。その沈黙が助かるのか腹立たしいのか、自分でも分からなかった。 親指の腹が触れそうで触れない。必要なところだけ、綿棒の先で。丁寧すぎて、逆に痛い。 「……そこまで気をつかわなくても」 思わず漏れた。 征臣が顔を上げる。 「気をつかっているというか、また痛くしないか心配でな。嫌か?」 「嫌じゃないです。ただ……見られていると、ちょっと落ち着かなくて」 征臣は包帯を持ったまま一度目を伏せた。 「それなら、手元に集中する。俺も、少し緊張している」 包帯が手の甲を一周する。白い布が煤の跡を隠していく。 包帯を巻き終えた征臣の手に、細い擦り傷が見えた。 「あなたの手も」 「これくらいはいい」 「私には、そう言わせないのに」 彼が口を閉じる。私は薬箱から絆創膏を一枚取り、袋を開けてもらってから、その手の甲へ貼った。 自分の包帯が邪魔で、端が少し曲がる。征臣は直さず、しばらくそこを見ていた。 「ありがとう」 声が低くて、聞こえなかったふりをしたくなった。 許したわけではない。それでも、彼の傷を見ないままにはできなかった。 ドアの外で、軽いノックがした。 港の診療所には似合わない、乾いた丁寧な音だった。 「鷹宮様」 スタッフの声がする。 包帯の端を留める指に、肩が少し強張った。征臣は気づいていたのかもしれないが、問いたださなかった。 「港湾管理事務所の書記官が、白鳥様へお渡ししたいものがあるそうです」 処置室のドアを開けると、廊下の端に小柄な男性が立っていた。 灰色の作業服に、古い革の鞄。髪には白いものが混じっている。港の事務所で長く紙を扱ってきた人の手だった。爪の間にインクの影が残っている。 男性は私を見ると、すぐに頭を下げた。 「白鳥澪様でいらっしゃいますね」 「はい。白鳥澪です」 「港湾管理事務所の岸本と申します。遅くなりまして、申し訳ありません」 遅くなった。 「遅くなった」という言葉だけが残った。私は封筒の角へ目を落とした。 岸本は革の鞄から、封筒を取り出した。茶色の角封筒。端が少し擦れ、封緘の糊は古く乾いている。けれど、破れてはいない。 表には、母の字があった。 白鳥澪へ。 その五文字を見た瞬間、足元のタイルの
Last Updated : 2026-08-17 Read more