悠真は一歩下がったまま、莉々花を見ていた。 婚約者を奪われた姉の噂より、婚約者に視線を向けてもらえない男の沈黙の方が、今は生々しく浮いていた。 あの夜、彼は私から莉々花の隣へ移った。今度は、その隣からも下がっていく。 誰にも選ばれない場所に、莉々花だけが立っていた。 「違う……今のは、違うの」 莉々花の声が幼くなる。 「私、そんなつもりじゃ」 征臣は彼女を見なかった。 私の方を向く。 その視線に、胸の奥が痛んだ。救われた痛みではない。ここで救われていいのか分からない痛みだった。 莉々花の銀鈴ブローチが、照明の下で揺れた。 音は鳴らなかった。 「こっちを見てくれ」 悠真の声が、初めて余裕を失った。怒りというより、置いていかれた子どもの声だった。 「家のためだと言った。僕となら白鳥家を守れるって」 「やめて。そんな言い方をしたら、莉々花が悪いみたいじゃない」 征臣が、私の前に来た。 跪いたわけではない。腕を引いたわけでもない。私を守るために背中で隠すこともしなかった。 ただ、並ぶ場所を空けた。 「澪」 呼ばれた名前に、会場が反応する。 白鳥家の長女。遺産泥棒と書かれた女。妹の初恋を奪ったと言われかけていた女。私の名前には、ここしばらく余計な紙が貼られすぎていた。 征臣は、私の顔を見た。 「温室のことは、あとで調べる」 「征臣様」 征臣は声の方を見なかった。 「ただ、今ここで手を差し出しているのは、昔の礼のためじゃない」 「あの夜、最初に目に入ったのは、席次表から目を逸らさなかった君だ」 胸の奥がかすかにざわついた。 「過去は、関係ないんですか」 口にしてから、過去に縋っているようで嫌になった。それでも、聞かずにはいられなかった。 征臣はすぐに答えず、言葉を選んだ。 「関係はある。だが、過去だけなら、今ここにはいない」 指先が動く。 「温室の少女を探して、君の前に立ったわけじゃない」 会場のざわめきが遠のいた。 火傷の跡が、手袋の内側で熱を持った。 「今ここにいる君に、手を差し出している」 征臣が手を差し出した。 触れろと命じる手ではなかった。来いと引く手でもない。 置かれた手。 私が選べる距離にある手。 莉々花が小さく笑った。
Last Updated : 2026-08-07 Read more