左手の薬指にある母の指輪が、夕方の光を受けて細く光っていた。 今夜は征臣と、婚約指輪を選びに行く。昨日の夕方、古い事務室で「俺と結婚してほしい」と言ってくれた人。今朝は焼けたパンを、二人で半分ずつ分け合った。その人と一緒に指輪を選ぶのだと思うと、仕事中にも鞄に入れた店の案内状が気になって仕方がなかった。 それだけのことなのに、事務室の鍵を閉める指先が少しだけ震えていた。 胸元で銀鈴が小さく鳴った。私は扉の取っ手をもう一度引いて、ちゃんと鍵がかかっていることを確かめた。鞄に鍵をしまうと、今度こそ振り返らずに廊下へ向かった。 四階建ての古いビルを出ると、四月下旬の風が少し冷たく頬を撫でた。 通りの向こう側に、黒いセダンが停まっている。運転席ではなく、歩道に近い場所で鷹宮征臣が立っていた。チャコールグレーのスーツの上に薄いコートを羽織り、腕時計を見るでもなく、建物の入口へ視線を向けている。 私の姿を見つけると、彼の目元がわずかに緩んだ。 「待たせましたか」 歩み寄って尋ねると、征臣は首を横に振った。 「今来たところだ。仕事は片づいたか」 「はい。今日の分は、全部棚へ入れて鍵をかけました」 鞄の内ポケットにしまった事務室の鍵を、指先で一度だけ押さえる。明日も、ここへ戻ってくる。そのために自分で鍵をかけた。 征臣は私の歩幅に合わせて歩き出し、車のドアを開ける前に一度だけ私の手元を見た。 「店の予約は六時にしてある。少し時間があるが、まっすぐ向かっていいか」 「はい。……少し緊張していますけど」 正直に言うと、征臣はドアに添えていた手を止め、真顔で私を見た。 「俺もだ」 真顔でそう言われるとは思わず、私は笑ってしまった。助手席へ乗り込もうとしていた足も、思わず止まる。 「副社長でも、指輪のお店は緊張するんですか」 「そういう店に、誰かと一緒に行くのは初めてだ」 先日、銀鈴のペンダントを選ぶために一人で何度も店へ足を運んだと話してくれた時の横顔を思い出す。売り場のガラスケースの前で、眉間に皺を寄せて立ち尽くしていた姿を想像すると、指先に入っていた余計な
Last Updated : 2026-10-27 Read more