Semua Bab いのち短し潜れよ乙女~ダンジョン道は乙女のたしなみ~: Bab 11 - Bab 20

70 Bab

第11話

 飛来するハンマーを避け…… ハンマーを避け…… 曲がり角ではちょっと距離を稼ぎ…… 直線ではじわじわと詰められて…… 文字通りの必死の思いで駆け続けていると、唐突に視界がひらけた。 そこはスタート地点と同じような広間だった。 奥の壁はフットサルのゴールと同じくらいの大きさの開放部があり、陽光の差す森と草むらの風景が覗いていた。あれが宝玉を運ぶと得点になるダンジョンの出口――ゴールだろう。 剣城の長身が、そのゴールを背にして立っている。 兜はなく、涼やかな素顔をそのまま晒し、要所要所を板金で補強した鎖帷子にサーコートを羽織っている。右手に握った斧槍は、石突を地面について垂直に立てられていた。穂先は剣城の頭よりもなお高く、リーチは2メートル以上だろう。 ――このまま決める! トップギアまで加速し、ゴールに向けて突っ込んでいく。 剣城は眠ったような半眼で、口元には微笑さえ浮かんでいる。 わたしがすぐそこまで迫っているのに、身じろぎひとつしていない。 「アカリちゃん、待って!」「馬鹿っ! 突っ込むな!」 眼前を銀閃が通り過ぎた。 目のわずかに下、左の頬から鼻の付け根、右の頬まで一直線に鋭い痛み。 顔面をゆっくりと這い落ちる生温かい感触。 切られた。皮一枚。 垂直に立てられていたはずのハルバードが、水平に伸ばされていた。 あと半歩突っ込んでいれば、わたしの頭はすっぱり上下に分割されていただろう。 キリ先輩と鬼嶋の警告のおかげで、ぎりぎり踏みとどまれた。「やっと待ってくれまシタッ!!」「ぬわぁぁぁあああっ!?」 背後から降るハンマーを、咄嗟の横っ飛びでかわす。 そのまま地面をごろごろと転がって、ゴールの向かいに待機していたキリ先輩たちに合流。 剣城と睨み合いをしながら、わたしを待っていたのだろう。 宝玉なしでやりあっても意味はないからだ。「これ、頼みます!」「えっ!?」 投げ渡した宝玉を、キリ先輩が慌てて受け止める。 落とさなければオッケーだから、パスは問題ないはずだ。 そして短く息を吐き、背後に向けて突き上げるように一気に踏み込む。 左肩に衝撃。金属の衝突音。「キャッ」と短く幼い悲鳴。 鎧の少女が、ハンマーを持った少女が、驚愕の表情を浮かべて宙に浮いていた。 わたしを追ってきたブランを、
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第12話

 切光桐子は宝玉を抱えたまま動けなかった。 否、厳密に言えば、動いてはいる。 左右にステップを踏みながら、剣城の守る地上への隙を伺っているのだ。 剣城はハルバードを垂直に立てたまま、微動だにしていない。 目と鼻の先で繰り広げられる朱莉とブランの戦いが、轟音を響かせ、地を震わせても、眉ひとつ動かさない。 長い睫毛に縁取られた半眼は茫洋として、桐子どころかどこにも焦点を合わせていないように見える。あるいは立ったまま微睡んでいるのかと疑ってしまうほどだ。 案外、そっと足音を忍ばせていけば脇をすり抜けて地上にたどり着けるのではないか。そんな気さえしてしまう。 だが――(隙がない……) 意を決して間合いを詰めようとするが、どうしても一歩が踏み出せない。 踏み出そう――そう考えた瞬間に、剣城から凄まじい圧力が発せられたように感じるのだ。突風のような、大波を叩きつけられたような、あるいは猛獣の咆哮に晒されたような、そんな感覚に足を止められてしまう。何も映さぬ半眼に、あるいは心を透かされているのかと疑ってしまうほどである。 同じ感覚を、半年前にも味わっている。 いや、味わったからこそ、剣域に入る前から剣城の圧力を感じられるようになったのだ。 あのときは、圧力を感じた瞬間には意識が飛ばされていたのだから。 半年前――昨年の全国高等学校ダンジョン選手権冬大会、県予選。 その第二回戦での出来事だった。 一回戦を無事突破した桐子たち桜吹雪高校は、二回戦で聖マグダレナ女子学院と対戦した。県下最強と名高い名門校。夏大会でも優勝している。明らかな格上だが、胸を借りるつもりなどはさらさらなかった。 夏大会ではベスト8までは勝ち残ったのだ。神奈川は100校あまりのダンジョン部がひしめく激戦区であり、十分に胸を張れる結果である。小さな囲み記事ではあるものの、地方新聞にも「古豪復活か!?」などと紹介された。下馬評を覆し、ジャイアントキリングをなしてやろうと意気込んでいた。 レギュレーションは今回と同じ「盗っ人と守護者」。 先行となった桜吹雪高校はやはり同じく散弾戦術を実行し、追っ手を振り切りゴールの広場までたどり着いた。 状況は2対1。ゴールを守るのは剣城ひとり。 桐子が特攻し、その隙をついて鬼嶋が
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第13話

「ぬあーーーー! 負けたぁぁぁああああ!!」 ブランと殴り合っていたらブザーが鳴って、その瞬間、周囲の景色が店内に戻っていた。得点したら攻守交代ということだったから、ダンジョンから出されたってことは時間切れってことだろう。 鬼嶋のバイクが突っ込んで、ほとんど同時にキリ先輩もナイフの投擲とともに飛び込んだところまでは視界の端に映っていた。しかし、じっくり観戦できる余裕などなく、突撃の成否までは見届けられなかったのだ。「Mmmm……勝ってないデス! 続き! 続き!」 ブランが唇を尖らせ、剣城の足元でまとわりつくようにぴょんぴょん跳ねている。「はあ、ブラン。予定があるって言ったじゃないか。さすがにもう時間切れだよ」 剣城は困ったようにため息をつき、肩を竦める。「それに、大会になれば対戦することもあるさ。そうだろう?」「ええ、楽しみにしています。今日はありがとうございました」 剣城の視線を受け止めて、キリ先輩が力強く頷いた。 試合中はちょっとびびっているような気配を感じたけど、どうやら気のせいだったようだ。むしろ何か、すっきりした顔をしているように見える。「君も……いや、鬼嶋さんも、それを返してもらっていいかな」「おう。……ちっ、がっちり食い込んでやがる」 鬼嶋はバイクの胴体に半分まで食い込んだハルバードをぎちぎちと揺すって、苦労して引っこ抜くと、剣城の方へ放って寄越した。「どうやら今回は記憶に残してもらえたみてえだな」と鬼嶋が不敵に笑い、「ははは、もう非礼は繰り返さないさ。私の手からハルバードを奪った選手なんて、君が初めてだからね」「そいつぁ光栄だ。次は叩き折ってやんよ」 剣城は「それは勘弁してほしいな」と肩をすくめ、ブランと一緒に光の粒子に包まれて消えた。店内ダンジョンを出るときはこんな感じになるのかあ。「さて、ボクたちも出て会計を済ませようか」 キリ先輩の言葉で、そういえば買い物に来たんだったと思い出す。 携行食とか水筒とか、他にも気になるものがあったけど、いますぐ必要なものではないし、大人しく帰ることにしよう。余計なものまで買う余裕もないしね……。そうだ、お金といえば――「バイクの修理代も高くつきそうだねえ。カンパする?」「あン? そんなもん要るわけねえだろ」「ダンジョンギアは再構成すれば元通りに直るんだ。消耗品は別だ
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第14話

 掃除当番を終えて逃げるような早足で部室に向かう。 なぜ早足かって? 決まってるじゃないか、掃除当番の班に盛大にフラれた例の男子が入っていたからだよ。 それに、みんなしてびくびくしながら「火ノ坂さん、い、忙しいよね? 掃除は私たちがやるから先に帰っていいよ」とか言うんだよ? ちょっと離れたところからこっちをちらちら見ながらね、小声で「赤鬼……」「ヤクザ殺し……」「警察も手が……」とか聞こえてくるんだよ? ハハッ、この状況で平気な顔をしていられるやつがいたら、あたしゃ見てみたいね! というわけで、音速で掃除を済ませて部室に駆け込んだのである。「ここの動きが――」「いや、上下で高さの差も出せば――」 キリ先輩と鬼嶋が並んで椅子に座り、人工ダンジョンの入口――イミテーションに見入っていた。わたしが入ってきたのにも気づいていないようだ。 何を見ているんだろうと覗いてみると、イミテーションの鏡面にハルバードを持つ長身の王子様が映っている。対峙するのはジャンプスーツを身にまとったキリ先輩と、バイクにまたがる鬼嶋。 どうやら昨日の試合の映像らしい。イミテーションってモニターみたいに使えるのね。それに、しっかり映像を残していたなんてさすがはキリ先輩だ。「これ、撮ってたんですね。どうやったんですか?」「わ! あ、ごめんごめん、夢中で気づかなかった。えっと、ああいう施設はたいてい撮影サービスがあって、料金を払うとデータをもらえるんだよ」 へえ、それは便利だ。 人間というのは案外自分の身体の動きを把握していないもので、ビデオに撮って確認するとそれを客観視できる。鏡の前での形稽古の上位版みたいなものだ。「いい機会だったからね。剣城さんは公式試合でもなかなか全力を見せてくれないから、今回、数的有利を作れたのはラッキーだったよ。底が見えた……とまでは言えないけど、少なくとも手を抜けるような状況じゃなかったと思う」「あ、ひょっとして3対2の勝負を通したのも……」「それは向こうから言い出したことだよ。ボクたちの方からわざわざ2対2にしようなんて提案する義理もないしね」 と、キリ先輩は悪い笑顔を浮かべる。 ハンデ付きの試合で不満はなかったのだろうかとちょっと引っかかっていたのだが、情報収集のためだったのか。なかなかの策士ぶりである。未来の勝利の
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第15話

 電車だけで4時間である。 乗り継ぎしながら実家の最寄り駅に着いたときには、3人とも若干ぐったりしていた。始めのうちこそ小旅行気分を楽しめたが、新幹線ではなく在来線の乗り継ぎだ。3泊4日分の荷物を担いでの移動は普通にしんどかった。 神奈川県西部から実家のある埼玉県西部は直通する路線がなく、一回東京を経由しないとダメなのだ。ぐるっと大回りをするため、やたらに時間がかかる。地図アプリで調べたら、車なら半分の時間で着くらしい。格安の自動運転タクシーの登場を切に望む。 景色も特段面白くない。 駅前にはちょっとした繁華街があり、それを抜けると一軒家と低層のマンションやアパートが入り交ざった住宅街。まあ、どこにでもある地方都市だ。「な、なにこれ……」「おいおい、どうなってんだよ……」「あは、あははは……」 そうしてたどり着いた先、どこにある空間の一角に、突然異物が現れた。 瓦葺きの切妻屋根がのった棟門に、左右に伸びる海鼠塀は浮いてるっちゃあ浮いてるが、これに驚いたわけではないだろう。 驚いた理由は、門にも塀にもびっしりと書き込まれた落書きだ。「死ね赤鬼」「赤鬼ぶっ殺す」「赤鬼上等」「勝負しろや」などなどはかわいいもので、「巨凶」「殺人鬼」「人肉マニア」「こいつが真犯人」と言った謎の告発、それから「赤鬼は■■」「◯◯◯◯」「※※※※女」「▲▲子の家」といった下品なものまで誹謗中傷のオンパレードだ。伏せ字は各自で想像してください。女の子が口にしてよい単語じゃありません。「わたしが住んでたときはちょくちょく消してて、こんなひどくなかったんですけどね」 正確には、落書きに来たチンピラを適宜とっ捕まえ、連帯責任として溜まった落書きをまとめて消させていたのだが……じいちゃんはそういうマメなことができるタイプじゃないからなあ。面倒で放っておいているらしい。こんなん放置してたらご近所様からも苦情が来るぞ。「そ、そうなんだ……」「お、おう……」 キリ先輩はもちろん、鬼嶋まで引きつった笑いを浮かべている。 あー……、だから嫌だったのだ。絶対ドン引きしてるよなあ。 ダンジョン嫌いのじいちゃんのこと、絶対断られるだろうと思ってメッセージを送ったのに、返ってきたのは「おっけぃ♥」という軽いスタンプひとつ。わたしの思惑はあっさりと外れ、合
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第16話

 道場にたどり着いた先輩たちは、ほんの30分前とは打って変わってぼろぼろになっていた。ぜえはあと荒い息をつきながら、ほとんど這うようなありさまである。「や、やっと着いた……」 キリ先輩は全身に白い綿をくっつけて、もこもこの羊さんみたいになっている。かわいい。「クソジジイが……ナメやがって……」 鬼嶋はずぶ濡れで、自慢の特攻服が極彩色に染まっている。金髪と相まってまるでサイケデリックアートだった。 んで、わたしはというと、逆立ちして両足の間に石の詰まった俵を挟んで前衛アートにかぶれたシャチホコみたいになっている。床の間に飾られた「可惜身命」という武術道場にはらしからぬ掛け軸と相まって、もしも写真をSNSにアップしようものなら即生成AI認定されるであろう異様さだ。 じいちゃんの奇襲をかわせなかった罰として、先輩たちが着くまでこの格好で待てと言われてしまったのだ。スカートを履いてこなかったのが唯一の救いと言えよう。「まったく、3人ともなっておらんのう」 じいちゃんはふぉふぉふぉと高笑いして天狗面を取った。 皺の深い顔に、真っ白になったふさふさの眉毛と口ひげ。 ぱっと見は仙人だが、その実態は妖怪仙人である。「ダンジョン部、じゃったかのう。その様子では弱小もいいところじゃろうな。当ててみるぞ、去年の戦績はどうせ1、2回戦負けじゃろう」 意地悪く笑うじいさんに、キリ先輩と鬼嶋の口元が引き締められる。 ちょいちょい、やめろよじいちゃん……。二人にとって、去年の敗戦はトラウマなんだぞ……。「わかったような口ききやがって! ダンジョンだったらこんなざまになるもんかよ!」 案の定、キレた鬼嶋が突っかかる。 しかし、じいちゃんはそれをひらひらといなしながら高笑いを続ける。「ふぉっふぉっふぉっ、『ダンジョンだったら』か。思った通りじゃのう」「ンだとお! ……おおおっ!?」 じいちゃんがするりと脇をすり抜けると、鬼嶋は一回転して畳に着地した。その姿勢は見事な正座である。鬼嶋は何が起きたかわからず、「は? はあ!?」と頓狂な声を上げながら視線をきょろきょろさせていた。なお、わたしにも何が起きたかわからない。「さて、悪ふざけもこんなところにしておこうかのう。すまんとは思ったが、時間もあまりないのでな。まずは荒療治をさせても
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第17話

 さっそくトレーニングを開始したキリ先輩と鬼嶋を道場に残し、わたしとじいちゃんは裏庭を抜けてゆるやかな山道を上っていた。 裏山――といっても、せいぜい丘のようなものだが――も、じいちゃんの持ち物で、我が家の敷地になっている。子供の頃は虫取りをしたりしてよく遊んだものだった。「じいちゃん、どこ行くの?」「着けばわかる。何、すぐじゃ」 わたしには先輩たちとは別の特訓があるとのことで連れ出されたのだが、目的地を聞いても教えてくれない。もったいぶってるとかじゃなく、たぶん面倒くさいだけだろう。じいちゃんはそういう人だ。「じいちゃん、ダンジョン嫌いじゃなかったんだね」 無言で歩き続けるのも退屈なので、適当な話題を振った。 まさかじいちゃんがダンジョン動画をチェックしているだなんて想像もしていなかったから、普通に気になっていたというのもある。「嫌いなどと言うたおぼえは一度もないのう」 言われてみればそうだったような……。 嫌いとは言わず、「こんなものは毒だ」とか何とか言ってチャンネルを変えるのが常だった気がする。「じゃあ、じいちゃんはなんでダンジョンを禁止してたの?」「さっき言うたじゃろう。ああさせたくはなかったからじゃ。ま、初めてしもうたものを今更やめろとは言わんさ。あの娘らにも迷惑がかかるじゃろうしな」 じいちゃんは面倒くさそうにため息をつく。「ああ」というのは、先輩たちのことだろう。「ダンジョンにばかり夢中になると、現実の体の鍛錬を怠りがちになる。心の動きと体の動きが一致せんのは危ないことじゃからの。それに、現実とダンジョンでは違うことが多すぎる。ダンジョンが女子供の遊びとされて、男がやらんのはちゃんと理由があるんじゃよ。現実の戦に出る男どもには毒になりかねんのじゃ」 初めてダンジョンに潜ったときのことを思い出す。 光の粒子となって消えていくゴブリンを見て、「残心いらずで楽だなあ」と思っていたが、あれが当たり前だと思っていたら現実で手痛いしっぺ返しに遭っていたかもしれない。死んだふりをしたヤクザがドスを投げつけてくるとか普通にあったしなあ。「とくに、おぬしにダンジョンをやらせたら、のめり込むのが目に見えておったからのう。あぶなっかしくてしょうがないわい」 そう言われてはっとする。 部活を始めようとしたきっかけは、高校での
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第18話

 時間感覚がおかしくなっていた。 じいちゃんに置き去りにされてから、何時間過ぎたのか、いやひょっとして何日なのか、むしろ反対に数十分しか経っていないのか。全然わからない。 何しろ景色がまったく動かないのだ。 太陽は中天を超えたあたりのままだし、ウサギに似た形の雲はウサギの形のままだ。木々の先端を眺めていてもこゆるぎもせず、根本の草むらを揺らす生き物もいない。 自分の他に動くものは何もなく、じっとしていると、自分の息や、心臓の鼓動までが耳鳴りのように響く。風も匂いもない空気には何の主張もなく、何も感じない肌はやがて世界との境界を曖昧にしていく。 それがたまらなく恐ろしくて、意味もなく巨石の岩肌をさすったり、雑草を撫でたり、自分の鼻を摘んだり、耳を引っ張ったり、奇声を上げて地団駄を踏んだり、そこらをダッシュしたりする。 こうでもしないと、「いま自分がここにいる」感覚まで失われてしまうようで、恐ろしいからだ。 まさかとは思うが、時間が停止しているというようなことはあるまい。 それなら色々な利用法が思いつく。夏休みの最終日に宿題を片付けるとかさ。 そんな便利なものが人知れずにいられたとは考えにくく、外では普通に時間がすぎているのだろう。 じいちゃんが消えた直後は張り切ってあれこれ調べたり試したりした。 まず巨石。 軽く蹴ったり叩いたりしたが、がっちがちに硬い。 重量のせいでびくともしないため、掌底で軽く叩くだけでもほんのり痛い。動かないものは衝撃を逃さず、反作用も余さず伝えてくるのだ。 じいちゃんが拳を打ち込んだところはもちろん、そこ以外もくまなくチェックしたが、特別に脆い場所などは見当たらなかった。完璧にがっちがちである。 こういうのって、「石の目を読む」みたいなことをしてさ、弱点を脱力して打つとあっさり割れる的な、そういうのがお約束じゃん。でも、この巨石についてはそんな漫画的お約束など通用しないらしい。まあ、じいちゃんもどう見てもめっちゃ力んで打ってたしな……。 次に周辺。 最初に「半球形の透明な壁に覆われているのではないか」という仮説を立てたが、これは正しかったようだ。巨石を中心に、半径20メートルほどのところで空間が仕切られており、その向こうにはいけそうにない。透明な壁も巨石同様にがっちがちなのだ。 巨石以外の抜け穴がある……と
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第19話 禁伝『捨身飼虎』

「右手がある……右手があるよう……」 わたしはぼろぼろと泣きながら、震える箸で玉子雑炊を貪っていた。 時刻は深夜というかもはや朝方、合宿最終日である。 どうやらわたしは丸3日間、あのダンジョンに閉じ込められていたらしい。 いやあ、いくらタネが割れてもね。 自分の拳がぶっ壊れるほど思いっきり殴るなんてなかなか出来ないのですよ。 何度も何度も挑戦し、痛みに苦しみ、時にのたうち、時にマジ泣きし、ようやくできたときには今日だったのである。 丸3日も、下の方は大丈夫だったのかって? ふははは、変なことを聞くんじゃないよ。 とりあえず、目覚めたときには雨が降っていたので綺麗さっぱりだったとだけは言っておこう。大きい方はそもそも大丈夫だった。山に入る前に出し切っておいてよかったぜ。 現実に戻った瞬間、猛烈な渇きと空腹に襲われた。 顔を伝う雨粒を舐めながら這いずるようにして道場にたどり着くと、待ち構えていたじいちゃんが食事を用意してくれた。なんで起きていたのかと聞いたら「年寄りは朝が早いんじゃ」と目を逸らした。どうやら心配していてくれたらしい。「禁伝『捨身飼虎』と言う」 三杯目の雑炊をかきこんだとき、じいちゃんがぽつりと言った。「しゃしんしこ?」「元ネタは仏教説話じゃな。お釈迦様がその前世で、わが子を喰らってしまいそうなほどに飢えた虎を哀れに思い、自分の身を捧げて助けてやったという話だが、当然、そんな真似は普通にはできん。それを精神力でもって無理やり肉体を凌駕する、要は捨て身の技ということじゃ」 自分自身をエサに差し出すなんて、某パン頭のヒーローみたいだな……と思ったが、じいちゃんが真剣な顔をしているので茶化すのはやめた。「火神陰流が、江戸時代の初期に火神流から分かれた流派という話はしたな」 黙って頷く。 源流である火神流は戦国時代の流派で、それには刀術や槍術、用兵術などの学問まで含んだ総合武術だった。それを徒手空拳のみに特化したのが火神陰流だと聞かされている。武装を許されない百姓の護身術として発展したのだそうだ。「そして、百姓の戦いと言えば一揆じゃ。時には武士を相手に勇を奮うこともある。完全武装の武士と、徒手空拳の百姓。普通に考えれば勝負は見えておる。そんなとき、相討ちを
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第20話

「ほほう、これが噂に名高い小籠包! ……ふわっつ!?」「アホだなあ。小籠包ってのはこうやって皮をちょっと破って、そこから汁を……あちっ!?」「もう、ふたりとも気をつけてね。ヤケドしちゃうよ……あっつ!?」 場所は横浜中華街、わたしたちは食べ歩きを楽しんでいた。 実家からの帰路である。時間はお昼過ぎ、ゴールデンウィークだけあってすごい人混みだ。地元民(というほど近所ではないそうだが)であるキリ先輩と鬼嶋はあまり乗り気ではなかったのだが、わたしがどうしてもとお願いして実現した。 だってさあ、横浜中華街だよ? 埼玉県民的には鎌倉、湘南に並んで憧れの神奈川スポットなのだ。立ち寄らないわけにはいかないのである。なお、選出スポットについての異論は認める。「おおおお、なんだあの巨大な唐揚げは……。あっ、あっちはチャーシューメロンパン?」「あんまキョロキョロすんなよ。こっちが恥ずかしくなるじゃねえか」「あんまり走り回ると迷子になるよー」 あちこちの食べ歩きグルメに目移りしながらちょろちょろしてると、先輩たちから注意をされた。自分で言うのもなんだが、まるっきり両親に連れられる幼児の図である。 鬼嶋はともかく、単純な見た目で言えばキリ先輩はわたしより幼いのだが……、落ち着きが違う感じがする。これが高校生活1年の差から来る貫禄か。 顔より大きい唐揚げと、甘さと塩気のコントラストが楽しいチャーシューメロンパンを交互にかじりながら歩いていると、何やらド派手な建物が見えてきた。 朱塗りの門柱。金箔のあしらわれた瓦屋根。そこにはやはり金箔で覆われた龍や鳳凰の像が何頭も鎮座しており、「廟帝関」の扁額が不思議な存在感を放っている。「関帝廟だね。三国志の関羽を祀ってるところだよ。ちょっと寄っていこっか」「懐かしいな。小学校の遠足がここだったか?」 二人はわたしの返事も待たずに石段を登っていく。 ちょっとした思い出の場所なのだろう。 わたしにはわからない話題で盛り上がっている。 境内に上がると、線香の濃密な匂いに包まれた。 極彩色の景色に前も後ろも塞がれて、本当に中国に来てしまったかのような気分になる。 その一角、二重の塔の辺りで「挑戦! 盗墓体験」というなんか物騒な幟が目に入った。「盗墓? っ
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