All Chapters of 娘の命日に離婚宣告。クズ夫が土下座で大後悔: Chapter 181 - Chapter 190

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第181話

遥は鈴原恵(すずはら めぐみ)の家の庭先に座り、両手で温かいお茶の入った湯飲みを包み込んでいた。恵は遥の隣人で、面倒見のいい人だった。遥がここに越してきてからずっと彼女の世話をし、話し相手になり、暮らしの細々としたことを手伝ってくれていた。遥は彼女に感謝していた。ここでの暮らしは質素だが、これまでにないほど心穏やかに過ごせていた。駆け引きも陰謀もない。気持ちもずっと軽くなり、お腹の子を育てるにも申し分なかった。何より、花梨と怜司に心をかき乱される心配がない。それだけで、ずいぶん落ち着いた日々を送れていた。本当に怜司から離れてみると、思っていたほどの痛みはなかった。あるのはただ、解き放たれたような感覚だけだ。かつてあれほど愛していた人が、今ではこんな有様になってしまったのだ。この家で暮らすようになってから、昭はよく訪ねてくるようになっていた。遥はかつて、自分は彼を好きではないとはっきり伝えたこともある。昭もまた、自分は彼女を好きではない、ただ才能を買っているだけだと言った。初めは信じられなかったが、時間が経つにつれ、遥もそれが本当のことだと分かってきた。昭が自分に向けているのは、確かに才能への評価だけなのだと。このところ昭は遥の世話をしながらも、きちんと距離を保っていた。ふたりがよく話すのは楽譜のことだった。遥もその話をするのは好きだった。何より、曲作りは彼女が心から愛していることなのだから。子供のことについては昭にも話していた。子供は確かに今も生きていること。ただ、それは誰にも伏せておいてほしいと頼んだ。遥はただ争いのない場所で、安全にこの子を産みたいだけだったからだ。昭はそれをよく理解してくれ、穏やかな日々が続いていた。いつものように、昭は流し台の前で青菜を洗っていた。時折顔を上げて遥の方を見る。彼女がどれほど多くの痛みを経験してきたか分かっているからこそ、わざわざ都会からここまで足を運んでいるのだった。「見て、この野菜、すごく新鮮だよ。あとで炒め物を作るから、君も気に入ると思うよ」昭は笑いながら、軽い口調で言った。遥は頷き、小さく言った。「ありがとう」昭は笑みを浮かべ、柔らかな声で言った。「友達だろう。友達なら、助け合うのは当たり前のことだ」ちょうどその時、庭の外から
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第182話

その言葉が怜司の怒りに火をつけた。次の瞬間、彼はそのまま拳を昭の顔に打ちつけた。昭はよろめきながら後退し、口の端から血が滲んだ。それを見た遥は驚いて立ち上がり、震える声で言った。「怜司、何をするの!やめて!」怜司は手を止める気配もなく、冷たく昭を見据え、嘲るように言った。「西園寺、お前も遥のことが好きなんじゃないのか?自分の方が立派な人間だとでも思っているのか?」昭は口の端の血を拭い、冷笑を浮かべると、そのまま拳を打ち返した。昭は本気で殴りたかったのだ。遥の分まで殴ってやりたかった。「お前は間違っている。僕が遥に抱いている気持ちは、お前が思うような下劣なものじゃない!僕は彼女の才能を高く評価している。それ以外の感情は一度も持ったことがない」普段ならこんな言葉をまともに信じることはなかっただろう。だが、傍にいた恵も怜司のこの振る舞いを見ていられなかった。「昭さんと遥さんは、本当にただのお友達ですよ。私がそばで見てきたんですから。事情も聞かずにいきなり人を殴るなんて!またこんなことをしたら、警察を呼びますからね」遥はこれ以上、怜司に説明するつもりもなかった。この人はどうして今も昔のまま、こんなに横暴なのだろう。もう離婚したのに、どうして花梨と結婚することを選ばずここまで押しかけてきて、平穏な暮らしを乱すのか。子供がまだ生きていることを隠しているため、遥は無意識にお腹を引っ込め、昭の後ろに身を隠していた。「昭、大丈夫?」昭は首を横に振り、軽い口調で言った。「大丈夫だよ。心配しないで」怜司の口の中では、血の味がますます濃くなっていた。だが、胸の痛みに比べれば、そんなものは何でもなかった。目の前にいるこの女は、かつて自分の妻だったというのに、他人のことばかり心配して、自分のことは少しも気にかけてくれない。遥は顔を向け、冷たく怜司を見据えて言い放った。「怜司、いったい何がしたいの?私たち、もう離婚したのよ。どうしてまだ私の生活をかき乱すの?あの子を死なせたのもあなたでしょ……今度は私まで傷つけるつもり?」「あの子を死なせた」という言葉に、怜司は一瞬固まった。確かに、自分は遥の子を死なせた。だが、そのことを後悔してはいなかった。遥は他の男の子を身に宿してはならない。絶対にだ!胸の中の狂おしい独
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第183話

いや、そんなはずはない。怜司はすぐにその考えを打ち消した。――あの子が俺の子であるはずがない。大きく息を吸い、ぞっとするような笑みを浮かべた。もしあの子が俺の子だったなら、自分の手で我が子を殺してしまったことになる。だから、あれは俺の子ではないはずだ。そう考え、怜司はようやく少し安堵の息をついた。精神がひどく張り詰めていたせいで、そんな考えが浮かんだだけだろう。スーツを整え、心をかき乱されるこの場所から立ち去ろうとした。ところが数歩も進まないうちに、不意に危険を察知した。長年の経験から瞬時に警戒し、咄嗟に身をかわした。鋭い光が耳元をかすめ、背後の壁に突き立った。1本の短剣だった。「誰だ!」怜司が鋭く声を上げた。これまでにも命を狙われたことはあったが、ここまで堂々と襲ってきた相手は初めてだった。闇の中から、黒いコートをまとい、仮面をつけた男が姿を現した。「藤井さん、あなたの命を高値で買おうという人がいるんですよ」殺し屋の声は低く、感情の欠片もなかった。ただ事務的に仕事をこなすだけの声だった。怜司は冷笑した。「お前ごときが?」殺し屋は答えず、突然一気に距離を詰め、手にした短剣を怜司の胸めがけて突き出した。怜司は素早く身をかわしたが、殺し屋の動きはあまりに速く、刃は彼の腕をかすめ、瞬く間に袖を血で染めた。「社長!」傍にいた護衛が即座に飛び込み、怜司の前に立って殺し屋と渡り合った。だが殺し屋は明らかに戦闘訓練を受けており、一撃一撃が急所を狙っていた。護衛は腕が立つ方だったが、たちまち腹を刺され、地面に倒れ込んで虫の息になった。怜司は、今回の相手がただ者ではないことを悟った。今夜は生きて帰れないかもしれない。すぐに地面に落ちた護衛の短剣を拾い上げ、殺し屋に向き直った。「藤井さん、もがくのはやめることだ。あなたは逃げられない」殺し屋は冷たく言い放ち、再び攻撃に転じた。怜司は全力で殺し屋と渡り合ったが、体力は次第に尽きかけ、傷口からも血が流れ続けていた。さらに、殺し屋の刃が胸を深く切り裂き、鋭い痛みが走った。このまま続ければ間違いなく命を落とす。殺し屋が再び迫ったその瞬間、怜司は手にした短剣を投げつけ、相手を一歩退かせた。その隙に踵を返し、路地の反対側へ全力で走り出した。「
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第184話

――怪我をしている?その言葉を聞いて、遥はまず疑いを抱いた。同情を引くための演技ではないかと。だが、ドアの向こうから、かすかに血の匂いが漂ってくる。本当に怪我をしているのだ。命に関わる以上、放っておくわけにはいかない。結局、遥は扉を開けることにした。扉が開いた途端、怜司の体が力なく崩れ落ちた。遥は思わず手を伸ばして彼を支えた。顔は紙のように白く、腕の傷からはまだ血が流れ続け、彼女の袖まで赤く染めていった。「どうしてこんなことになったの?」初めは騙しているか、あるいは同情を引くための芝居だと思っていた。だが今、目の前の状況を見ればそれはあり得ない。彼女は怜司を支えて家の中へ入れ、素早く扉を閉めた。怜司は壁にもたれ、無理に笑みを作った。「すまない、迷惑をかけた」遥は止血剤を探した。指先はわずかに震えていたが、表情は驚くほど冷静だった。「もう話さなくていいから、少しでも体力を温存して」遥は低い声でそう言うと、しゃがみ込んで彼の傷の手当てを始めた。怜司は壁にもたれ、呼吸はやや荒く視界もぼやけていたが、何とか遥の顔に焦点を合わせ続けた。こんな状況でも彼女の顔を見られるのだから、ある意味では幸運なのかもしれない。それに、今の遥は確かに以前ほど自分を拒んではいない。「遥」彼は低く彼女の名を呼んだ。今回のことをわざとだと誤解されるのが怖かった。「すまない、本当にわざとお前のところに来たわけじゃない。ただ、この辺りで頼れるのはお前だけだったんだ」今はひどい痛みに襲われていた。それでも遥の気持ちを気遣い、誤解されることを恐れていた。遥の手が一瞬止まった。目を上げて彼を一瞥したが、何も答えず、そのまま傷の手当てを続けた。彼がわざと来たのではないことくらい分かっている。今の彼の怪我は、自分では手に負えないほど重い。胸にも傷があり、血が止まらない。適切な処置を受けなければ命に関わる危険があるはずだ。「誰に恨まれたの?」少なくとも遥の目には、怜司は何でもできる人間に映っていた。すべてを支配できるような人だと思っていた。以前も自分を助けるために怪我をしたことはあったが、こんな重傷を負った怜司を見るのは初めてだった。それを聞いて怜司は苦笑いを浮かべるだけだった。「仕事上のことだ。俺を生か
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第185話

遥は床に倒れた怜司を見て、心臓が激しく脈打ち始めた。しゃがみ込み、手を伸ばして呼吸を確かめた。呼吸は弱々しく、顔色は恐ろしいほど白い。指先が彼の肌に触れた瞬間、冷たさを感じた。明らかに普通の体温ではなかった。遥は全身が一気に緊張するのを感じた。怜司のことは嫌っている。だが、死んでほしいわけではない。「怜司!」何とか意識を取り戻してほしくて、必死に呼びかけた。反応はなかった。すでに意識を失っているのは明らかだった。頭の中は混乱していたが、無理にでも冷静さを保たなければならない。怜司の傷は今すぐ処置しなければ、取り返しのつかないことになるかもしれない。本当に、厄介事を持ち込んでくる男だ。遥はすぐにスマホを取り出し、駿へ電話をかけた。駿は怜司の専属医師だったからだ。数回の呼び出し音のあと、駿の声が聞こえてきた。少し意外そうな声だった。「遥さん、どうしたんですか?もしかして、怜司に何かあったんですか?」見事に当てられてしまった。「ごめんなさい、怜司が怪我をしたんです。今私のところにいて、状態がすごく悪いんです。傷の処置も私にはできなくて、意識まで失ってしまって!」遥は声を震わせながら言った。こんな状況はこれまで一度も経験したことがなかった。電話の向こうで数秒の沈黙があり、駿の声が真剣なものに変わった。「どのくらいひどい怪我なんですか?」「腕と胸を刃物で切られて、かなり血が出てるんです。簡単に手当てはしたんですけど、それでも意識を失ってしまって」遥は怜司を見下ろした。傷口からは再び血が滲み始め、ガーゼはすでに赤く染まっている。駿は大きく息を吸った。この状況では一刻も早く病院での処置が必要だ。「遥さん、彼の容体はかなり危険です。まずは落ち着いて、僕の話を聞いてください。救急車も必要な状態です。すみませんが、今はそちらに行けません。家の方の用事がまだ片付いていなくて、それに妨害してくる者もいて、しばらく身動きが取れないんです。外にはまだ殺し屋がいるかもしれません。今、無理に彼を外へ連れ出すのは危険です。僕が電話でできる限り指示しますから、まずは彼の状態を確認しましょう」さすが駿だ。外にまだ殺し屋がいることまで見抜いていた。ただ、あの殺し屋もいつかはここを見つけてしまうだろう。怜
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第186話

遥はとっさに首を横に振ったが、電話の向こうにいる駿には見えないのだと気づき、慌てて声を絞り出した。「いいえ、家にはそういう薬はありません!」薬がないままで、彼は死んでしまうのだろうか。どれほど彼を憎んでいても、死んでほしいとまでは思えなかった。少しの沈黙を挟み、駿が重い口を開いた。「今はとにかく、彼の容体が悪化しないようにしてください。夜が明けたら病院へ運ぶ方法を考えましょう。できるだけ早く迎えの者を向かわせます。ただ、今夜は何とか持ちこたえてもらわないと」言われるまでもなく、そんなことは遥にも分かっていた。「でも、彼は……っ」声が震え、その先を続けることができない。「悪い方に考えないでください。怜司はそう簡単に死ぬような男じゃありませんから」駿はすかさず言葉を遮った。彼自身にも確信があるわけではなかったが、今は弱音を吐いている場合ではないのだ。「今は僕の言う通りにして、できるだけ容体が悪化しないようにしてください。こちらも急いで人を向かわせますから」駿との通話を終えた遥は、横たわる怜司を見下ろした。その呼吸は、相変わらず弱々しいままだ。このまま必要な薬も手に入らなければ、怜司は本当に今夜を越えられないかもしれない。「怜司、しっかりして。すぐに戻るから」遥は素早く上着を羽織ると、足音を殺して玄関に向かい、ドアを少しだけ開けて外の様子をうかがった。夜は深く、通りに人影はない。だが、あの追手たちがまだ近くに潜んでいる可能性は十分にあった。遥は足早に外へ出ると、隣に住む恵の家へと急いだ。恵は面倒見がよく、普段から親しくしている。家には救急用品があるかもしれない。だが、数歩も進まないうちに、遠くからかすかな物音が聞こえてきた。遥はとっさに物陰へ身を隠し、息を潜めて外の気配に耳を澄ませた。足音が次第に近づいてくる。そっと顔をのぞかせると、黒ずくめの男たちが数人、武器を手にこちらへ向かってくるのが見えた。どうしてこんなところに。あの男たちは、怜司を狙っている殺し屋かもしれない。一瞬の迷いも許されず、遥は身を翻すと、音を立てないように恵の家の裏口へ回り込み、そっとドアを叩いた。「恵さん、私、遥です」声を潜め、周囲に聞かれないように気をつけながら呼びかける。すぐにドアが開いた
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第187話

遥は顔を伏せ、両手でお腹を抱えながら、苦しげな様子を装って低く呻いた。「ううっ、お腹が……痛い……」近づいてきた男たちは、壁際にうずくまる遥の姿を目にして、ふと足を止めた。「おい、誰だ。こんな夜更けに何をしている」そのうちのひとりが、鋭い声で問い詰めた。遥は顔を上げ、苦痛に歪んだ表情のまま、弱々しい声で答えた。「わ、私……お腹が痛くて。散歩に出たら、急にひどく痛み始めて……お願いです、助けてもらえませんか」声は震え、いかにも頼りなげだった。薄暗い明かりの下、男たちは膨らんだお腹と苦しげな表情を見て、一瞬判断に迷ったようだった。「兄貴、この女、妊婦みたいっすよ。余計な面倒は避けたほうがいいんじゃないっすか」ひとりが、低い声でリーダー格の男に耳打ちした。リーダーの男は忌々しげに眉をひそめた。余計な揉め事は望んでいないようだった。彼は大きく手を振ると、冷たく言い放った。「放っておけ、行くぞ!」遥はその言葉を聞いて内心ほっと息をついたが、男たちの足音が遠ざかるまで、お腹を押さえて苦しげに呻き続けた。辺りが完全に静まり返ってから、遥は服についた埃を払い、自分の家へ急いで戻った。ようやく無事に家へ戻った遥は、急いでドアを閉めると、それに背を預けて大きく息をついた。救急箱を開け、止血に使える薬と抗生物質を取り出すと、再び駿に電話をかけた。「遥さん、状況はどうですか?必要なものは手に入りましたか?」「はい、止血に使える薬も抗生物質も手に入りました」遥はまだ恐怖から立ち直れず、声にもその動揺が滲んでいた。「でも、次はどうすればいいんですか?早く教えてください!」遥がこれほど危険を冒して救急用品を手に入れるとは、駿も思っていなかった。この間、怜司と遥の間に何があったのかも、駿は知っている。怜司のしたことを思えば、遥が彼を見捨ててもおかしくないはずだった。それでもここまでするとは、駿は心の中で彼女に舌を巻いていた。「いいですか、落ち着いて聞いてください。まずは傷の状態を確認しましょう。止血のために必要なことを、順番に説明します」遥は駿の指示に従って、傷口の手当てを始めた。「手当てはしました。次はどうすればいいんですか?」「意識が戻っていないなら、薬や水を無理に飲ませてはいけませ
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第188話

けれど彼は、自分のお腹の子を生かしておきたくなかった。だからこそ、あの状況に便乗して、子供を失わせようとしたのだろう。ただ、遥にはどうしても理解できなかった。あなたの子ではないと、あれほど言ったのに、どうして彼は信じてくれなかったのか。彼はかたくなに、遥が彼との子をひそかに産もうとしていると思い込んでいた。けれど、今さらそれを考えても仕方がない。遥は怜司に布団をかけ直すと、自分の部屋へ戻って休もうとした。だが部屋を出ようとした瞬間、不意に手首を掴まれた。「遥……行かないでくれ」明らかに眠ったまま口にした言葉だと分かっていたのに、遥は思わず足を止め、彼の顔を見つめてしまった。それでも、遥はそっと手首を引き抜き、振り返ることなくその場を離れた。ふたりがやり直す道は、もう残されていない。彼を救ったのは、ただ自分の良心に従っただけだ。今日のことは、相手が誰であっても同じようにしていただろう。ほどなくして、遥は玄関の扉が叩かれる音を聞いた。最初から警戒を緩めるわけにはいかない。相手が、あの追手である可能性も十分にあった。「藤井社長の部下です」本当に藤井の人間なのか、遥には判断がつかなかった。すぐに決断することもできない。もし相手が偽物なら、ドアを開けた瞬間、自分も怜司も殺されてしまうだろう。だから彼女はドアを開けず、物音ひとつ立てなかった。まるで部屋には誰もいないと、相手に思わせるように。すでにスマホで駿にメッセージを送った。【人が来ましたが、本物かどうか分かりません】駿はすぐに連絡を取り、確かに怜司の部下が向かったのだと確認した。それでようやく遥は安堵し、男たちのためにドアを開けた。だが、ドアを開けた途端、男たちが強引に押し入ってきた。遥は直感で危険を感じた。この殺気立った雰囲気は、とても怜司を助けに来たようには見えない。深く考える余裕もなく、遥はすぐさま隣の部屋へ駆け込み、内側から鍵をかけた。黒ずくめの男たちも、すでに正体を見破られたと察し、動きを速めた。遥はすでに怜司を奥の部屋に移していた。安全のためだった。どう考えてもおかしい。怜司の部下の中に、裏切り者がいるに違いない。以前にも裏切りがあったことを、遥は覚えていた。彼を裏切る人間は、どうしてこんなに多いのだろう。彼の命
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第189話

どうやら、怜司はすでに意識を取り戻していたらしい。先ほどの会話も、すべて聞いていたのだ。怜司は辛うじて体を起こしていた。顔は蒼白で、額には幾筋もの冷や汗が滲んでいる。傷口からの出血は治まっていたが、大量に血を失い、体はひどく弱っていた。壁に手をついて立ち上がると、弱々しく遥を見た。「これは俺の問題だ。無関係な人々を巻き添えにするわけにはいかない」怜司とて命は惜しい。だが、大勢の住民の命を犠牲にしてまで、自分だけ助かろうとは思わなかった。遥はとっさに怜司の前へ回り込み、両手で彼の腕を強く掴んだ。「出ていっちゃだめ!あの人たちが、あなたを見逃すはずがないわ。こんな状態で戦えるわけがないじゃない」何を馬鹿なことを、と遥は焦った。奴らの狙いは彼ひとりであって、近所の人たちではないはずだ。奴らだって、できれば騒ぎを大きくしたくないはずだ。もし今日、無関係な住民まで殺してしまえば、確実に大騒ぎになる。だから今、最善の策は、自分が代わりに出て、奴らの注意を引くことだ。そうすれば、すぐに殺されるようなことにはならないはずだった。「遥、聞いてくれ」彼は遥の手を握り返した。声はまだ弱々しい。「……あの連中は、俺を簡単には逃がさない。それに、お前が思うほど甘い相手じゃない。村人たちだって、無事に帰してもらえるとは限らないんだ。目的のためなら手段を選ばない。それが、あいつらのやり方なんだ」「だめよ」遥は強く首を横に振った。彼女も事態がここまで悪化するとは思ってもみなかった。「出ていったら、死にに行くようなものじゃない。そんなことさせられないわ」彼は、遥が自分を恨んでいることを知っている。それでも、生死を分けるこの瞬間にも、彼女は自分を守ろうとしてくれている。これまで自分が彼女をどう扱ってきたか。それを思うたび、胸が締めつけられて息もできなくなる。「遥、俺を信じてくれ。俺はそう簡単には死なない。警察ももうすぐ来るはずだ」遥は唇を噛み締め、激しく心を揺さぶられた。怜司の言うことにも一理あるのは分かっている。けれど、彼が危険に飛び込もうとするのを黙って見ていることなど、できなかった。「あなたがここで死んだら、それも私の責任になるわ。私が身代わりになって出て、あの人たちの気を引く」言いながら、彼女は怜司
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第190話

その時、遠くからけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。男たちの顔色が変わる。警察がこれほど早く駆けつけるとは、予想していなかったのだろう。「兄貴、警察が来た!」ひとりが焦ったように声を上げた。リーダーの男は忌々しげに舌打ちをした。あと少しで仕留められるはずだったというのに。彼は怜司を鋭く睨みつけると、吐き捨てるように言い放った。「今回は運がよかったな。撤収するぞ!」言い捨てるなり部下を連れて素早く撤退し、夜の闇へと姿を消していった。そこでようやく、怜司はドアを押さえる手を緩めた。遥もドアを押し開け、外へ出てきた。先ほどの激しい動きで傷口が開いてしまい、怜司は力なく壁にもたれかかった。巻き込んでしまった近所の人たちに、遥は心から申し訳ないと思った。自分がここに住んでいたせいで、あんな恐ろしい目に遭わせてしまったのだ。深く頭を下げる。いずれ、ここを離れなければならないと心に決めた。駆けつけた警察官たちは、すぐに現場の調査を始めた。遥は少し離れた場所へ誘導され、簡単な事情聴取を受けた。怜司も警察官に付き添われ、近くの病院へ搬送されて治療を受けた。幸い、手遅れにはならなかった。事態が一段落する頃には、すでに白々と夜が明けていた。遥が病院に駆けつけると、医師から「応急処置が適切だったおかげで、大事には至りませんでした」と告げられた。どうやら、命に別条はないらしい。遥はようやく心の底から安堵の息をついた。これで自分の役目は終わった。遥がそっと立ち去ろうとしたとき、怜司が声をかけて彼女を呼び止めた。こっそり様子を見に来たつもりだったが、怜司には気づかれていたようだ。「すまない。お前をこんな危険に巻き込んでしまって」見つかってしまった以上、今さら何かを取り繕うつもりもなかった。「謝らなくていいわ。相手が誰であっても、見て見ぬふりはできなかっただけだから」それを聞いた怜司の瞳が、暗く沈んだ。「遥、俺たちは……」言葉を続けようとして、何から話せばいいのか分からないように口をつぐんでしまった。ふたりの間に、もうやり直す望みは残っていない。遥は背を向け、この場を離れようとした。そこへ、貴子が駆けつけてきた。病床で弱々しく横たわる孫の姿を見るなり、その目にはすぐに涙が滲んだ。「怜司
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