All Chapters of 99.9%の運命よりも、君を選ぶ: Chapter 41 - Chapter 50

68 Chapters

第十八章 確かめたいこと

翌朝になっても、昨日の事実が頭から離れなかった。智臣と出会ってから、すべてが変わり始めている。 俺の身体は、智臣の匂いを覚えている。 自分のフェロモンが感じられるようになった。 熱に近い身体反応が出るようになった。 そして今度は、智臣の存在そのものが身体を落ち着かせている。 俺はそれを、「99.9%の適合率によるもの」と考えようとした。 適合率が高いから、身体が特別に反応する。そう説明すれば、すべてに理由がつくはずだった。 しかし――もしそうなら、智臣以外のアルファでも、同じ反応が起きるのではないか。 そんな疑問が、ふと頭の中に浮かんだ。 99.9%という数字が特別なのだとしたら、他のアルファではどうなるのか。 自分の身体は、本当に「適合率」だけで動いているのか。 それとも――。 智臣という、一人の人間に対して反応しているのか。 俺は朝の光が差し込む部屋で、静かに息を吐いた。 確かめたい。 自分の身体が、何を求めているのかを。 その小さな疑問が、今日という一日を静かに変え始めていた。 *** 一方、智臣も前日の観察結果を、改めて見直していた。 湊の反応は、単純な適合反応だけでは説明しきれない。 99.9%という数字によってオメガ機能が活性化している。それは、これまでの記録とも一致する。 だが湊に現れている変化には、それだけでは説明できないものがあった。 自分が近くにいると、緊張が和らぐ。 匂いを感じるだけでも、呼吸が深くなる。 離れると、再び落ち着かなくなる。 それは、明らかに「安心」に近い反応だった。 智臣は医療機関との相談を続ける中で、専門医から一つの可能性を示された。「特定のアルファに対するオメガの反応と比較できれば、より正確な判断につながるかもしれません」 他のアルファと接した場合に、湊の身体がどのような反応を示すのか。 確かに、それが分かれば一つの判断材料にはなる。 だが――。「……必要以上に負担をかけるつもりはない」 智臣はそう答えた。 検査のために、湊の身体を無理に変化させる必要はない。まして、湊を実験台のように扱うことはできない。 まずは、できる範囲で観察する。 身体に負担をかけず、日常の中で反応を確認していくことにした。 智臣はそう判断しながら、資料をゆっくり閉じる。
last updateLast Updated : 2026-10-03
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第十九章 近づいた距離

重要な取引先との間で、納期と契約内容に関する問題が発生した。 先方は納期遅延の責任を一ノ瀬側にあると主張しており、契約書の解釈にも食い違いがある。社内でも対応を慎重に進める必要がある案件だった。 井上がすぐに動こうとした。「こちらは私が引き取ります。社長は他の予定もございますし」 しかし智臣は、書類に目を通したまま短く答えた。「いや、俺が話す」 迷いのない声だった。 井上が少し驚いたように目を見開く。 だが、すぐにいつもの表情に戻った。「承知しました。では、私は必要な資料を準備しておきます」 智臣は立ち上がり、ジャケットを手に取った。「九条、行くぞ」 「はい」 俺は秘書として、すぐに資料を抱えて後に続いた。 エレベーターの中で、智臣は淡々と指示を出す。「相手の主張点を整理しろ。特に納期の変更理由と、契約書の該当箇所だ」 「分かりました」 俺は資料をめくりながら、必要なポイントを頭に入れていく。 隣に立つ智臣の横顔は、いつものように冷静だった。 けれど、今日はいつも以上に集中しているように見える。(もしかして社長、無理をしている――) そんな考えが、ふと頭をよぎった。 まだ何も起きていない。ただの取引先とのトラブルだ。 それなのに、なぜか気になった。 俺は小さく息を吐き、もう一度資料へ視線を落とした。 トラブル対応のため、二人きりで取引先へ向かう。 その事実を意識した瞬間、胸の奥に小さな緊張が走った。 ――けれど、それが何に対する緊張なのか。 このときの俺には、まだ分からなかった。 *** 交渉自体は、智臣が冷静にまとめていた。 相手の主張を一つ一つ整理し、こちらの条件を的確に提示していく。 声のトーンは変わらない。 論理的で隙がないところは、さすが社長だ、と改めて思う。 けれど、その間ずっと、俺は智臣の小さな変化に気づいていた。 ほとんど休憩を取っていない。 昼食も簡単に済ませ、口にしているのはコーヒーばかりだった。 目元には、いつもよりはっきりと疲れが出ている。 時折、ネクタイを指で緩める。 そして、一瞬だけ眉間を押さえる。 どれも、本当に小さな変化だった。 周りにいる人間なら、おそらく気にも留めないだろう。 でも、俺は気づいてしまった。 智臣がこれまで、俺の体調や表情を注
last updateLast Updated : 2026-10-04
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第二十章 揺らぎ始めた選択

翌朝。俺はいつものように出社すると、智臣のデスクにコーヒーを置いた。 ちなみに昨日とは違い、ブラックではない。「今日は、これにしてください」 智臣がカップに視線を落とす。「……これは?」 「昨日、ブラックしか飲んでいなかったので。今日はカフェオレにしました。少しだけ、砂糖も入ってます」 何気なく言ったつもりだった。 けれど、智臣はカップを手に取ったまま、眼鏡の奥にある瞳を少しだけ細めた。「……よく見ているな」 その言葉に、俺は一瞬、言葉を失った。 よく見ている。 言われてみれば、確かにそうだった。 昨日、どれくらいコーヒーを飲んでいたのか。 疲れたときに、無意識に眉間へ指を当てること。 仕事に集中すると、食事の時間さえ忘れてしまうこと。 俺は、そんなことまで覚えていた。(だって俺は……秘書だから――) そう思おうとした。 秘書なら、上司の体調や仕事の癖を把握していて当然のこと。 ……なのになぜか、その言葉だけでは納得できなかった。(……本当に、それだけなのか?) 答えは、すぐには出てこなかった。 昼前。俺が廊下で別の社員と話していると、不意に視線を感じた。 顔を上げると少し離れたところに、智臣が立っていた。 いつから見ていたのか分からないけれど、その視線が俺に向けられていることだけは分かった。「九条さん、今日の昼、一緒にどうです?」 社員に声をかけられたので、「あ、はい」 そう答えかけた、そのときだった。「九条。昼は予定がある」 低い声が、すぐ後ろから割って入った。「……え?」 思わず振り返る。声をかけてきた社員も、俺と同じように智臣を見た。「社長……?」 智臣自身も、わずかに眉を寄せていた。 まるで、自分がなぜそんなことを言ったのか分からないように。「……そうだったか?」 「いえ。特に予定は――」 俺が言いかけると、智臣は一瞬黙った。 そして、何でもないことのように視線を逸らす。「……なら、今決めた」 「…………」 何となく、変な空気になった。社員は困ったように笑って、その場を離れていく。 俺もその背中を見送ってから、智臣の横顔を見た。(……今の、何だったんだ?) 同じ頃。智臣もまた、自分自身に問いかけていた。(……なぜ俺は、あんなことを言った?) 仕事の予定があった
last updateLast Updated : 2026-10-05
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第二十一章 もう一度、君を見る

一ノ瀬家の次期当主である颯真から、智臣のもとへ仕事上の連絡が入った。 二人は兄弟でありながら、それぞれ別の会社を率いているため、普段から頻繁に顔を合わせるわけではない。 今回の用件は、両社に関わる新しい事業についての打ち合わせだった。「九条、行くぞ」 「はい」 智臣の声に、俺は資料をまとめて立ち上がった。 けれど、その名前を聞いた瞬間、ほんのわずかに胸の奥が揺れた。 一ノ瀬颯真。かつて、九条家との縁談で名前が挙がった人物。 そして――その縁談を拒んだ人。 もう何年も前のことだ。今さら、気にする必要なんてない。 そう思いながら、俺は資料の束を抱え直した。 仕事で会うだけだ。 そう言い聞かせる。 なのに、なぜだろう。「颯真」という名前を聞いてから、胸の奥に小さな波紋が残っていた。 *** 智臣より一つ年上の颯真は、会議室の窓際に立っていた。 智臣とよく似た整った顔立ちなのに、印象はまるで違った。 智臣の鋭さを思わせる切れ長の目に対して、颯真の目元にはどこか柔らかな雰囲気がある。 黒に近い髪をきちんと整え、仕立てのいいスーツを身につけた姿は、一ノ瀬家の後継者らしい品格を感じさせた。 ――兄弟なのだ。 そう思わせるほど似ているのに、並べてみれば違いがはっきりと分かる。 その颯真が、俺の姿を見た瞬間、わずかに目を止めた。「……久しぶりだね、湊くん」 「……颯真さん」 俺も驚きながら挨拶した。 かつて、自分との婚姻を断った相手。 恨んでいるわけではない。 あのときは、仕方がなかったのだと思っている。 それでも、胸の奥にわずかな痛みが残っていることに気づいた。 けれど、その痛みより先に感じたものがあった。 隣にいる智臣の存在――その気配を意識した瞬間、強張っていた身体から、ふっと力が抜けた。 ――どうして。 自分でも分からない。 ただ、智臣が隣にいる。それだけで、さっきまで感じていた緊張が少しだけ和らいだ。 その小さな変化を、颯真は見逃さなかった。 *** 会議が始まった。両社に関わる新規事業について、資料を確認しながら話が進んでいく。 俺は必要な資料を差し出し、質問があればすぐに該当箇所を示した。 以前なら、相手の顔色をうかがってしまっていたかもしれないが、今は違う。 自分が必要だと思ったこ
last updateLast Updated : 2026-10-06
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第二十二章 揺れる視線

颯真から俺へ、改めて連絡が入った。 仕事上の話ではなく、先日の打ち合わせのあとに話せなかったことについて、「少し時間をもらえないか」と申し出る内容だった。 俺は返事を迷った。 颯真はかつて、自分との婚姻を拒んだ相手だ。今さら、何を話すのだろう。 そう思う一方で先日の再会で見た颯真は、あの頃とはどこか違っていた。 以前のような距離を感じなかった。 だからこそ、どう返事をすればいいのか分からない。 しばらく画面を見つめたあと、俺はスマートフォンを伏せた。 迷ったけれど、そのことを智臣に伝えることにした。「社長」 「なんだ?」 「……颯真さんから、連絡がありました。時間をもらえないかって」 智臣の手が、一瞬だけ止まった。「……兄と会うのか」 「まだ、決めていません」 「そうか」 それだけだった。それ以上、智臣は何も聞かなかった。 俺も、それ以上は話さなかった。 けれどその後、仕事をしていると、ふと智臣の視線を感じることが増えた。 顔を上げると、智臣はすぐに資料へ視線を戻す。 気のせいかと思って仕事に戻る。 しばらくすると、また視線を感じる。 颯真からの連絡を確認していることが、気になっているのだろうか。 そう思ったけれど、聞くことはできなかった。 そんなことを考えているうちに、智臣が口を開いた。「……仕事に関係することなら、俺にも共有しておけ」 「え?」 思わず顔を上げる。 智臣は、いつもと変わらない表情をしていた。「仕事ではありません」 「……そうか」 短い返事だった。それ以上、何も言わない。 不思議とその声が、ほんの少しだけ低くなったように感じた。 俺は首を傾げながら、再び手元の資料へ視線を戻した。 *** 智臣自身も、自分の言動に戸惑っていた。 湊が兄から連絡を受けた。ただ、それだけのことだ。 仕事に関係する話なら、共有しておく必要がある。 そう考えただけのはずだった。 なのに――。 湊が兄からの連絡を確認している姿が、妙に気になる。 兄と、何を話すのだろう。 いつ会うのだろう。 なぜ、そんなことを考えている? 智臣は手元の資料へ視線を落とした。だが、文字が頭に入ってこない。 先日の打ち合わせで、兄が湊を見る視線。 湊が兄の言葉に戸惑っていた表情。 そして、今。兄から
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第二十三章 自分で選ぶ時間

颯真から俺へ仕事とは関係なく、もう一度話したいという連絡が届いた。 再会した颯真は、以前とは違っていた。 かつては、俺を婚姻相手として見ていた。 けれど今は目の前にいる俺自身を、一人の人間として見ようとしている。 そのことが、言葉の端々から伝わってきた。 だからこそ、俺は返事を迷った。 しばらく考えた末、予定を確認する。仕事に支障がない日を見つけたので、有給を取得することにした。 「……来週の木曜日なら」 そう打ち込んで、送信ボタンを押す。 すぐに返ってきた颯真からの返信には、待ち合わせ場所と時間が書かれていた。 俺は画面を閉じる。 誰かに命じられたわけではない。 九条家に求められたわけでもない。 智臣に言われたわけでもない。 ただ、自分が颯真ともう一度話してみたいと思った。 だから、自分で時間を作る。 けれどそのことに、俺自身が少し驚いていた。 これまでの俺なら、誰かに決められた予定に合わせることが多かった。 自分がどうしたいのかを考えるより先に、周囲の望む答えを探した。 今は違う。自分が会いたいと思ったから、会う。 そのために、自分の時間を使う。 それが、こんなにも不思議なことだったなんて――。 俺は小さく息を吐いた。「……自分で選ぶって、こういうことなのかな」 誰に聞かせるでもなく呟く。 そのことに、答えてくれる人はいない。 けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。 来週の木曜日。 俺は、自分で選んだ時間を過ごす。 その先に何が待っているのかは、まだ分からない。 ただ――。 誰かに決められた未来ではなく、自分で選んだ一日が始まろうとしていた。 *** その頃、会社では井上が湊の有給申請に気づいていた。「九条くんが有給とは、珍しいですね」 そう言いながら、井上が申請書を手に取る。 その言葉に、智臣も何気なく視線を向けた。「……そうだな」 申請書に記された日付を確認する。 来週の木曜日。ただ、それだけのことだった。 秘書が有給を取る。それ自体、何も珍しいことではない。 なのになぜか、その日付が妙に頭に残った。 仕事に戻っても、ふとした瞬間に思い出す。 来週の木曜日、湊は何をするのだろう。 誰かと会うのか。 どこかへ出かけるのか。 そんな考えが浮かび、智臣は眉を寄せた。
last updateLast Updated : 2026-10-08
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第二十四章 身体が告げるもの

颯真と会った日から、数日が経っていた。 俺はいつも通り仕事をしていたが、その朝から、身体にわずかな違和感を覚えた。 いつもより身体が熱い。 そのせいか少し疲れやすくて、妙に喉が渇く。 それだけではない。以前よりも、周囲にいるアルファの気配や匂いに敏感になっている気がする。 廊下ですれ違っただけでも、誰がアルファなのかが分かるほどだった。 それでも、仕事に支障が出るほどではない。単純に疲れているだけだと思っていた。 けれど――。「九条、体調が悪いのか?」 書類を確認していた俺に、智臣が声をかけた。「……少し、身体が熱い気がします」 「熱?」 智臣が訝しげな面持ちで、こちらへ近づいてくる。 その瞬間だった。身体の奥が、わずかに反応した。 呼吸が浅くなる。 胸の奥からじわりと熱が広がり、指先まで神経が敏感になっていった。 明らかな変化に、思わず息を止める。 智臣が一歩離れると、その感覚は少しだけ落ち着いた。 俺は戸惑いながら、自分の手を見つめる。 以前から、智臣の匂いや気配に身体が反応することは分かっていた。 それは、99.9%という高い適合率のせいだと思っていたけれど、今回はいつもとは違う。 身体の内側から熱がゆっくりと押し上がってくる嫌な感じが、抑えようとしても消えてくれない。 まるで、身体の奥に眠っていた何かが、少しずつ目を覚ましているようだった。「九条?」 「あ……大丈夫です」 心配そうな声に、慌てて顔を上げる。「少し疲れているだけだと思います」 「そうか?」 「はい」 智臣は納得していないようだった。 それでも、それ以上は何も言わずに俺の顔をじっと見つめる。その視線を受けるだけで、また身体の奥が熱を持った。 俺は気づかれないように、ゆっくり息を吐く。 ――どうして。 どうして、最近になってこんな変化が出てきたんだろう。 颯真と会ったことが関係しているのだろうか。 それとも、これまでずっと抑えられていたオメガとしての機能が、少しずつ変化しているのだろうか。 答えは分からない。 ただ、一つだけ確かなことがある。 俺の身体は、以前とは明らかに違っていた。 熱が、少しずつ強くなっている。 そしてその変化は――俺自身の意思とは関係なく、静かに進んでいた。 俺はそっと胸元に手を当てる。
last updateLast Updated : 2026-10-09
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第二十五章 揺れる二人

*** 時間が経つにつれて俺の身体は、少しずつ熱が強くなり始めていた。 まだ、本格的なヒートではない。 熱は微かで、薬で抑えようと思えば抑えられる程度だった。 けれど――長く眠っていたオメガとしての身体が、確実に動き始めている。 胸の奥に残る、甘い疼き。 首筋を伝う、微かな熱。 そして、智臣の存在を思い出すたびに強まる反応。 俺はベッドの上で身体を丸め、静かに息を吐いた。 身体が告げているもの。 その意味を、俺はまだ完全には理解できていなかった。 ただ、一つだけ確かなことがある。 もう以前の「欠陥オメガ」には戻れない。 *** 次の朝、目を覚ました瞬間から、身体の異変を感じた。 これまでとは明らかに違う、強い熱。身体の重さと息苦しさ。そして、アルファの匂いに対する過敏な反応。 枕元に置いていた抑制剤を飲んでも、熱はなかなか引かなかった。 身体の奥から、じわじわと熱がせり上がってくる。今まで経験したものとは、明らかに違っていた。 俺はようやく、自分の身体に起きていることを認めた。 ――ヒートが始まった。 しかも、今までの軽いものとは違う。長く眠っていたオメガの機能が、本格的に目を覚まし始めている気がする。(会社に……連絡しなきゃ――) そう思って、枕元のスマートフォンへ手を伸ばした。 けれど、指先に力が入らない。画面を開くことさえ億劫で、何度か手を伸ばそうとして、そのたびに力尽きる。(……社長に、連絡……) 最後にそう思ったところで、意識が遠のいた。 結局、会社へ連絡を入れられないまま、俺は再びベッドへ身体を沈める。 熱に浮かされながら、浅い眠りに落ちていった。 どれくらい眠っていたのだろう。 玄関のチャイムが鳴ったのに、身体を起こすことはできない。 もう一度、チャイムが鳴る。 やがて、遠くで自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。「……湊くん?」 その声を聞いた瞬間、ぼんやりしていた意識が、ほんの少しだけ浮上する。 ――思いがけない人物が、俺のもとを訪れていた。 *** 前回会ってから、颯真は頻繁に湊へ連絡をしていた。『また、時間があるときに会えないかな』 そんなメッセージを送っても、昨日から返事がない。 最初は、仕事が忙しいのだろうと思っていた。それでも、何度メッセージを送ってみたものの既
last updateLast Updated : 2026-10-10
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第二十五章 揺れる二人2

*** 湊の自宅へ到着した智臣は、インターホンを鳴らした。 しばらく待っても、反応がない。もう一度鳴らしたそのとき、ようやく扉が開いた。 そこに立っていたのは――颯真だった。「……兄さん?」 「……智臣?」 二人とも、一瞬言葉を失った。 智臣は、颯真の背後へ視線を向ける。そこには、ソファに横になっている湊がいた。 その姿を見た瞬間、智臣の表情が変わる。「湊は?」 「ヒートが始まってる。今は休んでいるよ」 その言葉を聞いて、智臣は湊のもとへ向かおうとした。 だが、颯真が手を上げる。「急に近づかないほうがいい。今はアルファの匂いにも敏感になっているから」 智臣の足が止まった刹那――。「……社長……?」 熱に浮かされた湊が、かすかに声を漏らした。智臣はその声を聞いて迷わず颯真の手を押し退け、湊のそばへ歩み寄った。「湊!」 呼びかけると、湊の身体がわずかに動く。苦しそうだった呼吸が、ほんの少しだけ落ち着いた。 それまで浅く乱れていた息が、ゆっくりと整っていく。 颯真は、その変化を見逃さなかった。 自分がそばにいたときには、ここまでの変化はなかった。けれど、智臣が近づいただけで、湊の身体が明らかに反応している。 その事実が、颯真の胸に静かな波紋を広げた。「……医師には?」 「まだ連絡していない」 「俺がする」 智臣がスマートフォンを取り出す。医師へ連絡を取り、湊の状態を丁寧に伝える。 医師からの見解は、今すぐ危険な状態ではない。 ただし、今回のヒートはこれまでより強くなる可能性があるため、しばらく安静にして様子を見る必要があるという。 通話を終えた智臣が、湊を見る。 颯真はそのまま、湊のそばに残ろうとした。「僕がここにいるよ」 すると、智臣が低く答えた。「俺がいる」 颯真が智臣を見る。「……僕がいても問題ないだろう?」 「そういう問題じゃない」 「じゃあ、どういう問題?」 智臣は答えられなかった。 自分でも、なぜ颯真が湊のそばにいることを気にしているのか分からない。 それでも、口から出たのは――。「……兄さんがいる必要はない」 その言葉に、颯真の眉がわずかに動いた。「目の前で湊くんが苦しんでいるのに、兄弟だからという理由だけで僕が帰る必要はないと思うけど」 その場の空気が一気に張り詰め
last updateLast Updated : 2026-10-11
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第二十六章 残された匂い

翌日、俺は目を覚ました。 昨日より熱は少し落ち着いているものの、まだ身体は重い。頭がぼんやりして、手足には鉛をつけられたような感覚が残っている。 そして、目に入るのは――自分の周りに集められた智臣の服だった。 ジャケットだけではなく、昨夜のうちに無意識にもう一枚、智臣のシャツまで引き寄せている。(……俺、何してるんだ?) 自分でもそのことに驚いて、服を離そうとした瞬間、胸の奥がざわついた。 瞬間的に息が浅くなる。 ――嫌だ。 なぜそう思ったのか、自分でも分からない。 結局、俺はシャツを手放せなかった。「……これが、巣作り……?」 医師から聞いた言葉が、頭をよぎる。 けれど、これが本当にそうなのかは分からない。ただ、智臣の匂いがするものを近くに置いておくと、不思議なくらい身体が落ち着いた。 シャツの襟元に顔を寄せる。残された匂いを吸い込むと、身体から少しずつ力が抜けていった。 長く眠っていたオメガの本能が、確実に動き始めている。 それは、俺が知らなかった自分だった。 ――これから、俺の身体はどう変わっていくのだろう。 そんな不安を抱えたまま、俺はゆっくりと目を閉じた。*** 智臣は、当然のように看病を続けていた。朝から俺の世話をしている。 水分と食事、薬に室温。一つ一つを淡々と、けれど丁寧に整えてくれる。「社長……会社は?」 「問題ない」 「でも……昨日からずっと」 「井上に任せてある」 即答された後に俺は少し迷ってから、もう一つ聞いた。「……颯真さんは?」 智臣の手が、一瞬だけ止まる。「帰った」 「……そうですか」 それだけだった。 けれど、俺の頭には昨日の光景が残っていた。 颯真と智臣が、俺のことで言い合っていたこと。あの張り詰めた空気。 そして――。『俺が、そばにいる』 あのときの智臣の低い声が、耳の奥に蘇る。「どうして……二人とも、あんなに……」 思わず呟いたけれど、智臣は何も答えなかった。聞いても、きっと答えは返ってこない。 俺自身にも、二人がなぜあそこまで張り合ったのか分からないのだから。 俺は、抱えていた智臣のシャツに視線を落とした。 その匂いを感じると、まだ少しだけ身体の力が抜ける。 けれど――胸の奥に残った疑問は、それだけでは消えてくれなかった。 昨日、二人
last updateLast Updated : 2026-10-12
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