Tous les chapitres de : Chapitre 121 - Chapitre 130

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第115話 これは仕事ではありません

 月曜日の午後。「小春。金曜の夜を空けろ」 執務室からいきなり言われて、私は予定表を開いた。「何か入りました?」「入った」「どちらの会社ですか?」「会社じゃない」「会食?」「違う」「財界関係ですか?」「違う」「では何です?」 帝人さんが私を見る。「食事に行く」「誰と?」「小春と」 指が止まった。「……私?」「ああ」「仕事ですか?」「違う」「じゃあ、どうして予定表に――」「まだ入れていない」 私は画面を確認した。 本当に空白だった。「金曜の夜は空いているだろう」「今のところは」「なら俺と食事に行く」「決定なんですか?」「誘っている」「今の言い方のどこがですか?」「小春が嫌なら断れる」「そこだけ聞くと誘ってるんですけどね」 帝人さんは少し考える。「小春。金曜の夜、俺と食事に行かないか」「急に普通になりましたね」「これならいいのか」「最初からそう言ってください」「時間がかかる」「数秒ですよ」 私は予定表を閉じた。「でも、どうしたんですか?」「何がだ」「この前もホテルで一緒に食事しましたし」「あれは仕事だった」「半分くらい途中から仕事じゃなかった気もしますけど」「今回は最初から仕事じゃない」 きっぱり言われる。「何かお祝いとか?」「ない」「相談?」「ない」「では、ただ食事に?」「ああ」 帝人さんは当然の顔をしている。
last updateDernière mise à jour : 2026-09-15
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第116話 普通のお店に行きます

 金曜日の十八時。「帝人さん、行けますか?」「ああ」 執務室から出てきた帝人さんの手には、仕事用の鞄だけ。 追加の資料もない。「珍しいですね」「何がだ」「本当に仕事を持って帰らないんだなって」「今日は小春と食事に行く」「食事のあと仕事する可能性は?」「ない」「成長しましたね」「だから俺を子供扱いするな」 そう言いながらも、少し機嫌がいい。 私はバッグを持ち、エレベーターへ向かった。「店は決めたのか」「はい」「どこだ」「着いてからのお楽しみです」「なぜ隠す」「帝人さんが事前に調べそうだからです」「調べて何が悪い」「メニューと価格と口コミを全部見て、入る前から評価を始めるでしょう?」 帝人さんが黙った。「しますね?」「店を選ぶ以上、情報を確認するのは普通だ」「今日はしなくていいんです」「小春は確認したんだろう」「しましたけど、私は普通にお店を探しただけです」「何が違う」「帝人さんの場合、視察になります」 エレベーターの扉が開く。「今日は仕事じゃありません」 昨日、自分で言った言葉を返すと、帝人さんは何も言わずに乗り込んだ。 ◇◇◇◇ 連れてきたのは、駅から少し離れた洋食店だった。 大通りから一本入った場所にある、小さなお店。 テーブルは十卓ほど。 白いクロスもないし、入口に案内係もいない。 店先には手書きの黒板が置かれている。 帝人さんが看板を見た。「ここか」「はい」「予約は」「できません」 帝人さんが私を見る。「できない店を選んだのか」
last updateDernière mise à jour : 2026-09-16
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第117話 そこは意外と慎重なんですね

「帝人さん、決まりました?」「まだだ」 向かい側で、帝人さんは真剣な顔でメニューを見ている。 会議資料でも読んでいるような顔だ。「そんなに悩みます?」「種類が多い」「洋食屋さんですから」「ハンバーグだけで四種類ある必要があるのか」「ありますよ」「チーズ、目玉焼き、和風、大根おろし」「楽しそうじゃないですか」「選択肢を増やせばいいというものでもない」「メニューにまで経営判断みたいなこと言わないでください」 私が笑うと、帝人さんは少し不満そうにページをめくった。「小春は」「オムライスにします」「もう決めたのか」「ここに来る前から決めてました」「なら先に言え」「帝人さんの分まで決めるんですか?」「そういう意味じゃない」 結局、帝人さんはデミグラスソースのハンバーグを選んだ。 料理が運ばれてくると、今度はしばらく黙って食べる。「どうです?」「うまい」「よかった」「値段を考えれば、かなり――」「帝人さん」「何だ」「今日は評価しなくていいです」「感想を言っただけだ」「その続きを聞いたら絶対、原価とか回転率の話になります」 帝人さんが黙った。 当たっていたらしい。「普通に食べてください」「普通に食べている」「じゃあ普通の感想を」「小春と来てよかった」 危うくスプーンを落としそうになった。「お店の感想です」「店も悪くない」「順番が逆です」「俺にとっては合っている」 さらっと言って、また食事へ戻る。 本当にこういうところだけは慣れない。 私はオムライスを一口食べて、話題を
last updateDernière mise à jour : 2026-09-16
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第118話 あの秘書は何者ですか

 翌週の木曜日。 私は帝人さんと一緒に、都内のホテルで開かれる企業交流会へ来ていた。 皇グループの主要取引先や金融機関、関連企業の役員が集まる会だ。 今日は完全に仕事。 帝人さんもいつものスーツ姿で、会場へ入った瞬間から表情が変わっている。「皇社長、お久しぶりです」「先日の件ですが――」「来期の計画について、一度お時間を――」 次々に人が集まる。 帝人さんは相手の話を短時間で整理し、必要なものだけ答えていく。 私は少し後ろで、名刺や予定を確認しながら必要な情報を控えていた。「来月でしたら、第三週以降で調整できます」 そう伝えると、帝人さんが振り返る。「第四週は駄目だ」「海外出張ですね。では第三週で確認します」「ああ」 短いやり取り。 いつものことだ。 少なくとも、私たちにとっては。 しばらくして、ある企業の専務が新規事業の話を持ちかけてきた。「皇さんなら、かなり面白い案件だと思っていただけるはずです」 渡された簡単な資料に帝人さんが目を通す。「規模を広げすぎだ」「ですが、この市場なら先行者利益が――」「それを理由に初期投資をここまで増やす必要はない。需要予測も強気すぎる」 帝人さんは容赦がない。 相手もそれを承知しているのか、すぐに次の説明へ移った。「もちろん段階投資も検討しています。ただ、最初からある程度の規模を取らなければ――」 説明を聞きながら、私も資料を見た。 一つだけ気になる。「帝人さん」「何だ」「これ、初年度から全国展開する前提ですけど、地域を限定した場合の試算はないんですか?」 専務が私を見る。「限定展開、ですか」「はい。需要予測に幅があるなら、最初から全部取るより、地域ごとの反応を見てから広げる
last updateDernière mise à jour : 2026-09-17
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第119話 秘書だからではありません

 企業交流会は、その後も続いた。 帝人さんの周りから人が途切れることはほとんどない。 取引先。 金融機関。 関連会社。 以前一度だけ会った人もいれば、私は初めて見る人もいる。 帝人さんは相手によって態度を変えない。 必要な話は聞く。 必要のない話は長引かせない。 曖昧な提案には、その場で曖昧だと言う。 こういう場所では特に、帝人さんらしさがよく分かる。「皇社長」 次に声をかけてきたのは、五十代くらいの男性だった。「少しだけよろしいですか」「ああ」 名刺交換のあと、話は来期の共同事業について移った。 私は少し後ろに下がり、内容を確認しながらメモを取る。「こちらとしては、年内に方向性だけでも決めたいと考えております」「年内というのは、契約条件までか。それとも基本合意までか」「できれば契約条件まで」「無理だな」 帝人さんは即答した。 相手の男性が苦笑する。「相変わらず厳しいですね」「厳しいんじゃない。必要な工程を飛ばす気がないだけだ」 帝人さんは資料へ視線を落とす。「これだけ関係会社があるなら、年内に条件を固めるには遅い。基本合意までなら検討できる」「では、その線で一度――」「小春」「はい」「年内で空いているのは」 私は予定を確認する。「基本合意の協議なら、十二月第二週までです。それ以降は海外案件と取締役会が重なります」「なら第二週までだ」 男性が私を見る。「倉橋さんでしたね」「はい」「皇社長の予定は、かなり厳しく管理されているんですね」「管理というより、増やさないようにしています」 つい本音が出た。 男性が笑う。「社長の
last updateDernière mise à jour : 2026-09-17
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第120話 私に聞いても答えませんよ

 交流会も終盤に差しかかり、人の流れが少しだけ落ち着いてきた。 帝人さんは金融機関の役員に声をかけられ、少し離れた場所で話をしている。 私はその間に、今日交換した名刺と予定を確認していた。「倉橋さん」 名前を呼ばれて顔を上げる。 先ほど何度かこちらを見ていた男性だった。「初めまして。久我征一郎と申します」 差し出された名刺を受け取る。「倉橋小春です」「存じています」 穏やかな笑顔。 帝人さんから聞いた名前と一致する。 企業再編を専門にしているコンサルタント。「皇グループとは、以前何度かお仕事をご一緒しました」「帝人さんから伺いました」「もう聞かれましたか」「久我さんのお名前だけですけど」 そう答えると、久我さんは少し笑った。「警戒されています?」「まだ何もされていないので、警戒する理由はありません」「では安心しました」 本当にそう思っているのかは分からない。「先ほどから拝見していましたが、倉橋さんは皇社長にかなり信頼されているんですね」 またその話だ。「仕事では、そうだと思います」「仕事では?」「私は秘書ですから」「でも皇社長は、秘書だからではないとおっしゃっていましたよ」 聞かれていたらしい。 私は困って少し笑った。「帝人さんは、思ったことをそのまま言う人なので」「なるほど」 久我さんの目が少しだけ細くなる。「では、倉橋さんの意見次第で皇社長の判断が変わることも?」 なんとなく。 質問の向きが変わった気がした。「ありますよ」 あえて否定しなかった。「たとえば?」「私の意見に帝人さんが納得した時です」 久我さんが少し黙る。
last updateDernière mise à jour : 2026-09-18
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第121話 小春は弱点ではありません(前編)

 交流会から数日後。 久我さんの名前を、もう一度見ることになった。「帝人さん、久我さんから面談希望が来ています」 予定表を確認しながら伝えると、帝人さんが顔を上げた。「何の用だ」「企業再編案件について意見交換をしたい、とあります」「具体性がないな」「一時間ほしいそうです」「三十分でいい」「半分になりましたね」「案件もないのに一時間も必要ない」 いかにも帝人さんらしい。 私はそのまま予定を入れようとして、ふと手を止めた。「……私、同席します?」「当然だろう」「当然なんですか?」「小春が外れる理由があるのか」「いえ、ありませんけど」 久我さんは前回、明らかに私を観察していた。 帝人さんへの近道になるのか。 私が何か言えば、その判断が変わるのか。 冗談めかしてはいたけれど、何かを確かめようとしていたのは分かる。「気になるなら断るぞ」「え?」「久我に会うのが嫌なのかと思った」「違いますよ。そこまで警戒してません」「ならいい」 帝人さんはそれだけ言って、すぐ資料へ視線を戻した。 私が同席するかどうかを、最初から迷っていなかったらしい。 ◇◇◇◇ 三日後。 久我さんは約束の五分前に現れた。「先日はどうも」「こちらこそ」 応接室へ案内すると、久我さんは私を見て少し笑った。「今日は倉橋さんもご一緒ですか」「はい」「よかった」「何がです?」「皇社長と二人きりだと、三十分が十五分になりそうなので」 否定できない。「内容がなければ五分で終わる」 後ろから帝人さんの声がした。 久我さんが笑う。
last updateDernière mise à jour : 2026-09-18
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第122話 小春は弱点ではありません(後編)

 応接室が静かになった。 私は帝人さんを見る。 帝人さんは数秒、久我さんを見たあと、ゆっくり口を開いた。「前提が間違っている」「どこがです?」「小春は俺の弱点じゃない」 迷いのない即答だった。「俺が小春の意見を聞くのは、小春に逆らえないからじゃない。小春が俺とは違うものを見ているからだ」 帝人さんはテーブルの上の資料へ手を置く。「俺が数字を見ている時に、小春は人を見ることがある。俺が個別の価値を切り分けた時、小春は全体を見ていることがある。逆もある。必要な判断材料が増えるなら、俺はそれを使う。それを弱さとは言わない」 翠嶺ホテルのことが頭に浮かんだ。 あの時もそうだった。 私が答えを出したわけではない。 ただ、帝人さんとは違うものを見ていただけだった。「ですが、感情は別でしょう」 久我さんが言う。「倉橋さんの意見が合理的だから聞く。それだけなら理解できます。ただ、皇社長が彼女を特別に扱っているのは、それだけではない」 私は居心地が悪くなった。 本人の前で話す内容じゃない気がする。 でも帝人さんは否定しなかった。「だから何だ」「仮に誰かが、倉橋さんを使えばあなたの判断を曲げられると考えたら?」「そいつは最初から失敗している」 帝人さんは即座に返した。「なぜ?」「小春は俺へ何かを通すために利用される人間じゃない。本人がまず断る」 私は瞬きをした。 前の交流会で、久我さんに言ったこと。 帝人さんはちゃんと覚えていたらしい。「小春が何かを言う時は、小春自身がそう思っている時だ。他人に頼まれたから俺を説得するようなことはしない」「随分信頼していますね」「ああ」 そこも即答する。「それでも、小春を交渉材料に使おうとする人間が出たら?」「俺
last updateDernière mise à jour : 2026-09-19
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第123話 それはそれで嫌です

 あの言葉を口にしてから、私はずっと後悔していた。『小春は特別じゃないと言えばいいのか』『それはそれで嫌です』 どうしてあんな返しをしたんだろう。 帝人さんの執務室へ戻ってからも、頭の中で何度も繰り返してしまう。 しかも。 帝人さんは聞き流してくれなかった。「小春」「はい」「さっきの話だが」「仕事に戻りましょう」「まだ何も言っていない」「分かります」「なら話が早い」「早くありません」 私は机の上に届いていた書類を持ち上げた。「十五時から経営企画部との打ち合わせです。その前に、この決裁をお願いします」「あと二十分ある」「二十分しかありません」「十分で終わる」「何がですか」「小春が、俺に特別ではないと言われるのは嫌だと言った理由を聞く」「十分で終わりません!」 思わず声が大きくなった。 帝人さんが少しだけ目を細める。「やはり理由があるんだな」「そういう誘導尋問やめてください」「誘導していない。小春が勝手に答えた」 その通りなので困る。「別に深い意味はありません」「それは信用しない」「どうしてですか」「小春は深い意味がない時、あんな顔をしない」「どんな顔ですか」「今と同じだ」 ますます困った。 私は書類を帝人さんの前へ置く。「ほら。これです」「誤魔化すな」「仕事です」「俺も仕事をする。その前に答えろ」「しません」「なぜだ」「答えがまとまってないからです」 口にしてから、また失敗したと思った。 帝人さんが黙る。「……まとまっていないだけで、何かは
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第124話 意識したら負けです

 翌朝。「小春、この資料を見てくれ」「はい」 帝人さんに呼ばれて執務室へ入った。 それだけ。 いつもと何も変わらない。 机の上には資料が積まれていて、帝人さんはいつものスーツ姿で、いつものように仕事をしている。 なのに。『帝人さんの中にある私の場所を、失いたくない』 昨日、自分で考えてしまったことが頭から離れない。「小春?」「はい!」 声が少し大きくなった。 帝人さんが眉を寄せる。「どうした」「なんでもありません」「昨日からそれが多いな」「気のせいです」「気のせいではない」 私は慌てて資料へ視線を落とした。「それより、これですよね?」「ああ。来期の新規採用計画だ」 助かった。 仕事なら大丈夫。 数字を見る。 採用人数。 配置予定。 必要人員。 研修期間。 そこまで確認して、一箇所で手が止まった。「帝人さん、これ、配属までの研修期間が短くなってません?」「今年より二週間短い」「理由は?」「既存研修の重複を削る。内容そのものを減らすわけじゃない」「なら大丈夫そうですね」「他は」「……現場配属後のフォロー人数が足りないかもしれません。採用数を増やすなら、教える側も必要ですよね」 帝人さんが資料を見直す。「確かに、指導担当者数が前年基準のままだな」「人を採れば終わりじゃないですから」「ああ。修正させる」 いつものやり取り。 私が気づいたことを言って、帝人さんが確認する。 違えば反論するし、必要なら直す。 何も変わっていない。 それなのに。「小春が
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