All Chapters of 天上天下唯我独妻!!〜私、最強の御曹司よりも強いらしいですよ?〜: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話 社員食堂の罠・後編

「そんなに話を聞かない方なんですか?」 私が尋ねると、三人は顔を見合わせた。「必要な話は聞かれます」 吉岡さんが慎重に答える。「ただし、帝人様の中で結論が出た後に覆すのは困難です」「理由を説明しても?」「帝人様は、こちらの説明より先に解決策を出されます」「その解決策が正しいことも多いんです」 相馬さんが続ける。「正しいので、誰もそれ以上言えなくなるんですよね」 先日の経営会議を思い出した。 危険な物流センターを停止し、雇用も給与も守る。必要な費用は自分が引き受ける。 帝人さんの判断は正しかった。 だからこそ、その方法に不安が残っていても、役員たちは従うしかなかったのだろう。「以前、海外出張の日程を前倒しすると、前日の夜に言われましてね」 吉岡さんが蕎麦を食べ終え、箸を置いた。「前日の夜にですか?」「現地法人、航空会社、同行する部署へ連絡し、何とか変更しました」「できたんですか?」「できました」「では問題ないと言われそうですね」「そのとおりです」 帝人さんの顔まで浮かぶ。「必要ならできるだろう。実際にできた。なら問題はない、と」「皆さんは大変だったでしょうに」「帝人様ご自身も、こちら以上に働かれますからね。自分ができることを、周囲にも求めてしまわれるんです」 できない人へ押しつけ、自分だけ楽をする人ではない。 むしろ誰よりも働くからこそ、他人にも同じ強さを求める。 それが帝人さんの厳しさなのだろう。「ただ、今朝は少し違いました」 吉岡さんが声を落とした。「会議時間を変更する前に、影響を受ける部署と人数を確認するよう命じられたんです。日程を動かす理由と、追加で発生する費用まで先にまとめろと」「帝人様がですか?」「ええ。以前なら、変更を決めた後で私たちへ調整を命じていました」「今朝も、出席者全員の予定を確認してから変更しろとおっしゃっていました」 相馬さんも続ける。「昨日までは説明より先に命令でしたから、秘書室でも少し驚いていたんです」「いいことですね」「いいことなんですけど……」 三人の視線が、そろって私へ集まった。「なぜ私を見るんですか?」「昨日、倉橋さんが入社したばかりですよね」「はい」「その日のうちに帝人様の予定が三件減り、物流センターへの通達方法まで変わりました。そして今朝は
last updateLast Updated : 2026-07-27
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第22話 元婚約者との約束

直哉から届いた短いメッセージを、私はしばらく見つめていた。『荷物と解約手続きについて話したい。今夜、時間を作れないか』 書かれているのは必要な用件だけだ。 謝罪も、婚約を破棄した夜についての言葉もない。直哉らしい文章だった。 以前なら、その簡潔さを信頼していた。 余計なことを言わず、必要な話を順番に片づける人なのだと思っていた。 今は少し違って見える。 必要かどうかを決めているのは、いつも直哉の方だった。「倉橋さん?」 隣を歩いていた相馬さんが足を緩めた。「大丈夫ですか?」「はい。少し連絡が来ただけです」 スマートフォンを鞄へ戻す。 勤務時間中に考えることではない。そう思って総帥室へ戻ったものの、午後の予定表を確認している間も、画面に表示された名前が頭の隅から消えなかった。「小春」 執務室から出てきた帝人さんが、私の机の前で止まった。「はい。次の会議でしたら、十分後です」「その話ではない」 黒い瞳が私の顔をじっと見る。「何があった」「何もありません」「何もない人間は、同じ資料を三度も開かない」 手元を見る。 確かに、先ほど確認したばかりの会議資料をまた開いていた。「……直哉から連絡が来ました」 周囲の空気がわずかに張る。 榊原さんは何も聞こえなかったように端末へ目を向け、ほかの秘書たちも仕事を続けている。けれど全員の指が少しだけ慎重になった気がした。「内容は」「荷物と、結婚に向けて契約していたものの解約についてです」「俺が処理する」「自分でします」 予想していた返事が来たので、すぐに返す。 帝人さんの眉間にしわが寄った。「お前があの男と会う必要はない。荷物は運送会社に回収させ、契約は弁護士を通せば済む」「済ませるだけなら、そうかもしれません」「ほかに何が必要だ」「私が自分で終わらせたと思えることです」 帝人さんの口が閉じた。「七年間一緒にいました。最後があの夜だけでは、私の中で整理できないと思います」「まだ未練があるのか」 低い声だった。 責めるというより、答えを聞くことを恐れているように見えた。「分かりません」 正直に答える。「戻りたいとは思いません。でも何も感じなくなったわけでもありません。今まで好きだった人を、婚約を破棄された瞬間から嫌いになれるほど器用ではないです」
last updateLast Updated : 2026-07-27
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第23話 聞く権利・前編

「君は今、皇帝人とどういう関係なんだ」 直哉の声は静かだった。 感情を抑え、確認すべき事実を尋ねている。七年間、何度も聞いてきた声だ。 私はその声を向けられると、自分の考えを順序立てて説明しなければならない気持ちになった。 誤解がないように。 直哉が納得できるように。 言葉を間違えて、面倒な空気にしないように。 婚約を解消した後でさえ、その癖は簡単に消えてくれないらしい。「皇グループの総帥と、その専属秘書よ」「それだけか?」「帝人さんから求婚はされている。でも受けていない」 直哉の目元から、わずかに力が抜けた。 その変化を見て、胸の内側に小さな違和感が残る。 どうして安心するのだろう。 私と結婚しないと決めたのは直哉だ。「なら、なぜ彼の会社で働いている?」「求人を紹介されたから。正式な面接と実務試験も受けたわ」「婚約を解消された直後に求婚して、そのまま自分の専属秘書として雇う。偶然の求人だとは思えない」「帝人さんの目的に結婚が含まれていることは分かっている」「分かっていて、そばにいるのか?」 今度は責める響きが混じっていた。「仕事だからよ」「君は警戒心が強い方だったはずだ」「直哉」「皇帝人がどんな男か、君はまだ知らないだろう。皇家の人間がその気になれば、一人の女性の生活を囲い込むことくらい簡単にできる」 直哉は弁護士だ。 相手が持つ権力と、それによって生じる危険を考えることは間違っていない。 帝人さんが何も考えずに大きな力を使おうとすることも、すでに何度か見ていた。 それでも今、直哉から言われると素直に受け取れなかった。「心配してくれているの?」「当然だろう」
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第24話 聞く権利・後編

しばらく沈黙が続いた。 ピアノの音と、遠くでグラスが触れ合う音だけが聞こえる。 直哉は冷めたコーヒーへ視線を落とした後、手元の鞄から薄いファイルを取り出した。「……今日は荷物と解約の話だったな」「ええ」 話を戻されたことに、少しだけ安心した。 同時に、やはり直哉らしいとも思う。 答えにくい感情の話を続けるより、処理できる問題へ移る方がいいのだ。「君の荷物は一覧にしてある。服と本、それから先に運んでいた食器類だ。都合のいい日に取りに来てもいいし、こちらから送ることもできる」「送ってもらえる?」「分かった。配送業者を手配する」 ファイルには結婚式場、新居、家具店、旅行会社の名前が並んでいた。 どれも少し前まで、私たちの未来につながっていると思っていたものだ。 式場で試食した料理。 二人で選んだソファ。 直哉は仕事の電話でほとんど見ていなかったけれど、私は何冊も比較して決めた旅行先。 文字になって並ぶと、すべてが最初から契約事項だったように見える。「解約手続きはこちらで進めている。キャンセル料は僕が全額負担する」「それはお願いします」 以前なら、半分は払うと言っていたかもしれない。 けれど婚約を解消したのは直哉だ。 すでに別の女性との結婚を考えていたことも、私には知らされていなかった。 その結果まで平等に分ける必要はない。「ほかに、当面の生活費として――」「それはいらない」「小春」「必要なキャンセル料を負担してもらうことと、私の生活を支えてもらうことは違う」「君は仕事を辞めている。再就職したとはいっても、給与が入るまでには時間がかかるだろう」「貯金があるから大丈夫」「意地を張る必要はない」
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第25話 言えなかっただけ・前編

「直哉に合わせるのをやめただけ」 直哉の顔から言葉が消えた。 これまで何度も、私は彼の説明を聞いてきた。 最初は納得できなくても、順序立てて理由を並べられるうちに、直哉の考えの方が正しい気がしてくる。 私が譲れば話は収まり、直哉は穏やかに笑った。 だから私たちは、うまくいっているのだと思っていた。「僕たちは七年間、問題なくやってきた」 しばらくして、直哉が口を開いた。「そう見えていたのは、私が合わせていたからだと思う」「君だけが我慢していたような言い方は公平じゃない。僕だって仕事の合間に時間を作った。君の希望にも、できる限り応えてきたはずだ」「うん。それは覚えてる」 忙しい中で食事へ連れていってくれたこともある。 私が行きたいと言った旅行へ、予定を調整してくれたこともあった。 七年間のすべてが嘘だったわけではない。「直哉が何もしてくれなかったとは思っていないよ。私たちには楽しかった時間もあった」「なら、どうして今になって――」「今だから言えるの」 婚約者だった頃に伝えていれば、直哉はきっと説明しただろう。 それは誤解だ。 そんな意図はなかった。 二人の将来を考えれば、この選択が最善だ。 そう言われれば、私はまた自分の方が感情的なのだと思ったはずだ。「私は直哉に嫌われたくなかった。困らせたくなかったし、仕事の邪魔にもなりたくなかった」「僕は君を邪魔だと思ったことはない」「分かってる。でも、そう思わせないようにしていたのは私だよ」 寂しくても忙しいのだから仕方ない。 約束がなくなっても大切な仕事なのだから仕方ない。 話を聞いてほしくても、疲れているのだから別の日にしよう。 譲る理由はいくらでも見つけられた。
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第26話 言えなかっただけ・後編

ホテルのラウンジを出るまで、涙は出なかった。 背筋を伸ばして歩き、エレベーターへ乗る。鏡のような扉へ映る顔は、思っていたより落ち着いていた。 言いたいことを言えた。 荷物の受け渡しも、解約費用のことも決まった。 もう直哉と二人で会う理由はない。 これで終わったのだと思った。 けれどホテルの外へ出た瞬間、夜の冷たい空気が頬へ触れた。 その途端、足が止まった。 胸の奥に押し込めていたものが、遅れてせり上がってくる。 七年間。 初めて手をつないだ日。 婚約指輪を渡され、嬉しくて何度も箱を開けた夜。 忙しい直哉のために作った食事。 会社を辞めた日にもらった花束。 もう使われることのない、二人分の食器。 自分で終わらせたかった。 終わらせられた。 それなのに、胸の内側から大切なものを引き抜かれたように痛かった。 私は歩道の端へ寄り、鞄からスマートフォンを取り出した。 帝人さんには、話し合いが終わったら連絡することになっている。『終わりました。特に問題はありません』 それだけ送る。 一分も経たないうちに電話が鳴った。「もしもし」『問題のない声ではない』 挨拶より先に言われた。「少し疲れただけです」『泣いているのか』「泣いていません」 答えた途端、視界がにじんだ。 嘘をついた罰のように、涙が頬を伝う。 通話口から帝人さんの低い声が聞こえた。『迎えに行く』「駄目です」『小春』「ついてこないと約束しましたよね」『ついていってはいない。今も会社にいる』
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第27話 聞かないでいてくれる人

翌朝、目を覚まして最初に見たのは、枕元へ置いたスマートフォンだった。 昨夜の通話時間は一時間十二分。 ホテルを出てから自宅へ着くまで、帝人さんは本当に一度も電話を切らなかった。 タクシーの窓から見える景色や、運転手さんが選んだ道のこと。途中で見かけた犬の散歩。明日の天気。 どれも大した話ではなかった。 それでも沈黙が長くなると、帝人さんは必ず私の名前を呼んだ。『小春』『はい』『いるな』『電話ですから、いますよ』『ならいい』 何度か同じやり取りをした。 いつもの帝人さんなら、直哉と何を話したのか詳しく聞き、必要だと判断すれば勝手に対策まで始めただろう。 けれど昨夜は何も尋ねなかった。 ただ家へ着いたことを確認し、鍵を閉めるまで待ってくれた。 通話を終えた後、私は思ったより深く眠ったらしい。 それでも鏡の中の目元には、昨夜泣いた跡が残っていた。 冷たいタオルを当て、いつもより丁寧に化粧をする。 もう終わったことだ。 直哉との話し合いも、七年間の恋も。 今日からまた仕事へ戻ればいい。 そう自分へ言い聞かせた。 総帥室へ入ると、帝人さんはすでに執務室にいた。「おはようございます」 扉越しに声をかけても返事はない。 会議資料を確認し、最初の予定に必要な書類をそろえる。いつもどおりに仕事を始めていると、九時を少し過ぎたところで執務室の扉が開いた。 帝人さんは私の前まで来ると、何も言わずに顔を見下ろした。「何ですか?」「寝たか」「寝ました」「何時間だ」「帝人さんへ睡眠時間まで報告する義務はありません」「顔色を確認している」「
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第28話 帝人さんのお母様

帝人さんのお母様が総帥室へいらしたのは、その日の午後だった。「皇香澄(かすみ)様がお見えです」 受付から連絡を受けた相馬さんの声が、いつもより少し高い。 皇グループ文化財団の代表を務める方であり、先日の式典を主催した人でもある。 帝人さんの予定表には入っていなかった。「ご予約は?」「ございません。帝人様へは知らせなくていいとおっしゃっています」「知らせなくていいと言われても、来客ですから知らせないわけには……」 相馬さんと水野さんが顔を見合わせる。 どうやら帝人さんの母親も、予定を守って静かに訪問するタイプではないらしい。「私がご案内しましょうか?」 声をかけると、二人が同時にこちらを向いた。「倉橋さんが?」「帝人さんのお客様ですよね。お待たせするわけにもいきませんし」「ですが皇様は……」 相馬さんが何かを言いかけたところで、エレベーターの扉が開いた。 中から一人の女性が現れる。 五十代半ばと聞いていたけれど、年齢を感じさせない人だった。 淡い藤色のワンピースに、細い真珠のネックレス。姿勢が美しく、歩くたびに柔らかな香りが漂う。 帝人さんと同じ黒い瞳なのに、受ける印象はまるで違った。「まあ」 女性の視線が私で止まる。「あなたが小春さんね」 名乗る前から知られていた。「倉橋小春です。本日から帝人さんの専属秘書を務めております」「本日からではないでしょう?」「今週からです」「そうそう。帝人が婚約を申し込んだ数日後に秘書へした方」 周囲の秘書たちが、一斉に端末へ視線を落とした。 聞いていないふりをする技術だけは、日に日に上達している。「母上」 執務室の扉が開いた。 帝人さんが不機嫌そうな顔で出てくる。「なぜ来た」「息子の職場へ母親が来てはいけないの?」「予定にない」「あなたは子どもの頃から、予定にないことが苦手ね」「今は仕事中だ」「だから見に来たの。最近、あなたの仕事ぶりが変わったと聞いたから」 帝人さんの眉間にしわが寄った。「誰から聞いた」「秘密」「榊原か」「私は何も申し上げておりません」 榊原さんは即座に否定した。 香澄様は楽しそうに私を見る。「立ち話も何ですから、お茶をいただける?」「ご用意いたします」「小春さんにお願いしたいわ」「母上」 帝人さんの声が低くなる。
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第29話 理由を説明しています

「そう。説明すれば分かる子だったのね」 香澄様の言葉には、長い年月を重ねた人だけが出せる実感がこもっていた。「母上。俺を何だと思っている」「何を言っても自分の正しさを説明し始める子よ」「事実として俺が正しいことが多い」「今の返答が証明しているでしょう?」 帝人さんの眉間に、またしわが寄る。 その時、応接室の扉が控えめに叩かれた。「帝人様。真壁様から至急確認いただきたい案件がございます」 榊原さんの声だった。「後にしろ」「東関東物流センターの移転先についてです。帝人様の決裁がなければ、本日の面談に間に合いません」 帝人さんは立ち上がったものの、私と香澄様を交互に見る。「小春」「はい」「母上に余計なことを聞かれても、答える必要はない」「あなたは母親を何だと思っているの?」「俺の過去を勝手に話す人間だ」「泣き虫だったこと?」「母上」 低い声が応接室へ響いた。 香澄様はまったく動じず、優雅に紅茶を口へ運ぶ。「お仕事へ行ってらっしゃい。小春さんを取って食べたりしないわ」「当然だ。小春を食うのは俺だ」「帝人さん」「比喩だ」「今のは比喩でも駄目です」「……分かった」 帝人さんは不満そうに扉へ向かう。「すぐ戻る」「ごゆっくり」「小春に言った」 最後まで母親へ対抗しながら、帝人さんは応接室を出ていった。 扉が閉まる。 室内が急に静かになった。 香澄様はカップをソーサーへ戻し、先ほどまでとは少し違う目で私を見る。「ごめんなさいね。あの子は、昔からあなたのことになると周りが見えなくなるみたい」「昔から、ですか?」「幼稚園を辞めた後も、何度かあなたを捜そうとしていたの。子どもの力でできることなんて限られていたけれど」 胸の奥に、小さな重みが落ちた。 私が忘れていた間も、帝人さんは覚えていた。「それからずっとですか?」「少なくとも、あなたへ求婚すると初めて言ったのは五歳の頃ね」「そんなに前から……」「その後も、誰かとの縁談を勧めるたびに、約束した相手がいると言って断っていたわ」「幼稚園児の約束なのに?」「帝人にとっては違ったのでしょうね」 香澄様は微笑んでいる。 けれどその目は、私の反応を注意深く見ていた。「小春さん。あなたはその話を聞いて、責任を感じる?」「少しは」 正直に答えた。「私
last updateLast Updated : 2026-07-28
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第30話 弟は兄をよく知っている

香澄様が帰られた翌日、昼過ぎの総帥室に見慣れない男性が現れた。 帝人さんより少し低い長身に、柔らかく整えられた黒髪。明るい灰色のスーツを着こなし、エレベーターを降りた瞬間から周囲へ自然な笑顔を向けている。「お疲れさまです。兄はいますか?」 受付へ尋ねる声にも、帝人さんのような圧はない。 相馬さんたちの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。「理人(りひと)様。帝人様でしたら、ただいまオンライン会議中です」「では終わるまで待たせてもらいます」 男性はそう答えた後、総帥室を見回した。 やがて私と目が合う。 笑顔が少し深くなった。「ああ。あなたが小春さんですね」 また、名乗る前から知られていた。「倉橋小春です」「皇理人です。帝人の弟をしています」「弟をしている、ですか?」「難しい仕事ですよ。二十七年続けていますが、今も慣れません」 何と返せばいいのか迷っていると、理人さんは私の机の前まで来た。「母から話を聞きました」「昨日お会いしました」「そうでしょう。帰ってくるなり、面白い人を見つけたと楽しそうでしたから」「母上が何を言った」 低い声が響いた。 会議を終えた帝人さんが、執務室の扉の前に立っている。「兄さん。久しぶり」「用件は何だ」「弟が兄の顔を見に来てはいけない?」「昨日、母上も同じことを言った」「親子だからね」「予定にない人間が続けて来るな」「母さんに言ってよ」 理人さんは少しも怯まず、私へ視線を戻した。「兄が迷惑をかけていませんか?」「かけていない」 帝人さんが答えた。「小春さんに聞いているんだけど」「かなりかけられています」「小春」「事実ですよ」 理人さんが声を立てて笑った。「すごい。本当に兄へ普通に答えるんですね」「質問に答えただけです」「普通は答える前に、少し考えるんですよ。兄の機嫌とか、その後の仕事への影響とか」「俺はその程度で人事評価を変えん」「兄さんは変えなくても、周囲はそう思わないって話」「思う方が間違っている」「それを説明せずに分かれというところが、兄さんなんだよなあ」 理人さんは慣れた様子で肩をすくめた。 兄弟なのに雰囲気はまるで違う。 帝人さんが正面から相手を押し切る人なら、理人さんは相手の力を受け流しながら懐へ入る人だ。「兄さん、また求婚を断られたんだ
last updateLast Updated : 2026-07-28
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