All Chapters of 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す: Chapter 241 - Chapter 250

278 Chapters

新しい関係

 翌朝、綾香が朝食の席に着くと、父はすでに新聞を広げていた。「おはよう、お父様」「おはよう、綾香。よく眠れたかい?」「ええ、とても」 父は新聞を畳み、嬉しそうに笑った。「昨日は九条先生と、どんなところへ行ったんだい?」「植物園よ。秋のバラがとても綺麗だったの」「そうか。お母さんもバラが好きだったな」「ええ。私も思い出したわ」 綾香が紅茶に手を伸ばすと、父は少し考えるような顔をした。「そういえば、九条先生はいつ頃いらっしゃるんだろうね」「まだ日にちは決めていないわ。お父様のご都合を聞いてからにしようと思って」「私はいつでも構わないよ。九条先生もお忙しいだろうから、無理のない日にしてもらいなさい」「ありがとう。そう伝えるわ」 父は満足そうに頷いた。「しかし、正式に交際の挨拶をしたいとは、律儀な人だね」「そういうところも素敵でしょう?」「ああ。よく分かるよ」 父の返事があまりにも素直だったので、綾香は笑ってしまった。◇◆◇ 午前中、綾香は遥臣に父の予定を伝えた。 ほどなくして、次の土曜日の午後に訪ねるという返事が届く。『お父様も楽しみにしているわ』『俺も楽しみにしている』 続いて、もう一通。『今夜、電話できるか?』『もちろんよ』 短いやり取りなのに、綾香は何度も画面を見返してしまった。 恋人になったからといって、遥臣が急に別人になるわけではない。 それでも、これまでとは少し違う。 会いたいと言ってもいいし、好きだと伝えてもいい。 その変化が嬉しかった。◇◆◇ 午後、綾香がリビングで雑誌を読んでいると、橘がやってきた。「お嬢様、美月様がお見えでございます」「美月が?」「はい。お近くまでいらしたので、ご挨拶だけでもと」 綾香は雑誌を閉じた。「分かったわ。こちらへ通してちょうだい」 しばらくして、美月がリビングに姿を現した。 淡い水色のブラウスに、落ち着いた色のスカートを合わせている。「突然ごめんなさい、綾香」「いいのよ。どうしたの?」「近くに用事があったものだから。おじさまにもご挨拶できればと思って」「お父様は今日はお仕事よ」「そうなのね。お元気にしていらっしゃる?」「ええ。ありがとう」 美月は安心したように微笑んだ。「よかった。最近はお仕事にも戻られているのよね」「そうよ」
last updateLast Updated : 2026-10-11
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婚約を待たせた理由

 土曜日の朝、理央が御影家を訪ねてきた。「おはようございます、御影さん」「おはよう、理央。さあ、入りなさい」 父はいつものように理央を迎え、書斎へ案内した。 理央は独立について相談があると言っていた。綾香も少し気にはなったものの、仕事の話なら父に任せておけばいいだろう。 綾香はリビングで本を読みながら、二人の話が終わるのを待っていた。 一時間ほど経った頃、書斎から出てきた理央が顔を覗かせた。「綾香、少しいいかな」「ええ。お話は終わったの?」「うん。御影さんにはいろいろ助言をいただいたよ」「そう。よかったわね」 理央は綾香の向かいに腰を下ろした。「独立するなら、もう少し準備が必要だって。僕もそう思うから、焦らず考えることにしたよ」「それがいいと思うわ」「ありがとう」 理央は微笑んだが、すぐには立ち上がらなかった。「実は、もうひとつ話したいことがあって」「何かしら?」「九条先生と、お付き合いすることになったんだって?」 綾香は驚いて顔を上げた。「……どうして知っているの?」「美月から聞いたんだ。綾香が教えてくれたって」 綾香は思わず眉をひそめそうになった。 美月に交際を伝えたのは、つい先日のことだった。 誰にも話さないでほしいと頼んだわけではない。けれど、自分の知らないところで理央に伝えられていたのは、あまり気分のいいことではなかった。 しかも、美月は理央と綾香の間に婚約の話があったことを知っている。 その相手に、わざわざ新しい恋人の話をする必要があったのだろうか。「そうだったのね」 綾香は静かに答えた。「ええ。遥臣とお付き合いすることになったわ」「おめでとう、綾香」「ありがとう」「九条先生なら、きっと綾香を大切にしてくれるね」
last updateLast Updated : 2026-10-11
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父への挨拶

 午後二時を過ぎた頃、綾香は自室の鏡の前に立っていた。 淡いピンクのワンピースに、小粒の真珠のイヤリング。髪を整えてから、もう一度鏡を覗き込む。 今日は遥臣が、恋人として正式に父に挨拶に来る日だった。 父はすでに交際を喜んでくれている。それでも、遥臣が改めて挨拶したいと言ってくれたことが、綾香には嬉しかった。 階下へ降りると、父がリビングで待っていた。「綾香、今日はずいぶん綺麗にしているね」「もう、お父様。いつもとそんなに変わらないわ」「そうかな。私には違って見えるよ」 父は楽しそうに笑った。「九条先生がいらっしゃるのは三時だったね」「ええ」「お茶の準備は橘に頼んである。私も楽しみにしているよ」 その言葉に、綾香は微笑んだ。◇◆◇ 三時ちょうどに、遥臣がやってきた。 紺色のジャケットに白いシャツを合わせ、手には手土産の紙袋を持っている。「こんにちは、綾香」「いらっしゃい、遥臣」 綾香は思わず笑顔になった。「今日はありがとう。お忙しいのに」「大事なことだからな」 遥臣はそう言って、綾香を見つめた。「似合ってるな、その服」「……ありがとう」 思いがけない一言に頬が熱くなる。 綾香が遥臣をリビングへ案内すると、父が立ち上がった。「九条先生、よくいらっしゃいました」「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」「こちらこそ。どうぞお掛けください」 遥臣は丁寧に頭を下げ、手土産を差し出した。「お口に合えばいいのですが」「これはご丁寧に。ありがとうございます」 橘がお茶を運んできて、三人は席に着いた。 しばらく近況を話したあと、遥臣が姿勢を正した。「今日は、綾香さんとの交際について、改めてご挨拶に伺いました」 父も真剣な顔になった。「はい」「先日、私から気持ちを伝えました。綾香さんも応えてくれて、正式にお付き合いすることになりました」 綾香は隣に座る遥臣を見つめた。「これからも、綾香さんを大切にしていきたいと思っています」 父はしばらく二人を見比べ、それから穏やかに微笑んだ。「ありがとうございます、九条先生」「いえ」「娘からも聞いています。九条先生と一緒にいると、とても楽しいそうで」「お父様……」 綾香が照れると、父は楽しそうに笑った。「本当のことだろう?」「ええ、もちろんよ」 
last updateLast Updated : 2026-10-12
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祝福の裏側

 月曜日の午後、綾香のスマートフォンに美月からメッセージが届いた。『綾香、九条先生とのお付き合い、本当におめでとう。今度、ゆっくりお祝いさせてね』 綾香は画面を見つめた。 美月にはすでに祝福の言葉をもらっている。それなのに、改めて連絡してきたのはなぜだろう。『ありがとう。でも、お祝いは気持ちだけで十分よ』 そう返すと、ほどなくして返信が届いた。『そうなのね。少し寂しいけれど、分かったわ』 綾香はスマートフォンを置いた。 美月が理央に交際の話を伝えたことは、まだ引っかかっていた。 本人から聞くより先に、婚約の話があった相手から新しい恋人のことを知らされる。それがどんな気持ちを生むか、美月に分からなかったとは思えない。 もっとも、問いただしたところで、きっと悪気はなかったと謝るのだろう。 綾香はそれ以上、返信しなかった。◇◆◇ 翌日、父から頼まれた書類を届けるため、綾香は会社へ向かった。 受付で用件を伝え、エレベーターを待っていると、背後から声をかけられた。「綾香」 振り返ると、理央が立っていた。「こんにちは、理央」「こんにちは。今日は御影さんに用事?」「ええ。書類を届けに来たの」「そうなんだ」 理央は綾香の手元の封筒を見て、微笑んだ。「ちょうどよかった。少し話せるかな」「何かしら?」「この間は、変なことを聞いてごめんね」 綾香は理央を見た。「婚約のこと?」「うん。僕も驚いてしまって、余計なことまで聞いたと思う」「もう気にしていないわ」「ありがとう」 理央は安心したように笑った。「美月にも、少し話したんだ」「……美月に?」「うん。綾香のことを疑うような聞き方をしてしまったって」 綾香は黙っていた。 美月から理央へ交際の話が伝わり、今度は理央から美月へ、自分たちの会話が伝わっている。 それが少しずつ気に障った。「美月は何て?」「僕が考えすぎなんじゃないかって。綾香はそんなことで嘘をつく人じゃないでしょう、って言われたよ」「そう」「確かに、そのとおりだよね」 理央は穏やかに微笑んだ。 綾香は、その言葉を素直に受け取れなかった。「それなら、もうこの話は終わりにしましょう」「うん。そうだね」 ちょうどエレベーターが到着した。「それじゃあ、私は行くわ」「ああ。またね、綾香」 理央は笑
last updateLast Updated : 2026-10-13
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親友の忠告

 翌日の昼過ぎ、美月から電話がかかってきた。 綾香は画面に表示された名前を見て、少し迷ってから通話に応じた。「もしもし、美月?」『綾香、こんにちは。今、少しだけいいかしら』「ええ。どうしたの?」『昨日のメッセージ、余計なことを書いてしまったかと思って』「婚約の話?」『ええ。理央から聞いたことを、そのまま伝えるべきではなかったわね』 美月の声は、いつもどおり穏やかだった。「そうね。理央との話は、私たちの間で済ませることだから」『ごめんなさい。私、二人のことが気になってしまって』「心配してくれたのは分かるわ」『ありがとう』 そこで会話が終わるかと思ったが、美月は続けた。『でも、綾香。ひとつだけ、聞いてもいい?』「何かしら?」『九条先生は、理央との婚約のお話をご存じなの?』 綾香は眉を寄せた。「どうして?」『いえ、知らないままだと、あとで驚かれるかもしれないと思って』「遥臣に何を話すかは、私が決めるわ」『もちろん、そうよね』 美月はすぐに答えた。『ごめんなさい。綾香が困るようなことになったら嫌だと思っただけなの』「ありがとう。でも、心配はいらないわ」『そうね。九条先生も、きっと分かってくださるわね』 柔らかな声だった。 けれど、綾香にはその言葉が引っかかった。 美月は以前から、遥臣との関係について何度も尋ねてきた。交際が始まってからも、話題は変わらない。「美月」『なあに?』「遥臣には、私から必要なことを話すわ。だから、あなたから何か説明する必要はないの」 一瞬、沈黙があった。『……ええ。分かったわ』「それならよかった」『綾香、怒っている?』「怒ってはいないわ。ただ、私たちの
last updateLast Updated : 2026-10-13
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親友の言い分

 翌朝、綾香が朝食を終える頃、美月から電話がかかってきた。 昨日のメッセージには、まだ返信していなかった。 綾香は少し迷ったが、電話に出ることにした。「もしもし、美月」『おはよう、綾香。昨日はごめんなさい』「昨日のメッセージのこと?」『ええ。あとから読み返して、余計なことを言ってしまったと思ったの』 美月の声は、いつもと変わらず控えめだった。『理央が可哀想だなんて、私が言うことではなかったわね』「そうね。私と理央のことだから」『ええ。本当にごめんなさい』 綾香は窓の外に目を向けた。「それなら、もういいわ」『ありがとう。綾香は優しいわね』 美月はほっとしたように息をついた。『ただ、理央があんなに落ち込んでいるのを見るのは初めてだったから……』「落ち込んでいるの?」『ええ。私の前では平気そうにしているけれど』 綾香は黙っていた。 理央は先日、婚約を延期した理由について何度も尋ねてきた。 あの時の様子から、納得していないことは分かっている。 けれど、美月が言うほど落ち込んでいるのかどうかは知らなかった。『綾香は九条先生と幸せになればいいと思うの。でも、理央にとっては、ずっと当たり前だと思っていた未来が変わってしまったのでしょうね』「……美月」『あ、ごめんなさい。また余計なことを言ってしまったわ』 美月はすぐに謝った。『私、こういうところがいけないのね』「理央がどう思っているのかは、理央自身から聞くわ」『ええ。そうしてあげて』 その返事に、綾香は小さく眉を寄せた。 美月に勧められて理央と話すわけではない。 だが、ここで言い争っても仕方がなかった。「それじゃあ、私も用事があるから」『ええ。引き止めてごめんなさい。またね、綾香』 通話が切れた。◇◆◇ 午後、綾香は父に頼まれ、書斎の棚から古いアルバムを探していた。 父が仕事関係の知人に、昔の庭園の写真を見せたいのだという。 何冊か取り出していると、扉がノックされた。「お嬢様、お手伝いいたしましょうか」 橘だった。「ありがとう。昔のお庭の写真を探しているの」「それでしたら、こちらの棚かと存じます」 橘が下段から大きなアルバムを取り出した。「奥様が整理なさっていたものでございます」「まあ、懐かしいわ」 綾香はアルバムを開いた。 庭で遊ぶ幼
last updateLast Updated : 2026-10-14
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誰かの入れ知恵

「そういえば、理央がもうひとつ、妙なことを聞いてきたんだ」 父はアルバムを閉じながら言った。「何かしら?」「綾香が婚約を延期した頃、誰かに何かを吹き込まれたんじゃないか、ってね」 綾香は父を見た。「誰かに?」「ああ。急に気持ちが変わったように見えたから、心配していたらしい」「……そうなのね」「もちろん、そんなことはないだろうと答えたよ。綾香は自分で考えて物事を決められる子だからね」 父は笑った。「ただ、理央も戸惑っているんだろう。長い付き合いだから、綾香のことは何でも分かっているつもりだったのかもしれないな」「そうかもしれないわね」 綾香は微笑んだ。 けれど、胸の内では別のことを考えていた。 理央は、遥臣の存在を疑っていた。 それを否定されると、今度は誰かが綾香に何かを吹き込んだのではないかと考え始めたらしい。 綾香が自分の意思で婚約を避けたとは、思いたくないのだろうか。「お父様」「何だい?」「私が理央との婚約を待ってほしいと言った時、お父様はどう思われた?」 父は少し驚いたようだった。「そうだね。何か考えがあるんだろうとは思ったよ」「理由を聞こうとは思わなかった?」「聞いたじゃないか。でも、綾香はもう少し時間がほしいと言った。それなら待とうと思ったんだ」「……ありがとう」「結婚は綾香の人生に関わることだからね。私が急がせる理由はないよ」 父は穏やかに微笑んだ。「それに、今は九条先生という素敵な方がいる。私は嬉しいよ」 綾香も笑顔を返した。◇◆◇ 自室へ戻ると、綾香は机の引き出しから手帳を取り出した。 婚約を延期した頃の記録を確かめる。 あの時、綾香は父の病状を気にかけながら、理央との距離を置こうとしていた。 前の人生で理央と美月に裏切られたことを、忘れるはずがなかった。 しかし理央にとっては、何の前触れもなく綾香の態度が変わったように見えただろう。 誰かに何かを吹き込まれた。 理央がそう考えるのなら、次はその誰かを探そうとするかもしれない。 綾香は手帳を閉じた。 その時、スマートフォンが震えた。 美月からだった。『綾香、今週末はお時間あるかしら。久しぶりに二人でお茶でもどう?』 綾香は少し考えてから返信した。『今週末は予定があるの。また機会があればね』 すぐに返事が届いた。『
last updateLast Updated : 2026-10-15
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探り合い

「理央のこと、誰かから何か聞いたの?」 美月はそう尋ねると、綾香の顔をじっと見つめた。「どうしてそんなことを聞くの?」「ごめんなさい。理央が気にしていたから、私も気になってしまって」「理央が知りたいのなら、本人が聞けばいいことだわ」「そうよね……」 美月は困ったように微笑んだ。「でも、綾香は理央に何も話してくれないでしょう?」「話したくないことまで、話す必要はないと思うわ」「ええ。もちろんよ」 美月はカップを持ち上げた。「ただ、昔は何でも相談してくれたから、少し寂しくて」「そうね。昔はそうだったわね」 綾香は静かに答えた。 前の人生では、理央とのことも、父のことも、美月には何でも話していた。 それがどんな結果を招いたのか、綾香は知っている。「美月は、理央からどんな相談を受けているの?」 今度は綾香から尋ねた。「え?」「私のことを、いろいろ聞かれているのでしょう?」「ええ、まあ……」 美月は少し戸惑ったようだった。「綾香が何か悩んでいるんじゃないかって。それくらいよ」「そうなのね」「理央も、綾香を責めたいわけじゃないと思うの。ただ、理由が分からないから……」「美月」 綾香は言葉を遮った。「私と理央の間に、あなたが入る必要はないわ」 美月は目を伏せた。「……ごめんなさい」「あなたを責めているわけではないの。ただ、何度も同じことを聞かれるのは困るのよ」「ええ。分かったわ」 美月は小さく頷いた。 その後は買い物や最近の流行について話し、二人は店を出た。 別れ際、美月はいつもと変わらない笑顔を見せた。「またお茶
last updateLast Updated : 2026-10-15
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母が残した言葉

『そういえば、綾香のお母さんが亡くなる前、僕のことで何か話していなかった?』 理央の問いに、綾香は一瞬返事をためらった。「……どうして?」『いや、さっきも言ったけど、少し気になって』「お母様があなたについて何か話していたとして、それがどうかしたの?」『別に深い意味はないよ。ただ、昔のことを思い出していたら、気になっただけなんだ』 理央の声はいつもどおり穏やかだった。「そう。残念だけれど、私には心当たりがないわ」『そっか。ありがとう』「ええ」『ごめんね、何度も変なことを聞いて』「気にしないで」 電話を切った綾香は、机の上に置いた母の手帳に目を向けた。 理央は父親である橘にも、綾香にも、母が亡くなる前のことを尋ねている。 しかも、母が自分について何か話していなかったか、と。 手帳に書かれていた一行と、あまりにもよく似ていた。 綾香は手帳を開き、問題の日付を確かめた。 母が亡くなる十日ほど前だった。 その前後には、庭師との打ち合わせや病院の予約など、ごく普通の予定が並んでいる。 綾香はページをめくった。 数日後の欄には、短い文字が残されていた。『杉浦さんに電話』 綾香は指を止めた。 杉浦は、母方の祖父に長く仕えていた秘書だ。 以前、祖父が久世雅彦という人物について調べていたことを教えてくれたのも杉浦だった。 母も、杉浦に何かを尋ねようとしていたのだろうか。◇◆◇ 翌日、綾香は杉浦に電話をかけた。『御影様、お久しぶりでございます』「お久しぶりです、杉浦さん。突然ごめんなさい」『いえ、どうなさいましたか』「母のことで、少し伺いたいことがあるの」『奥様のことでございますか』「ええ。亡くなる少し前に、母からお電話がありませんでし
last updateLast Updated : 2026-10-16
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親友の企み

「理央さんも、久世について問い合わせていらっしゃいました」 杉浦の言葉に、綾香は驚いた。「理央が、ですか?」「はい。もっとも、ずいぶん昔のことでございます。詳しい事情までは存じません」「そうでしたか。ありがとうございます」 綾香はそれ以上、質問を重ねなかった。 母の死については、まだ分からないことが多い。けれど、今ここで杉浦を問い詰めても、答えが見つかるとは限らない。 杉浦に礼を告げ、綾香はホテルをあとにした。◇◆◇ その週末、綾香は遥臣と美術館を訪れていた。 母が好きだった画家の展覧会は盛況で、館内には多くの人が集まっていた。「この絵、お母様がとても好きだったの」 綾香は一枚の風景画の前で足を止めた。「家にも、この画家の画集があったわ」「綺麗な絵だな」「ええ。母と一緒に見たことを思い出すわ」 遥臣は隣で静かに絵を眺めていた。 展示を見終えたあと、二人は美術館に併設されたカフェへ向かった。「綾香、次はどこへ行きたい?」「そうね。今度は遥臣の行きたいところにしましょう」「それなら、海を見に行かないか」「海?」「ああ。少し遠出して、ゆっくり過ごすのもいいだろう」「素敵ね。ぜひ行きたいわ」 綾香が微笑むと、遥臣も嬉しそうに笑った。 その時だった。「あら、綾香?」 聞き覚えのある声に振り返ると、美月が立っていた。「美月。偶然ね」「ええ。本当に」 美月は遥臣に目を向けた。「九条先生もご一緒だったんですね。こんにちは」「こんにちは」 遥臣は軽く会釈した。「お二人で展覧会を?」「ええ。母が好きだった画家なの」「そうだったのね。素敵だわ」 美月は微笑んだ。「実は私も、今日は友人と
last updateLast Updated : 2026-10-16
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