All Chapters of 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す: Chapter 231 - Chapter 240

278 Chapters

親友のつもり

 ガーデンショップを出たあと、綾香と遥臣は近くのカフェに入った。 窓際の席に座り、綾香は買ったばかりの小さな鉢植えをテーブルの端へ置く。「今日はこれだけにしたのか」「増やしすぎても、お世話できなくなるでしょう?」「意外と冷静だな」「どういう意味?」「もっと買うと思ってた」「失礼ね」 綾香が笑うと、遥臣もわずかに笑った。 さっき美月と会った時には少し乱された気持ちも、いつの間にか落ち着いていた。「そういえば」 綾香は紅茶のカップを置いた。「さっきのことだけど、美月に何か言われても気にしないでね」「何を?」「私が嫌がったとか、怒ったとか」「ああ」 遥臣はあまり興味がなさそうだった。「君から聞いてるから分かってる」「ならいいの」「それより」「なに?」「嫌なら嫌だって言っていいんじゃないか」 綾香は少し目を瞬いた。「言ったわよ。少し嫌だったって」「なら十分だ」 簡単な答えだった。 綾香は思わず笑う。「遥臣って、そういうところは単純ね」「複雑にする必要あるか?」「ないのかもしれないわね」 少なくとも、遥臣との間では。◇◆◇ 夜になって、美月からメッセージが届いた。『今日はびっくりしたわ。偶然会うなんて』『そうね』『せっかく二人でいたのに、ごめんなさい』『別にいいわ』 少しして、また届く。『でも、九条先生に余計なことまで言っちゃったね』『そうね。あれは言わなくてもよかったと思うわ』 今度は返事が来るまで少し時間があった。『ごめんなさい』『私、綾香に嫌な思いをさせたことをちゃんと謝っておきたかっただけなの』
last updateLast Updated : 2026-10-06
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よく気がつく人

 数日後、美月が御影家を訪れた。 父に送った菓子のお礼を伝えたところ、「久しぶりに綾香ともお茶したい」と言われたのだ。「この前のお菓子、ありがとう。お父様も喜んでいたわ」「よかった。おじさま、お忙しそうだったから」 美月は穏やかに微笑んだ。「北海道から戻られたばかりなのに、もうお仕事に戻っているんでしょう?」「少しずつね。前みたいに無理はしていないわ」「安心した」 美月は紅茶のカップを両手で包む。「綾香も、ずっと心配していたものね」「ええ」「九条先生も安心したでしょうね」 綾香は美月を見た。 美月も気づいたらしい。「あ……ごめんなさい」「別に名前を出してはいけないとは言っていないわ」「でも、もうあまり聞かないって約束したから」「今のは聞いていないでしょう?」「そうだけど」 美月は少し困ったように笑った。「なんだか意識しすぎて、かえって変になっちゃうね」 綾香は紅茶を口に運んだ。 その時、父がリビングへ入ってきた。「美月さん、来ていたのか」「おじさま。先日は突然お菓子を送ってしまって、すみません」「いや、ありがとう。皆でいただいたよ」「お口に合ったならよかったです」「いつも気を遣わせて悪いね」「そんなことありません。昔からお世話になっていますから」 美月は柔らかく微笑んだ。 父も笑って、自分の部屋へ戻ろうとする。 その背中へ、美月が声をかけた。「おじさま」「ん?」「綾香、最近とても楽しそうですね」 父が綾香を見た。「ああ。そうだな」「九条先生と仲がいいみたいで。私も安心してるんです」「美月」 綾香が呼ぶと、美月が振り返った。「なに?」「その話、お父様にしなくてもいいでしょう?」「あ……ごめんなさい」 美月はすぐに頭を下げた。「おじさまもご存じだと思っていたから」「知っているけれど」「そうよね。余計なこと言っちゃった」 父は二人を見比べたあと、苦笑した。「まあ、綾香も大人なんだから、好きにすればいい」「お父様」「邪魔はしないよ」 そう言って父は出ていった。 美月が小さく笑った。「優しいお父様ね」「ええ」「九条先生なら、おじさまも安心でしょうね」「美月」「あ、ごめんなさい。また言っちゃった」 美月は口元へ指を添えた。「本当にごめんね。綾香が幸せそうだから
last updateLast Updated : 2026-10-07
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知らなくてもいいこと

 翌日の夜、綾香のスマートフォンに美月からメッセージが届いた。『昨日はありがとう。久しぶりにゆっくり話せて嬉しかった』『私もよ』『おじさまもお元気そうで安心したわ』 そこまでは、ごく普通のやり取りだった。『そういえば、おじさまに九条先生のことを話しちゃってごめんね』『もういいわ』『私、つい嬉しくなっちゃって。綾香が誰かとあんなに仲良くしてるの、なんだか新鮮だから』 綾香は画面を見つめた。 また遥臣の話だ。『遥臣のことは、そんなに気にしなくていいのよ』 少しして、返事が届いた。『そうだよね。ごめんなさい』 そして、もう一通。『でも、おじさまも九条先生のこと気に入ってるみたいでよかったね』 綾香は眉を寄せた。『お父様は、そんなこと言っていなかったでしょう?』『そうだった?』『ええ』『ごめんね。反対してないみたいだったから、そうなのかなって』 綾香は返信せず、スマートフォンを置いた。 美月はいつもそうだ。 ほんの少しだけ、話を先へ進める。 父が「好きにすればいい」と言えば、「遥臣を気に入っている」。 綾香が遥臣と親しいと知れば、「大切な人」。 そして、それをまるで自分も最初から知っていることのように話す。 小さなことだった。 けれど、その小さなことが妙に引っかかった。◇◆◇ 数日後。 綾香は遥臣と夕食を取っていた。「お父様がね、最近また仕事を増やしたみたいなの」「体調は?」「問題ないって言ってるわ。無理はしない約束もしてくれた」「ならいい」「遥臣にも心配をかけたものね」「別に」 遥臣はそう言って水を飲んだ。 綾香は少し笑う。「そういえば、美月がね」
last updateLast Updated : 2026-10-07
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親友の気遣い

 週末の午後、綾香は母の遺品を整理していた。 昔の写真をアルバムに収め直し、傷んだ封筒を新しいものに替える。窓から差し込む秋の日差しは柔らかく、部屋には穏やかな時間が流れていた。 そこへ、執事の橘がやってきた。「お嬢様、美月様からお届け物がございます」「美月から?」「はい。お手紙も添えられております」 差し出されたのは、上品な包装紙に包まれた小さな箱だった。 中には、淡いピンク色のハンカチが入っていた。『先日のお詫びに。綾香に似合うと思って選びました。気に入ってもらえたら嬉しいわ』 綾香は手紙を読み終え、箱を閉じた。「お礼は私から伝えるわ」「かしこまりました」 橘が退出すると、綾香はスマートフォンを取り出した。『ハンカチ、届いたわ。ありがとう』 返事はすぐに届いた。『よかった。綾香、ああいう色が好きでしょう?』『ええ』『九条先生とお出かけする時にも使ってもらえたら嬉しいわ』 綾香は画面を見つめた。 また、遥臣の名前だった。『普段から使わせてもらうわ』『もちろんよ。変なこと言ってごめんなさい』 美月はそれ以上、何も尋ねなかった。◇◆◇ その翌日、綾香は父と昼食を取っていた。「そういえば、美月さんから電話があったよ」 父が何気なく言った。「美月から?」「ああ。先日送ってくれた菓子の感想を聞かれてね。ついでに、綾香が最近忙しそうだから、無理をしていないか心配だと言っていた」「そうなの」「いい友達を持ったな」 父は微笑んだ。「昔から、綾香のことをよく気にかけてくれる」 綾香は静かにナイフを置いた。「お父様。美月とは私が直接話しているから、心配しなくて大丈夫よ」「そうか」「ええ。それに、何かあれば私から相談するわ」「分かったよ」 父はそれ以上、何も言わなかった。 綾香は食事を再開したが、胸の奥にはわずかな不快感が残っていた。 自分が忙しいかどうか。 無理をしていないか。 そんなことまで、わざわざ父に尋ねる必要があるのだろうか。◇◆◇ 夕方、美月から電話がかかってきた。「綾香、ハンカチは気に入ってもらえた?」「ええ。ありがとう」「よかった。実は私も同じものを買ったの。色違いだけど」「そうなのね」「昔もよく、お揃いのものを持っていたでしょう? 懐かしくなっちゃって」 美月は穏やか
last updateLast Updated : 2026-10-09
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選ばれた相手

 週明けの午後、綾香は父に頼まれ、会社へ届け物を持っていった。 急ぎの書類ではなかったが、父が午後の会議で使う資料と一緒に、自宅に置き忘れた手帳を届けてほしいという。 受付を通り、役員室のある階へ上がる。 廊下の向こうから、聞き慣れた声がした。「綾香?」 理央だった。「珍しいね。今日はどうしたの?」「お父様に届け物よ」「そうなんだ。今ちょうど会議が終わったところだよ。案内しようか?」「場所は分かるわ。ありがとう」 理央は穏やかに微笑んだ。「じゃあ、僕も一緒に行こうかな。ちょうど社長に確認したいことがあるんだ」 二人で廊下を歩き始める。 以前なら、こんな時間もごく自然なものだった。 幼い頃から御影家に出入りしていた理央は、綾香にとって家族に近い存在だったのだから。「そういえば、美月から聞いたよ」 理央が言った。「何を?」「最近、綾香が忙しそうだって。あまり会えなくて寂しいみたいだね」「そうなの」「美月は綾香のことが好きだからね。ちょっと気にしてるんじゃないかな」 綾香は理央を見た。「美月とはこの前も会ったわ」「ああ、そうなんだ」「それに、連絡も取っているもの」「ならよかった」 理央は安心したように笑った。「美月、何か気に障ることをしたのかなって言ってたから」「それは本人と話しているわ」「そっか」 理央はそれ以上尋ねなかった。 役員室の前で立ち止まる。「じゃあ、僕は少しあとで入るよ」「ええ」 綾香は扉をノックした。◇◆◇ 父に手帳を渡して用事を済ませると、綾香は一階のロビーへ向かった。 そこには、美月がいた。「あら、綾香」 美月は驚いたように目を見開いた。「どうしたの?」「お父様に届け物があったの」「そうだったのね」 美月は小さく微笑んだ。「私、理央とお昼を食べる約束をしているの。お仕事が長引いてしまったみたいで、待っていたところよ」「そうなのね」「よかったら綾香も一緒にどう?」「私はもう帰るところだから」「残念」 美月は柔らかく笑った。「そういえば、理央が最近とても忙しいの。昨日も遅くまで仕事だったみたいで」「お父様も忙しそうだったわ」「そうね。だから、少しでも息抜きしてもらえたらと思って」 美月は膝の上に置いた紙袋へ目を向けた。「今日は理央の好きなお菓子も買
last updateLast Updated : 2026-10-10
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二人だけの話

 理央からのメッセージを前に、綾香はしばらく考えた。『ちゃんと話しておきたいことがあるんだ』 その言葉が何を意味するのか、文面だけでは分からない。 けれど、理央が自分から二人きりで話したいと言ってくるのは、久しぶりのことだった。『分かったわ。いつがいいの?』『明日の午後はどうかな。綾香の都合がよければ』『三時なら空いているわ』『ありがとう。駅前のホテルのラウンジで待ってるね』 綾香は了承の返事を送り、スマートフォンをしまった。◇◆◇ 翌日、綾香がホテルのラウンジに着くと、理央はすでに席についていた。「綾香、こっちだよ」 理央は立ち上がり、綾香が座るのを待った。「急に誘ってごめんね」「構わないわ。それで、話って?」「うん。まずは何か飲もうか」 注文を済ませると、理央は少しだけ表情を改めた。「最近、綾香とゆっくり話せていなかったから」「そうね」「僕たち、昔は何でも話していたでしょう?」 綾香は頷いた。 理央とは幼い頃からの付き合いだった。母が生きていた頃も、彼はよく御影家を訪れていた。「それが最近は、何となく距離ができてしまった気がして」「お互い忙しいもの」「それだけかな」 理央は困ったように笑った。「僕、何か綾香に嫌われるようなことをした?」 綾香はカップに伸ばしかけた手を止めた。「どうしてそう思うの?」「前みたいに話してくれなくなったから。僕が何か失礼なことをしたなら、謝りたいと思って」 柔らかい声だった。 綾香は理央の顔を見た。 前の人生でも、彼はこうして穏やかに話していた。 綾香が不安を口にすれば、優しく慰め、安心させてくれた。 そして最後には、美月とともに綾香の人生を奪った。「嫌っているわけではないの」
last updateLast Updated : 2026-10-10
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まだ知らない計画

 翌朝、綾香が朝食を終えてリビングへ向かうと、父が新聞を広げていた。「おはよう、お父様」「ああ、おはよう。昨日は出かけていたそうだね」「ええ。理央とお茶をしていたの」「理央と?」 父が新聞から顔を上げた。「珍しいな。何か相談でもあったのか?」「将来のことを少し」「将来?」「理央、自分で事業を始めたいと考えているそうよ」 父は意外そうに眉を上げた。「そうなのか。私には何も言っていなかったが」「まだ考え始めたばかりみたい。もう少しまとまってから相談するって」「なるほど」 父は新聞を畳んだ。「若いうちに挑戦したいことがあるのはいいことだ。橘も喜ぶだろう」「そうね」「ただ、今の仕事もあるからな。辞めるなら引き継ぎはきちんとしてもらわないと」 父はそう言って笑った。 綾香も微笑んだが、それ以上は話さなかった。 理央がどんな事業を考えているのか、まだ具体的には分からない。 父に伝えるにしても、本人から話すのが筋だろう。◇◆◇ 午後、綾香は書斎で母の古い書類を整理していた。 以前見つけた資料の中には、御影家の資産管理に関するものもある。 母が何を調べていたのか。 その全貌は、今も分かっていなかった。 綾香は手帳を開き、昨日の理央との会話を読み返す。『企業向けのコンサルティング』『その方面に詳しい知り合いがいる』 理央は、知人の名前を出さなかった。 綾香もその場では尋ねなかった。 けれど、理央が独立を考えているという話は、初めて聞くものだった。 前の人生では、彼は御影家の中で立場を強めていった。 父が亡くなったあとも、会社の仕事に深く関わり続けていた。 それが今度は、独立を考えているという。 綾香はペンを手に取
last updateLast Updated : 2026-10-10
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父と息子

 翌日の午後、綾香は廊下で橘と顔を合わせた。「お嬢様、お出かけでございますか」「いいえ。少し庭を歩こうと思って」「かしこまりました。今日はよいお天気でございますね」 橘はいつものように穏やかに微笑んだ。 長年、御影家に仕えてきた執事だった。母が生きていた頃から、家の中のことはほとんど橘が取り仕切っている。「橘、少しいいかしら」「はい。何でございましょう」「理央から、今度あなたの昔の仕事について話を聞きたいと言われたの」 橘は意外そうな顔をした。「理央が、でございますか?」「ええ。私も一緒にどうかって」「それは……初耳でございます」「そうなの?」「はい。息子からは何も聞いておりません」 橘は少し考えてから、困ったように笑った。「あれも、私の昔話など聞いてどうするつもりなのでしょうな」「独立を考えているそうよ」「独立?」 橘が目を見開いた。「理央がそのようなことを?」「まだ準備中みたいだけれど。企業向けのコンサルティングに興味があるんですって」「……そうでございましたか」 橘はしばらく黙っていた。「橘は知らなかったのね」「はい。最近は仕事の話をする機会も減っておりまして」「そうなの」「息子も、もう子供ではございませんからな」 そう言って微笑んだものの、橘の表情には戸惑いが残っていた。「理央が直接話してくれるまで、私から聞いたことは内緒にしておいてね」「承知いたしました」 綾香は頷いた。「それと、橘」「はい」「私も、いつかあなたと昔の話をしたいと思っていたの」「昔の話、でございますか?」「ええ。お母様が生きていた頃のことを」 橘の
last updateLast Updated : 2026-10-10
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日曜日の約束

 日曜日の朝、綾香はいつもより少し早く目を覚ました。 窓の外には青空が広がっている。 今日は遥臣との約束の日だった。 淡いクリーム色のワンピースを選び、鏡の前で髪を整える。仕上げに小さな真珠のイヤリングをつけると、ちょうどスマートフォンが震えた。『予定どおり迎えに行く』 遥臣からだった。『楽しみにしているわ』 そう返すと、すぐに短い返事が届いた。『俺もだ』 綾香は思わず微笑んだ。◇◆◇ 約束の時間に迎えに来た遥臣は、いつもより少しくだけた服装をしていた。「今日はどこへ行くの?」 助手席に乗り込んだ綾香が尋ねると、遥臣は車を発進させながら答えた。「植物園だ」「植物園?」「ああ。秋のバラが見頃らしい」「素敵!」 綾香は嬉しくなって遥臣を見た。「私が花を好きだから?」「それもある」「それも?」「俺も、君とゆっくり歩きたかった」 何気なく告げられた言葉に、綾香は頬を緩めた。「……私もよ」 窓の外を流れる街並みを眺めながら、綾香は胸の奥が温かくなるのを感じていた。◇◆◇ 植物園には、赤や白、淡い桃色のバラが咲き誇っていた。 綾香は一つ一つの花を眺めながら、遥臣と並んで歩いた。「綺麗ね。こんなにたくさん咲いているなんて」「来てよかったな」「ええ。ありがとう」 小道の先には、小さな噴水があった。 二人はそのそばのベンチに腰を下ろした。 穏やかな風が吹き抜け、花の香りが漂ってくる。「綾香」「なあに?」「最近、よく笑うようになったな」 思いがけない言葉だった。「そうかしら」「ああ。最初に会った頃は、もっと緊張していた」「それは……」 綾香は少し考えた。 あの頃は、父の命を守ることに必死だった。 前の人生で起きたことを繰り返さないため、誰を信じていいのかも分からず、毎日気を張っていた。「いろいろ心配なことがあったの」「そうだったな」「でも、今はお父様も元気だし……」 綾香は遥臣を見た。「遥臣といる時間が、とても楽しいから」 遥臣は黙って綾香を見つめた。 そして、ベンチの上に置かれていた綾香の手を取った。「俺もだ」 大きな手が、綾香の指を優しく包む。 何度も手を繋いできたのに、今日はなぜか胸が高鳴った。「……遥臣?」「ひとつ、聞いていいか」「ええ」 遥臣は少しだけ言葉を選
last updateLast Updated : 2026-10-11
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恋人になった日

 植物園を出る頃には、空が柔らかな茜色に染まり始めていた。 遥臣と手を繋いで駐車場へ向かいながら、綾香は何度も彼の横顔を見上げてしまった。「どうした?」「……何でもないわ」「さっきから何度も見てるだろ」「だって」 綾香は少し照れながら笑った。「恋人になったんだと思うと、なんだか不思議で」「そうか?」「遥臣は平気なの?」「平気じゃない」 意外な答えに、綾香は目を瞬いた。「そうなの?」「ああ。今すぐ抱きしめたいくらいには」「……もう」 綾香が頬を赤くすると、遥臣は小さく笑った。「嫌か?」「嫌じゃないわ」 そう答えると、遥臣が足を止めた。 人通りの少ない遊歩道だった。「じゃあ、少しだけ」 遥臣は綾香の肩へ腕を回し、そっと抱き寄せた。 広い胸に頬が触れる。 白衣を着ていない遥臣からは、かすかに清潔な石鹸の香りがした。 綾香もためらいながら、その背中に腕を回した。「……嬉しい」「ああ」「今日、遥臣が好きだって言ってくれて」「もっと早く言えばよかったな」「いいの。今日でよかったと思うわ」 綾香が顔を上げると、遥臣はその髪を優しく撫でた。「これからは、遠慮しなくていいからな」「何を?」「会いたい時は、会いたいって言ってくれ」 綾香は微笑んだ。「それなら、毎日言ってしまうかもしれないわ」「構わない」「お仕事の邪魔にならない?」「会えない日はある。でも、聞くくらいはできる」 綾香は思わず笑った。「じゃあ、覚悟しておいてね」「ああ」◇◆◇ 夕食は、帰り道にある落ち着いたレストランで取ることになった。 向かい合って座り、料理を待っていると、遥臣がふと尋ねた。「お父さんには、いつ話す?」「私たちのこと?」「ああ」 綾香は少し考えた。「今日、帰ったら話そうかしら」「早いな」「だって、嬉しいことだもの。お父様にも聞いてほしいわ」 遥臣は微笑んだ。「なら、近いうちに俺からも挨拶したい」「そんなに改まらなくても、お父様は遥臣のことを知っているわよ?」「それとこれは別だ」 真面目な顔で言われて、綾香は胸が温かくなった。「分かったわ。お父様に伝えておく」「ああ。頼む」 運ばれてきた料理を食べながら、二人は次の休日の話をした。 行きたい場所も、食べてみたいものも、まだたくさんある。
last updateLast Updated : 2026-10-11
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