บททั้งหมดของ 月を持たない娘は、黒き森で牙を研ぐ: บทที่ 41 - บทที่ 50

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第39話 地下墓所の罠

王家の地下墓所から響いた爆発音は、黒曜城の石壁を震わせ、上階の窓硝子までかすかに鳴らした。警鐘が鳴り始めるより早く、ヴァルゼインは寝室を出ていた。傷は完全に塞がっておらず、黒い上衣の下には厚い包帯が巻かれたままだったが、止めようとしたネルーヴァの言葉を聞く様子はない。リュシエナとセイグ、カルネアも後を追い、王家の墓所へ続く北棟の地下階段を駆け下りていった。階段を降りるほど空気は冷たくなるはずなのに、下から流れてくる熱気と焦げた油の臭いが肌へまとわりつき、鼻の奥へ刺さった。「陛下、走らないでください!」ネルーヴァの怒声が背後から飛ぶ。「走っていない」「それを走っていないと言うなら、あなたの歩幅を半分にしなさい!」ヴァルゼインは返事をしなかったが、脇腹を庇うように一度だけ右手を添えた。リュシエナはその仕草へ気づいたものの、今は無理に支えようとはしなかった。彼が自分の足で進むと決めているなら、その隣を離れず、必要になった時だけ手を出す。それが今の二人の間にできつつある距離だった。地下へ続く最後の扉が見えたところで、先行していた衛兵がこちらへ駆け戻ってきた。「陛下! 墓所内部で崩落が起きています。火は広がっておりませんが、入口付近の柱が二本倒れています!」「オルネスは」「中にいる可能性が高いです」その言葉を聞いた瞬間、ヴァルゼインの表情から僅かに残っていた血色が消えた。石扉は半分開いた状態で歪み、蝶番の一部が爆風で外れていた。内部から黒煙が流れ出し、墓所特有の冷たい土と石の匂いに、焦げた布、油、砕けた石灰の臭いが重なっている。カルネアが濡らした布をリュシエナへ渡し、自分も口元を覆って先へ進んだ。地下墓所は、王家の歴代当主を安置するための長い石室だった。左右の壁には黒鉄の燭台が並び、中央の通路沿いには代々の王族の石棺が置かれている。最奥には先王とその前の王の墓があり、その一つ手前、反乱者として王家の正式な墓列から外された位置に、グレイヴァルの棺が置かれていた。爆発は、その周辺で起きていた。崩れた石柱の下に、人の脚が見える。「オルネス!」ヴァルゼインが声を上げた。返事はなかった。全員で瓦礫へ近づくと、侍従長は横向きに倒れ、上半身を大きな石板の陰へ押し込まれていた。背中の上衣は裂け、破れた布から血が滲んでいる。左脚は膝から下を瓦礫に挟まれ
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第39話 地下墓所の罠

王家の地下墓所から響いた爆発音は、黒曜城の石壁を震わせ、上階の窓硝子までかすかに鳴らした。警鐘が鳴り始めるより早く、ヴァルゼインは寝室を出ていた。傷は完全に塞がっておらず、黒い上衣の下には厚い包帯が巻かれたままだったが、止めようとしたネルーヴァの言葉を聞く様子はない。リュシエナとセイグ、カルネアも後を追い、王家の墓所へ続く北棟の地下階段を駆け下りていった。階段を降りるほど空気は冷たくなるはずなのに、下から流れてくる熱気と焦げた油の臭いが肌へまとわりつき、鼻の奥へ刺さった。「陛下、走らないでください!」ネルーヴァの怒声が背後から飛ぶ。「走っていない」「それを走っていないと言うなら、あなたの歩幅を半分にしなさい!」ヴァルゼインは返事をしなかったが、脇腹を庇うように一度だけ右手を添えた。リュシエナはその仕草へ気づいたものの、今は無理に支えようとはしなかった。彼が自分の足で進むと決めているなら、その隣を離れず、必要になった時だけ手を出す。それが今の二人の間にできつつある距離だった。地下へ続く最後の扉が見えたところで、先行していた衛兵がこちらへ駆け戻ってきた。「陛下! 墓所内部で崩落が起きています。火は広がっておりませんが、入口付近の柱が二本倒れています!」「オルネスは」「中にいる可能性が高いです」その言葉を聞いた瞬間、ヴァルゼインの表情から僅かに残っていた血色が消えた。石扉は半分開いた状態で歪み、蝶番の一部が爆風で外れていた。内部から黒煙が流れ出し、墓所特有の冷たい土と石の匂いに、焦げた布、油、砕けた石灰の臭いが重なっている。カルネアが濡らした布をリュシエナへ渡し、自分も口元を覆って先へ進んだ。地下墓所は、王家の歴代当主を安置するための長い石室だった。左右の壁には黒鉄の燭台が並び、中央の通路沿いには代々の王族の石棺が置かれている。最奥には先王とその前の王の墓があり、その一つ手前、反乱者として王家の正式な墓列から外された位置に、グレイヴァルの棺が置かれていた。爆発は、その周辺で起きていた。崩れた石柱の下に、人の脚が見える。「オルネス!」ヴァルゼインが声を上げた。返事はなかった。全員で瓦礫へ近づくと、侍従長は横向きに倒れ、上半身を大きな石板の陰へ押し込まれていた。背中の上衣は裂け、破れた布から血が滲んでいる。左脚は膝から下を瓦礫に挟まれ
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第41話 旧離宮の銀雪

旧離宮へ続く北の森は、朝から降り続く雪によって輪郭を失っていた。黒い針葉樹の幹だけが白の中へ縦に並び、その隙間を抜ける風が、馬の鼻先から上がる白い息を横へ押し流していく。王宮から派遣された兵士たちは離宮を囲むように布陣していたが、建物から二十歩ほどの位置を境に、それ以上近づけずにいた。リュシエナが馬を降りると、鼻の奥へ金属の匂いが届いた。雪の匂いに紛れながら、それでもはっきりと分かる。銀だった。「ここから先は近づくな」カルネアが部下へ命じている。普段なら巨大な黒狼へ変じて先頭を走る彼女も、人の姿のまま額へ汗を浮かべていた。寒さによるものではない。胸元を押さえる指には力が入り、呼吸も浅い。離宮の石段から中庭にかけて、細かな銀粉が撒かれていた。降ったばかりの雪と混ざり、見た目だけなら霜よりも美しい。朝の薄い光を受けるたび、地面一面が無数の星を落としたようにきらめく。けれど狼人にとって、それは刃より危険な雪だった。一人の兵士が試しに数歩だけ前へ出る。三歩。四歩。五歩目で身体が強張った。腕へ黒毛が浮き、反射的に獣化しかけたものの、次の瞬間には形を保てず皮膚へ戻る。男は苦しげに膝をつき、仲間に引き戻された。「獣魂が直接刺激されてる」ネルーヴァが低く言う。彼女もここまで同行していたが、銀粉の境界より先へは進まない。厚い布で鼻と口を覆い、雪を採取した小瓶を光へ透かしている。「粉が細かすぎるわ。吸い込めば肺から入るし、目にも傷口にも付着する。獣魂が強い狼人ほど反応も大きい」その視線がヴァルゼインへ向いた。「特に、傷の治りきっていない王様はね」ヴァルゼインは答えなかった。黒い外套の下、脇腹にはまだ包帯が巻かれている。旧離宮まで馬で来ただけでも決して楽ではなかったはずだが、表情には出していない。それでもリュシエナには、呼吸を深くした時だけ傷を庇うように腹部の筋肉が強張るのが分かった。「私だけで行けます」言った途端、暗い金色の瞳がこちらへ向く。「さっきの話をもう忘れたか」「忘れてはいません」「なら言うな」短い。けれど怒っているわけではない。リュシエナは離宮を見上げた。黒い石造りの二階建てで、窓の大半は板で塞がれている。先王時代には冬の狩猟の際に使われていたらしいが、十年以上放置され、外壁には蔦の枯れ跡が残っていた。正面扉だけが開
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第40話 宮務卿の弟

地下墓所から持ち帰った黒炭の破片は、夜が明ける前には王宮物資局の出納記録と照合されていた。王宮内で使われる黒炭には、産地と精製所ごとに異なる微細な鉱粉が混じる。墓所の爆発跡から採取されたものには、北東の黒山で採れた鉄分の多い炭特有の赤錆色の粒が含まれていた。第二倉庫から消えた記録上の黒炭も、まったく同じ精製所から納められている。偶然で片づけるには、量も時期も一致しすぎていた。リュシエナは長机に広げられた帳簿を見つめた。使用人棟へ支給済みとされながら、実際には届いていなかった薪。その不足を埋めるはずだった黒炭は別の経路へ流され、一部は彼女を貪欲な監査官に見せるため自室へ運び込まれ、別の一部は地下墓所の罠へ使われた可能性が高い。最初はただの横流しに見えた不正が、王宮内の暗殺準備へ姿を変えている。「第二倉庫だけではありません」セイグが帳簿の別頁を開いた。「物資局本部から出された移送指示が三件あります。すべて『保管場所変更』として処理されている」カルネアが覗き込む。「誰の承認だ」セイグの指が署名欄へ止まった。そこに書かれていた名を見て、部屋の空気が僅かに変わる。ダルグ・レグラード。宮務卿エルグラドの実弟であり、王宮物資局副長。燃料、油、厨房用品、寝具、清掃用品といった軍事物資以外の大半を扱い、複数の倉庫へ出入りする権限を持つ人物だった。「副長なら、黒炭を帳簿上だけ動かせる」カルネアが低く言う。「薪の数字を書き換えても、現場まで確認されなければ分からない」リュシエナは黙って記録を追った。薪四百束。黒炭二十箱。精製油十二樽。細かな品目へ分散されているため、一件ずつ見れば大きな額には見えない。しかし一年分を合計すれば相当な量になる。さらに、その不足を別の低品質な品で穴埋めした記録や、架空の修繕費として処理した形跡まで残っていた。「売ったのでしょうか」「可能性は高い」セイグは別の紙を出した。「城下の燃料商に照会した。王宮印のない黒炭が何度か市場へ流れている」「その利益が、反乱派へ?」リュシエナの問いに、セイグはすぐには頷かなかった。「まだ断定できない。だが、ダルグの収入では説明できない金の動きがある」扉が開いた。宮務卿エルグラドが入ってくる。昨夜からほとんど休んでいないのだろう。白髪交じりの黒髪はいつも通り整えられてい
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第42話 もう一人の王子

旧離宮から持ち帰られた幼児用の銀首輪は、王宮の記録室で夜を越した。小さな首輪は黒布の上へ置かれ、左右を二人の衛兵に守られている。外側には幼子用とは思えないほど精緻な黒狼と月の意匠が刻まれ、内側には王家の工房で作られたことを示す古い刻印が残っていた。銀は十八年という歳月を経て鈍く曇っていたが、持ち主の名だけは深く彫られているため、灯火を傾ければ今でも明瞭に読める。レグナード・ノクスハルト。リュシエナはその名を見つめたまま、指先を首輪へ近づけなかった。銀毒への警戒もあるが、それ以上に、自分が長年身につけていた月環と似た形をしたものへ触れることへの抵抗が残っている。幼児の首に合わせた細い輪を見ていると、その子が自分の意思を持つより前から、血筋と役割だけを刻みつけられていたように思えた。「記録がありました」セイグが扉を開けて入ってきた。両腕には革張りの古い台帳が抱えられ、その後ろから宮務卿エルグラドと侍従長オルネスも続いている。オルネスは地下墓所で負った脚の傷のため杖を使い、背中にもまだ厚い包帯が巻かれていたが、自分が関わった十八年前のことだからと調査への同席を譲らなかった。セイグが一冊を開く。「レグナード・ノクスハルト。グレイヴァルの長男。反乱当時、十一歳」リュシエナは顔を上げた。「ヴァルゼイン陛下と、ほとんど同じ年齢なのですね」「ああ。陛下より一年ほど上だ」記録によれば、グレイヴァルの処刑から七日後、妻と息子も王都北部で死亡したことになっていた。追放途中に乗っていた馬車が谷へ転落し、雪崩に巻き込まれたと書かれている。しかし遺体確認欄には、通常必要な軍医の署名がなかった。代わりに記されているのは、馬車の破片と血痕を確認したという二行だけだった。「遺体がない」カルネアが低く言った。別の机で軍務記録を確認していた彼女は、椅子の背へ腕をかけながら眉間に皺を寄せる。「母親も子どもも?」「確認されていない」セイグが答える。室内へ重い沈黙が落ちる。やがて、全員の視線がオルネスへ向いた。老侍従は顔色を失っていた。「私は……」杖を握る指が震える。「逃がした女から、子どもの名を聞いておりませんでした」「本当に?」カルネアの問いは鋭かったが、オルネスは目を逸らさなかった。「はい。あの方は、自分をグレイヴァル様に仕えた書記の妻だと名乗りま
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第43話 月神殿の赦免状

銀嶺狼群からの使者が黒曜城へ到着したのは、リュシエナが三枚の書類へ一つも署名できないまま朝を迎えた直後だった。夜通し降っていた雪は明け方にやみ、城壁の上には薄い青空が広がっていたが、北門から入ってきた一行の外套には長旅の雪が白くこびりついている。先頭の男は月神殿の使者だけが着用を許される灰銀色の法衣を纏い、胸には三日月と三本柱を組み合わせた徽章を下げていた。その紋を見た瞬間、リュシエナの首筋には、もう外されて久しい月環がそこにあるかのような冷たさが蘇った。会談は評議室ではなく、王宮東側の小応接室で行われた。大人数で囲めば威圧と受け取られるというエルグラドの判断で、同席したのはヴァルゼイン、セイグ、そしてリュシエナだけだった。使者は四十代ほどの痩せた男で、礼儀正しく頭を下げたものの、月灰色の瞳を持つリュシエナを見る時だけ、何かを測るような静かな視線を向けてくる。「リュシエナ・フェルディス殿へ、月神殿より正式な書状をお持ちしました」久しぶりに家名まで呼ばれ、リュシエナの指が膝の上でわずかに強張った。父からは追放の夜、二度とフェルディスの名を使うなと言われている。それなのに今になって、彼らの方からその名を戻してくることへ、不思議な息苦しさを覚えた。使者は銀灰色の筒から、一枚の羊皮紙を取り出した。月神殿の正式な封印が押され、下部には月祠長オルディスの署名がある。「先般、月印盗難の嫌疑によって追放処分を受けた件につき、再調査の結果、リュシエナ殿が直接持ち出したと断定できる証拠は不十分であったと認められました。よって罪を取り消し、銀嶺狼群への帰還を許可するとのことです」罪を取り消す。帰還を許す。その言葉を聞いても、安堵はなかった。リュシエナは書状を受け取らず、机の上に置かれたままの羊皮紙を見つめた。「証拠が不十分だったから、ですか」「はい」「私が盗んでいないと認めたのではなく?」使者の目が一瞬動く。「月神殿の文言としては、そのようになります」リュシエナは息を吐いた。あの夜、自分は何も盗んでいないと何度も言った。それでも父もローディクも月神殿も聞かなかった。今になって罪を消すと言われても、間違っていたと認める言葉はどこにもない。「条件があるのでしょう」使者はわずかに目を細めた。「聡明でいらっしゃる」褒められたとは思わなかった。男は二枚目の
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第44話 帰らないという返事

返書の最初の一文を書くまでに、リュシエナは半刻近くかかった。朝の光はすでに執務室の窓から机の中央まで届き、黒木の天板へ細長い白を落としている。暖炉では乾いた薪が静かに爆ぜ、そのたびに薬草棚の硝子瓶がかすかに揺れた。机の端には、月神殿から届いた赦免状と父ガルディオの手紙が重ねて置かれている。昨夜は命令として扱わないため、わざと自分から遠い場所へ置いた紙だった。手元には新しい便箋が一枚。筆先へ墨を含ませては、紙へ触れる前に止める。以前、父へ書こうとした手紙を思い出した。何を尋ねたいのかも、何に怒っているのかも分かっていたはずなのに、最初に出てきたのはいつも謝罪だった。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。心配をかけて申し訳ありません。期待に応えられず申し訳ありません。自分が追放され、殺されかけ、幼い頃から毒を飲まされていた可能性があると知った後でさえ、紙へ向かえば謝ろうとしていた。それほど深く染みついていた。リュシエナは一度筆を置き、指を開いた。掌へ薄く汗が滲んでいる。胸の奥では銀色の狼が静かに伏せていた。急かさない。怒らない。ただ、自分が何を書くのか待っているように感じられる。「謝らない」声にしてみる。小さな言葉だったが、誰もいない部屋では思った以上にはっきり響いた。もう一度筆を取る。墨が白い紙へ触れる。最初の一文字を書く時、指先が僅かに震えた。それでも止めなかった。『私は、銀嶺狼群へ戻りません』書き終える。胸の奥で何かが切れたような感覚はなかった。代わりに、ずっと締めつけられていた紐が少し緩んだような、静かな呼吸が戻ってきた。リュシエナはその一文を何度も読み返した。冷たいだろうか。親不孝だろうか。妹を見捨てる女だと思われるだろうか。考えれば、いくらでも不安は出てくる。けれど一文を消そうとは思わなかった。続けて、事実を書く。自分は月印を盗んでいない。追放の際に正式な審理を受ける機会も与えられず、その後、銀嶺狼群の装備を持つ者たちから命を狙われた。長年服用していた滋養薬から月毒と一致する成分が検出され、獣魂を封じる目的で投与された可能性がある。これらについて、銀嶺狼群と月神殿へ正式な説明を求める。書きながら、何度も手が止まった。誰が自分を殺そうとしたのか。父がどこまで知っていたのか。ラヴィナは
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第45話 銀色の狼の爪

襲撃された月神殿の使者が意識を取り戻したのは、夜明けから二刻ほど過ぎた頃だった。肩から背中へ深い斬創を受け、脇腹にも短剣の傷が残っていたが、ネルーヴァの処置によって出血は止まり、命に別状はないという。治療室の寝台で青白い顔をしている男は、昨日までリュシエナへ向けていた硬い尊大さを失い、黒曜城の天井を見上げながら浅い呼吸を繰り返していた。王国間の使者を襲った者が黒曜兵の制服を着ていたことだけは、彼自身もはっきり覚えているらしい。「三人でした。最初は、護衛の交代だと思ったのです」掠れた声で使者が話す間、リュシエナは寝台のそばに置かれた破れた外套を見ていた。黒曜狼国の紋をつけた兵士が街道を塞ぎ、護衛が身分を確かめようとした瞬間に剣を抜いたという。返書を奪おうとした一人を護衛が負傷させ、残る二人は使者を殺しきれないまま王都方面へ逃走した。現場を捜索したカルネア隊は一人分の血痕を追ったものの、王都の旧市街近くで足跡を失っている。「この外套を調べてもいいですか」リュシエナが尋ねると、使者は疲れた目を向けた。昨日なら、黒狼王に支配された女が何をするつもりだと疑ったかもしれない。それでも今は、自分の傷を治療した黒曜の治療師と、返書を取り戻すため動いているリュシエナを拒むほどの力が残っていなかったらしい。「……好きになさい」リュシエナは手袋をはめ、外套の裾を広げた。雪道を引きずられたため泥が厚く付着しているが、その中に王都北側の赤土とは違う灰黒色の泥が混じっている。指で直接触れず、小匙ですくって香りを確かめると、水苔と鉄、それから古い石灰の匂いがした。銀嶺で薬草採取をしていた頃、雪解け水の流れ込む洞穴で何度も嗅いだ匂いに似ている。セイグが横から覗き込む。「分かるか」「地下を通った泥です。流れのある水辺だと思います」王都には古い地下水路がある。現在使われている排水路だけではなく、城下町がまだ小さかった時代に造られた石造りの暗渠が何本も残されていると、エルグラドから聞いていた。カルネアたちが追った血痕が旧市街で途切れたのなら、地上から姿を消したのではなく、地下へ降りた可能性が高い。昼前には、水路へ入った痕跡が見つかった。古い染物工房の裏手にある排水口の鉄格子が切られ、内側の石へ新しい血が付いている。さらに格子の周囲からは、黒曜王宮の兵士が冬靴へ使う油まで採取された
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第46話 客人を追放せよ

王宮前の広場に人が集まり始めたのは、朝の鐘が二度鳴るより前だった。最初は十数人ほどだったという。商店を開く前に様子を見に来た者、王宮へ荷を運ぶ途中で足を止めた者、その程度の小さな集まりだった。ところが昼に近づくにつれ人数は増え、雪の残る広場を黒や灰色の外套が埋めるようになった。城壁の内側へいても、風に乗って人々の声が届くほどだった。リュシエナは二階の窓辺に立ち、厚い硝子越しに広場を見下ろしていた。「銀狼の女を追い出せ!」誰かの声が上がる。「王が番に惑わされている!」別の場所から叫びが返る。「客人一人を追い出せば、戦争は防げる!」その言葉に同意するようなざわめきが広がった。リュシエナは窓枠へ置いた指を静かに握った。胸の奥が痛む。石を投げられたわけではない。誰かに直接罵倒されたわけでもない。それでも、自分の存在そのものが災いとして数えられていることは、銀嶺で「月なし」と呼ばれていた頃とよく似ていた。ただ、完全に同じではない。広場にいる者たちすべてが、反乱派から金を受け取った扇動者ではなかった。セイグが集めた報告では、群衆の中には実際に金を渡されて声を上げている者がいる。酒場で銀貨を配り、「異国の女が王を狂わせた」と言い回っている者も確認されていた。だが同時に、何の関係もない市民も多かった。祝宴で王が暗殺されかけ、地下墓所が爆破され、銀嶺の使者まで襲われた。王都の門が閉じられる日も増え、商人は交易が止まることを恐れ、子どもを持つ親は戦争の噂に眠れなくなっている。「怖いのですね」リュシエナが呟く。隣にいたカルネアが腕を組んだ。「だからって、お前を追い出していい理由にはならない」「いい理由だと思っている人もいるのでしょう」「そいつら全員が正しいわけじゃない」「でも、全部間違っているとも言えません」カルネアが顔を向けた。リュシエナは広場から目を離さなかった。「私が来てから、王宮で事件が続いています」「お前が起こしたわけじゃない」「分かっています」以前なら、そこで「私のせいです」と言っただろう。今は違う。原因と結果を分けられる。それでも、自分が狙われることで周囲に危険が及んでいるという事実まで否定する必要はない。「だから、考えなければいけません」カルネアの眉が寄る。「何を」「私がここにいることで、どれだけの危険が増
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第47話 開かれた東門

翌日の夜、黒曜王宮の東門は予定どおり開かれた。冬の空には雲が薄く広がり、月はその向こうで白く滲んでいる。城壁の外へ続く街道には新しい雪が積もり、門前には黒曜狼国の紋章を外した簡素な馬車と、旅装を整えた護衛が四人だけ待っていた。行き先を示す旗も、目的地を記した札もない。どこへ向かうかを決める権利が、最後までリュシエナの手に残されていることを示すためだった。部屋を出る前、リュシエナは荷物を一つにまとめた。母が遺した灰色の外套、薬草帳、数着の衣服、ネルーヴァから渡された薬、それから黒曜王宮で正式に支給された俸給の一部だけである。監査印は胸元に着けたままにした。王宮を去れば返却する必要があると分かっていたが、まだ門を越えるまでは自分が薬糧監査官であることを手放したくなかった。母の外套を肩へ掛けると、追放された夜の冷気が記憶の奥から蘇った。あの時も、この外套だけは手元に残った。財布も短剣も家門の徽章も奪われ、薄い靴のまま雪へ放り出された自分を包んだ唯一のものだった。同じ布を纏っているのに、今は腰に金貨があり、薬もあり、自分で選んだ荷物がある。その違いを確かめるように、リュシエナは外套の胸元を一度強く握ってから扉を開けた。回廊へ出ると、通りかかった使用人たちが一斉に足を止めた。彼女の旅装を見た瞬間、何人かの顔に驚きが浮かび、その後すぐ道が開けられる。誰も露骨には尋ねなかったが、去るのだと思われていることは視線だけで分かった。それでも以前のような敵意ばかりではなく、北部の村から戻った後に挨拶をするようになった侍女や、薪の支給を見直した時に顔を覚えた若い使用人まで、黙って頭を下げている者がいた。階段の下ではカルネアが待っていた。いつもの軍装ではなく、厚い黒革の外套を纏い、腕を組んで壁へ寄りかかっている。リュシエナが近づくと荷物へ一度だけ視線を落としたものの、引き止める言葉は口にしなかった。代わりに、胸元の監査印を見て僅かに眉を上げる。「それはまだ返さないのか」「門を出てから返そうと思っています」「律儀だな」「借りたものですから」カルネアは一瞬だけ笑い、それから表情を戻した。目には寂しさのようなものがあったが、口調は普段と変わらない。「王が選択を与えた以上、私が奪うことはできない。だから残れとは言わない」「ありがとうございます」「ただし、どこへ行っても剣の持
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