(だけど、もし――大翔さんが嘘をついているとしたら) 深い慈愛を滲ませて過去を語る大翔の眼差しを受け止めながらも、理聖の胸の奥深くでは、冷たい氷のような理性が静かに警鐘を鳴らしていた。 この男が語る恩義や家族としての絆は、あまりにも美しく、自身の空白の心を埋めるには十分すぎるほど温かい。 しかし、自分には何ひとつ記憶がないのだ。自分が白紙の状態であることをいいことに、組織の跡取りを繋ぎ止めるため、都合よく過去を捏造している可能性がないとも言いきれなかった。 それに、恩人という言葉を使うのであれば、和花こそが自分にとって唯一無二の命の恩人だった。 土砂降りの雨の夜、ゴミ捨て場の冷たいアスファルトの上で死にかけていた見ず知らずの自分を拾い上げ、手当てをし、温かい食事と居場所を与えてくれたのは彼女だ。記憶がない自分の不安ごと丸ごと包み込み、迷いなく愛を注いでくれた。 何より、和花と過ごした日々や彼女との絆は、記憶喪失という絶望の後で、理聖自身の明確な意志によって築き上げてきた確かな現実だ。だからこそ、彼女の温もりには一切の嘘がないと断言できた。 目の前に座る大翔の態度からは、敵意など微塵も感じ取れない。言葉の端々からは親代わりの情愛があふれ出ているようにさえ見える。 だが、相手は深凪組の頂点に君臨するトップなのだ。 ただのきれい事や人情だけで裏社会を生き抜いてきた男であるはずがない。 少しでも油断してこちらの情報を渡しすぎれば、自分のみならず、和花や梓の日常までをも危険に晒すことになりかねない。 理聖は身体に染み付いた本能的な警戒心を鋭く研ぎ澄ませた。「……ところで、理聖」 応接ソファに深く背を預けた大翔が、穏やかな声色で問いかけてくる。「お前は川に落ちて姿を消したあの日から、いったいどう過ごしていたんだ? 誰かの世話になってでもいたのかい?」 大翔の左目が、理聖の表情のわずかな変化さえ見逃すまいと、静かに見つめていた。 和花のことだけは、絶対に悟られてはならない。組織に彼女の存在が知られれば、自分を引き戻すため、あるいは敵対組織からの標的として人質に利用されるのは火を見るより明らかだった。 理聖は顔色ひとつ変えず、静かに口を開いた。「……日雇いの仕事などで少しずつ小銭を稼いでは、安い宿を転々として生きていました。自分が誰かもわからな
Last Updated : 2026-08-14 Read more