All Chapters of 離婚直後に拾った彼は、私を溺愛する危険な同居人でした: Chapter 11 - Chapter 20

95 Chapters

11.好きです

 芽流の無様な捨て台詞が虚空に消えた後、二人は周囲の視線が集まる前に、足早にアパートへと戻った。 まさか初めての外出で、元夫と出くわしてしまうとは夢にも思わなかった。玄関の鍵を閉め、靴を脱ぎながら和花は深くため息をついた。「理聖さん、お恥ずかしいところをお見せしてしまい、本当にすみませんでした……」 リビングのソファーに腰を下ろすと、和花は消え入りそうな声で謝罪した。 理聖はキッチンで手早く二人分の温かいお茶を淹れ、和花の前にそっとマグカップを置いた。「いえ。和花さん、色々と大変だったんですね」 理聖は和花の隣に座り、穏やかな口調で労わった。 あの短いやり取りだけで、和花が元夫からどれほど身勝手な扱いを受け、苦労を重ねてきたのかを正確に推測してくれたのだ。その優しさが、ささくれた心にじんわりと染み込んでいく。「なんであんな人と結婚したのかって、今では自分でも不思議に思うんですけどね……。学生時代からの付き合いだったので、若さゆえの恋愛補正って恐ろしいです」 自嘲気味に笑う和花に、理聖はふわりと目を細めた。「ふふ、人は時間と共に変わってしまうこともありますし、難しいですよね。でも、今の和花さんは、とても魅力的ですよ」「えっ……」 不意に落とされた甘い言葉に、和花は頬を熱くした。 誤魔化すようにマグカップに口をつけ、少しだけ前のめりになって話題を変える。「そ、そういえば! あのときの投げ飛ばし、すごくかっこよかったです。力任せではなくて、相手の向かってくる勢いを上手く利用していましたよね。とても綺麗な体捌きでした」「あはは、なんかスムーズに身体が動いてしまいました。記憶はなかなか戻りませんが、骨の髄まで染み付いている技術や無意識の反応といったものは、どうやら消えていないようですね」 理聖は自分の両手を見つめながら、少しだけ寂しそうに微笑んだ。 そして、彼は立ち上がり、部屋の隅に置いてある黒いビジネスバッグから、あの冷たい金属の塊――拳銃を取り出した。「きっと……」 理聖は慣れた手つきで拳銃の重さを確かめるように握り、伏し目がちに銃身を見つめた。「これの引き金の引き方なんかも、頭ではなく感覚的に覚えているんだろうな」 記憶がなくても、自分の背中を覆う和彫りの刺青や、鞄に詰め込まれた数千万円の札束、そして本物の拳銃が意味するものを
last updateLast Updated : 2026-08-04
Read more

12.平穏を裂くドアベル

 あのお互いの気持ちを確かめ合った告白の夜から、数週間が経過した。 理聖の記憶は依然として戻らないままだが、幸いなことに彼を追うような不穏な影が姿を現すこともなく、二人は平穏な日々を過ごせていた。  ただ一つ大きく変わったことといえば、二人の間に流れる空気が、同居人から確かな〝恋人〟のものへと変化したことだ。  朝出かける前の優しい口づけも、夜ソファーで身を寄せ合う時間も、今では和花にとって手放せない大切な日常となっていた。 3月14日。世間はホワイトデー当日を迎えていた。  和花が働く花屋〝フルリール〟は、朝からひっきりなしに訪れる男性客でごった返していた。  普段は女性客が多い店内だが、今日ばかりは勝手が違う。恋人や妻へのお返しに花を贈ろうとする男性たちが、照れくさそうにショーケースを覗き込んでいるのだ。「こちら、ご予約いただいていた深紅の薔薇100本の花束です。プロポーズ、頑張ってくださいね」 店長の梓が、抱えきれないほどの大きな花束をスーツ姿の男性に手渡し、穏やかな笑顔でエールを送っている。  和花も次々と入るラッピングの注文を、手際よくこなしていった。 目の回るような忙しさのピークを越え、二人は交代でようやく遅めの昼休憩に入った。  バックヤードのテーブルで向かい合って座ると、梓は温かい紅茶を淹れながら、和花の顔をまじまじと見つめた。「和花ちゃん、最近すごく肌ツヤがいいわね。あの〝不思議な出会い〟の人とは、順調そうじゃない」 梓の鋭い指摘に、和花は思わず肩を揺らした。そして、目の前に広げたお弁当箱へと視線を落とす。  綺麗に詰められているのは、艶やかなタレが絡んだピーマンの肉詰め、丁寧に飾り切りされた花形の人参のグラッセ、可愛らしいたこさんウィンナー。それに、きんぴらごぼうと彩りの良いミニトマトが添えられ、主食は丸く握られた梅おにぎりだ。「これ、和花ちゃんが自分で作ったんじゃないわよね? その彼に作ってもらってるんでしょう?」 梓がからかうように目を細める。「あ……バレました?」 和花は隠しきれない喜びを滲ませ、うふふと幸せそうに笑った。 「お料理、私よりもずっと上手なんです。栄養バランスや彩りを考えるのも得意みたいで。毎日美味しいご飯を作って待っていてくれる人がいるって、こんなに満たされるんですね。梓さんの祈りのお
last updateLast Updated : 2026-08-05
Read more

13.返り討ち

「おい、薔薇100本の花束、今すぐ作れよ」 周囲に他のお客様がいることなどお構いなしに、芽流の横柄な声が店内に響き渡る。「恵美とよりを戻すんだよ。あいつ、派手なのが好きだからな。パーッと100本くらい持っていきゃ、機嫌直すだろ」 浮気相手と喧嘩別れしたと公園で喚いていたが、どうやら復縁を迫るつもりらしい。  それにしても、慰謝料も払わずに追い出された元妻の職場で、浮気相手へのプレゼントを用意させようとするその神経には、呆れを通り越して感心すら覚えた。  和花は表情を崩さず、温度を持たない声で淡々と告げた。「申し訳ありません。本日はホワイトデーということもあり、ご予約分で在庫がありません」 「はあ? 元旦那が頼んでやってるのに、融通も利かねぇの?」 芽流が大きな声を上げると、店内で花を選んでいた他のお客様たちが、驚いてこちらに視線を向けてきた。「お前、あれだろ。自分には花束なんて一度も貰ったことないからって嫉妬してんだろ」 勝ち誇ったような芽流の言葉に、和花は思わず深くため息をついた。  かつては彼に愛されたいと願い、花の一本でもプレゼントしてくれたらと夢見たこともあった。しかし、今の和花には、そんな過去の自分が可哀想に思えるだけだ。  どうやって彼を追い出そうかと思案したその時、バックヤードから店長の梓が静かに現れた。「お客様。大変申し訳ございませんが、当店では特別なご予約がない限り、大量の薔薇を即座にご用意することはいたしかねます。また、大きなお声は他のお客様のご迷惑となりますので、お引き取りいただけますでしょうか」 梓の毅然とした態度と、有無を言わさない完璧な営業スマイル。その静かなる迫力に圧倒されたのか、芽流は「……チッ、使えねぇ店だな!」と悪態をつきながら、そそくさと店を出ていった。 店が落ち着いた後、バックヤードで梓が心配そうに眉を下げる。「あれが噂の……厄介そうね。和花ちゃん大丈夫?」 「はい。すみません。助かりました」 「いいのよ。何かあったら、一人で抱え込まずにすぐに連絡するのよ」 梓の温かい気遣いに何度もお礼を言い、和花は退店の準備を終えた。  すっかり日が落ちて、冷たい夜風が吹き抜ける帰り道。  理聖が待つアパートへ急ごうと路地裏に差し掛かった時、街灯の影からヌッと人影が立ち塞がった。「さっきはよくも
last updateLast Updated : 2026-08-05
Read more

14.ホワイトデー

 暗闇に潜む不気味な視線の気配を振り払うようにして、和花は足早にアパートへの階段を駆け上がった。 背後を何度も振り返りながら、震える手で鍵を開ける。 重い鉄の扉の向こう側には、外の冷たい空気や淀んだ悪意とは無縁の、温かく幸福な空間が広がっていた。 玄関に入った途端、ふわりと鼻をくすぐる濃厚なデミグラスの香りに包まれる。元夫から浴びせられた暴言の数々や、正体不明の視線への恐怖で強張っていた身体から、ふっと力が抜けていった。「おかえりなさい、和花さん!」 リビングから小走りでやってきたエプロン姿の理聖が、ぐったりと壁に寄りかかっていた和花の身体を、迷うことなくぎゅっと抱きしめてくれた。 彼の大きな胸にすっぽりと包まれ、柔らかな温もりと微かな甘い香りに触れると、一日中張り詰めていた心の糸がほどけていく。「ただいま……理聖さん。すごく、いい匂いがします」 和花が理聖の背中に腕を回して顔を埋めると、彼は愛おしそうに和花の髪を撫でてくれた。 ダイニングテーブルに案内されると、そこには高級レストラン顔負けの豪華な夕食が並んでいた。 丁寧に何時間も煮込まれたであろう、つややかなビーフシチュー。オーブンから出したばかりの、ふっくらと焼き上がった手作りの塩パン。そして、鮮やかなオレンジ色が目を引く、手作りにんじんドレッシングのサラダだ。「今日はホワイトデーですからね。食後ちょうどに焼き上がるように、あつあつのフォンダンショコラも仕込んでありますよ」 理聖が誇らしげに微笑む。 色々あった一日の終わりに、自分のためだけにこんなにも温かい居場所と極上の食事が用意されている。 その事実に、和花の目の奥がツンと熱くなり、思わず泣きそうになってしまった。「理聖さん……本当に、ありがとうございます」 震える声で感謝を伝え、二人で綺麗に手を合わせる。「いただきます」 熱々のビーフシチューは、口に入れた瞬間にとろけるようなお肉の柔らかさだった。 塩パンのバターの香りが食欲をそそり、手作りドレッシングの程よい酸味が疲れた身体に染み渡る。 和花は夢中で絶品の料理を平らげた。 食後に運ばれてきたフォンダンショコラも、ナイフを入れると中から濃厚なチョコレートがとろりと溢れ出し、冷え切った心を芯から甘く溶かしていった。 美味しい食事と甘いデザートを満喫した後、二人の間
last updateLast Updated : 2026-08-06
Read more

15.最初の一ページ

 甘くとろけるような夜が明け、穏やかな休日の朝が訪れた。 昨夜の温かな余韻がまだ肌に残る中、身支度を整えた和花と理聖は、約束通り新しいスマートフォンと手帳を買いに街へと出かけた。 春の柔らかな陽射しが心地よく、並んで歩くだけで心がふわりと浮き立つ。理聖の大きな手が和花の右手をそっと包み込んでおり、その温もりが和花に確かな安心感を与えていた。 駅前にある携帯電話ショップに入り、案内された手続きのカウンターに二人で並んで座る。 店員から身分証明書の提示を求められた時、理聖の顔にわずかな翳りが落ちた。記憶喪失の彼は、自分が何者かを証明する免許証も保険証も、一切持ち合わせていないのだ。 和花は彼の申し訳なさそうな心情を察し、迷うことなく自分の財布から運転免許証を取り出した。「理聖さんは身分証がないですし、とりあえず私名義で契約しますね」 事もなげに言う和花に対し、理聖は驚いたように切れ長な目を丸くし、慌てて和花の方へと顔を寄せた。「でも、それじゃ和花さんに迷惑が……。ただでさえ居候の身で頼りきりなのに、これ以上の負担をかけるわけにはいきません」 彼の真面目すぎる性格と、深い思いやりに、和花はふわりと優しい微笑みを返した。「恋人なんですから、そのくらい頼ってください。それに、理聖さんと連絡が取れないと、私の方が不安になってしまいますから」 〝恋人〟という甘い響きに、理聖の端正な顔立ちがパッと明るく色づく。「……はい。ありがとうございます、和花さん」 嬉しそうにはにかむ彼の笑顔は、とても裏社会に関わっていたかもしれない危険な人物には見えない。担当していた女性店員も、理聖のあまりの美しさと二人の仲睦まじい様子に、微笑ましく見守ってくれていた。 無事に契約手続きを済ませ、真新しいスマートフォンを手にした理聖は、どこか不思議そうな手つきで滑らかな画面を操作していた。 指の動かし方からして、スマートフォン自体は使い慣れているようだが、記憶がないためか少し戸惑っているのが可愛らしい。「ふふ、なんだか新鮮ですね。まずは、私の連絡先を一番に登録させてください」 和花が自分の電話番号を教えると、理聖の連絡帳の一件目に〝佐伯和花〟という名前が登録された。 たったそれだけのことなのに、お互いの繋がりが目に見える確かな形になったようで、和花の胸の奥がじんわりと温
last updateLast Updated : 2026-08-06
Read more

16.暴かれた正体

 夕食の食材をたっぷりと買い込み、二人は帰路についていた。「理聖さんの肉じゃが、とても楽しみです」「期待していてください。お出汁をしっかり染み込ませますから」 他愛ない会話を交わしながら、自然な動作で手を繋いで歩く。理聖の左手にはスーパーの袋が提げられており、右手は和花の左手を優しく、けれどしっかりと包み込んでいた。 夕闇が深まり、住宅街を抜けて人通りの少ない裏通りへと差し掛かった、その瞬間だった。 理聖の纏う空気が、一瞬にして氷のように張り詰めた。「伏せて!」 鋭い声と共に、繋いだ手を思い切り真下へと引き込まれる。 和花が体勢を崩して屈み込んだ直後、頭上の空気を切り裂くように乾いた破裂音が響き、すぐそばの電柱からコンクリートの破片が弾け飛んだ。 銃声。その事実に思考が追いつく間もなく、理聖は左手の袋を手放し、弾かれたように前方へと飛び出していた。 薄闇の奥に潜んでいたのは、銃を構えた黒ずくめの男だった。 理聖は自身の内ポケットにある銃を抜くよりも早く、肉弾戦を仕掛けた。目にも留まらぬ速さで距離を詰め、鋭い踏み込みから右足の回し蹴りを放つ。 ゴッ、という鈍い音が響き、蹴りは見事に男の腕を捉えた。体勢を崩した男の手から、サイレンサー付きの拳銃が遠くへと蹴り飛ばされる。 理聖はそのまま男の右手を革靴の底で容赦なく踏み潰し、冷たいアスファルトの上へと完全に拘束した。 そこまでの一連の動作は、瞬きすら許されないほど流麗で無駄のない体捌きだった。男の反撃を完全に封じた上で、理聖はここで初めて自身のコートから冷たい金属の塊を引き抜き、うつ伏せになった男の額に銃口を突き付けた。「……どちら様かな?」「……ッ、どちら様……だと!?」 苦痛に顔を歪めていた男は、理聖から放たれた思いがけない言葉に、信じられないものを見るように目をかっぴらいた。 そして、理聖がわずかに視線を動かした隙を突き、踏みつけられていた腕を強引に引き抜くと、獣のように後方へと飛び退いた。「ふざけているのか? 俺の顔を忘れたとでも言うつもりか」「…………」 殺気を放ちながら凄む男に対し、理聖は本当に何もわかっていない様子で、ただ冷ややかに銃口を向けたまま無言を貫いている。演技ではないと悟ったのか、男の顔に明確な戸惑いが浮かんだ。 その時だった。「大人しくしろ!」 背
last updateLast Updated : 2026-08-07
Read more

17.揺るがない覚悟

 散乱した食材を拾い集め、二人は逃げるようにアパートへと帰還した。 無事に鍵をかけ終えても、リビングにはこれまでにない重苦しい空気が漂っていた。 深凪組の若頭。次期四代目。 あの男から突きつけられた血生臭い事実が、理聖の心を分厚い雲のように覆い隠してしまっているのが、隣にいる和花にも痛いほど伝わってきた。「……夕飯、遅くなってしまいましたね。急いで肉じゃが作ります」 淀んだ空気を取り払うように、理聖は努めて明るい声を出してエプロンを身につけた。 和花もその背中を少しでも支えたくて、「私も手伝います!」と袖をまくり、キッチンに並んで立つ。 手渡されたピーラーを使い、不器用な手つきでじゃがいもの皮を剥き始めた。しかし、力を入れすぎているのか、皮というよりは実の部分まで分厚く削り取ってしまい、元の丸い形からかけ離れた、いびつな多面体――もはや角切りと呼ぶべき物体が次々と完成していく。「あはは……和花さん、それじゃあお肉よりもじゃがいもの方が小さくなってしまいますよ」「えっ? あ、本当だ……。料理って難しいですね」 あまりの不格好さに、二人は顔を見合わせて思わず吹き出した。ささやかな笑い声が、キッチンに立ち込めていた暗い空気を少しだけ和らげてくれる。「あのね、理聖さん」 小さくなってしまったじゃがいもをボウルに移しながら、和花は静かに口を開いた。「理聖さんは、理聖さんなので。前にも言いましたが、貴方がどんな過去を持っていても、私は構わないですから」「……僕は、和花さんが危険な目に遭うのは嫌だな」 理聖は手元を見つめたまま、絞り出すように本音をこぼした。彼の頭の中には、先ほど和花が男に羽交い締めにされそうになった恐怖の瞬間が焼き付いているのだろう。「私、強いので大丈夫です! 実際に見たでしょう?」 和花はわざと明るく胸を張ってみせた。「大範士の父に5歳の頃からみっちりと鍛え上げられていますから。今日みたいなチンピラなら、まだまだ投げ飛ばせますよ」「……だけど、極道……しかも若頭ってことは、組織の中でそれなりに悪いこともしてきたんだと思います。鞄に入っていたあの札束だって、きっと誰かを泣かせた汚いお金かもしれない」 理聖の声には、自分自身に対する激しい嫌悪と、そんな人間が陽だまりのような和花のそばにいていいのかという、深い葛藤が滲んでい
last updateLast Updated : 2026-08-07
Read more

18.突然の来訪者

 季節は静かに流れ、吹き抜ける風に初夏の気配が混じるゴールデンウィークを迎えていた。 理聖の素性が判明して以来、二人は不要な外出を極力控え、アパートの中でひっそりと身を寄せ合う日々を送っている。 穏やかな休日の朝。 理聖はリビングのローテーブルに布を広げ、真剣な眼差しで銃の手入れをしていた。 記憶は完全には戻っていないものの、実戦を経て、彼の身体は闘いの感覚や武器の扱い方を確実に思い出していた。 チャキッ、と金属が擦れ合う冷たい音が部屋に響く。 かつては裏社会の抗争で血を流すための道具だったかもしれない。だが、今の彼にとってこの冷酷な牙は、大切な和花を脅威から守り抜くための、ただ一つの武器となっていた。「理聖さん、少し休憩にしませんか?」 キッチンから声をかけ、和花は温かい湯気を立てるマグカップを二つテーブルに置いた。 連休に入る前、近所のケーキ屋でこっそり買っておいた焼き菓子と、お湯を注ぐだけのスティックタイプのカフェオレだ。「ああ、ありがとうございます」 理聖は素早く銃をケースにしまい込み、和花の方を向いて柔らかな笑みを浮かべた。 隣に座った和花を引き寄せ、理聖は甘い香りのする焼き菓子を一つ口にすると、そのまま和花の唇にチュッと軽い口づけを落とした。「ん……甘くて、美味しいですね」「も、もう。お菓子の方ですか、それとも……」「もちろん、両方ですよ」 とろけるような柔らかなムードに包まれ、和花が顔を赤らめたその時。 テーブルに置いていた和花のスマートフォンが、けたたましく着信音を鳴らした。「あ、すみません。少し出ますね」 和花が通話ボタンを押すと、電話の向こうから、のんびりとした京都訛りの声が聞こえてきた。『和花ちゃん、ええお天気やねぇ。元気にしとる?』 通話の相手は、ほわほわとした雰囲気を纏い、和花のことを溺愛している母だった。「お母さん、久しぶり。元気だよ!」『あのなぁ、今日はお父さんと一緒に、そっちの方まで所用で来とるんよ。せっかくやさかい、ちょっと顔見に寄ってもええやろか?』「えっ……!」 和花は思わず絶句し、隣に座る理聖をチラリと見た。 元夫と離婚したことは伝えてあるが、その日のうちに素性不明の美青年を拾い、同棲までしているなんて、過保護な両親に言えるわけがない。 和花が返事に窮していると、電話口か
last updateLast Updated : 2026-08-08
Read more

19.最強の家族

 張り詰めていた玄関での顔合わせをなんとかやり過ごし、和花は両親をリビングへと案内した。 先ほど理聖と食べるつもりで用意していた焼き菓子を少し多めに皿へ盛り付け、急いで温かい緑茶を淹れてテーブルに運ぶ。「急にごめんなさいね。お邪魔するわ」 一花がにこやかに微笑みながら湯呑みを受け取ると、隣に座った源蔵も渋い顔つきのまま無言で頷いた。「ううん、全然大丈夫。お父さん、道場の方は相変わらず毎日忙しいの?」 和花が向かいの席に座りながら尋ねると、源蔵は緑茶を一口すすり、鋭い眼光を少しだけ和らげた。「ああ、相変わらず毎日門下生たちの稽古で忙しくしている。和花、お前も最近は顔を出さないが、腕が鈍っているんじゃないか? たまには実家に帰ってきて、道場で汗を流しなさい」「もう、お父さんったら。毎日花屋の仕事で体力使ってるから、鈍ってなんていないよ。この間だって……あっ」 裏通りで襲ってきた男を背負い投げしたことをうっかり口走りそうになり、和花は慌てて口をつぐんだ。隣に座る理聖が、誤魔化すようにそっと咳払いをする。「それにしても、和花ちゃんはちゃんと自炊できとるんやろか。そこが一番心配やわぁ」 一花が小首を傾げる。「お母さんに言われたくないよ。お母さんの作るご飯は……その、独創的すぎるんだから」「和花の言う通りだ。一花の料理は、もはやダークマターだからな……。この前も得体の知れない煮込み料理を出されて、3日は腹を下した」 源蔵が心底うんざりしたようにため息をつく。普段は威厳たっぷりの大範士が、妻の料理の前では形無しになるのは昔からのお約束だった。「まあ、ひどいわ。愛情たっぷりに作っとるのに」 一花はクスクスと上品に笑っている。和花も料理の腕前は母親譲りで絶望的だが、今の彼女には心強い味方がいた。「でも安心して。理聖さんがお料理すごく得意だから、毎日美味しいご飯を作ってくれてるの。栄養バランスも彩りもばっちりなんだから」 和花が誇らしげに言うと、理聖は謙遜するように少しだけ肩をすくめた。「いえ、和花さんがいつも一生懸命働いてくれているので、せめて食事くらいはと……」 和やかな雑談が続く中、一花がふと湯呑みを置き、微笑みを絶やさないまま理聖へと視線を向けた。「理聖さん、お料理上手なんて素敵やねぇ。……せやけど、ちょっと気になったんやけど」 一花
last updateLast Updated : 2026-08-08
Read more

20.攫われた店長

 重厚な革張りのソファが並ぶ、深凪組の本家事務所。紫煙のくゆる静まり返った応接室に、緊張感に満ちた低い声が響いた。「――間違いありません。久世理聖は生きています」 深々と頭を下げて報告するのは、若頭補佐である榊原義宗の腹心であり、実行部隊のリーダーを務める九条隼人だった。  榊原は黒い高級スーツを隙なく着こなし、手元の葉巻を灰皿にゆっくりと押しつける。笑っていても目の笑わない冷徹な視線が、九条を鋭く射抜いた。「あの雨の夜、川へ沈めたはずだ。なぜ今頃になって姿を現した」 「どうやら転落した際の衝撃で、自分の名前以外の記憶を失っているようです。ただ……戦闘の腕そのものは健在でした。裏通りで襲撃を仕掛けましたが、正面からやり合っては勝ち目は薄いかと」 九条の脳裏に、自身の腕を踏み潰し、銃口を額に突きつけてきた理聖の冷ややかな目が蘇る。「記憶がない若頭、か。傑作だな。だが、ぽっと出の若造に四代目の席を奪われるわけにはいかん。確実に息の根を止める手段はあるのだろうな」 「はっ。奴のそばには、同居している女がいました」 九条は口の端を嫌悪感とともに持ち上げる。「その女も多少は武術の心得があるようですが、久世にとっては代えがたい〝弱点〟であることに変わりありません。周囲を徹底的に洗い、そこから崩します」 「……いいだろう。手段は問わん。襲名披露が始まる前に、根絶やしにしろ」 榊原の冷酷な命令が、暗い事務所の空気を氷のように凍らせた。 ゴールデンウィークが明け、日差しには少しずつ夏の気配が混じり始めていた。  花屋〝フルリール〟の店先には、瑞々しい新緑の鉢植えや、淡いブルーのあじさい、芍薬といった初夏の花々が鮮やかに並んでいる。 和花はエプロンの袖をまくり、届いたばかりの初夏バラの水揚げを丁寧に行っていた。棘の処理をしながら、ふと背筋にチリチリとした嫌な悪寒が走る。(また……見られている気がする) ガラス越しの通りを視線で追うが、怪しい人影は見当たらない。元夫の芽流がまた懲りずに待ち伏せしているのだろうかと、和花は胸の奥で警戒を強める。 夕方になり、客足が遠のいた時間帯だった。  カランコロンとドアベルが鳴り、店内へ数人の男たちが歩み入ってきた。 黒いジャケットや柄物のシャツ
last updateLast Updated : 2026-08-09
Read more
PREV
123456
...
10
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status