和花の暮らすマンションのリビングには、穏やかな夜の時間が流れていた。 夕食を終えた後、理聖が淹れてくれた温かいダージリンティーの香りが、部屋の中をふわりと漂っている。 和花はマグカップを両手で包み込み、ゆっくりと口をつけて、小さく安堵の息を吐き出した。 重すぎる真実を知ってからというもの、和花の心は常に張り詰めていた。 だからこそ、こうして理聖と二人きりで過ごす何気ない日常が、今は何よりも愛おしく感じられる。 その平穏な空気を破るように、テーブルの上に置かれていた理聖のスマートフォンが短く震えた。 画面に表示された名前へ目を落とし、理聖は静かに通話ボタンを押す。「どうしました? 蘭華さん」『よっ。理聖、和花ちゃんと水入らずの時間を邪魔しちゃって悪いんだけどさ』 スピーカー越しに響いたのは、蘭華のいつも通り軽やかな声だった。『さっき事務所で錦戸に報告を済ませてきたんだけど、あんたの耳にも今の状況を入れておこうと思ってね』「ありがとうございます。……組長は、どのようにお考えですか?」 理聖が問いかけると、蘭華の口調からわずかに軽さが消えた。『まず、〝東川〟って男がいるの。榊原の元側近で、今も残党どもを裏から動かしてる奴』「……東川」 初めて聞く名前を、理聖は確かめるように繰り返す。『自分は表には出ないで、カタギのブローカーなんかを間に挟んで、女とか情報とか、金になるものを流してるみたい。榊原が死んだあとも残党がまとまって動けてたのは、そいつが裏で繋いでたからかもね』「その男を、すぐに捕らえるのですか?」『ううん。錦戸の指示は〝監視継続〟』 意外な答えに、理聖は僅かに眉を上げた。『東川ひとり捕まえたところで、下の連中が散っちゃったら面倒でしょ? だから、誰に金を流してるのか、誰と繋がってるのか、榊原派の残りカスがどこまで潜んでるのか……全部洗ってからまとめて片づけるって』「……なるほど」 東川という男が、榊原亡き後も残党を裏から繋ぎ止めている。 だが、理聖にはその男の顔も声も、過去に自分との接点があったのかさえ分からない。 自分が若頭として組にいた頃、東川と顔を合わせたことがあったのだろうか。 それすらも、失われた記憶の向こう側だった。『まあ、東川についてはアタシが引き続き張るから任せてよ』「ありがとうございます」
Last Updated : 2026-09-13 Read more