All Chapters of 八年前に死んだ私と再会した彼が、今度こそ私を手放さない: Chapter 101 - Chapter 103

103 Chapters

第101話:連絡先

「信じています」その一言に。エマは、思っていた以上に揺れた。玲は穏やかに笑っているだけだった。問いたださない。疑わない。黒木と何を話していたのかも。なぜあんなふうに見つめられていたのかも。何一つ聞かず。ただ、信じていると言った。その言葉が。妙に深く残った。八年前。エレナだった頃の自分は、玲に何度も信じてもらっていた。説明しなくても。全部言わなくても。最後には、自分の言葉を選んでくれる人だった。その記憶と。今。朝倉エマへ向けられた言葉が重なる。胸が苦しくなる。違う。今の玲は。エレナを信じているのではない。エマを信じると言った。その違いの方が。むしろ、エマには重かった。「……ありがとうございます」どうにか、それだけ返す。玲はそれ以上追わなかった。代わりに。視線が少し下へ落ちる。「それ」エマもつられて見る。折り返した袖の端。隠したつもりだった青緑の絵の具が、僅かに残っていた。「絵の具ですよね」「……はい」「この間の色、使ってみたんですか」一瞬。答えを濁そうとした。けれど。ここで否定する方が不自然だ。「少しだけ」エマは静かに答えた。玲の表情が、ほんの少し柔らかくなる。「そうですか」それだけだった。見せてください。何を描いているんですか。以前なら。そう聞かれていたかもしれない。けれど。玲は言わなかった。「無理に見たいと言うつもりはありません」先回りするように、静かに続ける。「エマさんが見せてもいいと思った時に、もしその日が来れば」エマは思わず玲を見る。「……最近、ずいぶん上手くなりましたね」「何がですか?」「予防線の張り方が」玲が一瞬、目を瞬いた。それから、少し笑う。「学習しているので」「私相手に?」「はい」あまりにも素直に答えられて。逆に困る。以前なら。押されれば拒絶する理由があった。でも。今の玲は。エマが嫌がるところでは止まる。逃げ道を残す。そのくせ。自分の気持ちだけは隠さない。その距離の取り方が。以前よりずっと厄介だった。「……皆さん、二階にいらっしゃるんですか?」エマは話を変えた。「はい。そろそろ戻らないと」そう言って。室内へ向かおうとした時だった。「エマさん」少しだけ。声の温度が変わった。エマは
last updateLast Updated : 2026-09-06
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第102話:八年前に置いてきたもの。

二階へ戻ると、まだ三作目の前には人が集まっていた。一枚の絵を前に、美術関係者たちの話は尽きない。「この頃は、後年ほど色が研ぎ澄まされていませんね」「でも、その未整理さが魅力でもあると思います」「人物に対して、窓の外が明るすぎる気もするな」誰かが言えば、別の誰かが返す。作品について。作者について。何を考えていたのか。なぜ、この色なのか。エマは少し離れた場所で、そのやり取りを聞いていた。昔から。評価する側は、よく話す。作者が何を感じて描いたのかを推測し、作品へ意味を与え、時には本人以上にその意図を理解したように語る。評価される側が、その言葉をどう聞くのかまで考える人は少なかった。それが。エレナだった頃から、あまり好きではなかった。作品は外へ出れば、作者だけのものではなくなる。分かっている。それでも。自分の中にあったものへ、他人が次々と言葉を置いていく光景には、いつも少しだけ息苦しさがあった。けれど今は。それ以上に、不思議だった。もう二度と。この絵を現物で見ることはないと思っていた。八年前に置いてきたもの。エレナの人生と一緒に、遠くへ切り離したもの。確かに自分が描いた。塗り重ねた場所も。何度描き直したかも覚えている。それなのに。今は、他人の作品を眺めているような感覚さえあった。その距離に。八年という時間の長さを、改めて思い知らされる。「朝倉さん」黒木に呼ばれ、顔を上げた。眼鏡の奥から、相変わらず真っ直ぐこちらを見ている。「実物をご覧になって、どうでした?」また。感想。けれど、さっきテラスで古典作品について話した時のようには答えられない。ここには。玲も。浜中さんも。美術館関係者もいる。「初期作品らしい柔らかさがあって、綺麗だと思います」無難な言葉を選んだ。「後年より、まだ色も素直ですよね」黒木の眉が、僅かに動いた。先ほどの会話との落差に、腑に落ちていないらしい。けれど。問い詰めることはしなかった。少し考えてから、声を落とす。「……後で、もう少し聞かせてください」エマは一瞬、黒木を見る。ここでは話しづらい。そう察したのだろう。やはり、浜中さんが信頼しているだけのことはある。「はい」短く答えた時。視線を感じた。玲だった。少し離れた場所で別の人の話を聞きな
last updateLast Updated : 2026-09-07
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第103話:朝倉さんに会いたい

「ああ」玲は、驚きもしなかった。「結衣さんのことでしたら、交際していません」あまりにも即答だった。女性が少し目を丸くする。「そうなんですか?」「はい。昔からの知人です。それ以上の関係ではありません」きっぱりと。曖昧さを残さない。エマは。なぜか少しだけ胸が軽くなった自分に気づいて。すぐにグラスへ視線を落とした。何を。安心しているのだろう。「じゃあ、今は特定の方はいらっしゃらない?」別の男性が興味深そうに聞く。玲は一度。僅かに考えるように黙った。それから。視線が動いた。真っ直ぐ。エマへ。心臓が。嫌な音を立てる。「お付き合いしている方はいません」そこまでは。普通だった。「ただ」玲の声が。ほんの少し柔らかくなる。「今、好きな方はいます」一瞬。周囲が静かになった。誰かが玲を見て。その視線を追う。一人。また一人。エマへ。視線が集まってくる。逃げたい。そう思った時には。玲が続けていた。「皆さんは、僕がエレナ・カワサキの公式作品を、最後の一枚を除いて保有していることをご存じかと思います」突然出た名前に。エマの呼吸が浅くなる。何人かが頷いた。この場にいる人間なら。知らない方が珍しい。玲がエレナ・カワサキの作品へ異常なほど執着してきたこと。市場へ出れば買い。貸し出しもほとんど行わず。最後の一枚を今も探していること。「僕は、彼女を亡くしてから」玲は静かに続けた。「仕事以外のことに、ほとんど興味を持てなくなりました」周囲から笑いは消えていた。玲自身が。それを口にすることの重さを。皆が感じ取ったのだろう。「仕事はします。人にも会います。食事にも行きますし、誘われれば必要な場所には顔を出します」穏やかな声。「でも」玲の視線が。またエマへ戻る。今度は。逸らさない。「その人が何を考えているのか知りたいとか」エマの指先に力が入る。「何が好きなのか。何を見ているのか。今日どうしているのか」玲は。少しだけ笑った。「そういうことを、自分から知りたいと思うことはありませんでした」胸が。苦しくなる。知っている。それが。どれほど玲らしくないことなのか。エレナだった自分は。誰より知っている。「そんなエレナ以来に初めてです」玲が言った。「仕事以外の時間を
last updateLast Updated : 2026-09-08
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