***翌日。エマがカフェへ入ると、奏はすでに開店準備を始めていた。「おはようございます」「おはよう」奏はコーヒー豆の袋を閉じながら、エマの顔を見た。「眠れた?」「はい」完全な嘘ではなかった。短い時間でも、眠ることはできた。「昨日の企画だけど」奏がカウンターへ資料を置いた。「無理に受けなくていいからね」エマは、海辺の広場に設置されるチョークボードの完成予想図を見た。子どもたちが楽しみにしている。町の人も、エマが手伝うことを自然だと思うだろう。拒む方が、不自然になる。「子どもたちの補助としてなら、協力しようと思います」奏が少し驚いたように目を上げた。「いいの?」「私の名前を作家として出さないことと、全体の作品を私一人のものにしないこと。それを条件にしてください」「分かった。俺から担当の人に話すよ」「ありがとうございます、奏さん」奏は資料を受け取ると、少し安心したように笑った。その時、店の扉が開いた。「いらっしゃいませ」奏とエマが、ほとんど同時に顔を上げる。入ってきたのは玲だった。昨日と同じく、一人だった。玲の視線は、店内を確かめるより先にエマへ向けられた。けれど、エマは表情を変えなかった。「いらっしゃいませ」客へ向ける声で伝える。玲は僅かに目を細めたあと、カウンターの上にある資料を見た。「地域企画の件ですか」「はい」答えたのは奏だった。エマの前へ出るわけではない。ただ、会話の間へ自然に入る。「エマも、子どもたちの補助なら参加することになりました」「そうですか」玲の視線がエマへ戻る。「よかったです」「まだ、条件をお伝えしただけです」エマは短く答えた。必要以上に話を広げない。玲は、それ以上踏み込まずに頷いた。奏が席を勧める。「昨日と同じ席でよろしいですか」「はい」玲が窓際へ向かう。その背中を見送り、エマは資料を片づけた。「注文、俺が取ろうか」奏が小さな声で聞いた。「大丈夫です」「無理しないで」昨日と同じ言葉。エマは小さく頷いた。少し離れた席から、玲がこちらを見ていた。奏がエマへ声を落として話す。エマが自然に答える。そのやり取りを見た玲の表情は、ほとんど変わらない。けれど、カップのないテーブルへ置かれた指が、ゆっくりと組み直された。なぜ。また胸の奥
Last Updated : 2026-08-03 Read more