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第29話:結局、描くんだ

Author: Sunny
last update publish date: 2026-08-05 05:44:17

「急にどうしたの」

「なんとなくです」

「変なの」

奏は笑った。

その笑顔を見ながら、エマはまた何も知らないふりをした。

それが優しさなのか。

ただ臆病なだけなのか。

自分でも分からなかった。

***

閉店後。

エマは家へ戻らず、港の奥へ向かった。

空はすでに濃い青へ変わり、倉庫街には点々と作業灯が残っている。

フェスティバルへ向けた工事は日中で終わっており、遠くから波の音だけが聞こえていた。

プレハブ倉庫の鍵を開ける。

中へ入り、扉を閉める。

補助錠を下ろすと、外の世界から切り離されたように静かになった。

照明をつける。

壁際に置かれたキャンバス。

作業台の上の絵の具。

乾きかけた筆。

油と溶剤が混じった匂い。

ここだけは、誰にも見せていない自分が残っている。

エマはコートを脱ぎ、ゆっくりと布を外した。

描きかけの油絵が現れる。

港町の光。

複数の色が混じる海。

遠くから見れば穏やかで。

近づけば、細かな緊張が画面の奥へ沈んでいる。

玲と再会したあと。

作品の中には、それまでなかった揺れが入り始めていた。

恋ではない。

過去へ戻りたい感情でもない。

懐かしさ。

警戒。

寂しさ。

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