シンガポールへ来て二週目、私は最初の大きなミスをした。現地向け資料の数字を一か所、古い版のまま提出した。販売数の予測値で、意思決定そのものを変えるほどではない。それでも訂正版を出し、関係者へ説明する必要があった。 現地スタッフは責めなかった。「次から二重確認しましょう」と言われた方が、かえって胃に残った。 ホテルへ戻っても仕事の画面を閉じられず、版履歴を何度も見直していたところへ景都から電話が来た。時差は一時間しかない。こちらがまだ起きていると分かっていたらしい。「失敗した」 最初にそれだけ言う。 景都は理由を聞く前に、「うん」と返した。「何か言ってよ」『今、何を言ってほしい?』 困る質問だった。大丈夫と言われても腹が立つし、原因分析を始められたら電話を切ると思う。そう言うと、受話口の向こうで笑う気配がした。『じゃあ、聞いてる』 私は確認を急いだこと、数字の差し替えを後回しにしたこと、現地スタッフがすぐ修正してくれたことを、順番も整えず話した。途中で同じことを二度言った気もする。景都は訂正しなかった。 全部吐き出す頃には、机の上の訂正版をもう一度開けるくらいの余裕が戻っていた。『真帆』「何」『今日、電話に出てくれてよかった』「景都からかけたんだけど」『出てくれたから』 言い直さないところが、今は好きだった。「明日、ちゃんと謝って直す」『うん』「解決策は……明日なら聞くかも」『その時は言う』 電話を切る前、自分から「会いたい」と言った。仕事の相談だったはずなのに、最後だけ別の話になったことが恥ずかしい。 景都は驚かず、『俺も』と返した。 通話後、明日の修正手順を書いた。数字の再確認、現地担当との二重チェック、送信前の版管理。三つだけ。増やしすぎると、今度は確認すること自体が仕事になる。 電話のあと、ホテルの窓を開ける。夜の湿った空気が入り、机の紙が一枚めくれた。現地スタッフに訂正を頼んだメールは、まだ送信済みフォルダの一番上にある。消した
Last Updated : 2026-10-18 Read more