《黒翼の悪役令嬢は、偽りの聖女を許さない ~魂を喰らう化け物に、本能の殺意が警笛を鳴らす~』 》全部章節:第 11 章 - 第 20 章

21 章節

​11話 朝露の旅立ちと、密やかな祝福

​翌朝。東の空がほの暗く白み始めた頃、地下の保管庫の重い鉄の扉が静かに開け放たれた。 ​「……ルシエラ様、朝ですよ」 ​約束通り、本邸の勤めが始まる前の早朝に駆けつけたマルタ。その声に、毛布の上で丸くなっていたルシエラはパチリと深紅の瞳を開けた。 ​「マルタ……!」 ​「えらいです、ルシエラ様。本当によく頑張りましたね。さあ、離れへ帰りましょう」 ​公爵夫妻や本邸の他の使用人たちに気づかれぬよう、マルタはルシエラをしっかりと抱きかかえ、朝露に濡れる庭園を通り抜けて自分たちの離れへと戻った。 ​久しぶりの自分のベッド、マルタの手料理、そして窓から差し込むやわらかな朝日。 地下の暗闇から解放されたルシエラは、マルタの淹れた温かいスープを幸せそうに口にし、心底ほっとした表情を見せていた。 ​◇ ​午前十時。公爵邸のエントランス前には、華やかな馬車と騎士たちの姿があった。 教会の巡礼と周辺地域の浄化に向かうため、オーガスト枢機卿一行が旅立とうとしていたのだ。 ​アレクシス公爵とエレノア夫人は、最高の笑顔と恭順の意を示しながら、オーガストを見送るべく居並んでいた。 ​「枢機卿様、当館でのご滞在がお気に召しましたなら幸いです。どうか道中、神のご加護がありますように」 ​揉み手をしながら頭を下げるアレクシスに対し、オーガストは薄い笑みを浮かべたまま短く応じた。 ​「手厚いもてなしに感謝する、ヴァルハイト公爵。……だが、一つだけ言わせていただきたい」 ​「は、はい! 何でしょうか!?」 ​オーガストは公爵の目をまっすぐに見据え、静かだが重みのある声で告げた。 ​「この地に漂う気配は、誠に興味深い。目に見える『光』だけが神の御心とは限らない……内に秘めた真の輝きを見誤らぬよう、心されるといい」 ​「は……? はあ……?」 ​意図を理解できず、呆然と首を傾げる公爵夫妻。 オーガストはそれ以上何も語らず、馬車へと乗り込んだ。 ​◇ ​馬車が公爵邸の広大な敷地を抜け、裏手の森に差し掛かった時のことだった。 ​(……ふむ、やはりここか) ​オーガストは御手に馬車を止めさせ、一人で静かに馬車を降りた。 彼の足が向かったのは、昨日、気配の源流を探る中で感じ取っていた敷地の端――鬱蒼とした木々に囲ま
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​12話 4歳の誕辰と、湖畔の訪れ

​高位聖職者オーガストの訪問が終わり、公爵邸は何事もなかったかのように平穏な日常を取り戻していた。3歳の幼子を地下の保管庫へ閉じ込めたことなど、最初から存在しなかった事実であるかのように、公爵夫妻も使用人たちも知らん顔を決め込んでいる。 ​ルシエラもまた、その愚かな振る舞いに腹を立てる素振りすら見せず、冷徹なまでに静かな『無』の態度でそれを受け流していた。怒る価値すら見出していないかのようなその眼光に、公爵夫妻は密かに生きた心地がしていなかった。 ​そんな中、アレクシス公爵にちょっとした変化が現れた。 出立の際、オーガストから投げかけられた「内に秘めた真の輝きを見誤らぬよう」という言葉が、どうしても頭から離れなかったのだ。 ​(あのお方が、わざわざあの『忌み子』について示唆するようなことを口にされるとは……まさか、何か特別な価値でもあるというのか……?) ​公爵は朝の食卓で、不自然に咳払いをしながら、ぎこちなくルシエラへと声をかけた。 ​「……ルシエラ。スープの味は……口に合っているか?」 ​長年無視し続けてきた娘への、唐突でチグハグな問いかけ。 ルシエラは静かにスプーンを置くと、感情の伺えない深紅の瞳でじっと父親を見つめた。そして、幼子とは思えないほど落ち着いた声で、短く答える。 ​「……はい、美味しくいただいております、公爵様」 ​「あ、そうか……なら、良いのだ」 ​一切の揺らぎもない冷ややかな視線と態度に気圧され、公爵はそれ以上言葉を続けることができず、気まずそうに視線を泳がせるしかなかった。親としての歩み寄りなどではなく、単なる保身と好奇心から出た中途半端な態度は、ルシエラの固い心を1ミリたりとも動かすことはなかった。 ​◇ ​やがて時は流れ――ルシエラは無事に4歳の誕生日を迎えた。育ての親であるマルタもまた、21歳となった。 ​その日の夜、離れの小さな部屋で、マルタは愛おしそうにルシエラへと小さな箱を差し出した。 ​「ルシエラ様、4歳のお誕生日おめでとうございます。私からの、ささやかなプレゼントです」 ​「わあ……! プレゼント!?」 ​ルシエラは深紅の瞳をキラキラと輝かせ、大事そうに箱のリボンをほどいた。 中から現れたのは、黒革の細い紐に通された、一粒の美しい漆黒の天然石が嵌め込まれ
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​13話 神獣の帰還と、ペンダントに宿る誓い

​月光が湖面を静かに照らす中、膝をつき頭を垂れる黒き一角獣。その神秘的な姿にマルタは息を呑み、咄嗟にルシエラを庇うように一歩前へ出た。 ​しかし、一角獣から漂うのは恐ろしい殺気などではなく、深く澄み渡った敬愛と慈愛の気配だった。 ​「主よ……巡り合いの刻が訪れました。遥かなる時を超え、再びお側に集えますことを……」 ​静寂の中、脳裏に直接響き渡るような荘厳な声。一角獣はゆっくりと首を上げ、深紅の瞳でルシエラを見つめた。 ​この神獣の正体――それは、かつてルシエラが世界を救うために堕天し、その膨大な力を封印した際に、彼女の神聖なマナと黒翼の片片が形を成して飛び散った「ルシエラ自身の力の一片」であった。世界各地に散ったその力の欠片の一つが、主の目覚めと波長に惹かれ、この湖へと導かれてきたのだ。 ​ルシエラは不思議そうに目をパチパチさせ、こてんと首を傾げた。 ​「……? わたしの……お友達……?」 ​かつて大天使であった記憶を完全に失っているルシエラには、神獣の言葉の意味が理解できない。けれど、その存在に不思議な懐かしさと温もりを感じていた。 ​ルシエラはお湯から上がり、裸足で浅瀬を歩むと、一角獣の大きな鼻先にそっと小さな手を伸ばした。一角獣は愛おしそうに目を細め、その温かな頬をルシエラの掌にすり寄せる。 ​「ねえ、一角獣さん。わたし、昔のことはなにも覚えてないの。でもね……今はマルタがいてくれて、マルタのことがだーい好きなの!」 ​ルシエラは振り返り、不安そうに見守っていたマルタを指差して、花がほころぶような最高の笑顔を咲かせた。 ​「マルタがわたしを大切にしてくれて、美味しいごはんをつくってくれて、こんなに素敵なペンダントもくれたの。だから、わたしは今、とっても幸せなんだよ!」 ​無邪気に笑う幼子の言葉を聞き、一角獣は深々と納得したように眼の奥の光を和らげた。 ​「なるほど……。主の魂がこれほどまでに清らかに保たれていたのは、その人間 の無償の愛と献身があったからこそ……」 ​一角獣は立ち上がると、マルタへと向き直り、威風堂々とその前で頭を下げた。 ​「我が主を守り、育み、ここまで導いてくれたこと……心より感謝する、愛しき保護者よ。貴殿のその深い愛に、我もまた敬意を表そう」 ​「あ……私なんて、ただルシ
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14話 月下に舞う黒翼と、無知なる王子の目撃

​湖で黒き神獣をペンダントに宿したあの神秘的な夜から、4年の月日が流れていた。 ​ルシエラは8歳となり、育ての親であるマルタも25歳を迎えていた。 幼かったルシエラは、少女としての可憐さと、どこか浮世離れした絶対的な高貴さを兼ね備えた美しい姿へと成長していた。 ​その夜――ルシエラは、珍しく一人で秘密の湖を訪れていた。 マルタが本邸の深夜の重労働に駆り出され、どうしても付き添うことができなかったからだ。 ​「一人でも大丈夫だからね、マルタ。……綺麗にして、すぐ帰るから」 ​月明かりだけが頼りの静かな湖畔。 ルシエラは身に着けていた衣服をそっと脱ぎ捨て、裸身のまま冷ややかな浅瀬へと足を踏み入れた。 ​彼女が軽く指先を振ると、かつてのように胸元のペンダント――神獣の宿る黒石が淡く光り、湖の水が一瞬にして心地よい温度へと温められていく。 ​「……ふぅ」 ​静かな吐息とともに、ルシエラは背中の『翼』を解放した。 **バサッ……**と重厚な音を立てて展開されたのは、夜の闇をそのまま切り取ったかのような、圧倒的な存在感を放つ漆黒の二枚の翼。 ​月光を浴びてしなやかに広がる黒翼から、光の粒のようなマナがパラパラと水面にこぼれ落ちる。 すると、その神秘的な気配に引き寄せられるように、森の奥から無数の動物たちが集まってきた。 ​愛らしい小鳥たちがルシエラの肩や黒翼の端にとまり、鹿や狐たちが湖畔に佇んで、静かに彼女の洗髪を見守る。 まるで絵本から飛び出してきたかのような、あまりにも美しく、神秘的な『神域』の光景がそこには完成していた。 ​◇ ​――だが、その幻想的な空間を壊すように、木々を押し分ける足音が響いた。 ​「ハッ……こんな森の奥深くに、一体何があるっていうんだ」 ​カサリと草むらをかき分けて現れたのは、ルシエラと同い年――今年で8歳になる第一王子、ライネルであった。 ​公爵邸に賓客として滞在していたライネルは、暇を持て余し、館で囁かれていた「ある噂」を確かめるために夜の森へ忍び込んでいたのだ。 ​『この公爵邸の離れには、不吉な忌み子が隠されている』 『悪魔のような黒い髪と、血のように気味の悪い赤い目を持った落とし子だ』と。 ​傲慢で血気盛んな若き王子は、「フン、悪魔の落とし子だと? どんな醜い化け物か、この僕が見てやろうじゃない
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15話 絶対の尊厳と、夜空の下の告白

​静寂を切り裂くような神獣の重厚な威圧が、湖畔の空気をビリビリと揺らしていた。黒き一角獣が漆黒の角を突き出し、不法侵入者であるライネルへ鋭い殺気を向けたその時――。​「ダメだよ。おやめなさい」​透き通った、けれどどこか浮世離れした静かな声が響いた。ルシエラが小さく手をかざすと、あれほど獰猛な牙を剥こうとしていた神獣が、まるで借りてきた猫のように大人しく引き下がり、彼女の背後へと静かに侍った。​ルシエラは湖からゆっくりと上がると、水滴を滴らせた裸身のまま、背中の巨大な黒翼をゆっくりと羽ばたかせ、ライネルの方へと歩み寄ってきた。​服すら着ず、己の姿を隠そうともしない。その圧倒的な尊厳と、神聖なまでの美しさを前に、8歳の王子ライネルは指一本動かすことすらできなかった。蛇に睨まれた蛙のように、ただその場に縫い付けられ、全身の血が激しく巡るのを感じるだけだった。​目の前にまでやってきたルシエラは、見下ろすように深紅の瞳をライネルへ向けた。​「私を笑いに来たの? それとも、魔法で火でも放とうと思った? ……ううん、君は、ただの冷やかしさんだね」​「あ……っ、僕、は……」​ライネルの喉から、掠れた声が漏れ出る。普段、城でどれほど身勝手に振る舞おうと誰もが頭を下げてくれた。だが今、目の前にいる少女の瞳には、己の「王子」という身分など何の意味も成していないことが、痛いほど伝わってきた。​ルシエラは首を少し傾げると、ライネルの震える手元に視線を落とした。​「怖い? ああ、そういうことか」​ふっと、彼女の薄い唇に微かな笑みが浮かぶ。それは嘲笑でも拒絶でもなく、ただ事実をそのまま観察しているかのような、冷ややかな透明感に満ちていた。​「君は、どんな噂話でここに来たの?」​「う、噂話……っ」​ライネルは必死に息を整えながら、途切れ途切れに言葉を絞り出した。この瞳から目を逸らしてしまえば、己の魂が粉々に砕けてしまいそうな恐怖と、それ以上の狂おしいほどの愛おしさに支配されていた。​「こ、公爵邸の裏に……不吉な『悪魔の落とし子』が隠されているって……。黒い髪と、血みたいな赤目を持った、醜い化け物だって……っ。だから……どんな奴か、見てやろうと思って……っ」​「そう。だから『悪魔』は見つかった?」​「違う……! 違うんだ……っ!」​ライネルは弾かれたように
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16話 離れの夜話と、王子の素顔

​冷たい夜風が吹き抜ける本邸での深夜労働を終え、マルタは疲れた身体を引きずるようにして離れへと戻ってきた。​扉をそっと開けると、室内にはカンテラの温かな光が広がっていた。そこには、すでにお風呂を済ませ、髪を綺麗に乾かした8歳のルシエラが、小さな机に頬杖をついてマルタの帰りを待っていた。​「おかえりなさい、マルタ。お仕事、おつかれさま」​「ただいま戻りました、ルシエラ様。遅くなってしまってごめんなさいね。……あら? 何か良いことでもありましたか?」​マルタはルシエラの表情を見て、すぐに察した。普段のルシエラは、実の父母である公爵夫妻や屋敷の使用人たちに対して、大人すら射殺すような冷徹で静かな『無』の態度を貫いている。だが今夜の彼女は、どこか楽しそうに深紅の瞳を細め、薄い唇に悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだ。​マルタが手早く温かいハーブティーを二つのカップに注ぎ、テーブルに腰を下ろすと、ルシエラは待っていましたとばかりに小さな身を乗り出した。​「ねえマルタ。さっき、湖でお風呂に入っていたらね、妙な男の子が迷い込んできたの」​「えっ……? 男の子、ですか?」​「うん。不吉な悪魔の落とし子を見に来たんだって。背中に翼を出して、一角獣さんも出たらすごく驚いちゃって……それでね、いきなり大きな声で『結婚してくれ!』って叫んで走っていったわ」​「け、結婚……!?」​マルタは思わず手にしたカップを倒しそうになった。​ルシエラは一滴も恥ずかしがる様子もなく、まるで「今日、珍しい虫を見かけたの」とでも言うような軽やかな調子で話を続ける。​「自分の名前は『ライネル』だって言ってたわ。この国の第一王子なんだって」​「……えっ!? ライネル様……!? あの、ライネル王子殿下ですか!?」​マルタは目を見開いた。本邸で給仕をしているマルタは、今回公爵邸に賓客として滞在しているライネル王子の評判を嫌というほど耳にしていたのだ。​「ルシエラ様……ライネル様といえば、まだ8歳になられたばかりですが、国王陛下や王妃様からも大変甘やかされて育ち、非常にプライドが高く、気に入らないことがあればすぐに使用人を叱責するような……悪く言えば、大変我儘で傲慢なお方として有名なお方なんですよ」​「まあ、そうなの?」​ルシエラはくすくすと鈴を転がすように笑った。​「でもね、さっ
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17話 王子の焦燥と、庭園の懇願

​昨夜の出来事が嘘だったのではないか――そう思いたくなるほど、ライネルの頭の中は混乱と灼けつくような羞恥心で渦巻いていた。​豪奢な天蓋付きのベッドの中で、ライネルは一晩中悶々とし、枕に顔を押し付けては転がり回っていた。自分の前に現れたあの美しくも恐ろしい漆黒の翼。この世のものとは思えない神聖な少女。そして、何を狂ったのか、まだ8歳であるはずの己が、裸身の少女へ向かって膝を震わせながら叫んだ怒涛の求婚――。​(ああああっ……! 僕は何を言っているんだ! 妃になれだなんて、名前も知らない初対面の相手に……っ! しかも、あんなにも冷ややかにあしらわれて……!)​あまりの恥ずかしさにのたうち回り、結局一分たりとも眠れぬまま、ライネルは朝を迎えていた。​◇​本邸の絢爛豪華な大食堂。ヴァルハイト公爵夫妻や王国の重臣たちと共に朝食の席についたライネルは、完璧なマナーでナイフとフォークを動かしつつも、その瞳は完全に虚空を彷徨っていた。​(ルシエラ……ルシエラ……。昨夜、彼女は去り際に言っていた。『マルタのところへ帰る』と……)​マルタ。その名に聞き覚えがあった。このヴァルハイト公爵邸で働くメイドの誰かだ。その時――​「ライネル殿下、パンのおかわりでございます」​静かで澄んだ声とともに、銀のトレイに乗せられた焼きたてのパンが、ライネルの目の前にそっと差し出された。​ライネルがハッと顔を上げると、そこに立っていたのは、柔らかく整えられた褐色の髪と、温かな茶色の瞳を持つ若いメイド――マルタだった。​(……っ! マルタ……!?)​ライネルの視線と、マルタの視線がバチッと正面から交差した。マルタは一切動じることなく、完璧な給仕の礼を執りながら、どこかすべてを見透かしているかのような、悪戯っぽくも温かな笑みをふっと浮かべたのだ。​その瞬間、ライネルの脳内で全てのピースが繋がった。​(知っている……! このメイド、昨夜の出来事を全て……僕のあの情けない醜態を、ルシエラから全部聞いているんだ……!!)​「――ッ!?」​ライネルは勢いよくガタンッと椅子を蹴立てて立ち上がった。​「で、殿下……!? 一体どうされました!?」​突然立ち上がった第一王子に、公爵をはじめとする周囲の大人たちが驚愕して目を丸くする。​ライネルは全身の血が頭に上り、顔を真っ赤に染め
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18話 秘密の離れと、幼き王子の訪問

​必死な形相で給仕服の袖にしがみつき、半ば涙目で懇願してくる第一王子ライネル。マルタは困惑の汗を浮かべながら、必死に思考を巡らせていた。 ​(どうしましょう……。ここで突っぱねてしまったら、ライネル様は意地になって、今夜もまた一人でお忍びで湖や離れの周りを捜し回るかもしれないわ) ​そうなれば、本邸の護衛に見つかって大騒ぎになる危険性がある。何より、万が一にも公爵夫妻や他の貴族たちにルシエラの存在や、彼女が持つ恐ろしいほどに強大な「力」の秘密が漏れてしまっては元も子もない。 ​(ライネル様は我儘で感情的だけれど、根は一途で嘘をつくような方ではない……。ルシエラ様を化け物としてではなく、一人の特別な女の子として見ているのは確かだし、ここでしっかりお話しをして秘密を守ってもらう約束を交わした方が、今後のためにも安全かもしれないわね) ​一通りのリスクを天秤にかけたマルタは、はぁと小さく優しく息を吐くと、しがみついてくる王子の手をそっと包み込んだ。 ​「……分かりました、ライネル殿下。ルシエラ様のもとへご案内いたします」 ​「ほ、本当か……!? 騙したりしないな!?」 ​「ええ、嘘などつきません。ただし、条件が一つございます。ルシエラ様のこと、そして昨夜見られたことの全てを、公爵様や他の大人たちには決して口外しないと……王家の名に誓っていただけますか?」 ​ライネルはゴクリと唾を飲み込むと、力強く何度も首を縦に振った。 ​「誓う! 王家……いや、僕自身の命と誇りに賭けて絶対に誰にも言わない! だから……会わせてくれ!」 ​「賢明なご判断です。では、私に続いて静かにお越しください」 ​◇ ​公爵邸の華やかな本館から少し離れた、木々に覆われた薄暗い森の奥。 そこにひっそりと佇む小さな古びた離れへと、マルタはライネルを導いた。 ​本邸の絢爛豪華な建築とは程遠い、あまりにも質素で手狭な建物。ライネルは驚きに目を見開いた。 ​(本当に……こんな寂しい場所に住んでいるのか……? 公爵家の血を引く娘だというのに……) ​噂されていた「忌み子」「隔離」という言葉の真実が、その建物の佇まいだけで痛いほど伝わってきて、ライネルの胸はキュッと締め付けられた。 ​マルタが離れの重い木扉を静かに開け、室内へと声をかける。 ​「ルシエラ様、戻りましたよ。……お
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19話 小さな部屋のティータイムと、広がる世界の約束

​木漏れ日が窓からやわらかく差し込む離れの小さな部屋。テーブルの上には、マルタが手際よく淹れた温かいハーブティーの湯気が立ち上り、甘く爽やかな香りが広がっていた。​「……う、美味い……っ」​木製の安っぽいカップに口をつけたライネルは、素直な感嘆の声を漏らした。王宮で最高級の茶葉ばかりを嗜んできた王子であったが、マルタの淹れたハーブティーには、心を芯から解きほぐすような不思議な温もりと優しさが満ちていたのだ。​「ふふ、お口に合って良かったです、ライネル殿下」​マルタが温かく微笑むと、向かいに座るルシエラも嬉しそうに目を細めた。​「でしょう? マルタの淹れるお茶は世界一なのよ」​昨夜の幻想的で恐ろしいまでの神聖さはどこへやら、今のルシエラはごく普通の、可憐で賢い8歳の少女そのものだった。自分の知る貴族の令嬢たちのような高慢さや気取った仕草は一切なく、かといって世間知らずの幼さもない。その自然体な佇まいに、ライネルの緊張も少しずつ解けていった。​「……昨夜は、その……いきなり押し掛けたりして、本当にすまなかった」​ライネルが耳まで真っ赤にしながらカップを見つめて謝罪すると、ルシエラは少しだけ申し訳なさそうな顔をして、小さな首を横に振った。​「ううん、私の方こそごめんなさい、ライネル君。実はね……私もすごくびっくりしていたのよ。まさかあんな時間に、あんな場所に人が来るなんて思っていなかったから」​「えっ……びっくり、していたのか……? あんなに落ち着いていたのに……?」​「顔に出なかっただけよ」​ルシエラは悪戯っぽく笑うと、隣に立つマルタと視線を交わした。​「それにね……昨日のあなたの様子がなんだかあまりにも一生懸命で、面白かったものだから……仕事から帰ってきたマルタに、面白おかしくお話ししてしまったの。二人で笑い話にしてしまって……ごめんなさいね。いけないことだわ」​「なっ……! いや、いい! いいんだ!」​ルシエラから素直に謝られ、さらに「面白かった」と微笑まれたライネルは、恥ずかしさで爆発しそうになりながらも、ぶんぶんと手を振った。​「僕があまりにも不躾で情けなかったんだから、笑われて当然だ! それに……君に嫌われていないと分かっただけで、僕は……すごく嬉しい」​安堵から胸を撫で下ろすライネルの姿に、マルタもルシエラも思わずクス
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​21話 12歳の叫動と、絶対の生存権

​謁見の間には、重苦しく不快な緊張感が立ち込めていた。​ヴァルハイト公爵アレクシスは、豪奢な玉座の上でイライラと貧乏揺すりを続けていた。彼の胸を焦がしていたのは、焦燥と、そして何よりも浅ましい「保身」であった。​(なぜだ……なぜ、あのお方たちが揃いも揃って、あの『忌み子』のことを知っているのだ……!?)​ここ数年、アレクシスの元には聖教会のオーガスト枢機卿から、そして第一王子であるライネルから、遠回しにルシエラの安否や近況を尋ねる不快な書簡がしつこく届いていたのだ。隠し通してきたはずの忌み子の存在が、なぜ外部の要人に察知されているのか。​もし今さらルシエラの存在やその価値を正式に認めてしまえば、これまで自分が実の娘に対して行ってきた冷酷な仕打ち、地下保管庫への隔離や不当な放置が明るみに出てしまう。公爵としての地位も名誉も失墜しかねない。​(あの女の瞳……あんな『無』の瞳で透視されるような感覚、思い出すだけでも虫唾が走る……! あの生まれた瞬間の暴走……あの化け物の悪夢を、忘れてなるものか!)​赤ん坊の頃に見た、邸宅を揺るがした漆黒のマナの暴走。それがアレクシスの深いトラウマとなっていた。ルシエラが良い子であるはずがない。価値などあるはずがない。すべてを揉み消し、己の身を守るためには、今すぐ彼女を「マナが暴走して手に負えなくなった」とでも言い訳し、辺境へ永久追放するしかなかったのだ。​「……ルシエラ。お前を『黒の修道院』へ移送する。今日限りでヴァルハイトの名を捨て、二度と我らの前に姿を現すな」​冷酷な宣言に、マルタが思わずルシエラの前に躍り出た。​「公爵様! あまりにも酷すぎます! ルシエラ様は何も悪いことをしていらっしゃいません! 12歳の少女をそんな恐ろしい場所へ追いやるなんて……!」​「黙れ、下賤な使用人が!」​必死に言葉で抵抗するマルタに対し、追い詰められたアレクシスは顔を真っ赤にして叫んだ。​「これ以上の抵抗をするならば、容赦はせん! 騎士たちよ、その生意気なメイドごと制圧せよ!」​騎士長たちが一斉に鞘から剣を抜き放ち、ギラリと光る刃がマルタへと向けられる。マルタは恐怖に身体を震わせながらも、両手を大きく広げ、ルシエラの盾となるように庇い立った。​「ルシエラ様には……指一本触れさせません……!」​その健気な背中を見つめ、
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