LOGIN選考試験から数日後。降る雪はさらに勢いを増し、学園の大聖堂は一面の白銀に包まれていた。厳かなパイプオルガンの音が白光の満ちる聖堂内に響き渡る。壇上に佇むエルミナは、王家からの特命によって仕立てられた純白の見習い聖女の法衣に身を包んでいた。その佇まいはあまりに神聖で、かつて悪魔の洗脳に怯えていた少女の面影はどこにもない。「エルミナ・レーヴェン。汝の比類なき聖光と、人々を救わんとする高潔な志を称え、本日より『王都復興聖導隊』の特命構成員として任ずる」派遣された神聖騎士団長から授与されたのは、王家の紋章が刻まれた聖銀のロザリオだった。「身に余る光栄でございます。この命と力、傷ついた王国と人々のために捧げます」深く頭を下げるエルミナ。その姿を見つめる列席者たちから、惜しみない拍手が送られた。聖堂の最後列。生徒たちの群れから少し離れた場所で、ライネルとルシエラはその光景を静かに見守っていた。「見違えるようね、エルミナ……」ルシエラは胸の前でそっと手を組み、どこか誇らしげに、そしてほんの少し切なさの混じった眼差しを向けた。「ああ。あのような澄み渡った気品を放たれては、彼女の素性を疑う者など学園にはもう誰もいないだろうな」ライネルは呟きつつも、視線は鋭かった。エルミナが聖女として認められ、王都へ招聘されること。それ自体は王国にとって計り知れない救いとなる。しかし、それは同時に――身元不明の強大な存在が、防壁の崩壊した王国の最深部へと、正式な手続きを経て足を踏み入れることを意味していた。(悪魔の罠か、あるいは神の導きか……。どちらにせよ、盤面は整ったというわけだ)「ライネル君、手紙の準備はできているかしら?」「ああ。父上(国王)にはすでに打診済みだ。『聖女エルミナの護衛および王都の神聖防壁の調査』の名目で、僕と君、そしてマルタの王都同行の許可は取ってある」ライネルは懐から、王家の朱印が押された渡航許可証を覗かせた。「学園という守られた箱庭の時代は、これで終わりだ。ルシエラ、これからは王都――王国の心臓部そのものが僕たちの戦場になる」「望むところだわ」ルシエラは深紅の瞳に凛とした決意の火を宿し、優雅に微笑んでみせた。「大天使としての前世の記憶、そしてルシエラ・ヴァルハイトとしての今。そのすべてを懸けて、
冬の厳しい静寂が学園を包み込む中、聖職者公募の一次選考が始まった。大聖堂の前庭には、志願した生徒たちが緊張した面持ちで一列に並んでいる。その先頭に立つエルミナは、白を基調とした見習い聖導師の法衣を身に纏い、まっすぐな瞳で試練の壇上を見つめていた。審査を執り行っているのは、王都から派遣された厳格な神聖騎士団の幹部たちだ。「――次、エルミナ・レーヴェン!」名を呼ばれたエルミナは、一度深く深呼吸をしてから静かに前へ進み出た。「提示された傷ついた聖石へ、汝の浄化の光を捧げよ」騎士が差し出したのは、魔物の毒によってどす黒く変色した神聖石だった。本来であれば熟練の神官が数時間をかけて慎重に浄化を行う代物だ。エルミナは静かに石へ両手をかざし、そっと目を閉じた。(私にできることを……傷ついた誰かのために)彼女の胸元から、温かく澄み渡る純白の光が溢れ出す。――フッ。一瞬だった。どす黒かった神聖石の毒気が瞬く間に霧散し、まるで生まれたてのように透き通った光を放ち始めたのだ。前庭を満たした圧倒的な神聖波に、審査員である騎士たちどころか、周囲で見守っていた生徒たちからも驚愕のどよめきが上がった。「な、なんという奇跡の輝き……! これほどの聖魔力を秘めた者が、学園に埋もれていたとは……っ!」騎士団長は震える手で羊皮紙に『特級合格』の印を押し、エルミナに向かって深く頭を下げた。その光景を、回廊の影から静かに見守る二人の姿があった。「圧倒的ね……。エルミナの聖女としての資質は、もはや疑いようがないわ」ルシエラは感嘆の吐息を漏らした。大天使としての記憶を持つ彼女から見ても、エルミナの光はあまりにも純粋で、洗練されていた。「ああ。これほどの力があれば、王都の教会再建の要として抜擢されるのは時間の問題だろう」隣に立つライネルは、神聖剣『アルヴァ=クレイド』の柄に手を置いたまま、冷静にその光景を分析していた。「だが、ルシエラ……これで終わりではない。むしろ、本当の盤面はここから動き出すんだ」「ええ、分かっているわ」ルシエラは深紅の瞳を細め、遠く王都の方向へと視線を向けた。学園での騒動を収め、ヴァルハイト公爵邸の異変を暴いた。しかし、それらはすべて、この巨大な王国を覆う不気味な暗雲の「ほんの表層」を撫でたに過ぎ
冬の澄み渡る夜空から、絶え間なく舞い降りる白い雪。学園の敷地全体が静寂の底へと沈み込む中、ライネルは私室のデスクで数枚の調査報告書と対峙していた。窓を小突く雪の音だけが部屋に響く。「……やはり、出てこないか」ライネルは溜息をつき、書類をデスクの上に放り投げた。報告書に記載されていたのは、エルミナ・レーヴェンに関する徹底的な身元調査の結果だった。王家の諜報部隊をフル稼働させて調べ上げたにもかかわらず、彼女が十二歳で辺境の修道院へ保護される以前の足取りは、まるで最初からこの世界に存在していなかったかのように完全に空白だったのだ。コンコン、と控えめなノックの音が聞こえたのは、その時だった。「ライネル君、入ってもいいかしら?」「ルシエラ……! ああ、入ってくれ」ドアが開くと、厚手のショールを羽織ったルシエラが足を踏み入れてきた。外の冷気をほのかに纏った彼女の手に乗っていたのは、湯気を立てる二つのカップだった。「マルタがハーブティーを淹れてくれたのよ。少し、お話ししてもいいかしら?」「もちろんだよ。ありがとう、助かる」ライネルはデスクの書類をさりげなく伏せ、ルシエラを応接用のソファへと促した。暖かい温もりが手元から伝わり、二人の中に束の間の安らぎが広がる。「ライネル君……エルミナのこと、考えていたのでしょう?」ルシエラはカップに視線を落としたまま、ぽつりと切り出した。ライネルが伏せた書類を見落とすような彼女ではない。「……隠し事はできないな。ああ、そうだよ。国家政策として大規模な聖職者公募が始まり、エルミナが志願した。……彼女の決意が本物であると分かっていても、どうしても引っかかるんだ」ライネルは真面目な顔でルシエラを見つめた。「以前も話した通り、エルミナの過去は完全に空白だ。家族も、出身地すら分からない。それほどの素性不明の少女が、学園へ突如現れ、君を破滅寸前まで追い詰めるほどの巨大な『聖女の力』を持っていた。……そして今、教会の全滅に乗じるようにして、国の聖職者の中枢へと進もうとしている」「偶然ではない……そう言いたいのだわね?」「ああ。彼女自身に悪意はなくとも……彼女という存在そのものが、悪魔や何者かによってあらかじめ配置された『駒』だったとしたら……?」ライネルの言葉に、ルシエラは否定
公爵邸での事件から季節は巡り、学園にはしんしんと冷たい雪が舞い散る冬が訪れていた。一年生の冬。白銀の雪景色に包まれた校舎では、国家規模の極めて異例な「通達」が全校生徒に向けて発せられていた。『教会機構の再建に向けた、聖職者および聖導士候補者の大規模公募について』教会の聖職者たちが謎の全滅を遂げて以来、王国の神聖防壁と浄化機能は崩壊寸前の危機に瀕していた。事態を重く見た国王レオンハルトは、危機的な聖職者不足を補うため、学園から優秀な人材を直接集めて国家の政策として育成する特例措置を打ち出したのだ。大食堂の掲示板の前には、多くの生徒たちが集まっていた。「……国家政策としての聖職者公募、ですか」掲示された書状を見上げるのは、エルミナだった。その隣には、ルシエラとライネル、そしてマルタが静かに佇んでいる。「エルミナ、貴女……」「私、志願しようと思うの。ルシエラちゃん」エルミナは振り向き、どこまでも澄んだ瞳でルシエラを見つめた。その表情には、迷いや怖れは一切なかった。「悪魔に操られていた時……私の中に眠っていた『力』が何なのか、自分でも少しずつ分かってきたの。悪魔は私の力を利用して人を苦しめたけれど……本当は、この力は傷ついた人を癒やすためのものなんだって。だから、今度こそ自分の意志で、この聖女としての力を国のために……みんなのために使いたいの」「エルミナ……」ルシエラはそっとエルミナの手を包み込んだ。かつて洗脳の渦中で狂気に侵されていた少女はもういない。自分の過去の過ちを経験として受け止め、未来へ進もうとする強い決意がそこにはあった。「素晴らしい覚悟だわ、エルミナ。貴女なら、きっと多くの人々を救う素晴らしい聖女になれるわ」「ありがとう、ルシエラちゃん……!」微笑み合う二人を見つめながら、ライネルはひとり、顎に手を当てて深い思索に沈んでいた。(エルミナ・レーヴェン……)ライネルの脳裏に、以前父や調査機関から受け取った彼女に関する報告書が浮かび上がる。学園に入学した当時から、エルミナの存在には解けない謎が存在していた。彼女はある日突然、辺境の修道院からの推薦という形で学園に現れた。だが、その修道院の過去の記録をいくら遡っても、彼女の生家や出生を示す戸籍、あるいは幼少期の明確な足取りはどこにも存在し
学園の最奥に位置する『大聖堂』。悪魔の気配が霧散した今も、この場所にはどこか張りつめた冷気が漂っていた。放課後の誰もいない聖堂内で、静かに膝を折り、胸の前で手を組んで祈りを捧げる一人の少女がいた。3年生――セレス・オーガスト。かつて聖職者の頂点に君臨し、そしてルシエラを前世の『大天使』であると見破った男、故オーガスト枢機卿のひとり娘である。「神よ……どうか、父の魂に安らぎを……。そして、私の犯した愚かな罪に……お裁きを……」震える声で紡がれる祈り。セレスの瞳からぽろぽろと零れ落ちた涙が、冷たい石畳を濡らした。彼女の記憶には、今もなお鮮明に刻まれている。父であるオーガスト枢機卿が、ルシエラを名乗るおぞましい悪魔の手によって命を奪われた、あの凄惨な光景が。そして――父を失い、絶望の淵に叩き落された己の隙を突かれ、悪魔の甘美な洗脳に深く呑み込まれてしまった屈辱と恐怖が。(私は……父様を殺した悪魔の傀儡となり、ルシエラ様やライネル殿下を追い詰める片棒を担いでしまっていた……!)正気を取り戻した今、セレスの胸を苛むのは凄絶な罪悪感だった。3年生として、本来ならば後輩たちを導き、学園の秩序を守るべき立場にありながら、悪魔の毒に侵され、偽りの平穏の中で虚ろに笑っていた己の弱さ。どれほど涙を流そうと、犯した過ちも、父が還ってこないという現実も変わりはしない。「セレス先輩」澄んだ声が、静かな聖堂内に響いた。セレスがハッと息をのんで振り返ると、そこには聖堂の扉を開けて入ってきた人物――学園に戻っていたルシエラの姿があった。「ル、ルシエラ様……っ! ライネル殿下……!」セレスは慌てて立ち上がろうとしたが、罪の重さに耐えかね、その場に崩れ落ちるように再び膝をついた。「申し訳……申し訳ございませんでした……! 私……私は、父を殺した悪魔の手先となり、貴女様方を追い詰めるような真似を……! どのような処罰でも受けます! どうか……どうか私にお裁きを……っ!」床に額を押し付け、悲痛な叫びを上げるセレス。そんな彼女の元へ、ルシエラは静かな足取りで歩み寄り、優しくその肩に手を置いた。「顔を上げてください、セレス先輩」「っ……ルシエラ様……」「貴女が謝る必要など、どこにもありません。先輩もまた、大切なご家族を奪
王都へ向かう馬車が風を切る頃。学園の裏手に広がる静かな厩舎(きゅうしゃ)には、夕闇の静寂が降り積もっていた。「よしよし……良い子で待っていましたね」手慣れた手つきで馬の毛並みをブラシで整えているのは、ルシエラ専属メイドのマルタだった。ブラシが通るたび、愛馬は気持ちよさそうに短い鼻鳴らしを上げる。手入れを終えたマルタは、乾いた藁を補充し、桶に澄んだ水を汲んでやると、そっと馬の額を撫でた。ルシエラが生まれてから今日に至るまで、その成長のすべてを一番近くで見守ってきたのは、他の誰でもないマルタだった。幼少期の冷遇、冷たかったヴァルハイト公爵邸の空気、そして学園での過酷な孤立。どんな時も、ルシエラの小さな手を握り、涙を拭い、気高き令嬢としての誇りを失わないよう大切に育て上げてきた。マルタにとって、ルシエラは単なる主状を超えた、命を代えても守るべき宝物そのものだった。「お嬢様……どうかご無事で」ぽつりと漏らした呟きは、夜の風に溶けて消える。ライネル殿下と共にヴァルハイト公爵邸へと向かった主を想い、マルタは胸元に手を入れた。そこには、ルシエラから託された小さな御守りが収まっている。「……マルタさん?」静かな厩舎の入り口から、遠慮がちな声が響いた。振り返ると、そこには薄暗がりの中に立つエルミナの姿があった。まだどこか病み上がりの儚さを残した佇まいで、申し訳なさそうに身を縮めている。「エルミナ様……。このような夜更けに、いかがされましたか?」マルタは即座に居住まいを正し、隙のない洗練されたメイドの礼を捧げた。「あの……ルシエラちゃんが、公爵邸へ向かったとお聞きして……。私、どうしても心配で……」エルミナは胸元で小さな手を固く握りしめた。その瞳には、かつて悪魔に侵食されていた頃の禍々しさはなく、友を真摯に案じる純粋な光が宿っている。「私のせいで……ルシエラちゃんに、あんなに酷い思いをさせてしまったのに。私が悪魔に隙を見せたから……っ。なのにルシエラちゃんは私を許してくれて、また微笑みかけてくれた……。私、ルシエラちゃんのために何もしてあげられないのが、悔しくて……」ぽろぽろと零れ落ちるエルミナの涙。それを見つめるマルタの眼差しは、冷たくもあり、どこか包み込むような温かさも含んでいた。「エルミナ様」マルタは