「佐倉先輩、こちらの資料のチェックをお願いできますか?」デスクの横から、通りやすい爽やかな声が届く。三島絢人。外商部に配属された現社長の息子であり、今日から私が指導を担当することになった男だ。「ええ、拝見しますね」私は地味な黒縁眼鏡の位置を直し、絢人が差し出してきたファイルを受け取った。今日配属されたばかりとは思えないほど、完璧に整理された顧客リスト。文字の美しさや数字の正確さから、彼が高い知性と几帳面さを持っていることが窺えた。「完璧です、三島さん。これならすぐに実務に入れますね」「ありがとうございます。佐倉先輩にそう言っていただけると安心します」絢人は柔らかく微笑んだ。その一見すると素直で扱いやすそうな笑顔を見つめながら、私は心の中で冷酷な計算を巡らせていた。(この男を徹底的に私に依存させ、最後にどん底へ突き落としてあげる……)先ほど、メンズアパレル部門のオフィスで出会った根津健太の顔が脳裏に蘇る。親の権力を傘に着て威張り散らし、資料を落として私にあっけらかんと拾わせた二世社員。思い出すだけで、胸の奥から冷たい愉悦が湧き上がってくる。あんな男、親の威光を剥ぎ取れば何も残らない。健太の浅はかな身振りと高慢な態度から、社内での立ち回りや雑な仕事ぶりは容易に想像がついた。父親である根津部長の弱みと合わせてどう料理し、二人まとめて二度と再起できないどん底へ叩き落としてやろうか。(もっとじっくり追い詰めて、惨めに這いつくばらせてあげる……)自分のデスクに向き直り、PCの画面に視線を落としながら、私は眼鏡の影で誰にも見えないようにそっと口角を上げた。暗い殺意に満ちた、冷たい微笑だった。だが、その瞬間。「……佐倉先輩?」ふいに絢人の声が聞こえ、私は一瞬で笑みを消して平常心に戻った。完璧なポーカーフェイスで振り返る。「はい、何でしょうか?」絢人は自分のデスクの椅子に深く腰掛けたまま、じっと私を見つめていた。その瞳は、先ほどまでの穏やかなそれではない。私の些細な表情の変化や身のこなしの隙を逃さず観察するような、深く静かな光を宿している。「いえ……先輩は、仕事をしている時が一番楽しそうだなと思いまして」「そんなことはありませんよ。ただ、ミスがないように集中しているだけです」「そうですか」絢人は追及するでもなく、静かに微笑んで視線
Última actualización : 2026-08-10 Leer más