Semua Bab 愛した人は、私の仇でした~御曹司との復讐から始まる恋~: Bab 41 - Bab 50

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第41話:プロキシーファイト開幕

臨時株主総会の開催日は、一ヶ月後の十月十五日に正式決定された。ストライキこそ解除され、本館の営業は再開されたものの、デパートの空気は一変していた。かつて宗一の顔色を窺っていたフロアの従業員たちは、今や誰も社長室を見上げようとしない。社内を支配していた恐怖は、沈黙の軽蔑へと変わっていた。私は外商部のデスクで、渋沢マネージャーから手渡された一冊の極秘リストを開いていた。『東城百貨店・大株主名簿および議決権保有比率推移』「これが現在の勢力図だ、志乃さん」渋沢が周囲を警戒しながら、極めて低い声で囁いた。アイギスによる監禁から解放された渋沢の首筋にはまだ青あざが残っていたが、その瞳には十五年ぶりの闘志が宿っていた。「全株式の議決権総数は一千万株。過半数となる五百一万株をどちらが掌握するかで、すべてが決まる」私は名簿の数値を冷徹に分析した。三島宗一の個人保有分と、万里子夫人の実家が握る同族株を合わせると、約三十二パーセント。一方、私たちが味方につけた海外ファンド『アリアンツ・キャピタル』が八パーセント。労働組合の従業員持株会が五パーセント。現時点での志乃陣営の持ち票は、わずか十三パーセントに過ぎない。「残り五十五パーセントは、創業家一族のOB、全国の老舗取引先で構成される『東友会』、そして一般の個人投資家が握る浮動株ね」「そうだ。特に鍵を握るのは、東友会の名誉会長を務める『菱沼呉服店』の元当主・菱沼源蔵氏だ。彼一人で創業家枠の七パーセントを抑えている」菱沼源蔵。父・東条正義とは創業期からの盟友であり、かつて銀座の旦那衆を束ねていた重鎮だった。正義が失脚して以降は一切の公の場から姿を消し、鎌倉の別邸に隠居していると聞く。「宗一も間違いなく菱沼氏に接触を図るはずよ。七パーセントの票がどちらに転ぶかで、他の取引先の雪崩現象が起きる」「ああ。だが菱沼翁は気難しく、十五年前の事件以来、東城デパートの人間とは一切面会を謝絶している。絢人坊ちゃんを通してアポイントを取るか?」「いいえ」私は首を横に振った。「絢人さんは動かせないわ。宗一は今、誰が裏切り者か血眼になって疑っている。絢人さんには三島陣営の内部で、宗一の票集めの工作を監視してもらう」私は名簿を閉じ、手元のバッグへ滑り込ませた。「菱沼翁の元へは、私が直接行くわ」その日の夕刻。仕事を終えた私は
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第42話:鎌倉の門、老巨頭の沈黙

翌朝。横須賀線の冷えた車窓から見える景色が、灰色のビル街から湿り気を帯びた緑の山並みへと移り変わっていく。午前九時過ぎ、私は鎌倉の扇ガ谷に広がる閑静な住宅街の奥へと足を踏み入れた。両脇を切り立った崖と鬱蒼とした笹薮に挟まれた私道の先に、黒塗りの重厚な長屋門が威厳を放っている。『菱沼』の表札。かつて東城デパートの呉服部門を日本一へと押し上げ、銀座の財界を陰で束ねていた元当主・菱沼源蔵の隠棲先だった。門前まであと数十メートルの曲がり角に差し掛かった時、私は木立の陰に身を滑り込ませた。門の脇に、見覚えのある黒塗りの高級セダンが横付けされていた。運転席の男は黒眼鏡をかけ、周囲の路地に鋭い視線を配っている。三島宗一の息がかかった監視役だ。(宗一の手が、すでにここまで伸びている……)彼らは菱沼翁を直接脅すことこそできなくとも、屋敷への出入りを監視し、志乃陣営の接触を物理的に阻むつもりだった。正面から門を叩けば、即座に宗一に察知され、先回りした妨害工作を打たれる。私は外商部のコートの襟を立て、敷地を取り囲む苔むした大谷石の土塀沿いに裏手へと回り込んだ。父の書斎に遺されていた東城デパート創成期の記録。そこには、菱沼呉服店の旧店舗や屋敷の構造に関するメモも含まれていた。茶道を嗜む源蔵翁は、正門とは別に、裏山へ続く竹林の小径に小さな潜り戸を設けているはずだった。湿った落ち葉を踏みしめながら裏山へ上ると、鬱蒼とした竹林の切れ目に、杉皮葺きの小さな木戸が見つかった。閂は内側から掛けられていたが、隙間に持参した薄い金属プレートを差し込み、わずかに持ち上げると、乾いた音を立てて木戸が内側に開いた。枯山水の美しい日本庭園。掃き清められた白砂の向こうに、縁側を開け放った数寄屋造りの母屋が見える。縁側に腰を下ろし、湯呑みを傾けていた白髪の老人が、私の足音に気づくことなく庭を眺めていた。着流しを端正に着こなしたその佇まいには、財界から退いて十五年が経つ今なお、底知れぬ威厳が宿っている。「不粋な真似をする。勝手口から上がり込むとは、今の三島の犬どもは礼儀すら失したか」老人は私の方を振り返ることなく、低くしゃがれた声で吐き捨てた。「失礼をお許しください、菱沼様。ですが、正面に張り付く三島の目付を避けるには、この裏庭の茶室口を通るしかありませんでした」私は縁側の手前、
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第43話:老巨頭の審判、試される覚悟

「佐倉と言ったな。お前は一体、何者なんだ」縁側に置かれた桐箱の茶杓を指先でなぞりながら、菱沼源蔵は低く濁った声で重ねて問うた。その双眸は、私の黒縁眼鏡の奥の眼差しを射抜くように据え置かれている。動揺を胸の奥深くへ押し戻し、私は背筋を正したまま冷徹に言葉を紡いだ。「私は東城百貨店を守りたい一介の社員です。そして、東条正義前社長が志半ばで奪われた『商いの心』を取り戻そうとしているレジスタンスの一員に過ぎません」「レジスタンス、だと?」源蔵の口元がわずかに歪んだ。呆れとも嘲笑ともつかない乾いた笑みが、皺深い頬を刻む。「青臭いことを言うな。東条正義が掲げた理想は崇高だった。だが、結果はどうだ。三島宗一の卑劣な罠に嵌められ、横領の濡れ衣を着せられ、すべてを奪われて屋上から落ちた。負け犬の遺志など、この資本主義の泥沼では一文の価値にもならん」老巨頭の言葉は、鋭い氷の刃となって胸を抉る。亡き父を「負け犬」と断じられた痛みが爪先まで走ったが、私は瞬き一つせず、毅然と視線を返した。「前社長は負け犬ではありません。あの人が命を賭して遺したのは、三島宗一が決して手に入れられなかった現場の信頼と、お客様との絆です。現にいま、理不尽に踏みにじられた組合員たちや現場の社員が、三島への怒りで立ち上がっています」「現場の怒りなど、株主総会の数字の前には何の役にも立たん」源蔵は冷ややかに言い放ち、茶杓を箱の中へ戻した。「三島宗一の手元には三十二パーセントの票がある。あの男のことだ、すでにメインバンクや大口の取引先を裏金と脅迫で締め上げているはずだ。お前たちがいくら外資ファンドや労組をかき集めたところで、せいぜい二割が関の山。私の七パーセントを足したところで、五十一パーセントの過半数には遠く届かん」「ええ、その通りです。ですから、菱沼様の七パーセントは単なる数字ではありません」私は一歩、縁側へ近づいた。「銀座の老舗取引先で構成される『東友会』。彼らは今も、三島の報復を恐れて身を竦めています。ですが、東友会の名誉会長である菱沼様が委任状に署名し、反乱の旗を掲げればどうなるか。沈黙していたOBや取引先が一斉に雪崩を打ってこちらへ合流します。あなたの七パーセントは、五十一パーセントの過半数を引き寄せるための『呼び水』なのです」源蔵は黙したまま、庭の白砂を見つめた。風が竹林を
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第44話:茶室の対峙

翌日午後二時。鎌倉の菱沼邸に漂う空気は、秋の冷気と張り詰めた静寂に支配されていた。十畳の茶室の床の間には、枯淡な掛け軸と白椿が一輪。上座に胡坐をかいた菱沼源蔵の背後、襖を背にした控えの板間に、私は外商部員としての装いを崩さず正座していた。手元には記録用のバインダーを抱え、視線は低く落としている。庭の飛び石を刻む、乾いた革靴の音が近づいてきた。障子が開かれ、数寄屋の敷居を跨いだのは三島絢人だった。仕立ての良い濃紺の三つ揃いを身に纏い、一寸の乱れもない佇まい。だが、右手の袖口からは昨日負った火傷を隠す白い包帯が、わずかに覗いていた。絢人は部屋に入った瞬間、菱沼の斜め後ろに控える私の姿を視界に捉えた。黒縁眼鏡の奥の私の瞳と、絢人の涼やかな双眸が交錯する。しかし絢人は眉ひとつ動かさず、初対面の平社員を見るかのように視線を滑らせ、老巨頭の前へと進み出た。「お初にお目にかかります、菱沼会長。三島宗一の長男、絢人でございます」深々と頭を下げる絢人に、源蔵は煙管の灰を火鉢に落としながら、冷たい一瞥をくれた。「挨拶はいい。宗一の小僧は自分では来られず、跡取りの首に縄をつけて送り込んできたというわけか」「父は現在、一部の反乱分子による不法な営業妨害の収拾に当たっております。東友会の名誉会長であられる菱沼様へ礼を尽くすべく、代理として私が参上いたしました」淀みない口調。三島グループの正統な後継者としての仮面を完璧に被っていた。絢人は鞄から一枚の桐箱と、金箔が施された委任状の束を取り出し、畳の上に滑らせた。「父からの言伝でございます。此度の臨時株主総会における解任動議は、外資系ハゲタカファンドが仕掛けた東城乗っ取りの謀略に過ぎません。菱沼様の持つ七十万株を父に一任いただければ、東友会の皆様への配当を現状の二倍に引き上げ、銀座本店の呉服フロア全面改装の総責任者に菱沼様をお迎えする確約をいたします」甘い毒を含んだ買収提案。宗一が追い詰められ、なりふり構わずばら撒いた餌だった。源蔵は桐箱の目録を一瞥もしないまま、煙管をくゆらせた。「配当の倍増か。金で私の首を買いに来たか、絢人」「商売における誠意の形として提示させていただきました。創業家を蔑ろにするつもりは毛頭ございません」「ふん」源蔵の冷笑が静寂を裂いた。老巨頭は煙管を火鉢の縁に打ち付け、視線を私の背
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第45話:深まる仲

朱肉の鮮やかな紅が、白い委任状用紙に深く沈み込んでいた。「七十万株、確かに預けたぞ」菱沼源蔵は印を拭い、書面を私へと突き出した。その手付きには、長年背負い続けた未練を断ち切った男の潔さがあった。「東友会の連中にも、私から一筆添えて回状を回す。老いぼれの意地だ。正義が命を懸けて残した東城の暖簾を、三島のようなハイエナどもの玩具にされてたまるか」「ありがとうございます、菱沼様。必ずや、総会で結果を出してみせます」私は深く頭を下げ、委任状を丁重にバインダーへ収めた。「帰るがいい。……それと、絢人」老巨頭の厳しい視線が、正座したまま頭を下げている絢人へ注がれる。「お前は父親とは違う目の色をしている。だが、親の敷いた泥沼の上に立っている限り、いずれ同じ業火に焼かれるぞ。己が誰の血を引き、誰の前に跪くべきか、よく考えることだな」「……肝に銘じます」絢人は低く応じ、静かに一礼して立ち上がった。私は源蔵に辞去を告げ、屋敷の玄関ではなく、再び裏手の茶室口から外へと出た。湿り気を帯びた竹林の小径を、落ち葉を踏みしめながら下っていく。笹の葉が風に擦れ合う乾いた音が、周囲の気配を掻き消していた。木戸を抜け、裏山の小径を数十メートル進んだ薄暗い曲がり角。竹林の陰に、一台の黒いハイヤーが音もなく停まっていた。車の陰から、仕立ての良いスーツ姿の絢人が姿を現した。正門から車で回り込み、ここで私を待っていたのだ。「見事でしたよ、志乃さん」絢人は薄く笑みを浮かべ、歩み寄ってきた。その口調は、先ほどの茶室での冷徹な御曹司のものから、私だけに見せる熱を帯びたトーンへと戻っていた。「菱沼翁の七パーセントだけでなく、東友会の約十五パーセントもこれで雪崩を打ってこちらへ傾く。現時点で、志乃さんたちの陣営は三十五パーセントを固めたことになります」「あなたが茶室で、私の追及をわざと受け止めてくれたおかげよ。宗一の提案の綻びを突く隙を、あなたが綺麗に差し出してくれた」「当然です。僕の役目は、父の信用を内側から食い破り、あなたに決定打を打たせることですから」絢人は私の前で足を止め、視線を私の手元にあるバインダーへと落とした。そして、ゆっくりと自身の右腕へ目をやる。包帯が巻かれたその腕は、昨夜の火傷の痛みに耐えるように微かに強張っていた。「これで父は、さらに追い詰められま
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第46話:大呉服展の火種

翌週の月曜日。外商部のフロアには、これまでにない異様な活気が満ちていた。 菱沼源蔵翁の委任状と、彼が東友会の全加盟店へ送った『東条正義前社長の遺志を継ぐべし』という直筆の回状。その絶大な影響力により、これまで三島宗一の報復を恐れて沈黙を守っていた銀座の老舗旦那衆が、一斉に動き出したのだ。 「佐倉さん、東友会の理事会から正式に受託の連絡が入ったぞ!」 渋沢マネージャーが紅潮した顔でデスクに駆け寄ってきた。 「東友会加盟四十二社のうち三十八社が、本館での『大呉服・伝統工芸再興展』への全面協賛を決定してくれた。さらに、彼らが握る東城デパートの株式——計十五パーセント分の委任状を、この催事の成功を条件に我が陣営へ預けると確約をいただいた!」 「十五パーセント……」 私が息を呑むと、渋沢は力強く頷いた。 「アリアンツの八パーセント、労組の五パーセント、菱沼翁の七パーセントに、東友会の十五パーセント。これが合流すれば三十五パーセントに達する。宗一の手持ち三十二パーセントを、数字の上で初めて逆転できるんだ」 (勝機が、現実のものとして見えてきた……) だが、条件は「催事の成功」だった。 三島宗一が推し進めてきた「呉服フロア解体・安価な量販店化」の路線を真っ向から否定し、東城デパートの原点である超一流の伝統工芸を呼び戻す一大イベント。成功すれば世論と顧客を味方につけ、株主総会への最大の追い風となる。 しかしそれは同時に、追いつめられた宗一の急所を真正面から踏み抜くことを意味していた。 「催事の会期は来週金曜からの三日間。会場は本館一階の特設催事場だ。目玉は人間国宝・友禅染の重鎮である佐竹宗雲氏が、十五年ぶりに門外不出の秘作『雪月花』の振袖を出品してくれることになった。……だが、気を抜くな。相手はあの三島宗一だ」 渋沢の引き締まった言葉に、私は静かに頷いた。 「ええ。なりふり構わなくなった獣ほど、予測不能な牙を剥きます。警備計画と作品の保管動線は、外商部で二重に管理しましょう」 その日の夜、二十一時。 全館の消灯時間が過ぎ、ほとんどの社員が退社した外商部のオフィス。 私は一人、大呉服展の展示図面と防犯カメラの死角チェックをデスクで進めていた。 カタ、と背後で微かな音がした。 振り返ると、廊下の照明の逆光
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第47話:母の遺言

『志乃だけは、どうか……』紙片の末尾に滲む、あまりにも見慣れた柔らかな筆跡。その文字が網膜に焼き付いた瞬間、全身の血管に氷水を注ぎ込まれたような戦慄が走った。心臓が早鐘のように肋骨を打つ。十五年前のあの夜——冷たい土砂降りの雨の中、見知らぬ児童養護施設の門前で私を抱きしめ、濡れた頬を寄せてきた母の温もりが、暴力的な鮮明さでフラッシュバックする。『いい子ね、志乃。振り返っちゃ駄目よ』それが母・華江の最後の声だった。その後、母がどこへ消え、生きているのか、それともとっくに冷たい土の下に眠っているのかすら、私は何一つ知らされないまま生きてきた。(母さんは……私を逃がすために、三島宗一に何をされたの……?)『どのような泥を被っても構いません』という一文。父を屋上から突き落とした宗一の毒牙が、残された母にも容赦なく向けられていたのだ。身代わりとなって宗一の前に跪き、口封じのために命すら奪われたのではないかという暗黒の疑念が、喉元までせり上がってくる。だが——。目の前に立つ絢人の涼やかな瞳が、じっと私の表情を観察していた。御曹司としての知性と、私に対する狂気的な執着を併せ持つ男だ。ここでほんの一瞬でも「娘」としての激昂や動揺を見せれば、私の正体は即座に看破される。私は爪が掌に食い込むほど拳を握りしめ、胸の激情を凍りつかせた。そして、ゆっくりと黒縁眼鏡の位置を直す。「……前社長の奥様が、失踪直前に書かされた嘆願書、ということでしょうか」極めて平坦な、他人の記録を検分するような冷徹な声音。自分の名前が記された紙片から視線を外し、事務的に首を傾げてみせた。「三島社長は、十五年前に東条家を破滅させた当時の遺留品を引っ張り出して、社内に潜む反乱分子を脅迫する材料にしようとしているのですね」絢人は私の無表情な横顔を数秒間、探るように見つめていたが、やがて薄く息を吐いた。「ええ。父はこの紙片に書かれた『志乃』という前社長の娘の行方を、今も掴めていません。ですが、もし社内に東条家の息がかかった人間がいるなら、この手記を餌にすれば必ず動揺し、尻尾を出すと踏んでいるようです」「随分と古風で、悪趣味な揺さぶりですこと」私は紙片を二つに折り、静かにデスクの上へ滑らせた。「東条家の娘が今どこで何をしていようと、私たちのプロキシーファイトには何の関係もありま
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-20
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第48話:忍び寄る影

大呉服展の前夜、午後十時。銀座の街が静まり返る頃、東城デパート本館の地下搬入口には、緊迫した空気が張り詰めていた。シャッターの向こうから、重厚な大型美術品輸送トラックのアイドリング音が低く響いてくる。「慎重に運んでくれ。万が一にも桐箱に衝撃を与えるなよ」渋沢マネージャーが白い手袋を嵌め、作業員たちに指示を飛ばしている。トラックの荷台から運び出されたのは、人間国宝・佐竹宗雲氏が手掛けた友禅染の最高峰『雪月花』。門外不出と謳われ、保険評価額だけでも数億円を下らない幻の振袖だった。東友会の老舗旦那衆が東城デパートの再生を信じ、総会での議決権十五パーセントを賭けて託してくれた、この催事の生命線だ。「佐倉さん、外回りの巡回はどうだ」駆け寄ってきた渋沢に、私は黒縁眼鏡の位置を直しながら頷いた。「正面口、裏口ともに異常ありません。ただ、警備会社の配置員に三人、宗一側の息がかかった人間が紛れ込んでいましたので、先ほどアリアンツ社から派遣された外部セキュリティと交代させました」「手回しが早いな。助かる」渋沢が安堵の息を漏らしたその時、私のスマートフォンのバイブレーションが短く震えた。差出人は絢人。[宗一が雇った解体屋のダミー会社『黒崎総業』の車両二台が、デパート周辺の側道に侵入しました。警察のパトロールルートの隙間を狙っています。目的は作品の直接強奪ではなく、スプリンクラー等の誤作動による水損事故の偽装、または物理的な汚損です。搬入口ではなく、非常階段ルートを警戒してください]絢人のインテリジェンスは正確無比だった。宗一の狙いは、最高峰の着物を汚損して「東城デパートは重要美術品すら管理できない危険な泥舟」という汚名を着せること。そうなれば東友会は激怒し、十五パーセントの委任状は水泡に帰す。私はすぐにトラックの陰に待機していた駆の元へ歩み寄った。作業着に身を包み、キャップを目深に被った駆は、壁に寄りかかりながら煙草を咥えずに弄んでいた。「駆、時間よ」「……来たか。どっから入ってくる?」「東側非常階段の二階、設備点検用扉。絢人の情報通りなら、深夜の消防設備点検を装って入り込むはず」「了解だ。手荒に片付けてやるよ」「待って。騒ぎを大きくして警察沙汰になれば、それ自体が明日のオープンの妨げになるわ。あくまで『不法侵入者の現行犯確保』として、無音で制圧
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-09-20
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第49話:天井裏の攻防

天井裏を走る配管から、ゴオォ……と水流が唸りを上げて押し寄せる不気味な音が響いていた。「佐倉さん! 手動停止弁の制御盤が外側から溶接されて開きません! 放水まであと二分もありません!」渋沢の悲痛な叫びがインカム越しに割れる。一階催事場の天井に並ぶスプリンクラーの散水ヘッドが、水圧に耐えかねてカタカタと激しく震え始めていた。「渋沢さん、催事場の全スタッフを動員して『雪月花』のアクリルケースに大型の防水シートを二重に被せてください! 私は二階の主弁を止めに行きます!」私は指示を飛ばすと同時に、外商部のパンプスを脱ぎ捨て、予備のフラットシューズに履き替えて非常階段を駆け上がった。二階の設備フロアは、異様な薬品の匂いと煙が立ち込めていた。非常灯の赤い光が明滅する通路の奥、主配管の緊急遮断バルブがある機械室の扉が半開きになっている。足音を殺して踏み込むと、作業服に目出し帽を被った男が、巨大なパイプレンチを手にして主弁のハンドルを力任せに破壊しようとしていた。手前の床には、通信ケーブルを焼き切った小型のガスバーナーが転がっている。宗一が放った『黒崎総業』の工作員だ。男が気配に気づき、ぎょっとして振り返った。「誰だてめえ! 入ってくんじゃねえ!」男は配管を叩き壊すのをやめ、手にした鉄製レンチを振りかざして私へ突進してきた。私は眼鏡の奥の焦点を研ぎ澄ませた。裏社会で生き延びるために駆から叩き込まれた実戦技術。恐怖で硬直する暇などない。男が頭上からレンチを振り下ろした瞬間、私は半歩右へ踏み込んで切っ先をかわし、男の踏み込んだ前足の膝裏へ、容赦なく低いローキックを叩き込んだ。「ぐあっ!?」体勢を崩した男の右腕を掴み、その勢いを利用して機械室の分厚いコンクリート壁へと叩きつける。鈍い衝突音とともにレンチが床へ跳ね返った。すかさず男の右手を背後に捻り上げ、壁に押し当てて関節を極める。「誰の差し金? ……言わなくても分かっているけれど」「くそっ、離せ! この女……!」男が暴れようとしたその時、背後から音もなく伸びた無骨な腕が、男の襟首を掴んで真横に引き倒した。ドスッ、と重い打撃音が響く。男は床に沈み、そのまま白目を剥いて意識を手放した。立っていたのは、キャップを目深に被った駆だった。その拳の甲には、別の男を仕留めたばかりであることを示す微かな血
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第50話:静かな亀裂

深夜の機械室に漂うオイルと焦げた配線の臭い。その中で、絢人と駆の視線が刃物のように切り結ばれていた。「……間に合ったようですね」絢人は薄く笑みを浮かべていたが、その瞳は笑っていなかった。右手の包帯を無意識に握りしめ、私と駆のわずかな距離感を凝視している。「おい、坊っちゃん」駆が作業着の袖で拳の血を拭いながら、挑発するように顎をしゃくった。「のこのこ現れて何しに来た? こちとら後片付けの最中だ。安全な社長室の椅子に座って指をくわえてりゃよかったものをよ」「僕が手配したタイムスケジュールと侵入経路の情報がなければ、あなた方は今頃スプリンクラーの泥水の中で立ち尽くしていたはずですよ、工藤さん」絢人の声音は氷のように冷淡だった。名門の御曹司としてのプライドと、志乃の隣に立つ男へのあからさまな嫌悪が、その短い返答に凝縮されていた。「やめなさい、二人とも」私は二人の間に割って入り、冷徹なトーンで言い放った。感情の衝突など、この緊迫した局面ではただの不純物に過ぎない。「敵は目の前にいるわ。絢人さん、あなたが流してくれた情報のおかげで主弁の破壊は防げた。感謝するわ。駆、この男を地下の第参倉庫へ運んで。口を塞いで手足を縛り、明日の朝まで一歩も外に出さないように」「へいへい、了解だよ志乃」駆はわざとらしく私の名を呼び、倒れた工作員の襟首を掴んで引きずり出した。すれ違いざま、絢人の肩をかすめるように通り過ぎていく。暗い通路に二人きりで残された瞬間、絢人が一歩、私との距離を詰めた。「志乃さん」彼の指先が、私の乱れた前髪の端に伸びようとして——空中でぴたりと止まった。「……あの男は、あなたの何なのですか」掠れた、だが痛切な響きを帯びた問い。「復讐のために雇った協力者よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」「嘘だ」絢人は小さく息を呑み、自嘲するように目を伏せた。「あの男は、あなたのすべてを知っているような顔をしている。あなたがかつてどんな痛みを抱え、どんな地獄を歩んできたのかを……僕には決して見せてくれない素顔を、あの男だけが知っている」「絢人さん」私は黒縁眼鏡を押し上げ、感情の一切を排除した冷たい視線で彼を見据えた。「私たちが結んでいるのは、利害が一致した共犯関係よ。傷の舐め合いをする間柄ではないはず。あなたが三島宗一の息子である事実は変わらな
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