Tous les chapitres de : Chapitre 61 - Chapitre 70

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61探れない意図

「裕貴さん、ですよね?……小山内宝石店の」「そう!覚えててくれた?嬉しいなぁ」ちょっと近くに来たから寄った、と言う裕貴に、凪はうまく返事ができなかった。それだけの理由で訪ねられるほど、彼と親しいはずもない。裕貴はつまみっ子倶楽部のあちこちに目をやり、パンフレットや壁に貼ってあるポスターを見ている。「あの、もしかしたらここに、どなたかご紹介いただける、みたいなお話でしょうか」「……いや」裕貴は迷いを吹っ切るように凪の前に立ち、思いがけない名前を出した。「汐沢真希さんって、君のお母さんだよね?」一瞬、キュッと心臓が掴まれた気がする。母の名前を裕貴が知っている違和感……ふと、あのネックレスのことが頭に浮かんだ。「……母がなにか?」わずかに警戒する凪に、裕貴は安心させるように笑顔になった。「良かったら近くでランチでもしながら話せない?」「わかりました……」少しだけ、断われないだろう、という雰囲気を感じた凪。それでも、母の名前を出された以上、断ることはできない。念のため、事務所にバッグを取りに行った際、京極にメッセージをしておき……凪は裕貴と共に外へ出た。「実は数年前、ネックレスを持って君のお母さんがうちの宝石店に来たことがあったんだ」「母が、ですか?」「あぁ。対応したのは祖父だったから、どうして来たのか詳細はわからない。でも持ってきたネックレスが、前にあなたと李仁くんが持ってきたものと同じだったから……ちょっと思い出して」サバンナビルディングを出た裏手に、美味しいコーヒーを出す昔ながらの喫茶店がある。裕貴は、誘ったわりにこの辺の店を知らないようなので、凪が連れてきた。「そのネックレス、今は……君が持ってる?」「……はい」どう答えたらいいか一瞬迷った。なぜなら、あのネックレスに使われているダイヤは、京極家に伝わるダイヤだと、裕貴も知っているはず……京極と一緒に鑑定に訪れた時彼もそばにいて、京極家のダイヤが戻ってきたと喜んだのに。……どうして私が持っていると思うのだろう。「君の家、つまみっ子倶楽部と同じビルなんだってね」「そう……ですね」「職場と住まいが近いのは最高だよね!俺は店が家とは別の場所にあるから……多少は通勤しなくちゃならなくて」話を変えながら、裕貴はアイスコーヒーをがぶ飲みしている……「不思議、ですよね」
last updateDernière mise à jour : 2026-10-20
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62.忍び寄る異変

「湾岸エリアのタワマン建設の件、ライバル社に持っていかれたってのは本当か?」「はい……最終選考まで残っていたにもかかわらず、突然見送りの連絡が入りました。……専務も頭を抱えております」「理由は?」新しく入手したネックレスの情報を凪と共有した翌日。京極 REAL ESTATEには、朝から不穏な空気が流れていた。「提示された条件では、当社より、ライバル社の方が有利だったということです」「そんなことを聞いているんじゃない。ここまで話が進んでいた案件だ。何があった?」そこへノックもなく、慌てた表情の専務が入ってきた。「社長、たった今連絡がありました。どうやら出資を予定していた企業が、直前になって手を引いたようで……」「……なに?」京極は少し考え、デスクの前に立つ専務に目を向ける。「……出資企業には俺から話を聞く。先方に連絡を入れて、正式な選定理由を確認しておくように」「承知しました」「それから、今回の件に関わった社員は、責任を感じる必要はない。ここまでよくやってくれた。……まだ次がある」「はい、私から伝えます。ありがとうございます」専務が深く頭を下げ、社長室を出ていった。この日は予定をキャンセルして対応に追われ、気づけば夕方になっていた。「社長、C地区のデュアル・サーガ内のテナント8社が、次回の更新を見送ると言ってきました」デュアル・サーガとは、京極 REAL ESTATEが管理する商業ビルだ。大きなターミナル駅にほど近く、どのテナントも客足は好調だったはずだ。それだけに、突然の撤退申し出は寝耳に水だった。「8社って……ほとんど全部じゃないか?」「はい。直近に契約更新を控えているのは3社ほどですが、他の5社はなぜか……追随する形で撤退を匂わせております」報告に来た開発事業部の部長に調査させると、揃いも揃って撤退の理由に「経営方針の変更」を挙げてきた。「……ずいぶんと足並みが揃ってるじゃないか」「はい。私どもも困惑しておりまして……」……どの企業も判で押したような回答。それがかえって不自然に思えた。けれど、出ていくというのなら仕方がない。たとえ撤退しても、後に入りたいというテナントは難なく見つかるはずだ。「更新を見送る3社には、理由をもう一度確認しろ。残りの5社には、こちらから余計な圧力をかけるな。まだ撤退すると決まった
last updateDernière mise à jour : 2026-10-20
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63優しい告白

「今日も遅いんでスかね、京極社長は……」「なんだか、嫌なハプニングが重なってるらしいんです」「あんれまぁ……もしかして今年、ハゲ男でねぇでスか?」「ハゲ……?」つまみっ子倶楽部を閉め、凪は新田と一緒に京極邸に帰宅した。明かりのない玄関を開けながら、変なことを言い出す新田を見上げる。「はい……ツイてねぇて思うことが続く男のことを、おらの田舎では、ハゲ男って言うんでス!」「そう、なんですね……それ、京極社長には言っちゃダメですよ?」「……へ?」2人で分担して家事を片付け、凪は夕食を用意した。テーブルに並べたところで携帯を確認するが、京極からのメッセージはない。「先にいただきましょうか」「そうでスね。……そんだら、肉さ多めに、京極社長に残スてあげて……」自分の食べる分を皿に盛る新田。鍋の中の肉じゃがから、遠慮がちに肉を避けていて……笑ってしまう。「たくさんあるから大丈夫ですよ。普通に食べてください」……そう言いながら、凪も肉は少なめに皿に盛った。「あ〜あ、若者たちが楽しそうに食べてるなぁ……」新田がおかしなことばかり言うので、お腹を抱えて笑っていた凪。リビングのドア付近に立ってボヤく人に気づいた。「京極社長……今日は少し早いじゃないですか!」凪は思わず駆け寄り、スーツの上着のボタンを外した。「……えっ?!」……自分でもどうしてそんなことをしたのかわからない。ただ、早く上着を脱いでくつろいでごはん食べさせてあげたかったのだと思う。「……あ、あ〜あ、おらはもう腹いっぺぇで、これ以上は食べられないでス!」新田はなぜか、立ち上がりながらご飯をかきこみ、食器を重ねて慌てて食洗機にかけてリビングを出ていく。「あぁ……それじゃ、脱がせてもらうかな」後ろへ回る凪に、上着を脱がせやすいよう、京極はわずかに膝を折る。……上着を受け取って向かい合い、なぜかちょっと見つめ合ってからお互いに下を向いた。「……おかしな忙しさは、少し落ち着いたんですか?」「いやまぁ……もう少しな。さすがに今日はしっかり寝ないと頭が働かないからさ」「あ、それじゃお風呂の準備を……」そういうことなら、今夜は部屋に近い2階のバスルームがいいだろう。京極のための食事を並べて、凪はバスルームへ行こうとした。「いや、いいから」そんな凪の腕を、京極はとっさに掴む。
last updateDernière mise à jour : 2026-10-21
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64.凪を訪ねたあと……side.裕貴

「急に来て……悪かったね」「いえ。母がネックレスを小山内宝石店へ持っていったことがあるなんて、新しい情報でしたから」「……そう」この汐沢凪という子は、俺に一度も笑顔を見せなかった。短く挨拶をして喫茶店の前で別れ……この後の約束をしている男に連絡した。「けっこう早く行けそうなんだけど、大丈夫かな?」『大丈夫だ。……あ、来る時駅前のケーキ屋に寄って、モンブランを買ってこいよ』「は?……モンブラン?」凪って子に、こっちは緊張しながら探りを入れたばかりなのに……ケーキを買ってこいとは呑気なものだ。だが緊張した分、腹も減った。俺は言いつけ通りモンブランを買って目指す屋敷へと向かった。「お?……めずらしい奴が顔を見せるじゃねぇか」「……ご無沙汰してます」顔を合わせたくなかった人が、玄関先で迎えてくれた。何度か、京極家で顔を合わせたことがある。対応したのは祖父だが、宝石店へやって来たこともあった。洗濯物を手にした姿はそうは見えないが、極道の端くれ、違法スレスレの危ない仕事を請け負う京極家の用心棒的存在。黒石一家の組長だ。組長は奥の洋間に案内してくれた。そこはいわゆる応接間なのか、いかにも高価なアンティーク調のソファセットが置いてある。……正直、この家にはあまり似合わないと思う。「それで、凪ちゃんの様子はどうだった?」部屋に入るなり、挨拶抜きだ。そして箱の中のモンブランを直接手に取り、かぶりつくのは……黒石一家の若頭、岳だ。「冷静な子だね。……クールっていうか。こっちの話にほとんど驚かなかったから、けっこう話は進んでるんじゃないの」「でも、ネックレスは凪ちゃんが持ってるんだろ。……ということは李仁の奴、鼻の下を伸ばしてるだけで、奪い取れないでいるな」「もしかして、行くの?」……手荒な真似はしたくなかった。李仁は、アクセサリーに使われているダイヤが京極家のものだとわかっている。……ということは、アクセサリーからダイヤを外すことだって考えているはずだ。「待ってれば、ダイヤだけになるよ?それを待った方がチャンスは……」「いや、ネックレスのまま……指輪のままって指示だ。こっちから別の提案をするわけにいかねぇ」「なにその忠誠心……俺にはそういうの、ないんだけど」買ってきたのは俺なのに、お礼も断りもなく先にケーキに手を付けるし、ほんと…
last updateDernière mise à jour : 2026-10-21
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65.よみがえる過去 side.裕貴

「帰ったのか」「あ……うん、ただいま。あれ、店は?」「今日は休みにした」家に帰ると、祖父が待ち構えたように玄関に出てきた。……その表情から、何を言われるか予想がついてうんざりする。「どこへ行ってた?」「え、そんなこといちいち言わなくちゃいけない?俺もう32なんだけど」「だったらどういう奴と付き合うと良くない結果を生むか、わかるよな?」玄関で靴を脱ぎかけているのに、祖父は俺を家に上がらせたくないようだ。曲がりかけた背中を伸ばし、入り口に立ち塞がった。「お前、黒石の岳とはどういう関係だ?」「あぁ……そのこと?」俺はわずかな隙間を見つけ、そこからねじ込むように部屋に上がった。「李仁に嘘を言っていたが、店の客なんかじゃないぞ。あれは長年京極家の用心棒で……」「知ってるよそんなこと。今ちょっと……一緒にあるプロジェクトを進めてるだけだよ」部屋に行こうとした俺の腕を取り、祖父は険しい顔をして見せる。「わかってるだろうが、京極家のダイヤは今、アクセサリーとなって李仁のところにある。あれがどういう経緯を踏んであいつのところに戻ったのか……調べてるのか」「……じいちゃんには関係ないよ」強めに腕を引いて部屋に入ったのに、祖父はまだドアを叩いてきた。「お前が京極の依頼に勝手に手を付けるから……なぁ裕貴、今からでも遅くない。京極家のダイヤからは手を引け。この後アクセサリーからダイヤを外すとしても、それは俺がやるから」……ハッとした。すでにそんな依頼が祖父のところに入っているのか?「いつ持ってくるって?……そしたらちょっと俺にも見せてよ。あの刻印、今もちゃんとあるか確認したいんだ」「裕貴、」「じいちゃん、わざと刻印が見えなくなるように加工したろ?外すとき、黙って刻印を消すつもりじゃない?」うんざりしたような表情で、祖父は両手をだらりと下げた。「あ……それともあれ?女の人がネックレスを鑑定してくれって持ってきた時、素早く消した?」祖父は何も答えない。俺の頭に、今日会った汐沢凪の顔が浮かんだ。大きな丸い目は、娘よりさらに人が良さそうだった……あれは確か、5年ほど前の小山内宝石店でのこと。「あの……おひさしぶりです」物騒な世の中だ。裏にいても、店に誰か入ってくると必ず店内を覗くようにしていた。あの日は祖父と一緒に店にいて、優しそうな声に対応
last updateDernière mise à jour : 2026-10-22
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66.返してほしいもの

「京極社長が推理した通りなのでは?母に借金をして、現金の代わりにネックレスを渡した……」 「その通りよ。……真希さんは残念ながら亡くなったみたいだけど、長い間、あの時の借金を返そうと思っていたの」 「いえ、借用書のようなものはありませんでしたから。それに、」 真美は話の途中で凪の腕を取った。とっさにその手を見下ろせば、細い指先に赤いネイル……可愛らしい顔つきにはあまり似合わないと思う。 「ランチの時間でしょ?外で話しましょ」 促されるまま出ていこうとする凪を追うように、いつか真美の話を聞いた明美が声をかけた。 「真美さんよね?私、覚えてるかしら、5年前あなたと同じ頃ここに来た、明美です」 「あ……ご無沙汰してます。あの時は、ろくに挨拶もしないで辞めてしまって」 「いいのよ!……やっぱり、体調的に難しかったんじゃない?」 やりとりを聞いていて思い出した。明美が当時の真美に感じていたこと、そして……母の対応を明美がどう見ていたか。 真美は曖昧な返事を繰り返して話を切り上げた。……一瞬、彼女からの意味深な視線が、自分にまとわりついたように感じる。 ……どうか、気のせいでありますように。 「確か借金は30万ほどよ。……利息と合わせて50万で許してくれるなら、すぐに払えるんだけど」 「いえ、先ほども言いましたけど、借用書らしいものはないので……受け取るわけにいきません」 「私は借金をネックレスでチャラにしたことを後悔しているの。……あのネックレスは李仁にもらった思い出の品なのに、私ったら目先の生活のために手放してしまって……」 真美が連れて行ったのは、住宅街の中に突然現れたカフェだった。 通されたテラス席に他の客はいない。凪はそれでも声を少し落とし、真美に言った。 「ネックレスはすでに京極社長の手に渡っています。京極家と長いお付き合いの宝石店で鑑定してもらって、使われているダイヤの出どころがはっきりしたからです」 「とは言っても、正式に譲渡した書面があるわけじゃないわよね?」 「そんなものはありません。でもあのネックレスは私たち母娘のものでもないんです。母は事故の後、虫の息でネックレスの保管場所を私に伝えました。それは、本来の持ち主に返すべきだと思ったからだと思ってます」 ……そこへ、野菜がふんだんに使われたいかにもヘルシーなランチ
last updateDernière mise à jour : 2026-10-22
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67.眠れない夜の理由

「ネ、ネックレスを返してほしいというのは……」 「生活のため。シングルで子供を育てるって大変なことなのよ?」 シングル……真美は京極と離婚して、再婚せず子供を育ててきた……? 凪の脳裏に、母、真希の顔が浮かぶ。 「本当はね、言わないでおこうと思ったの。あの人は子供が生まれてるなんて思ってないだろうし、それを理由にやり直そうと言われるのも面倒だし」 ミックスフライはみるみる皿から消えていく。逆に凪の皿はほとんど手つかずだ。 「だから、養育費代わりにネックレスをもらうの。もともと私のために作ったアクセサリーだもの。バチは当たらないと思う」 「理由は……わかりましたけど、私からすぐにネックレスを渡すことはできません。……京極社長と、お話ください」 凪はナイフとフォークをギュッと握り、ムニエルと野菜、付け合わせのきのこのソテーを次々に口に運ぶ。 本当は胸がいっぱいで、何の味もしない。ただ機械のように食べて、この場を立ち去りたかった。 「……てっきり、あなたが持ってると思ったのに、残念だわ」 皿を空にした真美は、ナプキンをテーブルに置いて立ち上がった。 「それじゃ、近いうち伺うから。……あの人、驚くかしら?まさか自分の子供が生まれてたなんて!」 じゃあね、と言って、真美は先に店を出ていった。 帰るとき、自分の分も払ってくれたと知り……言いようのない敗北感に包まれる。 ……どうしよう。 うまく、笑えない。 『帰宅は深夜になる。先に寝ているように』 携帯に届く京極からのメッセージ。 タイミングがいいのか悪いのか……その日を境に彼の仕事は再び忙しくなったようだ。 会えなければ、彼自身に直接確かめることもできず、凪の不安はおさまらない。 再びやってくると言っていた真美が、その後現れる様子もなく、2人は直接連絡を取り合って話し合っているのかもしれない……と妄想する。 「……いやっ……っ!」 子供のためによりを戻すことになったと言われ、新田と2人、出ていくよう言われる夢まで見て、朝方飛び起きることもしばしば。 ……真美の話を聞いて、京極の寝室で寝ながら待つ、なんてこともできない凪。 そうして……時間だけが過ぎて行った。 『つまみっ子倶楽部のスタッフ達と、少し早い忘年会をすることになったので、今夜は私も新田さんも遅くなります』 ここ
last updateDernière mise à jour : 2026-10-23
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68.想定外 Side.京極

翌朝、すでに迎えに来ている松平の車を待たせ、凪がリビングに入って来るのを俺はジッと待った。 「あ、おはようございまふ……」 「おはよう」 今日も絶好調だな、と言ってやろうと思ったが、やめておく。 言葉を選ばないと、またおじさん扱いされるのがオチだ。 凪はボサボサの髪をひとつにまとめ、エプロンをした。……片足だけ膝までめくれ上がっているスウェットパンツには気づかないらしい。そのだらしなさと無防備さがひどく可愛い。 彼女の朝はいつも通りのようだ。ただし、赤い目だけは想定外。 昨日の酒の影響か?……それとも、寝不足? 昨夜の様子と合わせ、少しおかしいと感じた。 「今夜、ちょっと付き合ってくれるか?」 「え……」 「仕事は早めに終わらせる。迎えに行くから」 本当に終われるのか怪しいが、凪の異変がどうしても気になる。 すると、ポケットにしまった携帯からメロディが流れた。 重々しいクラシック音楽……重低音が腹に響く。 秘書の松平が鳴らしているとすぐにわかった。 彼女はいつも、到着予定時刻の5分前には必ず到着している。 タイムイズマネーの考え方が身についている俺には最適な秘書だ。……だが、催促するような重低音は気に入らない。 「先に出るが……凪、」 「あい……?」 「……あい、?」 ……先に言われるのかと思って待ってしまった。はい、と言おうとして……あい、か。……可愛いぞ。 「愛してるよ」 耳元でささやき、呆然とする凪を振り返って……こちらも呆然とした。 なぜ、泣きそうな顔をしている? もう一度重低音が響いて、俺は玄関を出た。 車に近づくと、松平がドアの前で立ち、俺を待っていた。 「……待たせて悪いが、あの葬式みたいな暗いクラシック音楽はやめてくれないか」 「申し訳ございません、それはできかねます。……早速ですが、一件重大な報告が入っております」 ……できないとは何ごとだ?二度見した俺に、松平は真剣な視線を向けた。 「今朝、A地区の解体現場から……古い『祠(ほこら)』と、その中から大量の……異物が発見されたそうです」 「……なに?ホラー映画か?」 「昨夜の掘削作業中は気付かなかったようです。今朝発見して、恐れおののいた作業員は撤収してしまい、現場監督も腰
last updateDernière mise à jour : 2026-10-23
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69.約束の夜に

「新田さん、本当にもう大丈夫ですから」明日から連休を取る予定の新田は、休む分の仕事を済ませておくと言って、スタッフが帰ってからも掃除に励んでくれていた。凪が声をかけると、やっと終わりにしようとしたのか、雑巾がけをする手を止める。「そんじゃ凪さん、おら、明日とあさって、青森さ帰りまスけど、もしなんかあっだら……」顔を上げ新田の表情に「心配」と書いてある気がする。「どうしたんですか……?せっかくの連休なんだから、故郷でのんびりしてくればいいのに、心配そうな顔をしちゃって」「いや……おらだって気づいでまス。……京極社長さんと、ケンカしたんでスか?」「あ……それは、」意外と鋭い新田。心配そうな表情はそのせいだったかと反省した。「大丈夫です!……今日はこれから、迎えに来てくれるんですよ?多分、どこか夕食に連れて行ってくれるんだと思います」「わぁ……っ!デートじゃねぇでスかぁ?!」新田は安心した様子でつまみっ子倶楽部を出ていった。……そういえば彼には、京極とのことが完全にバレている。他のスタッフに何も言われないということは、すべて新田一人の胸にしまってくれているということ。その上雰囲気が悪いことまで心配してくれた。ちゃんと見守ってくれているとわかり、凪はありがたい気持ちで新田を見送った。京極の突然の誘いは凪を戸惑わせたものの、今日の服は少しだけ意識して選んだ。言われたのが出かける前でよかった、と思いながら。何度目かわからない鏡を覗き、凪は手のひらの携帯を弄ぶ。ドキドキしながら室内を歩き回り、やがて……時計は20時を指した。早めに切り上げる、とは言っていたものの、やはり終われなかったのか。……京極なら合間にメッセージを送りそうなのに、何もないところを見ると、仕事に忙殺されているのかもしれない。さらに30分ほど過ぎて、忙しいならまたの機会にしましょうか……と、こちらからメッセージを送ってみた。返信が来ないまま30分……既読もつかない。さらに30分ほどたって、今度は心配になってきた。……もしかしたら、来る途中で何かあったのてはないか。凪は携帯を握り直し、京極に電話をした。長い発信音の後、やっと繋がった。「……もしもし、凪か、」息を弾ませている。「あの……どうか、」どうかしたのかと聞こうとした次の瞬間、女性の声がすぐ近くで聞こえた。
last updateDernière mise à jour : 2026-10-24
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70.社長の憂鬱 side.京極

「今、なんと言った?」……自分の顔が怒りに満ちていくのを感じる。この女は、こうしてまだ俺を苦しめるのか。やっと、凪という愛しい癒しを見つけたのに。「身に覚えがないとでも言うんでしょ?……あの夜のこと、忘れたの?」「2時間後……」携帯が重々しいクラシック音楽を奏でた。……5分前か。腕時計を確認して、真美を冷たく見下ろした。「このビルの裏に『楓』というカフェが……」「あら懐かしい。まだマスター1人で頑張ってるのね?」そうか、真美と何度か待ち合わせに使ったカフェだった……だが時間もなくほかの店も思い当たらない。「2時間後、楓で待っててくれ。今の話と今後について話す」子供は自分の子であるはずがない。そして、こうして接触してくる本当の理由と目的を聞いて対応するつもりだった。もちろん……凪との今後の関係を見据えて。真美の返事は聞かず、立ち去った。……凪を迎えに行くのは真美との話を終えてからになりそうだ。もちろん長話をするつもりはないが、時間を逆算してメッセージをしておこうと携帯を取り出した瞬間、松平から着信が入った。『社長、例の……祠が発見された堀削現場ですが、調査が進み、異物が……人骨だとわかりました。……その情報が先に役員たちに漏れたようです』『わかった。すぐに会議室に行く』読み通り、2時間ほどの長い会議となった。議題は当然、堀削現場から発見された祠と人骨。「調査の段階では、そんなものが出る可能性はなかったんですよね?……担当は、開発調査部?」「はい。……毎回そうですが、今回は特に大きなプロジェクトですから、下調べ等入念に行いました。ですが今回発見された祠と異物に関しては、首をひねるばかりでございます」専務に睨まれ、担当した部署の部長が青くなりながら弁解した。「ところが……だ、発見され、すでに開発は中止。再開できる見通しは……」「ありませんね。この件からは、撤退するのが妥当でしょう」「おやおや。李仁社長ともあろう方が、ずいぶん簡単にあきらめますなぁ……」自分の倍近い年齢の専務が、俺をよく思っていないのはわかっている。緩めた目元は笑っていないし、口元は歪んでいて、とても笑顔とはいえない。「社運をかけたプロジェクトではありましたが、調査に時間がかかりすぎる。それに、祠や異物が出たところに建物を建てても、おかしな噂が出る可能性が
last updateDernière mise à jour : 2026-10-25
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