正式開店まで、あと十日。 その日の営業準備を終えた糀は、カウンターへ二つ並んだ弁当箱を見て、目を丸くした。 「今日は私が作るつもりだったのに」 「先週から、あなたは私と食事をする約束を三度延期しています」 煌は、いつものスーツ姿で糀の向かいに立っていた。 離婚が成立した日に誘われていた。けれど修司の無断販売が発覚し、返金や会社への説明が続いた。昨日も、店に残った書類の整理で夜になった。 「今日こそ、仕事の続きではなく、私と食事をしてください」 煌が箱を開く。焼き魚と、青菜のおひたし、白いご飯。派手な料理ではない。糀が仕込みの途中にも食べやすいものを、秘書に頼まず煌が選んだという。 「神楽坂さんは、食べられるんですか」 「あなたと一緒なら、少しは」 糀が心配そうに見ると、煌は箸を取った。 「今日は私の食事より、あなたの食事です。さっきから立ちっぱなしでしょう」 そう言われて、糀はようやく椅子へ座った。自分の店で、誰かが用意した夕食を食べるのは久しぶりだった。 修司と暮らしていた頃は、どんなに遅く帰っても、台所へ立つのは糀だった。献立を考えることも、食べ終わった皿を片づけることも、当たり前のように糀の仕事になっていた。 煌は紙の包みから温かい味噌汁を出し、糀の前へ置いた。 「熱いので、気をつけて」 糀は一口飲んだ。自分の作る味とは違う。それでも、食べる人のことを考えて選ばれた一杯だと分かった。 「おいしい……」 「よかった」 煌がほっとした顔をする。その顔が見たくて、糀はもう一口飲んだ。 「神楽坂さんも、食べてください」 「食べています」 「さっきから私の皿ばかり見ています」 煌は少し驚いて自分の弁当へ目を戻した。糀は笑って、もうひと口食べた。誰かの食事を用意する役ではなく、同じ食卓で食べることを楽しんでいる。そう気づくと、肩の力が抜けた。 食事のあいだ、修司の解雇にも、返金の書類にも触れなかった。煌は正式開店の日に出す料理を尋ねた。糀が鯛の出汁の話をすると、焼き魚を食べる手を止めて聞く。 「仕事の相談みたいですね」 「あなたが好きな話を聞きたいだけです」 糀は箸を置いた。 「料理の話ばかりでも?」 「ええ。でも、料理をしないあなたのことも知りたい」 煌がまっすぐに見てくる。糀は
Last Updated : 2026-09-22 Read more